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神々に見守られし男  作者: 宇井東吾
三章「魔の饗宴」
25/44

魔人咆哮

「閣下、如何なされましたか!? 閣下!」


 第6区画にある、老将ドミニコ・バインの天幕内から争うような物音が響き、周囲は騒然としていた。

 『許可なき立ち入りを禁ず』という軍規に忠実に従い天幕の外から呼び掛ける兵士たちの間にも、中から返事がない事に対し、徐々に不安が広がっていた。


「閣下!」

「……騒がしいぞ」


 いよいよ規律を破ってでも中を確かめようとその場の誰もが思い始めた段階で、内側から聞き慣れた声が届く。


「用があるなら入れ」

「……失礼します」


 微かな緊張を伴いながら天幕の中に入った兵士は、直後に緊張も吹き飛ぶほどの驚きを覚える。


「に、ニーソン、殿……」


 天幕の中に広がっていたのは、手に血に濡れた剣を持ち、鎧に副官の返り血を浴びた老将の姿と、その足元でうつ伏せに倒れる、首のない死体の絵。

 首がなくとも、その死体が、長年老将の傍らで片腕として尽力していた副官のニーソンであるという事は、着ている服で即座に分かった。


「閣下、一体、何が……」

「愚か者が。よく見るがいい」


 一喝され、兵士は即座に動揺を鎮める。そして老将が剣で指し示した先を注視する。


「なっ……ドッペル、ゲンガー……」


 天幕の隅に転がっていたのは、まだ血が断面から零れる生首。ただしその首は、人間の物ではなかった。

 色は全体的に黒く、目のある部分にはぽっかりと空洞が開いており、鼻や口に該当する部分はのっぺりとしていて、全体的に軟体動物を連想させられる形状をしている。

 それは高い知能と親しい者であっても見分ける事が困難な擬態能力を持つ、ドッペルゲンガーの真の姿だった。


「おい貴様、いつまで惚けている?」

「は、はっ!」

「貴様に一時的に権限を与える。貴様は至急メンバーを選抜し、第106区画の様子を確認して来い」

「それは、一体どういう―――」

「二度は言わんぞ」

「……了解しました」


 有無を言わせぬ口調に、兵士は略式の敬礼を返して退出する。


 自分以外がいなくなった天幕の中で、老将は首のない死体を眺める。

 当然ながら死体は黙して語らず、生者である老将も語らぬため、天幕の中は沈黙が支配していた。


 どれほどそうしていただろうか、やがて老将が手にしていた剣を鞘に収めると、手を首のない死体に向けてかざし、炎の魔法を放つ。

 炎は死体に燃え移り、瞬く間に死体を炭へと変えていく。その光景を眺めながら、老将は小さく声を漏らした。


「……すまない」



――――――――――――



 いつかも述べたように、魔人はニューアースの極僅かな種族を除いて、条件さえ満たせば進化することのできる種族だ。

 進化の条件はその種族によって異なるが、共通している条件は一定以上の濃度の魔力を一度に大量に摂取する事と、もう一つ、相当数の人間を屠る事である。

 その条件ゆえに、俺は今までに魔人を目にした事はなかった。そして当然ながら、魔人から進化する魔王もである。

 箱庭に存在する人間は、俺だけだからだ。


 そして今、俺は生まれて初めて、魔人を目にしている。


 ニューアースもそうだが、箱庭においてレベルは必ずしもモンスター同士の強さの上下関係を決定するものではない。

 ニューアースの人間の、レベルが1上がる毎の格パラメーターの上昇値が違うように、モンスターだってレベルが1上がる毎に上昇するパラメーターの数値も違うのだ。

 極端な話、レベル100のモンスターAとレベル1000のモンスターBとが戦った際に、軍配がモンスターAに上がる事だってあるのだ。


 それらを踏まえた上で、眼前に現れた魔人を見る。


 魔人ソレーフィン―――【三剣のソレーフィン】の内部を食い破って現れたそれは、そう名乗った。

 勿論ソレーフィンが魔人であったなどというオチである訳がなく、推察するに寄生でもされていたのだろう。

 レベルは最低数値の1。おそらくは誕生(クラスアップ)したてなのだろう。しかしそれは油断して良い要素足りえない。

 レベルが最低なのは、クラスアップに伴いリセットされたからだ。しかしそれと一緒にステータスがリセットされるかと言えばそうでもなく、クラスアップ直前までのステータスに加えてクラスアップによって上昇した数値が加算される。

