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神々に見守られし男  作者: 宇井東吾
三章「魔の饗宴」
24/44

魔人胎動

「もうやだ帰りたい」

「右に同じく!」

「…………」


 時は亡者の月の22日の午後23時を回った頃。俺はとある理由により、猛烈にやる気が減退していた。


「飯が不味い」


 そのやる気を減退させている理由でもある深刻な問題を、ヴェクターとイレーゼに対して投げかける。

 場所は第74区画の西口に設置されている物見櫓の上。運悪く不寝番に当たってしまい、手持ち無沙汰になっていたので適当に会話をし始めた矢先の出来事だ。


「もう、舐めているとしか思えないくらい不味い。食事は兵の士気の源だというのに、まるで士気を上げようという意図が見られない。

 百歩譲って、携帯食料ならまだいい。いや良くないけど、でもまだ情状酌量の余地はある。だが調理してあの味はギルティだ」

「異議なし。独房内で食べてたご飯のほうが、ずっと美味しかった!」

「あれは囚人が食っていい代物じゃあないというツッコミはさておき、その意見は全面的に肯定しよう。臭い飯よりも不味いとか、どうかしている」


 前の世界では、日本を始めとした先進国の軍隊の食事は、携帯食料ですら舌鼓を打てるほどの料理のフルコースが味わえたというのに、この世界はどうかしている。


「食材が悪いのか、調理人の腕が悪いのか、どっちだべ?」

「両方だな」


 【分析Ex】で確認したから間違いない。

 どちらの国の雑兵の連中も、雑用のために連れて来られたくせに【調理】スキルを習得している奴が皆無だった。

 一方食材も、品質は悪いか最悪のどちらかだ。二拍子揃っていて、不味い飯ができない訳がない。


「しかも一部腐ってやがったからな。【毒無効】を持ってなかったら危なかった」

「イレーゼは吐いたけどな!」

「ああ、あれはさすがに引いたわ」


 一応見た目だけはかなり可愛いのに、それすらも台無しになるほどに酷い光景だった。


「とにかく、このままだと精神的にも栄養面的にもまずいので、今から飯を作ろうと思います。

 因みに俺らの本来の役割は不寝番な訳ですが、別に料理の匂いで敵を呼び寄せようが、敵の侵入を見落として誰かが死のうが、俺の知ったことではありませんので悪しからず!」

「さっすがシュウポン、最悪だ!」

「良いんだよ、別に。他の連中だって、考えてることは大体同じだ」


 さっきから微かに料理の匂いが、遠くから漂ってきている。

 おそらくは冒険者の連中だとは思うが、飯が不味いのに耐えられないのは誰だって同じだ。


「ヴェクター、火を用意しろ。イレーゼは何もしなくていい」

「イェーイ、楽だぜい」

「…………」


 余計なことをしそうだからという理由でハブったのだが、本人がそれで良いのなら、わざわざそうと教えてやる必要もないだろう。

 まあヴェクターは俺の意図に気がついたらしい。表情は読めないが、まるで哀れむかのようにイレーゼの頭に手を二、三度乗せていた。


「にゅ? イレーゼ褒められたのか?」

「…………」


 ヴェクターが俺を見て、力なさ気に首を左右に振った。

 それに俺も、亜空間から食材やら器具やらを取り出しながら頷いて返す。アホだと理解していると。


「おおスッゲェ! 何もない所からポンポンと出てくる。超おもしれぇ、あはははは!」


 傍ではヴェクターが石を拾い集めて簡単な竃を組み立てている。長期間隷属状態にあったので多少心配だったが、思いの外手際が良い。


「ヴェクターは孤児院育ちらしいからな! そういった作業は一通りできるらしいぞ!」

「へぇ」

「ちなみにイレーゼは、生まれも育ちも研究所だぜ!」

「そうか」


 親の顔は知らんと、あっけらかんと言う。

 研究員の娘なのか、それとも混ぜ物から生まれた合いの子なのか、どちらかは分からないが、どちらにせよ胸糞悪い話だ。


