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神々に見守られし男  作者: 宇井東吾
三章「魔の饗宴」
28/44

騎士と姫と魔蟲

Q.どうして文字数が多くなるのですか?

A.文才がないからさ。

「ヒャッハー、お前の血の色は何色だー!」


 テンションの高い掛け声と共にイレーゼが立ち回り、魔人ソレーフィンの装甲の上から拳を叩き込む。

 手には何も装備されておらず、全くの無手であるのにも関わらず、拳を叩き込む度に装甲が歪み、亀裂が入り、粉砕される。そうして露出した肉を叩いて穿ち、出血させる。血の色は勿論赤色だ。


 上級重力属性魔法【質量増大化(グルエスタ)】を瞬間的に付与させた拳は、打撃の際に数百キロもの質量が高速で衝突したのと同じ威力を持って装甲に対して牙を剥く。

 魔人の纏う装甲は血液中の鉄分を抽出して作り出した代物で、その硬度は鉄と同等である。だがそれは逆を言えば、鉄程度の硬度しか持たないという事でもある。

 イレーゼの混ぜ物としての筋力パラメータと体術スキル、そして重力属性魔法の補助を受けたイレーゼの拳は砲弾をも凌ぐ。たかが鉄程度では防ぎ切れるはずもない。


「アァァァァァァァァァ!!」


 魔人が四枚の鎌を振るう。

 振るわれるそれらの鎌は全てを等しく斬り裂く為に、防ぐ事はまず叶わない。そして四方から一枚ずつのタイミングを僅かにずらして振るわれる鎌を躱し切る事は、達人であっても困難を極めるだろう。

 だがイレーゼは四枚の鎌の軌道とタイミングを完全に読み切り、その小柄な体躯を活かした軽やかさと、まるで猫のようなしなやかさを持って隙間を掻い潜る。


「ニャハハ、遅い遅い。シュウポンの拳の方が断然速いね!」


 空を切った鎌の刃の側面や峰を、それぞれ均等に拳や蹴りを叩き込む。 

 再び鎌が振るわれるも、その速度は先ほどの斬撃と比べて明らかに遅くなっている。それを更に掻い潜っては拳と蹴りを見舞い、再び鎌が振るわれるというパターンを数度繰り返す。

 一連の流れは回数を追う度に斬撃の速度が落ち、最終的にはイレーゼでなくとも見切る事が容易な速度にまで落ちる。

 中級重力属性魔法【質量の枷(グルゲスタ)】の魔法は、敵が人であろうがモンスターであろうが関係なしにその猛威を振るい、相手の攻撃力を削いでいっていた。


「スーパー回避! からの~、回り込み!」

 

 さすがに魔人も、重量が増した事によって斬撃速度の遅くなった鎌だけで対応し続けるほど知能は低くはない。あえて速度の落とした鎌を囮として斬撃を放ち、イレーゼが跳躍して回避したところに、至近距離からの舌による刺突を放つ。

 だがイレーゼの方が一枚上手で、舌が繰り出されるよりも一瞬早く中級重力属性魔法の【引き寄せる重力場(グル・フォール)】を発動する事で、空中にあった自分の体を引き寄せると同時に舌の軌道をずらし、直後に魔法を解除する事で自由を得て舌を回避し、相手の背後に回りこむ。


「【徹甲崩拳てっこうほうけんさい】!」


 そして拳が、魔人の背中に振り下ろされる。

 当然質量も増大させた拳が引き起こしたのは、文字通り爆砕。厚い装甲に覆われた魔人の背面部を、唯の一撃で装甲ごと爆発させて粉砕した。


「うおっ、危ねっ!?」


 血肉が飛び散り、慌ててローブで目や鼻や口腔といった粘膜を保護する。代わりにローブが血肉を浴びて汚れ、その事にイレーゼは露骨に表情を顰める。


「ちぇー、折角シュウポンからもらったのに、汚れちった―――ってぇ!?」


 汚れたローブを見下ろしていたイレーゼは、足元から突如として飛び出してきた刃に驚き、慌てて後方に跳躍し、優に十回以上は空中回転を決めて着地。


「そっかー、あれって確か血液中の鉄分を使って作ってるわけだから、作ろうと思えば傷口からも武器を作れる訳か」


 一瞬躱すのが遅れた為に刃は膝を掠め、パックリと切り傷を作り血を流していたが、その程度の傷であれば彼女の持つ【自然治癒Ⅴ】によって塞がれた。

 一方でそれは魔人もまた同様であり、イレーゼによって与えられた傷は即座に周囲の肉から無数の菌糸が伸びて絡み合って塞がり、その上を新たに生み出された装甲が覆っていく。