 つまり、今のそいつは、クラスアップする前よりもレベルが圧倒的に下でありながら、クラスアップするよりもステータス上の数値は上なのだ。


 ところが、そんな事も分からない馬鹿というのは、どこにでもいるらしい。


「なんだよコイツ、レベル1じゃねえか。魔人とか言ってビビらせやがって……」


 冒険者の一人が、そんな事を言いながら武器を抜いて近づく。

 分析スキルを持っているが故の発言であり、行動なのだろうが、すぐにその選択は間違いだと気付くだろう。

 自分の命を代金に。


「さっさと飯を食いたいんだよ。大人しく……死ん、で……」


 人間というものは、縦に両断されても、数秒間は意識を保っていられるらしい。

 魔人が鎌の一つを振って男を割っても、そいつは変わらぬペースで歩みを続け、やがて左右の歩幅が合わなくなって体の左右が上下にズレたところで、ようやく自分が斬られた事に気付いた。


「あら……」


 右の体は前に、左の体は後ろに倒れ、断面からは血だけが零れる。

 一体どれほどの斬れ味なのか、断面は恐ろしく滑らかで、尚且つ分割された筈の内臓も零れる事はなかった。


「くきききききき―――」


 魔人がニタリと笑みを浮かべ、鎌に付いていた血をその長い舌で舐め取る。

 今し方死んだ男は、レベルが194だったわけだが、実に200近いレベル差の敵を殺した事によって、一気に魔人のレベルは18までに上がっていた。


 これがクラスアップした存在の怖いところで、一部の例外を除いて、クラスアップした存在はステータスはそのままにレベルがリセットされる。

 つまり、さほど多くない経験値で、ある程度のレベルまで爆発的に上げることができるのだ。

 放っておけばレベルはどんどん上がって行き、それだけ手が付けられなくなる。

 それを防ぐためにも、クラスアップしたての敵は、できる限り早く排除するのが望ましい。

 そしてそれを実行するには、実力の低い者たちを退がらせ、少数であっても個々の実力の高い者のみを選抜して相対するのが最善策だ。


「じゃあ、あの行動は?」

「そりゃお前、言うまでもないだろう」


 イレーゼが指差した先には、リーダーらしき騎士の言葉に従って、突如現れた魔人を囲むバルスクライの騎士たちの姿。


「馬鹿のやる事だ」

「ほんとだ。早速死んだ」


 わざわざ囲まれる側が包囲陣が完成するまで待つ訳もなく、一番近くに居た騎士の上半身と下半身がさよならする。

 それを側で見せられた別の騎士が、声にならない悲鳴を上げる。

 それでも逃げ出さずにその場に留まったのは立派ではあるが、しかしそこは逃げるのが正解だ。正解できなかった代償は勿論、命の支払いだった。


「キミたち、一体何をやっているんだ! 早く退がりたまえ!」


 そんな声を上げているのは、意外な事に、あの金髪イケメンフェイスの騎士団長のエリンズだった。

 さすがは騎士団長と言うべきか、的確な指示を飛ばして―――


「空腹のままでは満足に戦える筈もないだろう! ボクたちが責任を持って食い止める! その間にキミたちは食事を済ませるんだ!」


 ―――いるわけでもなかった。


「あれ、本気で言ってるのか? 同じように剣を抜いている近衛騎士たちも、本気で団長の言葉に同調しているのか? もしそうなら、俺は今すぐ帰るぞ? 転移魔法使って」

「少なくとも本人は本気っぽい」

「他の近衛騎士は……セーフだな。苦笑いしてる」


 ただ少なくとも、エリンズのこの言葉は多少は効果があったようだ。

 懲りずに包囲陣を完成させようとしていたバルスクライの騎士たちも、徐々に魔人から距離を取り始める。

 視線は魔人を捕らえたまま、一歩一歩、慎重に後退していく。

 当の魔人は、そんな騎士たちを値踏みするかのように、一人一人の顔を眺めて行き、そしてある一点でその視線を固定する。


「旦、那……」


 フラフラと、見ていて自失呆然としていると分かる様子で、クバーレンが魔人へと近づいていく。


「悪い冗談は止めましょうや、旦那。体調が優れてないんだ、早く飯を食って、ゆっくりと休みましょうよ……」


 クバーレンが話し掛ける相手であるソレーフィンなど、とっくに死んでいる。その事はこの場の誰もが大なり小なり把握しているというのに、クバーレンだけは把握できていない。