「シュウポンは親の顔は知ってるのん?」

「さあな」


 最後に会ったのは、二億年以上前の話だ。憶えている訳がない。

 だが努めて憶えようとしていた事もない。俺の中では両親は、憶える価値すらなかったからだ。

 実際に聞いたわけではないが、向こうだって似た心情だったはずだ。


 後世があれば、間違いなく教科書に載り称えられたであろう天才であった兄貴と。

 どれほど逆立ちをしようが、平凡な才しか持っていなかった弟である俺と。

 親がどちらに愛情を注ぐかは、考えるまでもない。

 凡人に過ぎなかった俺は、徹底的に嫌われ疎まれた―――どころか、最初からいない者として扱われていた。親にとって自分たちの愛する子供は、兄貴唯一人。それだけの事だった。

 学費にしろ生活費にしろ、全て出したのは親ではなく兄貴だ。


 まあその当の兄貴からは、そんな両親は徹底的に軽蔑されていたが。

 前の世界では日常的に「この世に俺と秀哉を生んだ恩がなければ殺してる」と呟いてたし、世界をリセットする時だって、微塵も躊躇わなかった。


 話がやや脱線したが。

 そういった事情もあって、親の顔など今さら思い出そうにも、思い出せない。

 思い出せたとしても、俺にとってあの二人はただ俺を生んだ存在でしかなく、それ以上でもそれ以下でもない。

 俺にとって家族と呼べるのは、兄貴を含めた五人の天才だけだ。


「……イレーゼ、お前は何が食いたいとか希望はあるか?」


 安い同情では断じてないが、気まぐれで聞いてみる。


「肉!」

「お淑やかさの欠片もないな。分かってたが」


 こいつにお淑やかさを求めること自体が間違っているのかもしれないが。


「肉ね。何か良いのあったかな……」


 調理スキルは、ただ料理の腕を向上させるだけのスキルではない。ランクがⅤ以上になると、作った料理を口にした者に対して、一定時間使用した食材や調理法に応じた特典を与えるのだ。


「お前らって、重力属性と疫病属性以外に使える魔法ってあったか?」

「ん、ないよ?」

「……毒」


 適性はあっても、それに気付いていないのが殆どか。

 なら今回は、特定の属性の効果を向上させる物は見送るべきか。さすがに重力や疫病の効果を向上させるような食材は知らない。

 となれば、単純にステータスを上昇させたり、あるいはスキルを得られる類の物が妥当か。


「というわけで、今回は龍の肉を使おうと思います」

「竜? シュウポン竜を狩れるのか、スッゲェな!」


 ニュアンスというか漢字が違う気がするが、まあ今は置いておこう。


「使う龍の肉はこちら、黒滅龍の肉でございます」


 ティアマントかティアマットか、どっちの肉だかは忘れたが、違いがあるとすれば一億五千万年前の肉か一億年前の肉かの違いだけだ。

 どちらにせよ、亜空間に保存してあったから鮮度は良好だ。


「こちらを遠くにいる者たちの所まで、香りが届くように調理していきます」

「意味あるの、それ?」

「ない。強いて言えば嫌がらせだ」


 他の場所で飯を食っている冒険者に対して格の違いを思い知らせてやる事と、あと中央の野寝所に居るであろう、忌々しいことに不寝番を逃れたパッキン女に対する意趣返し以上の意図は無い。


「素敵に最低だね、シュウポン」

「ありがとよ」


 龍の肉は共通して種類や調理法に関わらず、どれも共通してステータスアップの効果が得られるが、とりわけその効果が高いのは単純に焼いた場合なので、まずは手ごろな大きさに切って串焼きにする。ステーキにしても良かったのだが、少なくとも今この場にはそぐわなそうなので断念する。

 それとは別に、鍋の中にいくつかの野菜と一緒に団子状に丸めた肉を投入して、じっくりと煮る。こうする事で、全般的な属性に対する耐性が得られる他、黒滅龍の肉の場合は闇属性と滅属性魔法の効果の向上が得られる。


