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神々に見守られし男  作者: 宇井東吾
三章「魔の饗宴」
22/44

三剣

 【三剣のソレーフィン】―――グラヴァディガで冒険者を生業とする者でその名を知らぬ者は、そうそういない。

 二つ名の由来となった三本の魔剣を持つA3ランクの冒険者であり、冒険者としては珍しく後進の育成に力を入れている風変わりな人物である。


 彼の率いるパーティーはメンバーの入れ替わりが激しい。しかしそれは、メンバーが死亡した事によるものではなく、彼に一人前と認められた者が独立して抜け、代わりに新たな未熟者を迎え入れている為だ。

 多いときには十人以上のメンバーも抱えることもある彼のパーティーに参加して育った冒険者は多い。中には彼には及ばぬものの、Aランクに到達した者だっている。そんな人物だからこそ、同業者を始め国の者たちからも信頼厚く、『大侵攻』の際には重要な役割を任される事が多い。


 今彼が率いる部隊に任されているのは、斥候任務だ。たかが斥候と侮る事なかれ。情報戦を制する者が戦を制するとまで言われている程に、情報の速さと正確さは重要だ。そしてその情報を速く正確に伝達するのには、相応の能力が求められる。

 敵に気取られない能力は当然として、敵と遭遇してしまった時を始めとした、イレギュラーな事態に対する対処能力。どんなに過酷な環境下であっても活動できる適応能力や、迅速に行動するための機動力。そしてなにより、情報を伝えるまで生き残る能力が重要視される。


 それらを鑑みてしまえば、ソレーフィンほど斥候に向いた冒険者はいない。より正確には、彼が育て上げたメンバーがだが。

 彼が育成した人材の職業は多岐に渡る。それこそどんな事態にも的確に対応できるだろうし、なによりその全員が彼の事を心より信頼している。

 信頼というのは、容易く得られるものではない。時間と実績、この二つが地道に積み重なって初めて生まれるものだ。築き上げるのは多大な労力と時間を要する。

 だがそれらを踏まえて築かれた信頼関係はとても強固なものとなり、そしてそれは全体能力の向上に繋がる。ひいては任務の達成率に繋がるのだ。


「ソレーフィンさん」


 自分の名前を呼んだ仲間に対して、手を挙げて答えて全体の行軍を止める。

 部隊の者に周囲を警戒し続けるよう指示し、名前を呼んだ仲間が指し示す場所を見ると、降り積もった落ち葉に埋もれた木の根や石などに、無数の細い引っ掻き傷が刻まれていた。


「まだ新しいな。おそらく刻まれてから一日と経っていない」

「獣でしょうか?」

「……いや、獣の爪痕だとすれば、足跡が側にないのはおかしい。おそらくは昆虫系統のモンスターのものだろう」


 周囲を警戒したまま、慎重に足跡を辿り藪を掻き分けると、程なくして真新しい切り株を見つける。


「これは、この足跡の主の仕業でしょうか?」

「おそらくな。切断面も真新しいし、切り株の上にも足跡が続いている。進行に邪魔だから切り倒したと見るのが妥当だろう」

「切り倒したって、これ、直径はどう見たって1メートル以上ありますよ。それを一太刀で、しかもこんなに滑らかに切断できるような昆虫系のモンスターが『澱みの森』にいましたか?」

「さあな。だが『澱みの森』は魔族の領域だ。どんな奴が出てきても不思議じゃない。実際、最近は多数の未確認の個体が確認されている」

「……どうしますか?」

「……どちらにせよ、この付近にモンスターがいるのは間違いないだろう」


 厳しい面持ちで話す。


「まだ行軍は確認されていないんでしょう? なら敵は少数の可能性が高い。オレたちで十分対処できますよ」

「敵の目的はなんだか知りませんけど、放っておいても益はないでしょう。追跡して仕留めた方が良いんじゃないですか?」


 周囲の者もその意見に同調する。ただ一人、ソレーフィンだけは首を左右に振った。


「いや、おそらく敵は未知の存在だ。迂闊な真似はするべきじゃない。それよりもオレたちがするべきなのは、この付近に敵がうろついているという事を報告する事だ」

「じゃあ、一時撤退ですか?」

「そうした方がいいだろう。まだ開戦もしていない段階で、無用な危険は犯すべきじゃない。クバーレン!」


 部隊のメンバーの一人である獣人を呼ぶ。


「この足跡の主の臭いを嗅ぎ分けられるか?」

「……残念ですけど、無理ですね。旦那の推測である昆虫系のモンスターっていうのは正しいでしょう。ですがあいつらは、個々を嗅ぎ分けられるような臭いの違いはないんです」