「だけど、いくら傷を治せても、増大した質量はどうにもできない―――」 


 得意気な表情を浮かべて語っていたイレーゼの口が硬直し、表情も唖然としたものに変わる。


「汚ねぇ! そんな手はシュウポンでも取らなかったのに!」


 イレーゼの視線の先には、魔人が自らの鎌を切除し、新たに断面から刃を再生成する光景が広がっていた。

 人間で例えれば、自分の腕を切り落として生やすようなものだ。当然そんな手段を人間が取れるはずもない。故にイレーゼの発言は、正しくは「取らなかった」ではなく「取れなかった」が妥当だろう。


「ちっくしょう、だったらもう一遍ボッコボコにしてやる!」


 指を鳴らして再び猛然と殴りかかろうとした所で、横手から飛来してきた、眩い光を放つ雷球が魔人に命中した事によって―――より厳密には、その光量に眼を焼かれて動きを止める。


「うおっ! まぶしっ!」


 両目を手で押さえて叫ぶその姿は隙だらけだったが、幸いにもその隙を突かれることはなかった。

 飛来した雷球はそれほど大きくはなく、片手で掴む事はできなくとも、両手で抱えるのには小さすぎるといった大きさ。にも関わらず魔人の胸部に命中した瞬間、胸部を覆っていた装甲も、その下の血も肉も骨も、そして反対側の装甲も、全てを蒸発させていた。

 上級雷属性魔法【炎爛の電熱雷球(ノス・フィアリデ)】は、範囲こそ狭いものの圧倒的なエネルギーを保有する雷球を生み出す魔法であり、術者の知性の数値が低くとも相応の破壊力を発揮する優秀な攻撃魔法である。

 その魔法を放ったのが、雷を司る雷雲神エトルの加護を受けているエミリー・バロバクトである事は言うまでもなく、イレーゼであってもそれくらいはすぐに把握できた。

 そして視力が回復して、即座に文句を言う。


「ゴルァ! さっきといい今のといい、イレーゼの眼に恨みでもあんのか!?」

「訳の分からない事を言わないでくださる? わたくしはきちんと事前に警告を致しました。魔法を使うので眼を閉じるように、と。聞いていなかった貴女が悪いのではなくて?」

「なんだとぅ!?」

「やめろ、イレーゼ。おまえが悪い」


 グイと襟首を引っ張られ、イレーゼは気道を塞がれて眼に涙を浮かべる。

 襟首をいきなり引っ張った者に対して抗議をしようと息を吸い込んだところで、今度は体を持ち上げられて肩に担がれ、その場から強制的に移動させられる。その際の衝撃で舌を思い切り噛んでしまい、さらに浮かべる涙を追加する。

 最後に移動が終わったところで地面に下ろされるが、その下ろすという行為が中々乱雑で顔面から地面に突っ込む羽目になり、しこたま鼻を打って涙を追加する。

 最終的には浮かんだ涙が目の下に筋を作り、打ち付けた鼻から血を流した状態でようやく好き放題やってくれた者に抗議の声を上げる。


「痛いじゃん! 何すんのさ!」

「敵対している相手が眼前にいるのに、無防備に会話する奴がどこにいる。常に警戒を怠るな」


 イレーゼの襟首を引っ張り、次いで体を持ち上げ、乱雑に投げ出した人物―――それは特徴的な紫の髪色をした男、ヴェクターだった。

 普段の寡黙さはどこへ消えたと言わんばかりに、その口から流れるようにバリトンの渋い声が出てくるのを秀哉が聞いた日には「キェェェェアァァァァシャァベッタァァァァァ!!」と叫ぶ事請け合いだ。