「串焼きは塩派か? それともタレ派か?」

「分かんねえ!」

「じゃあタレだな」


 塩も悪くは無いが、香りはそこまで強くはない。それでは嫌がらせにならないので、今回はタレをチョイスする。

 火にくべてある串焼きにタレを塗って再度焼くと、周囲には何とも言えない匂いが充満し始める。それを密かに魔法で風を起こし、東側へと漂わせておく。


「もし匂いを嗅ぎ付けた奴が来たら、どうするのん?」

「気に食わん奴には見物までは許す。それ以外の奴は、頼んで来れば分けてやる」

「あのパッキン女?」

「パッキン女だ」


 まあ来る可能性自体は低いと見ているがな。

 ああいうのは無駄にプライドが高くて、自他双方に相応の品位というものを求める。食べ物の匂いに誘われて出歩くなんてのは、その品位が許さないだろう。


「そろそろ焼けたな」


 俺がそう言った瞬間、目にも留まらぬ速さでイレーゼが串焼きを奪取し、齧り付く。


「熱っ! けど美味ぇ!」


 両手に串焼きを持ち、次々と口の中に放り込んでいくその姿はかなり意地汚いが、何となく「らしい」と感じる。

 何と言うか、似合っていると思うと同時に、どこか見ていて懐かしさを憶えるような姿だった。


 ふと思いついて、取り出した椀の中に完成したスープをよそい、使い捨ての木の匙と一緒に手渡すと、イレーゼは大喜びでそれを受け取り、一気にかっ込む。


「あっちぃけど美味ぇ。こんなに美味いの、初めてだ!」

「……はしゃぐのはいいが、その前に口の周りをこれで拭け」


 思い出した。何でこいつを見ていて、懐かしさを憶えるのかを。

 こいつ、あれだ。中学の時にボランティアで参加した保育園のガキ共と雰囲気がまったく同じなんだわ。

 少なくとも見た目の年齢はそれなりの筈なのだが、精神年齢は見た目に比例していない。

 生まれも育ちも研究所だそうだから、そこら辺の発育が遅れているのかもしれない。


「こんな時間帯に匂いを撒き散らしながら食事とは、随分と良い趣味をしている」

「あっ、エレナちゃんだ」


 下方から声が響き、見下ろせば儀礼服に身を包んで腕を組んだエレナと目が合う。


「私の記憶が正しければ、君たちは不寝番―――」

「おーい、エレナちゃんも上がっておいでよ」

「不寝番の任に就いて―――」

「一緒に飯を食おうよ。シュウポンの作る飯は美味いぜい」

「………………」


 連続で言葉を遮られたエレナが、溜め息を吐いて諦めたように櫓を上ってくる。


「んでんで、こんな時間帯に何してたんの?」

「……今、中央では苦情が殺到している。君たちが漂わせている匂いのお陰でな」

「目論見通りだ」

「……嫌がらせか。それにしたとしても、趣味の悪い」

「趣味の良い嫌がらせなんてあるのか?」

「揚げ足を取るな!」

「まあまあ落ち着いてよエレナちゃん。ほら、このスープ美味しいよ?」

「私は落ち着いている。そして注意をしに来た者に対して、原因となっている物を薦めるな!」


 俺にイレーゼが続けざまに叱られる。ヴェクターは終始無言で食事を続けていた。


「細かいことはいいじゃん。そもそも、ここの飯が不味いのが悪いわけなんだしぃ? エレナちゃんだって、そう思うでしょ?」

「仕方がないだろう。食材が傷み始めていたんだ。そういった物を優先的に使うのは、当然の事だろう」

「捨てちゃえばいいじゃん」

「そんな贅沢をできるほど、物資にゆとりはない」


 飯が不味かった理由を説明され、一応は納得する。

 エレナの説明が真実とするなら、後々の食事の味は向上していく筈だ。


「兵たちは私が一応は抑えておいたが、生憎冒険者たちはそうもいかんぞ。今にも君たちの所に苦情が来るぞ」

「イレーゼの知った事じゃないしぃ?」

「苦情を言う奴には分けてやらん」

「そういう問題ではない!」