「近づいて来るのを感じ取ることは?」

「嗅覚だけだと、それも厳しいですね。そもそもの臭いが、モンスターじゃない虫と大差がないので。さすがに近くまで来れば臭いの強弱で分かりますけど、それが分かるくらいなら視認したほうが早いでしょうし」

「なら仕方がないな。おまえは先頭に立って、オレたちが来た道を臭いを元に逆に辿ってくれ。何か異物の臭いがした場合は、即座に報告しろ」

「旦那は?」

「オレは殿を務める」

「分かりやした」


 クバーレンが頷き、自分たちが通ってきた道を臭いでかぎ分けて元通りに戻り始める。その後ろを誰かと打ち合わせした訳でもなく、スムーズな流れで順々に一列に続く。

 気取られぬように慎重に、それでいて迅速な撤退の行軍はしかし、行程の半分を過ぎた頃に唐突に止まる。


「どうした?」

「血の臭いがしやす」


 空気に混じる臭いを嗅ぎ取ったクバーレンが、ソレーフィンに報告する。


「方角は?」

「オレたちのすぐ後ろから。徐々に近づいて来てます」


 その言葉に、号令を待つ事無く全員が一斉に戦闘態勢に移行。ソレーフィンを中心とした半円の陣形を作り、背後へと最大限の警戒を向ける。


「その近づいてきているという血の臭いの速さは?」

「……大体人間の走る速さと同じくらいです。誰かが重傷を負って走って逃げているのか、それとも返り血を浴びた何かが走って来ているのか、判別はできませんが」


 その言葉を最後に場を沈黙が支配し、しかし警戒心を緩める事無く待つ事しばらく。

 徐々にソレーフィン自身の耳にも届き始めていた植物の擦れる音は、程なくして荒い息遣いの音も混じり始め、やがて微かに血の臭いも漂い始めていた。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 ガサガサと草木が揺れ、荒い息遣いと共に人影が飛び出してくる。

 その飛び出してきた人影に一斉に武器を向け、同時に人影が「ひぃっ!?」という悲鳴と共に手にしていた武器を集団に向けて、一触即発の状態となる。


「その鎧は、バルスクライの……という事は、おまえはバルスクライの斥候か?」

「はぁ、はぁ、はぁ……」


 青と白の入り混じった鎧を纏った男は、ソレーフィンの問いに答える事無く、血走った目で周囲を探るように見渡す。

 よく見てみれば、その男は剣を持っている右腕の反対の腕である左腕が、二の腕から消失していた。そしてその断面からは、血がポタリポタリと垂れていた。

 一応は止血をしているようだったが、それでもなお止めきれない血が本人の動悸の速さを示すかのようなペースで、一滴、また一滴と零れる。


「おい、何があった―――」

「ひああああああああああっ!!」


 到底正気とは思えない悲鳴を上げ、男が走り出す。

 慌てて止めようと動いた者もいたが、余程錯乱しているのかやたらめったらに剣を振り回してくるので、迂闊に近づくこともできずに逃してしまう。


「追いかけますか?」

「……いや、いい。追いかけたところでどうにもならんだろう」

「さっきの奴、怪我、してましたよね」

「ついでに、なにかから逃げていたような素振りでした。それがなにかは分かりませんが、もし追いかけられていたから逃げていたのだとしたら……」


 その言葉に、ソレーフィンを除く全員が、男が走ってきた方向に向けて構える。


「だとしたら、迎え撃った方が良いんじゃ……」

「止めておいた方が良いだろう。さっきの奴にも、仲間がいたはずだ。バラバラに逃げたのかもしれないが、あいつ以外が殺された可能性もある。下手に戦うのは―――」

「旦那!」

「……一足遅かったか」


 クバーレンの声に対して、舌打ちして忌々しそうに吐き捨てる。


「どうします?」

「一当てして逃げる。火属性の魔法が使える奴は【双火炎槍(エル・フレン)】の詠唱に入れ。それ以外の奴は、詠唱している奴の盾になる位置に移動しろ」


 出された命令に従い、部隊員のうちの五人が魔法の詠唱に入り、残りが詠唱を行っているメンバーの斜め前に立ち、それぞれの武器を構える。   


 やがて獣人でないソレーフィンを含む者たちの耳にも、草木を掻き分け落ち葉を踏み割る音が聞こえ始め、それに伴い上空で鳥たちが一斉に鳴きながら飛び立ったところで、それは現れた。