「それと、あまり素手で戦うのは避けるべきだ。拳が破けて傷口から寄生された場合、困るのはおまえだろう」

「むっ、確かにそれは困る……」


 今のところ自分の拳は無傷である事に安心し、同時に自分の迂闊さを反省する。怒ったと思ったらすぐさま反省したりと、切り替えが早い。


「シュウポンの話だと、殺すには血を全部蒸発させなきゃいけないんだっけ。イレーゼ、火属性も焔属性も使えんよ?」

「確かに、話を表面的に聞いただけではそうなる」

「んにゅ? 何か策でも?」

「策……という程でもないが、要はあれを殺すのには、血中に存在する本体を全滅させれば良い訳だ。血液を気化させるという現象そのものに本体を殺す作用があるのではなく、気化するほどの熱量にさらす事で殺せるという事だ。ならば必ずしも、血液を気化させる必要がある訳ではない」

「んと、つまり、血を蒸発させずとも殺す手段があるって事?」

「あくまで仮定の上での話しだが、そういう事になる」

「ならなら、それで行こう! どうすればいいの?」


 ヴェクターがイレーゼに対して、自分の考えを彼女でも理解できるよう簡単に説明する。


「理解できたか?」

「イェッサー!」


 綺麗な敬礼を決めるイレーゼに、ヴェクターはそこはかとない不安を抱くが、ひとまずは信頼する事にする。


「んでもさ、ヴェクたん。それだけ喋れるんだから、シュウポンともちゃんと口を利いたら? シュウポンも喋れって言ってるじゃん」

「……どう話せば良いのか分からぬ」


 イレーゼの言葉に、苦々しそうな表情を浮かべて目を逸らして言う。


「自意識を奪われていたとはいえ、われが主殿を殺そうとしたのは事実だ。どのように接すれば良いと言うのだ」

「イチイチ固いんだよヴェクたんは。シュウポン、そんなん全然気にしないって。普通で良いんだよ、イレーゼみたく」

「おまえが異常なのだ、どう考えても」


 ヴェクターが話は終わりと、視線を魔人へと戻す。


「作戦会議は終わりまして?」

「チッ……」


 皮肉気な言葉を投げ掛けてくるエミリーに、イレーゼはあからさまに舌打ちしてみせる。


「何で舌打ちをしますか」

「あれ、聞こえちゃってた? ゴメン、ついイラッてしちゃってさ」

「先ほどのわたくしの言葉のどこにイラつく要素があったのか、是非お聞かせ願いたいところですわね。それと、敵が目の前に居るのにも関わらず暢気にお喋りに興じられる理由に関しましても」

「お前の存在そのものがムカつく。それに暢気にお喋りをしてた訳じゃないし。あいつを倒すための算段を立ててたんだよ」

「では、その算段とやらを教えていただけますか?」

「はあ? 何でお前如きにわざわざイレーゼが教えてやらなきゃいけないの? お前さっき、一人でも倒せるとか豪語してたじゃん」

「事実を言ったまでです。わたくしの方ではすでにあれを倒す算段はついています。が、貴女がたが別の方法を考え付いたというのならば、その方法を聞いてあげてもよろしいと申しているのですわ」

「寝言は寝て言え。算段がついてるんなら、イレーゼたちに聞かずにその方法を実践しろよ。んでもって、失敗しろ」

「貴女―――」

「キミたち! こんな時に何を争っているんだ!」


 イレーゼとエミリーの言い争いを見かねたエリンズが、魔人と睨み合いをしながら叫ぶ。

 現在彼の手には三本目となる新たな剣が握られており、積極的に相手と刃を交える事を避けて牽制するだけに留まる事で、二人が不毛な言い争いをしている最中に横槍を入れられないように奮戦していたのだが、さすがに限界が近づいてきていた。