 何やら頭痛を堪えるような表情をして、盛大に溜め息を吐く。エレナの血糖値が心配だった。


「いいから、今すぐそれらを撤去―――」

「おいお前ら! さっきから良い匂いを撒き散らしてんじゃねえ!」

「ほら見ろ、苦情が来たじゃ―――」

「羨ましいだろうが!」

「……苦情ではなかったか」


 頭が痛いと、額に手を当てる。

 どうにかしてあげたかったが、生憎頭痛薬の類は持ち合わせていない。


「ただでさえ飯が不味くて苛立ってる奴らが多いんだから、お前らもせめて自重を―――っと、王女様もご一緒でしたか」


 櫓を無断で登って現れたのは、【三剣のソレーフィン】という男ともう一人、犬の獣人だった。


「楽にして構わない。今この場では、私にはさしたる権力も無い」

「んじゃ、お言葉に甘えて」


 ソレーフィンと犬の獣人が、櫓の上に胡坐をかいて座る。


「苦情が来てるって?」

「ああ。代表して俺が文句を言うように頼まれたんだが……王女様が一緒じゃ、仕方ないか。半端な物を出すわけにもいかないからな」

「待て、別に私はここで食事をしていた訳ではない」

「そうそう。まだ分けてくれって頼んでいる段階―――」

「誰がいつ分けてくれと頼んだ!」


 ソレーフィンと犬の獣人は、なにやら驚愕の表情でイレーゼを見ていた。

 この二人が何を考えているかは、大体分かる。事情を知らん奴が見れば、ただの不敬罪だからな。


「楽にしていいっつっても、これは楽にし過ぎだろ」

「問題ない。楽にしていいと言われる前から、これが平常運転だ」

「それは、また、その……」

「オブラートに包まず一思いに言って構わんぞ?」

「……いや、遠慮しておく」


 冒険者の割りには、中々謙虚な態度だ。先の二人とのギャップがあったとはいえ、やはりこの男には好感が持てる。

 なので串焼きを一本、差し出してやる。


「……くれるのか?」

「ああ。それとそっちの―――」

「クバーレンだ」

「クバーレンにも」

「いいんですか?」


 尻尾があるかどうかは定かではないが、あるとするならブンブンと振っているだろう。そうと分かるくらいに、表情を喜色に染めている。

 俺が頷いて見せれば、引ったくらんばかりに受け取り、口の中に放り込む。こっちもイレーゼと大差がない。


「食べたことない味だな」

「転びたくなかったら止めろ」

「は?」


 訝しげに見られる。が、その先を止めることには成功したようだ。

 昔―――つっても俺が中学生の頃だが、それが世界的に流行って大変なことになったからな。

 某国家の大統領がプライベートでやっていた映像が流出して大騒ぎになったの、今では良い思い出だ。


「美味いっすね、これ! マジで美味いっすよ!」

「これで共犯だね」

「共犯で全然構わないんで、お代わりもらっていいですか?」

「オッケーだよ」

「あざーっす!」


 この犬は駄目な犬だな。待ても我慢もできそうにない。


「旦那、あんたももっと食った方がいいですぜ」

「いや、遠慮しておく。あまり食欲もない」

「……大丈夫か? 顔色が悪いようだが」


 言われてみれば、ソレーフィンの顔色は見ていてあまり良いとは言えない。

 血色は悪く、額には汗が浮いている。心なしか呼吸も荒い。


「戦う分には、問題ないさ。原因も大体分かってるつもりだ」

「原因というと……なるほど、そういう事か」


 合点がいったという風に、エレナが頷く。俺にはさっぱり分からない。


「無責任な事を言うかもしれないが、病は気からとも言う。できる限り早めに切り替えた方が良いと思う」

「善処しますよ」


 弱々しい表情で答えたソレーフィンの事を、クバーレンが哀愁漂う表情で見つめる。こいつ多分忠犬キャラだな。そんな匂いがする。


「ねえねえ、一体何があったのん?」

「空気読めよお前!」


 俺だって空気を読んで、無関心を貫いていたのに。