「なんっ、だこいつは……」


 部隊の誰かが、そんな言葉を漏らす。そしてそれは、部隊内のメンバー共通の感想だった。


 それを一言で表すならば、巨大なカマキリだ。

 高さだけで2メートルはある巨躯。刃先が地面に付きそうなほどの長さのある二本の大鎌。全体的に直線的な姿をしており、鈍色の金属特有の光沢を放つ甲殻に覆われている。

 胴体と首をつなぐのは、内側から切っ先にかけて鋭利な刃となっている節足が多数生えたムカデの首。そしてその首の先には、両目から血を流した女性の頭部。だらしなく開かれた口からは、朱の混じった涎が留めなく溢れるばかりか、細長い舌が垂れて地面に引き摺られていた。


「うぶしゅふふふふふ……」


 見るからに醜悪でおぞましいそれが、言語にならない言葉を漏らす。それに気圧され、誰かが押し殺された悲鳴を上げる。

 彼らは実力こそソレーフィンに劣るが、それでも数々の修羅場を潜り抜けて経験を積んできた、歴戦の冒険者たちである。個としての実力もパーティー全体の実力も、並みの冒険者を遥かに凌駕する。

 しかしそれ故に、現れたそれがどれ程ヤバイかが理解できた。


「ふしゅるるるるるる……」

「撃て!」


 それが一歩踏み出すと同時に、ソレーフィンの鋭い声が奔る。ただの二文字だけの言葉で、魔法を紡いでいた者たちは無意識のうちに洗練された動作で魔法を放つ。


「「「「「【双火炎槍(エル・フレン)】!!」」」」」


 一人につき二本、計十本の炎槍が生み出され射出。

 剥き出しになった頭部に、節足が蠢く長い首に、甲殻に覆われた胴体に一本たりとも外れる事無く命中。着弾した瞬間に爆ぜ、周囲に濛々と煙が立ち込める。


 中級魔法である【双火炎槍(エル・フレン)】は同階級の火属性魔法の中では威力に劣る部類に入る。にも関わらずソレーフィンがその魔法を選択したのは、範囲の広い魔法が覆い火属性の中で精密な狙いが付けられる事と、何より着弾時に爆発を起こして煙幕を張れる為だ。


「後退!」


 指示に従い、陣形を崩さず、また背を向けずに油断なく構えながら一同が速やかに撤退を始める。そしてその目論見は遮られる事となる。


「ぐあっ!?」

「ぎゃあっ!?」


 突如として煙の中から何かが飛び出し、それに貫かれた前衛の男と、その後ろにいた後衛の男が悲鳴を上げる。


「ハレット、マレイフ!」


 煙が晴れ、飛来してきた者の正体が露わとなる。

 前衛の男が構えていた鋼鉄の盾を防具に覆われた腹部ごと貫き、尚も勢いを失わずにその後ろにいた男の肩口を抉るのは、10メートル以上にも伸びた舌。

 紫の混じった肉色のそれは、抉った後衛の男の肩口を味わうかのように蠕動して引き抜かれ、次の瞬間、勢い良く前衛の男の身体を貫いたまま巻き取り、自分の方へと引き戻して行く。


「うあああああああああああっ!!」

「ハレット!」


 想定外の事態に誰もが唖然とする中、ソレーフィンだけは事態の推移に置いて行かれる事無く、連れ去られていくハレットの元へと走る。

 しかし、結局置いて行かれる事はなくとも、追いつく事もできなかった。


「放せぇええええええっ!!」


 全身を舌で縛られながらももがくハレットを、それは自分の首の元まで運び、抱き締めるように節足で押さえ付け、いとも容易く輪切りにした。


「うぉおおおおおおおおっっ!!」


 ソレーフィンが雄叫びを上げ、腰から魔剣の一本を引き抜く。

 『魔剣ダイラック』―――持ち主に比類なき剛力を与える効果を持った、ソレーフィンの所有する三本の魔剣の一振り。


 魔剣の与える剛力を発揮して地を踏み砕き、突貫。その勢いも全て斬撃に乗せて振り下ろす。


「ひゅいいいいいいいいいっ!!」


 軌道上に割って入った左の大鎌を砕き、節足蠢く首に斬撃が叩きつけられ、甲高い悲鳴が上がる。

 ソレーフィンの手に返って来たのは、まるで鉄塊を殴ったかのような手応え。咄嗟に握りを緩めたお陰で手を傷めることはなかったが、斬撃が命中したはずの首には傷ひとつ付いていない。