 死んだな、こりゃ。


「馬鹿な事をしていないで、早く戻りなさい!」


 死地に飛び込もうとしていたクバーレンの肩を、エミリー・バロバクトが抑えて後ろに引く。

 ロクに踏ん張る事もできずに尻餅をつく獣人を他所に、自分の腰から幅の狭い剣―――『魔尖剣シエレナ』を抜き、踏み込みと共に鋭い突きを放つ。

 踏み込み、速度共に申し分ない一撃だったが、しかし悲しいかな。


「無駄だっての」


 【分析Ex】で確認する限り、魔人の現在の耐久値は2000以上ある。筋力が1000にも満たない一撃では、スキルの補正を受けたところで然したるダメージも与えられやしない。

 それを差し引いたとしても、魔人の全身を覆う鈍色の甲殻、あれを貫く事ができてない時点で論外だ。


「くっ、硬いですわね。なら……【のたうつ雷大蛇(ノス・ウェボット)】!」


 自分の突きが弾かれたと見るや、繰り出される大鎌の一撃を身軽に回避し、魔法を発動。

 自分の剣に巻き付かせるように雷の蛇を生み出し、剣を振るってそれを放つ。

 放たれた大蛇は、空中でのたうちながら魔人へと向かい、直撃。周囲に眩い光と電流を放つ。


「うおっ! まぶしっ!」

「目を閉じてろ」


 とりあえず近くに居たら巻き込まれそうなので、イレーゼを小脇に抱えて、ついでに尻餅をついたままのクバーレンの襟首を掴んで、【視覚遮断】を発動させたまま後退。


「……雷属性に対する耐性でもあるんですの?」

「違ぇ。単純に精神値も高いだけだ」


 耐久値と同様、精神値も2000越え。この場にいるメンバーでは、俺を除けば大したダメージは望めないだろう。

 どうやらあの魔人はよくあるタンク型のようで、ステータスの中でも、この二つの数値が突出して高い。

 その反面、筋力値はその半分程度と低いが、それ自体も大した問題にはならないだろう。

 所有するいくつかのスキルの一つに、【絶対切断Ⅹ】という凶悪極まりないスキルがある。発動確率は十割で、要するにあの鎌の一撃をもらえば、俺であっても死ぬという事だ。


「魔人よ、このボクが相手だ!」


 飛び出したのは、騎士団長エリンズ。

 手には銀メッキの施されたロングソード。魔法的な効果は付与されておらず、魔人相手には余りにも心許ない装備。

 だがそれでも、エリンズは気後れする事無く果敢に突撃していく。


「我が主たる武神ラトメギスよ! その比類なき金剛力を我に与えたまえ!」


 エリンズが声高らかに叫ぶと、筋力値が一気に倍に跳ね上がる。

 そして強化された脚力で地面を踏み抜き、溜められたパワーを爆発させ、突進と共に上段からの斬撃を魔人に見舞う。


 銀メッキの剣と、魔人が掲げた鎌が激突。どちらかが壊れてもおかしくない衝突音を上げて、双方共に静止。

 エリンズにとって幸いだったのは、魔人が鎌の刃の側ではなく、峰の側で受け止めた事だろう。これがもし逆だった場合、剣はあっけなく両断され、勢い余って自ら鎌に飛び込む形となって死んでいた。