「実は先日、オレとソレーフィンさんを除く部隊のメンバーが、全滅しちまったんすよ」

「お前もあっさり喋るなよ!」


 最低の裏切りだった。忠犬だと思ってたけど、やっぱ俺の勘違いだった。


「別にそんな気を使う必要はない。冒険者にはよくある事だ。

 いつ死んでもおかしくないのが、冒険者という職業だ。冒険者は皆、その事を理解して覚悟している。自分が、仲間が死ぬ事をな。だから気に病む必要はない」

「…………」


 その言葉を聞いて思い浮かんだのは、シオン第三王子の言葉だ。

 彼の言う通り、今回の『大侵攻』でこの場の誰かが死なないという保証は、どこにもない。いや、俺はまず大丈夫だろうが、それ以外の全員は絶対に安全とは言い切れない。

 つまりはイレーゼもヴェクターも、命を落とさない保証はないのだ。


「…………」


 そこまで考えて改めて二人を見てみたが。

 別にこの二人が死んだところで、悲しいと思うこともない気がする。


「なんかイレーゼの命が軽く扱われてる気がする」

「気のせいじゃないから安心しろ」

「分かった。なら安心だな!」

「何を言っているのか理解できないのは、私だけか?」


 仮にエレナだけであったとしても、それが正常な反応だから安心して良いと思う。

 ただ周囲の奴がアホなだけだ。


「しかし、話を掘り返すようですまないが、本当にたった一体だけによって君の部隊は壊滅させられたのか?」

「そうですが、なにか?」

「いや、俄かには信じがたくてね。【三剣のソレーフィン】と言えば、知らぬ者はいない程に高名な冒険者だ。それが壊滅させられるなど、魔人を相手にしたとしか考えられぬ」

「魔人……ではなかったと思いますよ。会話が成立するほどの知能もあったようには見えませんでしたし、それに本当に魔人だったら、オレが生還できたとも思えませんから」

「だが現実には、君以外には全滅したのだろう。しかも敵が竜というのならばいざ知らず、昆虫系のモンスター一体だ」


 箱庭でもそうだが、エレナの言葉から察するに、こっちの大陸でも昆虫系のモンスターは全体から見れば下位に位置する種族のようだった。

 もちろん個体によっては竜も凌ぐ存在だっていたが、こっちにも同じようなモンスターが居るかどうかは俺には分からなかった。


「昆虫かどうかは、いま考えてもイマイチよく分からないんですけどね。なにせ初めて見る個体だったので。オレが今まで見た事がないだけっていう可能性もありますが」

「いや、それはない。君の証言に合致する個体がいないかどうか、冒険者ギルドの方に問い合わせてみたが、あちらでも未知の個体だったらしい。

 今回に限らず、最近は未知の個体が多数出現しているという事を頻繁に耳にする。君が遭遇したのも、そういったものの一体だろう」

「ちょっと聞きたいんだが―――」


 前々から抱いていた疑問を投げ掛ける。


「新種の個体が出現するのって、そんなに珍しいのか?」

「……日凪ではどうだかは知らぬが、少なくともここでは珍しいと断言できる。

 『大侵攻』のお陰と言うのも変だが、澱みの森に生息する種の殆どは網羅されていると断言できる。だからこそデータに無い個体というのは目立つし、見掛けられれば迅速に報告されるよう徹底されている。偶然それまで報告に上がらなかっただけという存在は、まず無いと言っていい」

「故に、新種の個体が見つかれば、そいつはここ半年以内に誕生した存在と見てまず間違いが無いんだよ。それでも1種2種ならまだあり得なくもないが、この半年間で報告されている新種の個体の種類は、実に20を超える。これがどれだけ異常かは分かるだろう?」


 言われてみれば確かにという話である。


 新種が自然に誕生するメカニズムとは、イレギュラーによる突然変異によって生まれた特性が、たまたま周囲の環境に適していて新たな種として確立される場合というのが最も多い。