「くっ!」


 自分の目を貫こうと放たれた舌を、首を傾けて回避。頬を舌先が掠めて熱が走り、その上を唾液の粘着質な感触が覆う。


「全員戦闘態勢! 撤退は不可能だ、迎え撃つぞ!」


 号令に部隊のメンバーは的確に対処。現れたそれを包囲するように動く。


「オルフィーはマレイフの傷を治せ! アッスとナッハはその間の二人を守れ! 他の者は魔法が使えるものを中心に眼前の敵に対処! 敵は堅い。主に浸透系か貫通系の攻撃を使え! それと、クバーレン!」

「はいッ!」

「この中で一番足が速いのはおまえだ。砦の方に撤退して、この事を本陣の者たちに報告しろ!」

「旦那、それじゃあ―――」

「早くしろ! 自分がするべき事を間違えるな!」

「……了解しやした」


 クバーレンが背を向け、逡巡しながらも疾駆。足場の悪い環境を平地を駆けるかのように移動し、瞬く間に姿を消す。


「再生能力も持つのか……」


 先ほどソレーフィンが砕いた、左の大鎌。それをそいつは再生させていた。


「ひゅぉおおおおおおおおっ!!」


 それが再び舌を放つ。

 あらかじめそれを想定していたソレーフィンは、余裕を持って回避。同時に魔剣を、伸ばされたその舌に叩き付ける。


「駄目か……」


 返って来たのは、弾力に富んだ手応え。簡単に切断できるように見えて、その舌はかなり頑丈だった。


 切断を諦めた直後に、放たれた舌の先が反転。Uターンをしてソレーフィンを背後から強襲。

 風切音でそれを捕らえていたソレーフィンは、身を捻って回避。同時に左手を腰に伸ばし、二本目の魔剣を抜く。


 抜いたのは、銘の無い連接剣。しかし銘は無くとも、その性能は折り紙つきだ。何より、刀身の一部に施されている紅葉の焼印がそれを保証している。


 伸縮はおろか、軌道すらも持ち主の自由自在という能力を持つこの連接剣は、製作者が鍛えたもののイマイチ扱う事ができずに投げ出した代物。

 そんな事を彼は知る由も無いが、それでも製作者よりも彼の方が遥かに使いこなせているのは事実。その連接剣を振るい、伸ばされた舌に絡みつかせる。


「「「【雷撃(ライトニング)】!」」」


 ソレーフィンが舌を封じると同時に、三重の詠唱が響く。


「きゃあああああああああっ!?」


 前方と左右、三方向から三条の雷撃が奔り、それに命中し全身に感電する。

 堅い甲殻の下まで潜り込んだ電流は、その下にあった肉を焦がし、血液を沸騰させる。その苦痛にそれは甲高い悲鳴を上げて、両目から黒くなった涙を流す。


「声は女のものとか、あざといんだよ!」

「うるせぇぞ、この化け物が!」


 同時に手に槍斧を持った二人が、左右から回りこむようにして接近。鎌を振るう隙を与えずに、その鎌を支える関節部を目掛けて斧を振るう。

 発動したのは【槍護斧除】。破壊力が増大された斬撃が、それの大鎌を根元から断つ。


「【縛鎖(バインド)】」


 ただ一人雷撃魔法を紡いでいなかった人物が、地中から鎖を生み出しそいつを拘束する。


「くたばれっ!」


 最後に大槌を持った巨漢が、得物でそいつの頭部を粉砕しようと接近し、首を刎ねられる。


「……は?」


 誰かが間抜けな声を漏らす。まるで状況が飲み込めないとでも言うように。


 なんてことは無い。それはただ、斬り落とされた左右の大鎌の断面のすぐ下から、別の鎌を生やして巨漢の首を挟みこみ切断しただけだ。

 巨漢の首は無回転で放物線を描き、元あった場所より十数メートル離れた場所に落下。胴体は断面からは一度だけ高く血が噴出させ、前のめりに倒れる。