 だがそうはならず、結果として互いに力比べをする形となっていた。


「武神の加護よあれ!」


 さらにもう一度、エリンズが叫ぶ。瞬間、その身に纏っていた鎧が内側から押し上げられ、二周りは膨張する。

 踏み締める地面には亀裂が入り、拮抗した押し合いは徐々にエリンズの優勢へと傾いていく。

 やがて振り下ろされる剣を受け止めている鎌に亀裂が入り、そして限界に達して折れ、剣は魔人の胴体を覆う甲殻に半ばまで突き刺さった。


「いやそこは技で斬れよ!」


 あからさまな力によるゴリ押しの結果に、思わず突っ込む。何の為の【剣術SS+】なんだよと。


「そこの貴方、剣はそのままにして退がりなさい!」


 その言葉を受けて、エリンズは素直に剣を手放して後退する。

 直後に、もう一度上級雷属性魔法の【のたうつ雷大蛇(ノス・ウェボット)】の電撃が放たれ、剣に直撃。剣を伝って内部へと潜り込んで行き、魔人を内部から蹂躙する。


「きゃあああああああああっ!?」


 魔人が全身の穴から沸騰した血液を溢れさせ、絶叫する。

 周囲には肉の焼ける甘ったるい臭いが立ち込め、甲殻の隙間から漏れる蒸気によって僅かに視界が阻まれる。


「やったっぽいね」

「その手の言葉は言うな。実際倒してねえしな」


 見た感じ強烈な一撃だったように見えるが、実際に削れたのはHPの一割程度だ。

 確かに内部からの攻撃ならば、多少は魔法に対する抵抗も落ちるが、それでも元々の数値が術者の数値の倍以上あるのだ。術者が望んだとおりの効果は出ていない。


「ひゅいいいいいいいいいっ!!」


 蒸気が晴れ、血まみれになった顔を覗かせた魔人が上を見上げ、高周波の声を上げる。


「しぶといですわね……」

「誰か、代わりの剣を持って来てくれ!」


 エミリーが悔しげに歯噛みし、エリンズが部下の近衛騎士から新たな剣を受け取る。

 その間に魔人は顔を元に戻し、折られた鎌を断面から再生していた。


「再生能力まで持ち合わせているとは、厄介な……」

「再生じゃねえよ」


 そう思うのも仕方はないが、あの魔人の保有スキルに再生系のものはない。あれは再生に見えて、全く別のものだ。

 【鉄具創造】―――血中の鉄分を集めて武器や防具にするスキルであり、魔人の纏う甲殻や大鎌も、このスキルによって生み出された物だ。

 再生ではなく、創造。そして創造であるが故に、その原材料となる物がなくなれば、それ以上生み出す事はできなくなる。今回の場合は、血中の鉄分だ。

 ただそれを見越しての事か、魔人はもう一つ別に、お誂えのスキルを保有していた。


 【血液吸収】―――自分以外の生物の血液を吸い上げ、自分の物とするスキル。

 この場で言えば、自分と敵対する人間の血を吸い上げ、その中に含まれる鉄分を再利用できる。

 血液そのものを吸収して己のものとする方法は魔法にもあるが、こちらはスキルであるが故に消費する対価がなく、条件さえ整えばいくらでも使える。消耗戦になれば、非常に厄介と言えるスキルだった。


「……シュウポン」

「どうした?」

「なんか、小さいのがたくさん近づいてきてる。上の方から」


 イレーゼの指摘に上を見上げるが、まだ日が壁よりも高い位置に昇り切っていないのか薄暗く、また同時に薄い霧が発生しており、何も見えない。


「何故分かる?」

「イレーゼの魔法。質量を探知できる。姿を晦ましていようが関係なし」


 言われて、いつだったかこいつが不可視状態にあった俺の事や、不可視の壁を感知していた事を思い出す。

 念のため【分析Ex】で見てみれば【質量探知(サーチ)】という魔法をイレーゼは発動していた。効果はイレーゼが証言したとおりで、範囲は術者次第だが最大で半径数十キロにも及ぶ。


「そろそろこっちに来るよ」


 イレーゼの言葉に従って上空を見上げると、隠蔽魔法を使った大量の羽虫が飛来して来るのが確認できた。


「ナイトバグの群れだ!」


 離れた場所で、冒険者の一人が声を上げる。

 同時にそのナイトバグが魔法を解除。突如として上空に数千は下らない数の羽虫が姿を現す。


 一匹一匹のレベルは40前後。ただしその数は膨大で、さらに中級までの闇属性魔法を扱えるようだった。

 先ほどの隠蔽魔法も【透明化(インビジブル)】ではなく、初級の闇属性魔法であり、同様の効果が得られる【闇の衣(シャドウ・カーテン)】という魔法を使用していた。


「全員戦闘体勢を取れ!」

「魔法を攻撃の要に、使えない奴は盾になれ!」

「なるべく火属性か焔属性を使うんだ!」


 初めに冒険者たちが、ワンテンポ遅れて騎士たちが、それぞれ指示を飛ばして戦闘準備を整える。


「シュウヤ君!」


 その様子を眺めていたら、近衛騎士団長から声が掛かる。


「こいつはボクたちが受け持とう! キミは姫様の元に行き、彼女の事を守ってくれ!」

「それは願ったり叶ったりなんだが、ぶっちゃけそいつ、お前ら二人じゃ倒せないぞ?」

「現状を正確に把握する事もできませんの? この程度の敵など、本来ならばわたくし一人でも倒すことは可能です。さらに今回はノーディコン卿も居ます。貴方の出る幕などありませんわ」


 いやいや、現状を正しく確認できてないのはお前のほうだから―――そう言ったところで反駁されて面倒な事になるのは確実だったので、反論はしないでおく。

 どっちにしろ、あのパッキン女が死んだところで俺的には何の問題もない。むしろ清々するくらいだ。


 ナイトバグの群れには冒険者たちが中心に対応しており、既に全体の二割程度を仕留めている。この分なら全滅させるのも、時間の問題だろう。俺が出る幕などない。

 ただこのナイトバグの群れは、前線の他の部隊と戦う事無く、わざわざ全体で隠蔽魔法を使ってまで俺たちのところまで来た。それを唯の偶然で片付けるほど、俺は平和ボケしていない。