 それにしたって、突然変異が起こるかどうかは完全な運だ。まず早々起こるようなことではないし、間違っても半年間で20パターンも発生する筈がない。


「森の奥で乱交でもしてんじゃないの?」

「イレーゼ、ちょっと黙ろうな」


 イレーゼの乱交云々のアホ発言はさておき、人為的な可能性は大いにある。

 そもそも俺が派遣されたのと同じ時期にそんな異常事態が発生していて、関連性を疑わないほうがどうかしている。

 兄貴が俺にこの『大侵攻』で適当に殺せと指示したのも、何かしらの意図があると見て間違いない。その意図に、異常事態の原因が絡んでいたとしたら?


 遡って考えれば、そもそも『大侵攻』とは何だ?

 さらに遡れば、そもそもどうして俺は箱庭から出されて、このグラヴァディガに送り込まれた?


「……分かんねえな」


 これ以上は判断材料が足りない。考えても仕方がないだろう。


「君でも分からないか」

「俺をどう評価しているかは知らないが、間違いなく過大評価だと断言できる」


 手に持っていた串焼きが串だけになっているのに気付き、新しく焼けた物を食べようと手を伸ばし、そこで串焼きが全てなくなっているのに気付く。

 仕方がないのでスープをお代わりしようとして鍋を覗き込み、そこで鍋も空になっているのに気付く。


「……美味だった」


 終始無言だったヴェクターが、軽く会釈をしてそんな事を言う。


「まあ、いいけどさ」


 喋らないのはデフォだったけど、会話の間ずっと一人で食ってたわけね。

 俺も人の事は言えないが、数人分はあったスープまでを短時間で平らげる辺り、中々の健啖っぷりだった。


「あー、イレーゼは一回しかお代わりしてなかったのに!」

「落ち着け。アホな発言をしていたお前が悪い」

「なるほど、ならしゃーないな!」

「ははっ……おまえ達は見ていて面白いな。色々と元気付けられたし、馳走にもなった。礼を言う」

「あざっした」


 ソレーフィンとクバーレンが立ち上がり、それぞれが頭を下げて立ち去る。


「結局、私は何をしに来たのだろうな?」

「……雑談じゃね?」

「……まあいいだろう。君たちも食事が終わったのなら、今度こそ真面目に番を頼むぞ。後―――」


 懐中時計を取り出して時間を確認する。


「五時間弱だ」

「あれっ、不寝番って6時までだったか?」

「いや、5時までだったが……君の時計の現在時刻は何時を示している?」

「午前0時50分」

「……私の時計によれば、現在時刻は23時50分だ。またズレているぞ」

「マジか」


 長針を一周戻して、エレナの懐中時計と時刻を一致させる。


「これで時計のズレもなくなった事だ。真面目に勤めを果たしてくれたまえ」


 立ち去るエレナに別れの言葉を告げるイレーゼを他所に、俺は周囲の音も耳に入れずに、脳内を疑問で埋め尽くしていた。


「っかしーな。俺この二日間で、時属性魔法を使ったか?」



――――――――――――



「ドミニコ・バイン将軍閣下!」

「……入れ」

「はっ!」


 『アスバル迷宮砦』本陣の第6区画にある天幕に、それなりの地位についているという事を窺わせる軍服に身を包んだ者が入る。

 天幕の中には目立った物は置いておらず、精々が剣や槍といった武器の類が立て掛けられ、奥には軍議に用いられる机が鎮座している程度。その軍議用の机の上に腕を組んで席に座す、老いた人影がひとつ。