 そいつの行動は、それだけでは終わらない。

 断面から赤い菌糸のような粘着質の物を伸ばし、地面に落ちた自分の大鎌の断面と繋げ、引き寄せて接合させる。

 二秒後には元通りとなった大鎌と、先ほど生やしたやや小さめの鎌をと合わせて四本の鎌を得たそいつは、その鎌を振るう。


 振るわれた先にいた二名の男も、それぞれ自分と鎌との間に槍斧を割り込ませる。そして槍斧ごと自分の体を三つに別けられたところで、意識が途絶えた。


「======」


 尚もの行動は終わらない。舌を出したまま詠唱を始め、頭上に直径一メートルの水球を生み出す。


「【大河の砲撃(アクアカノン)】」


 最後の詠唱だけは明瞭な発音で、それは唱える。

 虚空より生み出された大量の水の行き先は、自分の舌を拘束するソレーフィン。押し寄せる大瀑布に対して、ソレーフィンは右手の『魔剣ダイラック』を手放し、代わりに最後の一振りである『魔剣ティクナーク』を抜く。


 ティクナークと呼ばれる、魔法を打ち消すスキルを持った牙獣の牙から鍛えられたその剣は、素材の主と同じように刀身に触れた魔法を打ち消す事ができる。

 その能力を使い、押し寄せる水の奔流を、片っ端から無に返す。それでも消し切れない分はあったが、生み出された水の大半を消滅させる事に成功し、残った水で押し流される事なく踏み止まる。


 だが水の奔流で押し流される事こそ無かったものの、体勢を僅かなりとも崩され、それによって一瞬だけ拘束が緩んだ隙を突いて、それは舌を引き戻す。

 顕現していた瀑布の陰に隠れて、その事に気が付いていたのは拘束していたソレーフィンのみ。その彼が声を上げるよりも先に、あざ笑うかのように舌を放つ。


「避けろぉおおおおおおおっ!!」


 放たれた舌の先にいたのは、未だ治療中にあったマレイフと、そのマレイフを治療する修道女のオルフィー。そしてその二人を護衛していたアッスとナッハの四人。

 最初にアッスが、咄嗟に構えた幅広の剣ごと右の眼窩を貫かれ、その背後にいたナッハは攻撃にすら気付けずに側頭部を貫かれる。尚も舌は勢いを失わず、ソレーフィンの声に反応してオルフィーの張った防壁ごと彼女の心臓を貫き、そしてマレイフの腹を貫いた。


「アッス、ナッハ、オルフィー、マレイフ!」


 一人一人の名前を呼ぶ。返って来たのは、最後に呼んだマレイフの掠れた声。


「そ、ソレーフィン、さん……伏せて、下さい!」


 直前にオルフィーが張ってくれた防壁のお陰で、舌の軌道がずれたことにより即死を免れたマレイフが、息も絶え絶えで詠唱を始める。


「【爆裂大火球(エクスプロージョン)】」


 腹部を貫かれたまま引き寄せられ、ハレットに対してそうしたように節足で抱き抱えた瞬間に、マレイフが紡いでいた魔法を暴発させる。


 上級火属性魔法による、ゼロ距離の爆発。一瞬周囲から一切の音が消え失せ、橙色の巨大な火球が発生。数秒間掛けて膨張したその火球は限界張力に達し、破裂。周辺に熱波と衝撃波を撒き散らす。

 マレイフの言葉に従い伏せていたお陰で、生き残った部隊の面々に然したるダメージは無い。だが爆心地にいたそれは、さすがに無傷と言うわけにはいかなかった。


「アアァアァアァアアアァァァッッ!!」


 マレイフを抱えていた節足の殆どが千切れ飛び、押さえ付けていた喉元の甲殻は剥がれ肉が爆ぜていた。そうでなくとも全身の甲殻は歪み、焼けて赤熱している。

 女性の形をした頭部は右の眼球が破裂し、残る眼球も白濁して光を映していないことは明らかだ。そして何より、その口から垂れていたはずの舌は、爆発によって根元から千切れていた。