 十中八九、あの魔人が呼び寄せたと考えるべきだ。思えば先ほどの咆哮は、こいつらを呼び寄せるためのものだったのだろう。


 となると、襲撃がこれで済むはずがない。むしろ確実に、第二波は発生するだろう。

 一応は近衛騎士たちが側に付いているとは言え、その時にエレナの身に何かが起こらないとも限らない。やはり俺もエレナの元に向かった方がいいだろう。


 そこまで判断したところで、服をクイクイと引っ張られる。


「シュウポンシュウポン」

「何だ……?」


 見下ろせば、瞳に星を宿らせて俺を見上げるイレーゼの姿。

 まるで新しいおもちゃを見つけた子供のような純粋無垢な瞳を見て、言いたい事が分からないほど俺はマヌケでもなかった。


「……イレーゼ、今から言う事を良く聞け」

「うん」

「返り血を絶対に浴びるな」


 どうせ止めても無駄だろうから、ここはイレーゼの好きにさせる事にする。

 だが無条件に好きにさせるのは、少しばかり危ないので、最低限の忠告だけはしておく。


「血に限らず、あれの体液全般に直に触らないようにしろ。特に舌には気を付けろ。貫かれればそれでアウトだ」

「どして?」

「あれの本体は、目に見えているあのデカイ体じゃなくて、血中に潜んでいる微細な寄生虫なんだよ」


 【分析Ex】で見たのだから、間違いがない。


 魔人ソレーフィンと名乗る敵の正体は、一匹一匹がハリガネムシみたいな形状をした、肉眼では見えないほどに小さな寄生虫。

 傷口や粘膜から体液を介して体内に侵入し、血中に存在する白血球を始めとした細胞を喰らいながら増殖しつつ、血管内を移動して脳を目指す。

 そして体内の個体数が一定以上に達した状態で脳に到達したとき、そいつらは一斉に脳の乗っ取りを開始し、同時に宿主の体を自分たちが操りやすいように変形させる。

 それこそが敵の正体であり、そして【三剣のソレーフィン】が突如として魔人へと変貌した事態の全容だ。


「仮にあれを倒したとしても、寄生された奴が他にいれば、また別の魔人となって誕生するだけのイタチごっこになる」

「殺すにはどうしたらいい?」

「敵の血を残らず焼き尽くすのが一番だろうな。さっき沸騰させていたが、それじゃまだ足りない。気化するまで徹底的にやるのが理想だ」


 古来から寄生虫の殺し方は変わらない。火に掛けて殺菌するのが最も効率的なのだ。


 そこまで説明したところで、イレーゼが待ちきれないとでも言いたそうに、全身をそわそわとさせて俺の事を見る。


「……戦ってよし」

「きゃっほい!」


 俺が言うが早いか、イレーゼは即座に身を翻し、弾丸もかくやという勢いで突進する。


「とーしゅーきゃく!」


 そして突進の勢いを乗せて跳躍し、ライ○ーキックの要領で強烈な跳び蹴りを魔人に見舞わす。勿論、質量の増大つきでだ。

 その一撃は魔人の胸の装甲を容易く粉砕し、優に10メートルは水平に吹き飛ばしていた。


「俺の知ってる【踏襲脚】と違う」


 その光景に半ば呆れている間にも、イレーゼは倒れている魔人に容赦なく追撃を仕掛け、質量を増大させた拳を連続して見舞わす。

 全身が装甲に覆われていようがお構いなしの連撃は、一撃一撃が装甲に亀裂を入れ、粉砕し、その下の肉も容赦なく叩く。その容赦の無さには、最初に戦っていた金髪二人も唖然とするほどだった。


「……ヴェクター」


 ただ、あの状態で調子に乗られて寄生されるというオチは俺としても避けたいので、ヴェクターの名を呼ぶ。

 呼ばれた本人は静かに俺の前に移動し、一つだけ頷く。

 その時だけ、俺はこいつが、俺の言いたいことを理解していると分かった。そして同時に、こいつが言わんとしている事も。


「任せた」

「…………」


 相変わらずの態度に、思わずこういう時ぐらいは喋れよと思いつつ、俺もエレナの方へと向かった。



書いているうちに2万字近くになりそうな気配がしたので分割。次回に続きます。

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