 全身を鈍色の甲冑で包み、兜を被らずに露出させた、禿げ上がった頭部には無数の傷跡が走っており。

 皺が寄りながらも精悍さを失わないその表情は、入ってきた己の副官を、品定めするかのように油断なく観察している。


 老いてますます盛んという言葉がぴったりと似合う、歴戦の老将の姿がそこにはあった。


「緊急事態です」

「簡潔に述べよ」

「はっ。南方の第106区画に配備されていた部隊からの連絡が途絶えました」

「最後に連絡があったのは?」

「2時間前です。その時点では敵影もなく、異常は無いとの事でした」


 副官の言葉に、老将ドミニコ・バインは瞑目し思考の海に沈む。


「……何か言いたい事があるなら、遠慮せずに言うといい」

「…………」


 目を閉じたまま言われ、副官が微かに瞠目する。

 しかしすぐにそれを隠して表情を元に戻し、自分の意見を述べる。


「自分は、もうしばらく様子を見るべきだと具申します」

「何故だ?」

「今回の防衛戦は、【ネーヴェル商人組合】が大量の魔晶石を提供してくれたお陰で、通信道具を各部隊に複数配備できています。ましてや、第106区画には300を超える人数が配備されています。それだけの者を緊急連絡をさせる隙も与えず、通信不可能の状況に陥れさせられるとは考えづらい。それよりは、定時連絡を忘れていると考えた方が現実的です。せめて次の提示連絡まで待ってみてはどうでしょうか?」

「……確かに一理ある」

「では―――」

「が、所詮はそれも可能性の話だ。万が一という事がある」


 ドミニコが椅子から立ち上がる。それだけで天幕内が急に狭くなったような、そんな感覚を覚える。

 すでに80代にもなる筈の老将は、副官よりも頭一つ分は高い身長を保持し、さらに横にも広い。

 老いとは無縁の、実践で鍛え上げられた鋼の肉体。それを動かして、天幕内に置かれていた幅広の剣を握り締める。


「貴様は半刻以内にメンバーを選抜しろ。選抜されたメンバーは儂と共に、第106区画の様子を確認しに行く」

「……やはり、簡単にはいきませんか」


 指示を受けたはずの副官はしかし、ドミニコには聞こえぬよう、関係のない事を呟く。

 続いて音も立てずに袖口からナイフを取り出し、握り締める。ちょうどドミニコは彼に対して背を向けており、完全に無防備だった。


「現在において、一番の障害は貴方だ。故に、退場してもらいます」


 そして全身のバネを発揮し、静かに素早く、その無防備な背中へと向かい、手にしたナイフを突き出した。



――――――――――――



「結局、敵襲どころか不審な影すら現れなかったな」

「シュウポン、眠い~」

「後で好きなだけ寝ろ。その前に飯がある」


 櫓を降りて、地面を踏みしめる。

 時刻は5時30分。果たして日が昇っているのかどうかは壁が邪魔で分からないが、大体日の入りの時間が日本と同じだと仮定するならば、ある程度日も昇っているはずだ。


「……あんまし良い匂いがしない」

「我慢しろ。明日か明後日辺りには、大分味も向上している筈―――」

「ちょっと、旦那! 絶対ヤバイっすよ。安静にしてなって!」

「問題、ない……」


 唐突に耳に飛び込んできた聞き覚えのある声に、何事かとそちらの方を見れば、酒でも呑んでいるのではないかと思うくらいにフラフラとした足取りで歩くソレーフィンと、それを支えるクバーレンの姿があった。