 その過程を見ていた訳ではないが、その端正な顔に僅かに疲労の色を宿し魔人と相対する彼の姿を見て凡その事態を察した二人は、即座に不毛な争いを止める。


「バロバクト嬢。先ほどの話を聞く限り、敵を倒す手段を持っていると判断しても構わないだろうか?」

「ええ、その通りですわ」

「よろしければお聞かせ願えるだろうか。恥ずかしい話だが、ボクの実力ではあの魔人を倒すことは不可能のようだ。その代わり、ボクが手伝える事があれば全力で遂行してみせよう」

「お言葉に甘えさせて頂きますわ。と言いましても、大した事ではありません」


 エミリーが視線を魔人へと向ける。魔人はその長い舌を口から出し入れしながら、エミリーを興味深そうに見たまま、その場を動かない。 


「先ほどわたくしの【炎爛の電熱雷球(ノス・フィアリデ)】であれの装甲を消失させられる事は確認しています。よって同様の熱量を、更に広範囲に放つ事のできる【炎爛の雷熱放射撃(ノス・エドケニア)】で全身を塵一つ残さず蒸発させます。

 ですが問題点を挙げるのならば、わたくしを以ってしても、あれの全身を一度に蒸発させるのには魔法の中心に捉えてギリギリです。よって貴方には、一瞬でもいいのであれの動きを完全に止める事と、詠唱が終わるまでの時間稼ぎをやって頂きたいのです」

「了解した。それぐらいならばボクでも十分可能だろう」

「頼みました。そこの二人は、精々邪魔にならぬようにして下さい」

「へいへーい」

「………………」


 イレーゼの瞳に浮かぶのは、果たしてそう上手く事が運ぶのかという嘲りの混じったもの。そして同時に、成功したならしたで自分たちが倒す手間が省けるとも考えていた。

 そんな意図を見抜いた訳ではないだろうが、エミリーはイレーゼを睨んだ後に視線を魔人に戻す。

 先程の会話の最中に横槍を入れて来なかったのは、勿論エリンズが牽制したというのもあるが【炎爛の電熱雷球(ノス・フィアリデ)】によって受けた傷を再生させていたというのも大きい。

 高エネルギーの雷球を受けて断面が炭化した為に修復には少し時間が掛かると思われていたが、今では穴は完全に塞がり、装甲も元通りとなっていた。


「無駄」


 ニタリと魔人が笑い、言葉を発する。


「話ハ聞イテイマシタ。何ヲシヨウトモ無駄無駄。アナタタチデハワタシニ勝ツコトハデキナイ」

「そんな事は、やってみなければ分からないだろう!」


 エリンズが反駁するが、魔人は嘲笑うのみ。


「ヤラナクトモ分カル。素直ニ周囲ノ者タチニ加勢ヲ頼ンダホウガイイ。ソウデナイトワタシニハ絶対ニ勝テナイ」

「加勢など必要はありませんわ。下手な者に助力を頼んだところで、貴方の糧にされるだけ。それが貴方の狙いでしょうが、その手には乗りませんわ」

「悪いが死ぬと分かっている戦いを部下たちに強要する事などボクにはできない。キミはここで、ボクだけの力で倒す!」


 エリンズが吼えて突進。その背後ではエミリーが詠唱を始める。


 魔法とは本来、詠唱をする事で十割の効果を発揮する。とはいえ、必ずしも使用するのに詠唱を伴わなければならない訳では無く、詠唱をしなくと呪文を口にすれば発動させる事ができる【詠唱省略】や、詠唱はおろか呪文を口にする事必要すらなくなる【詠唱破棄】というスキルも存在する。

 だがこれらは、無条件でその恩恵に預かれる訳ではない。【詠唱省略】ならば本来発揮する筈だった範囲や効果を九割から八割ほどまでに低下させ、さらに【詠唱破棄】ともなると七割から五割以下にまで低下させると共に、本来必要とする魔力よりも多くの量を消費しなければならない。