 だがそれでも、それは生きていた。


「いぃぃぃぃぃあぁぁぁぁぁ――――」

「【縛鎖(バインド)】」

「「「【狩手の尖雷爪(ノス・バラック)】」」」


 再びの拘束魔法に続き、今の今まで詠唱していた上級雷属性魔法が発動。

 生み出されたのは雷によって構成される、竜の鉤爪。一人につき五爪産み出された雷爪が、拘束されたそれの体を抉るように炸裂する。


「シィッ!」


 魔法を食らったことによる生死の結果の確認を待たず、ソレーフィンが連接剣を投じ、甲殻の薄い胴体と腹の継ぎ目に巻き付ける。


「【筋力強化(ストレングス)】」


 メンバーの一人が、意図を察してソレーフィンに強化魔法を掛ける。

 それによりさらに増大した筋力を振るい、手に持った連接剣を一気に引き絞る。


 金属同士が擦れ合う耳障りな音が響き、火花が散る。最後にブチンという音がして、相手の胴体が切断された。


「追撃しろ!」


 決着に息を吐く間もなく、ソレーフィンの号令が掛かり、生き残った者たちが一斉に魔法を放つ。


「【火球(ファイヤーボール)】」

「【双火炎槍(エル・フレン)】」

「【爆撃弾(プロード)】」

「【雷撃(ライトニング)】」

「【貫針雨(レド・アット)】」

「【電熱雷球(ノス・キエルス)】」

「【霧爆裂(ミスト・エクスプロード)】」

「【蹂躙する灼獄炎(エル・デルーヴァ)】」


 炎弾が、炎槍が、爆撃が、雷撃が、貫通針の散弾が、高エネルギーの雷球が、水蒸気爆発が、そして業火が蹂躙する。

 初級から上級までの魔法が間断なく撃ち込まれ、やがて魔力の大半を消費して魔法の斉射が終わる。


 周囲の木々などとっくに薙ぎ倒され、地形までもが変貌した爆心地には、元は身体のどこかを覆っていたのであろう甲殻がいくつかと。

 表面の皮膚が炭化し、もはや性別の判別すら不可能となった頭部だけが転がっているのみ。


「……倒した、のか?」

「死んでるんだよな?」


 ソレーフィンを除く四人が、互いに目配せをして誰か確認しろと促す。

 そのやり取りに内心呆れながらも、自ら率先してそれの死骸の一部に近づき、手始めに頭部を蹴飛ばす。

 数秒経って反応が無いのを確認し、次に甲殻のいくつかを突いたり引っくり返したりしたが、結果は同じだった。


「倒したな……ははっ」


 四人の中で最も消耗していた者が、安堵の息を吐いて腰を落とす。他の三人も、その人物ほどではないが、かなり疲弊した様子だった。


「ほら、呆けてる余裕はねえぞ。戦闘音を聞きつけて、他のモンスターが寄ってこないとは限らん。早く撤退するぞ。それに―――」


 その表情に影を落とす。


「あいつらも、弔ってやらないとな」

「……ソレーフィンさんのせいじゃないですよ」

「あの状況じゃ、逃げ切れないってのは誰もが分かってたんですから。迎撃を選択した判断に、誰も不満は抱いてないですよ」

「……そうだな」


 周辺を手分けして探索し、死亡した仲間の遺品をかき集める。


 『大侵攻』で死した者の死体を持ち帰ることは、原則として禁止されている。持ち帰った死体が、アンデッド化しないとは限らないからだ。

 これは別に澱みの森に限った話ではないが、モンスターが出現した地域で発生した死体は、居住区内の墓場に弔われた死体に比べ、格段にアンデッド化しやすい傾向にある。それに加え、澱みの森で生まれた死体は、特にその傾向が強い。

 その理由に関しては諸説あるが、とにもかくにもそういった事情により、『大侵攻』で死亡したものがまともに弔われる事など滅多にない。その代わりに、死んだものの遺品を回収して弔うのだ。


 今回に関してはほぼ全ての死体が魔法によって吹っ飛んでいる為にアンデッド化の心配は無いが、その代わりに遺品集めも難航した。

 それでも全員分の遺品を辛うじて集め終えた一行は、代表してソレーフィンがその遺品を預かり、その場から立ち去る。


 いや、立ち去ろうとした。


「……っ!?」

「どうしました?」

「いや……」


 唐突に背後を振り向いたソレーフィンを、他の者は不思議そうに見つめる。


(いま、かすかに魔力を感じた気がするが……)


 だが背後に、変わった様子は無い。それ以上に、前衛職である自分以上に魔力に敏感である四人が、何の反応も示していない。


 気のせいだと、自分を納得させて視線を戻す。

 そして仲間の後頭部が貫かれ、痙攣するのを目撃する。


「なっ……!?」


 慌ててもう一度背後を振り向くと、その仲間を貫いたものが、炭化した頭部の口に当たる部分から飛び出ているのが確認できた。

 ちょうど頭部から引き抜かれ、口内へと戻って行くそれは、爆発によって根元から千切れたはずの舌だった。


「いひ、いひひひひひひ」


 ゴロリと、頭部だけで九十度転がり仰向けになると、首の断面から無数の赤い菌糸を伸ばす。

 菌糸はウネウネと蠢きながら伸びていき、程なく数本の束に別れ、それぞれが転がっている甲殻の方へと辿り着くと、そのまま内側にくっつき、頭部の方へと甲殻を引き寄せていく。