 この内問題なのはソレーフィンで、5時間見ない間に顔色は真っ白になり、目の焦点も定まっていないように見えた。


「食う物も食わなければ、治るものも治らない」

「それはそうっすけど、わざわざ自分で取りにいく必要は―――」

「おい、大丈夫か? 問題ない以外の返答で頼む」


 その姿が余りにもあんまりだったので、つい声を掛けてしまう。

 こちらとしても、彼は手柄を押し付ける相手候補の筆頭だ。変に体調を崩されても困る。


「……いや、余り、大丈夫では、ないな。ただ、飯は、食わないと」

「そうか。余り無理はするなよ。エレナに報告しておいて、あんたに仕事が回らないようにしておく。今のうちにできる限り休んでおいてくれ」

「すまない。恩に、着る……」


 早くも配給を受け取ろうと並び始める人たちの最後尾に並ぶ。せめてもの気遣いとして、俺たちが二人の後ろになるように動く。


「……クソッ、貧血、か?」


 ソレーフィンが頻繁に瞬きをする。続いて意識を覚醒させるかのように頭を振り、深呼吸をする。


「ちょっと、大丈夫ですの?」

「…………」


 新たに加わった声に対して、俺たち(厳密には俺とイレーゼ)は揃って白けた視線を送る。


「その目は何ですか?」

「何でもない。それよりも、何の用だ?」

「用と言うほどの事でもありません。ただそちらの方が、酷く体調が悪いように見えましたので、声を掛けさせたもらっただけの事ですわ」

「問題、な―――ゴホッゴホッ!」

「ちっとも大丈夫そうには見えませんが」


 激しく咳き込み始めたソレーフィンは、尚も何かを吐き出すかのように咳を続け、やがて口を押さえていた手を離す。


「ちょっと貴方、血が―――!」


 その離された手の平には、唾液の混じった血がベッタリと付着していていた。明らかに正常な状態にない。


「不味いですわね―――誰か、回復魔法の使える方は―――」

「ゲェ―――!」


 エミリー・バロバクトの言葉を遮り、ソレーフィンが奇声を発しながら仰け反る。

 両目は互いに血走り限界まで見開かれ、唇の両端からは涎がダラダラと零れている。見る間でもなく、異常だった。


「離れろ、クバーレン!」


 遅まきながらに異常なことに気付いたクバーレンが、一歩、二歩と後ずさる。

 しかし当の本人はそんな事など気付いていないかのように、上体を反らした体勢のまま上空を見つめていた。

 そして―――


「カァ、ケェ……!」


 唐突に、両腕が裂ける。

 そればかりか首までが裂け、本来の物よりも大分長さを伸ばした頚椎が頭部を上へと押し上げていく。

 上半身は仰け反った体勢を維持したまま、ちょうど垂直となるように下半身は膝を付き、そして太腿や脹脛からは節枝のような物体が多数皮膚を突き破って現れる。

 尚も変化は続き、下半身に続いて腰、腹部までもが地面に付き、人体の構造からは考えられないような角度で胸から上をそらしたまま、全身を急激に肥大化させていく。

 裂けた腕からは骨を削り研いだかのような硬質の大鎌が現れ、その下からも更に一対ずつ大鎌が生え、その四本の大鎌の中心からは成人男性の物と思われる腕が三本、まるで蔓のように生える。

 伸びた頚椎からは左右に剃刀のような刃の付いた節足が生え、衣服をも引き千切りながら膨張を続けた肉体は赤く粘液めいた輝きを持つ表面を鈍色の光沢が覆っていき、程なくして装甲に包まれた状態となる。

 最後にあさっての方向を向いていた頭部からは舌が留めなく垂れながら伸びていき、ちょうど舌先が地面に触れるかどうかという所までで停止する。


 誕生したのは、人間の頭部を持った巨大なカマキリ。

 全長は高さだけで2メートル半。かつては人間の腕だった大鎌に、その下から生える大鎌を加えた四本の鎌を持ち、胸部からは三本の腕を生やした、見ていて醜悪以外の感想を抱けない、辛うじてシルエットがカマキリだと分かるかのような異形だった。


「アァ、アァァアァアアァ―――」


 ソレーフィンの元の野太い声とは似ても似つかない甲高い声を発して、それが頭部をぐるりとめぐらせる。

 その視線が俺を、クバーレンを、エミリー・バロバクトを見て、最後に反転し、遠方から状況を見ていたエレナを見据える。


「ハ、始メマシテ。ワタシハ魔人。魔人ソレーフィンデス」


 やや舌っ足らずな、そしてイントネーションのおかしな言葉でそれが、魔人ソレーフィンが宣言する。


 それが歴史上最大規模にして最後とされた『大侵攻』における、魔側の最初の攻撃の狼煙だった。



大体5000文字から8000文字を目安にしているのに、書いているうちにいつの間にか1万文字を超えてしまう不思議。

なんとか更新ペースアップを目指したい今日この頃。

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