 先程エミリーが口にした、魔法の中心に捉えてというのも、きちんと詠唱した上での範囲という意味だ。当然ながら、詠唱している間は無防備となる。

 一応慣れた者ならば詠唱しながらでも動く事は可能なのだが、さすがの彼女も若さ故に経験不足であり、そこまでの境地には到ってはいなかった。


 騎士であり、魔法の才を持たぬエリンズにその辺りの事情など知る由もない。だが彼はエミリーに、魔人を倒す為に必要だと任された。ならばエリンズは、それに全力を持って応えるのみ。


「我が主たる武神ラトメギスよ! その比類なき金剛力を我に与えたまえ!」


 武神の加護を得たエリンズの突進の勢いを乗せた剣を、節足を動かして同じように突進する魔人の大鎌が迎え討つ。

 まともに打ち合えば、エリンズのただの剣と【絶対切断X】の宿った大鎌とではどちらが勝つか、考えるまでもない。

 だがエリンズは既に相手の鎌がどれほど危険な代物かを把握していた。そしてそうと分かっていれば、彼にとって対処は容易だった。

 剣が鎌に触れる直前に、軌道を直角に変化。同時に足の力を抜いて両足を崩す事で鎌の下に潜り込み斬撃を回避。素早く力を込め直して剣を振るう。狙いは挟み込むように振るわれた鎌のうち、魔人から見て左下の鎌の側面。それを峰側から刃側に抜けるように刃を通し、鎌を切断。

 直後に地を蹴って後退。勢いの止まり切らない魔人の突進に巻き込まれぬよう一定の距離を保ちながら、返す剣で左上の鎌を同様に斬り捨てる。


「キキキキキ―――」


 一瞬の間に左側の鎌を半ばから断ち斬られた魔人が、それでも不気味に笑う。そして垂らしていた舌を持ち上げ、先端をエリンズの後方で立ち止まって詠唱するエミリーの心臓へと狙いを定める。

 元よりエリンズは牽制で、本命はエミリーの魔法である。それは、会話を聞いていた魔人も理解している。そしてエミリーを先に殺してしまえば、エリンズに打つてはなくなるという事も。それだけの知能が、進化クラスアップした魔人にはあった。

 だが―――


「それぐらいは、読んでいたさ!」


 エリンズが右手を剣から離し、腰から短剣を抜く。

 そしてその切っ先を、エミリーに狙いを定める為に完全に無防備となっていた魔人の顎を目掛けて叩き込む。


「ギュッ!?」


 舌を下顎と上顎ごと短剣に縫い止められ、エミリーへと放つ事に失敗した魔人が呻き声を上げる。その視線はエミリーから、邪魔をしたエリンズへと移る。

 無事な右の二枚の鎌を振るう。膝下を狙って振るわれた鎌を、エリンズは跳躍して回避。鎌が足元を通り過ぎた瞬間に剣を地面に突き立て、左手一本で体を持ち上げる。

 体が剣の延長上の頂点を過ぎ去ったところですかさず剣を引き抜き手元に引き寄せ、滞空中を狙ってワンテンポ遅れて振るわれた上の鎌を剣と共に回避。そのまま一回転して着地し勢いを殺さずに前転。背後から襲ってくる、引き戻された大鎌の峰を回避し、起き上がりざまに剣を一閃。右側にある三本の節足のうちの二本を切断。

 尚もエリンズは止まらず、時計回りに移動。その構造上、体を反転させる事が困難な為に回り込む彼の姿を追いかけようとして隙だらけな魔人の体の反対側に到達し、三本の節足を残らず一太刀で切断。


 これで再生するまでの間、間違ってもエミリーの元へと行く事を封じたところで、剣を逆手に持ち替える。左手で柄を持ち、右手を柄頭に添えて、一気に突き出す。狙いは一際分厚い装甲に覆われた、昆虫の胴体。

 切っ先と装甲が触れ合い、甲高い衝突音と共にエリンズの腕に抵抗が伝わる。しかしそれも一瞬の事で、その直後には剣は分厚い装甲を貫き、胴体を地面に縫い付けていた。


 今のエリンズは、彼の本来のステータス数値や先程までの動きからは考えられない程の身のこなしをしていた。

 そのあり得ない動作を支えるのは、彼の持つ【不惜身命ふしゃくしんみょう】と【剣聖】のスキル。

 自分では無く誰かの為に戦う時において、耐久力と精神力のステータスと引き換えに、それ以外のステータスの大幅な強化を可能とする【不惜身命】と、対象のどの部位をどのように斬れば最も脆いかを視覚化する事を可能とする【剣聖】。