 同時に頭部はさらに菌糸の数を増やし、それらをよじり合わせ肥大化させていき、十分な体積を作り出すと今度はその菌糸を枝分かれさせ、細長い棒状の物を左右に数本作り出す。

 その作り出された棒状のものが半ばから折れ曲がり、地面に食い込むと、ゆっくりと束ねられた菌糸の束が持ち上がっていく。それに合わせて、頭部もまた宙に浮かぶ。その頃になって、ようやくその棒状のものが脚であると、その場にいる者たちは理解した。


 いや、脚だけではない。

 

 菌糸はさらに別のところから芽を出し、伸びて絡み合い、形を作り出す。

 それは翅であり、大鎌であり、首であり、節足だった。


 菌糸が元通りの体のシルエットを模ったところで、引き寄せていた甲殻を自分のその剥き出しになった部位に装着していく。

 黒く焦げ赤熱していたはずのその甲殻も、体の表面にくっついた瞬間に表層が罅割れ、その下からは傷ひとつ無い、元通りの色合いのものが顕になる。

 さらには甲殻で覆いきれずに剥き出しになっている部分は、徐々に色が赤色から鈍色へと変化していき、程なくして元通りの甲殻に変化しきっていた。


 時間にして二、三分か。その程度の間で、それは元通りの姿を取り戻していた。


「……夢でも、見てるのか?」


 ソレーフィンは自分の頬をつねる。はっきりとした痛みを感じるが、それでも目の前で起こった事が信じられなかった。


 無理もない。多大な犠牲を払ってまで倒したと思った相手が、目の前で無傷の状態で再生したのだ。驚くなと言う方が無理な話だ。

 だがそれでも、隙は見せるべきではなかった。命のやり取りにおいて、その隙がいかに致命的であるかなど、彼は熟知していたのだから。


「うわっ!?」

「やめろ、放せっ!」


 ようやく我に返れば、自分以外の者が全員舌に巻き取られ、宙に持ち上げられているところだった。

 それは愛し子にそうするように、両の大鎌で三人を挟み、胴体を真っ二つに切断する。


「きゃはははははははっ!」

「……笑って、いるのか?」


 それは確かに笑っていた。それはそれは嬉しそうに。


 笑うことにより引っ張られた、炭化した顔の皮膚がひび割れる。

 亀裂は広がり、炭化した部分が徐々に剥離していく。その下から現れるのは、真新しい色の皮膚。


 燃えてなくなった髪を除けば完全に元通りの姿となったそれは、その表情を喜悦に歪ませて血を浴びていた。さらには、その口で血を嚥下すらしていた。


「きゃは、ははは、いひっ、ひひひひひ―――」


 それがソレーフィンの事を睨む。両目からは新しく血を流し、殺意を滾らせて。


「………………」


 剣を構える。右手に『魔剣ティクナーク』を、左手に連接剣を。

 逃げようと思えば、逃げられた。先程までならばともかく、自分一人ならば逃げに徹すれば十分可能だった。

 だが、そうはしない。


「ここで逃げたら、あいつらに顔向けできねえだろうが」


 連接剣を相手に向けて伸ばし、振るう。途中で切っ先を舌で弾かれ軌道がずれ外れるが、逆に回り込むように動かし囲む。

 そのまま引き絞って切断しようとするが、間に大鎌を入れられて失敗。


「【大河の―――|(アクア―――)】」

「させるか!」


 ティクナークを頭上に生み出され始めた水球目掛けて投擲。魔法を寸前のところで雲散霧消させる。

 間髪入れずにダイラックを手にし、飛来してきた舌を受け止める。が、舌は剣身に巻き付き、自分の元に引き寄せようと引っ張る。


 魔剣の与える剛力で、それに抗う。本来ならば相手側に分のある力比べは拮抗し、互いに動きを止める。

 先に業を煮やしたのは相手の方で、両の大鎌を構えてソレーフィンに向けて歩き始める。その瞬間に彼は抵抗を止め、相手の引き寄せる力を利用し、一気に接近。


 【破烈斬】


 勢いを乗せた斬撃は、それの胸部の装甲を貫き、根元まで突き刺さる。

 それをさらに捻り、横薙ぎに胴体から抜いてさらに傷を広げる。


「キィィィィィィィィィィッ!!」


 怒りの声を上げてそれが鎌を振るうのと、彼が連接剣を手繰り寄せて放つのは同時。