 この二つのスキルに彼の卓越した剣技が加われば、魔人の装甲など藁束にも劣る。自分に魔法の素質は皆無と早々に見切りを付け、ただひたすらに剣の道に走り、生涯を捧げる鋼の忠誠心を持った彼だからこそ会得できたスキルだった。


「バロバクト嬢! 動きを封じたぞ!」

「ジャストタイミングですわ。お下がりになさってくださいまし!」


 言葉に従い、エリンズが下がる。

 二人の会話を聞いて状況を正確に把握した魔人がもがくが、再生が追いつかず残る足も一本だけで、さらには地面に縫い止められている状態では無意味の行動でしかなかった。


 魔人の視線がエミリーを捉える。それと同時に、詠唱を終えた彼女が呪文を唱えた。


「【炎爛の雷熱放射撃(ノス・エドケニア)】」


 完全詠唱で、さらに消費する魔力も上限一杯に注ぎ込んで範囲と威力を最大にまで引き上げられた魔法が発動。

 生み出されたのは雷のレーザー。いや、最早光線と言った方が正しい。

 至近距離で直視すればまず失明間違いなしの光量と圧倒的熱量、そして魔人の姿を完全に呑み込む太さを兼ね備えたそれは、放たれてからコンマ一秒と掛からず魔人を飲み込み消滅させる。


 その、筈だった。


「……え?」


 【炎爛の雷熱放射撃(ノス・エドケニア)】の魔法は、魔人を呑み込む事なく消失する。

 魔人を呑み込まんと直進する光線は、いつの間にか魔人の胸部から生えている奇怪な三本の腕のうちの一本に握られていた剣に、触れる側から、逆に呑み込まれて消えていったのだ。


 もしクバーレンが、そうでなくとも多少事情通な者がその光景を見れば、どうしてそんな結果となったのかすぐに理解できただろう。

 魔人が手に握っていたのは、まだその者が魔人へと変貌する前に愛用し、その二つ名の由来ともなった代物。

 とある牙獣の牙を鍛えて作り上げられたその剣は、その牙獣の持つ、あらゆる魔法を打ち消すスキルをその剣身に宿していた。

 即ち、三剣が一振り。『魔剣ティクナーク』。


 想定外の事態に呆然とする二人を眺め、魔人が哄笑する。


「言ッタ筈。何ヲシヨウトモ無駄ダト。アナタタチノシテイタ事ハ全テ無駄ナアガキデシカナカッタ」


 空いた手を使って短剣を引き抜きケタケタと笑う魔人に対して、彼らは反論する事もできなかった。それほどまでに、結果はショックなものだった。

 そしてその姿は、魔人にとっては格好の的だった。


 大鎌が薙ぎ払われる。標的は近くで呆然としていたエリンズ。

 不幸中の幸いに、立ち位置が良かったお陰もあり、喰らったのは刃ではなく峰側だったが、それでも間に剣を挟む事も叶わず直撃を喰らい、鎧を粉砕されて砲弾のように吹っ飛ばされる。


「くっ、この―――」


 ようやく我に返ったエミリーが魔法を放とうとするが、相手の手に握られている『魔剣ティクナーク』を見て、手に持つ尖剣を構えるだけに留まる。

 彼女は本来は後衛向きであり、雷雲神の加護が齎す強大な雷属性の魔法が最大の武器だった。それを封じられてしまった以上、もはや彼女に打つ手などなかった。


「クキキキ―――【強酸濃霧(アシッド・ミスト)】」


 詰みの状況に歯噛みするエミリーを嘲笑い、魔法を使用する。それが確実に彼女を仕留める為ではなく、魔法の使えなくなった彼女をいたぶる為だと分かっても、何もできない。

 魔人を中心に急速に拡がっていく濃霧を、ただ憎しみを持って睨み付けるだけだった。


 


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