 間一髪で連接剣を周囲の木の腕に巻き付け、自分の体を引っ張り上げて上空に回避。その後を視線で追うそれの表情は、嘲笑。

 その意味を察するよりも先に、それは舌を放つ。狙いは彼ではなく、彼が連接剣を巻き付けた木の腕。


 それなりの太さのあった腕を、その舌は容易く粉砕。

 結果として空中に投げ出された形になった彼を、それは声に出して笑う。


「======」


 空中では回避できまいと、詠唱を始める。そしてその詠唱はすぐに終わり、それの口の前に握り拳ほどの小さな液体の球が生み出される。


 周囲に障害物がないか探すが、即座に間に合わないと判断。代わりに連接剣をそれ目掛けて放つが、舌で弾かれ外れる。


「【強酸の―――|(アシッド―――)】」


 勝利を確信して唱えられようとした魔法は、突如として横手から飛来してきた物によって中断される。

 飛来してきたのは、先程投擲された魔剣ティクナーク。ソレーフィンは弾かれた連接剣を操りティクナークを掴むと、それを投擲したのだ。

 投擲されたティクナークはそれの下顎を貫通し、紡がれていた魔法を掻き消す。と同時に、それは下顎を失った痛みに動きを止め、言葉とならない咆哮を上げる。


「ギャーギャーうるせえよ、クソアマ!」


 大鎌の間を縫って落下。逆手に持ったダイラックを、落下の勢いを乗せてそれに突き刺す。

 場所は先の一斉攻撃で唯一損傷を受けていなかった、女の頭部。その頭頂部に切っ先は落ち、頭蓋を割って進み、下顎を失った顔を貫通して串刺しにする。


「アァ――――」


 それがか細く喉を震わせる。全身を一度、二度と痙攣させ、崩れ落ちる。


「……今度こそ、死んだか?」


 念のために剣は抜かず、ティクナークを回収していつでも攻撃できるように身構えながら観察する。

 時間にして一分程経過した時に、唐突に変化は訪れる。


「溶けた……?」


 まるでアイスを太陽の下に置いて早送りをしたかのように、胴体部分がじわじわと溶けて赤い液体となる。

 甲殻も肉も骨も、溶けたあとには何も残らない。ただ赤い水溜りが地面に吸い込まれていくのみ。

 残ったのは、頭頂部から上顎にかけて剣が貫通した頭部のみ。


「………………」


 そのままさらに五分、十分と待ち、それが動かないことを確認。ダイラックの柄を掴み、持ち上げ撥ね上げる。

 串刺しとなった頭部が剣から抜けて上空に飛び、やがて落下。それを魔剣が迎え入れる。


 スキル【八連斬り】が発動。最初に横に九つに輪切りにし、次に縦に九つに輪切り。計九十一分割された肉片がベチャベチャと落下する。


「クバーレンは、無事か……?」


 三本の魔剣の血糊を拭い、それぞれを鞘に収める。


 連合暦1444年、亡者の月の20日。

 斥候任務についていた冒険者第28部隊14名は、未知の個体と遭遇し隊長のソレーフィンと隊員のクバーレンを残して全滅という結果に見舞われる。


 しかし、誰が予測しただろうか。

 それがこれから起こる惨劇の、序曲に過ぎないという事を。



――――――――――――


 彼らは侵入を果たす。そして同時に、目的を果たすために進行を始める。

 目的地は侵入を果たした段階で、すでに感覚的に把握している。後はその感覚に従い、進むだけ。

 だがただ進むだけでは駄目だ。まだ今のままでは、目的地の到着しても目的を果たせない。

 まずは数を増やさねば。その為にも食らわねば。

 そうして彼らは始める。遅々とした、しかし確実に目的を達する為の歩みを。

 ぞろぞろ、ぞろぞろと。



 実はこの話でソレーフィンも含めて全滅する予定だったけど、やっぱり生かすことに決めて途中大幅に書き換えたという裏事情。

 ですが20話のサブタイにもある通り、あの時に出てきた名前の大半は死にますし、死ぬ予定の奴も大体決まってます。

 誰が死ぬか予想しても構いませんよ?

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