第十二話:失望
突如として目の前に現れたのは、帝国の暗殺者ティアラ・ミネーロ。
原作ホロウにとって、ティアラは存在そのものが『死亡フラグ』。
基本的に遭遇すれば『即死』――まず勝てない相手だ。
(相変わらず、悪役貴族に厳しい世界だね……)
ボクが警戒を強めたそのとき、
「――下がれ、ホロウ! この女はティアラ・ミネーロ! 帝国で三本の指に入る、腕利きの殺し屋だッ!」
エリザが叫びながら剣を抜き、最前線に躍り出た。
「あなた、どこのどちらさま? 『モブA』に用はないのだけれど?」
ティアラはクスクスと嗤い、挑発的な言葉を口にする。
「モブかどうかは、今にわかる――<銀閃・抜刀>!」
白銀の太刀が奔り、鋭い斬撃が夜闇を裂く。
しかし、そこにティアラの姿はない。
「なっ!?(一瞬にして……消えた!?)」
「ビックリした、あなた凄く速いのね。でもそれじゃ、あたしには届かないかなー?」
無傷のティアラは――ボクの右方五メートルの場所に立っている。
使ったな、伝説級を。
「なるほど……『時間停止』か。固有に恵まれたな、ティアラとやら」
原作知識を持つボクが、自然な形で言い当てると、
「へぇ……初見でこれを看破したのは、ホロウが初めてよ。さすがはハイゼンベルク家の次期当主、そこらのモブとは格が違うわね。誉めてあげる」
彼女は余裕綽々といった表情で、腰に差した短剣をゆっくりと引き抜いた。
「あたしの固有は<時の調停者>、その効果は『三秒の時間停止』よ」
「じ、時間停止だと!?」
エリザは驚愕に目を見開く。
無理もない。
ティアラの固有は極めて珍しいモノであり、伝説級でも最強格の魔法だからね。
「これはこれは、ご丁寧に効果時間まで教えてくれるとは、サービス精神に満ち満ちているな」
「ふふっ、あたしの固有は『無敵』だからねー」
次の瞬間、彼女の姿は霞に消え、
「わかったところで、どうこうできるモノじゃないしー?」
ボクの後方五メートルの地点に立つ。
「無敵と自称する割には、随分もったいぶるじゃないか。さっさと殺したらどうなんだ?」
「パパッと終わらせちゃつまらないでしょ? あたし、お話が大好きなんだよねー」
「違うな。お前はどう見ても会話を楽しむようなタイプじゃない。標的を痛め付け、嬲り殺しにして、そこに『悦』を見い出すクズだ」
「いやいや、出会って間もない女の何がわかるっていうの? おにーさん、ちょっと自信過剰過ぎなーい?」
「わかるんだよ、俺とお前は『同類』だからな」
「……あはっ、大当たりぃ!」
ティアラは身の毛もよだつ、悍ましい笑みを浮かべた。
ホロウ・フォン・ハイゼンベルクとティアラ・ミネーロは共に、極めて高い『悪性』を持つ。
それゆえ彼女の思考や趣向は、なんとなくわかってしまうのだ。
「こうしている今も、お前は一切の隙を見せず、こちらを強く警戒している。<時の調停者>が本当に無敵の固有ならば、そこまで気を張る必要はない。その魔法……何か弱点があると見た」
「あはっ、想像力が豊かなのね。いや、『妄想力』と言った方が――」
「――例えばそう、魔法の再使用に必要な時間、『インターバル』とかな?」
「……情報通り、異常に頭がキレるのね」
ティアラの顔から、初めて笑顔が消えた。
原作の<時の調停者>は連続発動ができず、再使用までに一秒のインターバルがあった。
『三秒の時間停止+一秒の無防備状態』、これがワンセットって感じの魔法だね。
「えぇ、そうよ。ホロウの推理通り、<時の調停者>にはインターバルが存在する。でも、それがわかったところで、どうにもならないわ。至近距離で時を止めれば、三秒の不動時間があれば、どんな相手でも殺し切れるもの」
彼女はそう言って、短刀の切っ先を指でなぞった。
「はっ、随分と甘い前提条件だ。そう簡単に近寄らせると思うか? ――<障壁>」
パチンと指を鳴らせば、ボクを中心とした同心円状に大量の<障壁>が出現する。
「へぇ……」
目を丸くしたティアラは、障壁の一つに近寄り、コンコンと指で叩く。
「うわぁ、凄い硬度……カッチカッチだね」
わざとらしく驚いてみせた彼女は――ニィッと口角を釣り上げる。
「でも、無駄……無駄無駄の無駄ァ! 停止した時間の中じゃ、あらゆる魔法が機能しない! <時の調停者>!」
ティアラが固有を使った三秒後――超高強度の<障壁>は、まるで豆腐のように斬り裂かれた。
「ふむ……(<時の調停者>の発動中は、あらゆる魔法の機能が停止する。この辺りは、原作とまったく同じ効果処理だね)」
景気よく<障壁>を斬り裂いて見せたティアラは、
「あたしさぁ……強い男を屈服させるのが、大好きなんだよねぇ……」
右手で短刀を弄びながら、自らの『特殊な癖』を語り始める。
「自信に満ち溢れた屈強な男が、あたしみたいな華奢な女の子に土下座するの。なっさけない顔で、恥も外聞も捨て去って、必死に懇願するの。もうやめてください、もう許してください、もう殺してくださいってさぁ! 嗚呼、思い出すだけでゾクゾクしちゃう……ッ」
ティアラは自分の体を両手で抱き締めながら、うっとりとした恍惚の笑みを浮かべる。
「はっ、高尚な趣味をお持ちだこと」
「ふふっ、どうもありがとう」
子どもっぽく微笑んだ彼女は、その瞳を鋭く尖らせる。
「ねぇホロウ……あなたはどんな顔で啼くのかしら?」
「生憎、これまで一度も負けたことがなくてな。自分でもよくわからん」
「つまりは、『初物』ってことね? もう……最っ高じゃない!」
妖艶に舌なめずりをした暗殺者は、そのまま低く身を屈め、獣を思わせる独特な姿勢を取った。
真っ直ぐ最短距離を駆け抜けるつもりなのだろう。
(ティアラの攻撃手段は短刀のみ、必ず間合いを詰めてくる)
確かに彼女は速いが、耐久力は並以下だ。
間合いを詰める途中にボクの一撃が入れば、そこで勝負は決まってしまう。
(だからこそ、ティアラの初手は<時の調停者>。貴重な三秒をフルに使って、至近距離に踏み込んでくるはず)
直後に生まれる空白の『一秒』、おそらくそこが『勝負所』になる。
「ふふっ、行くわよ?」
「さっさと来い」
次の瞬間、
「<障壁>」
「<時の調停者>!」
ボクとティアラの魔法が、ほとんど同時に発動した。
不可視の壁が林立し、世界の時が停止する。
三秒後。
無秩序にバラ撒いた<障壁>は、見るも無残に斬り裂かれ、
「あはっ!」
ティアラの凶刃は――エリザに剥いた。
「なっ!?」
エリザは驚愕に目を見開き、反応がワンテンポ遅れる。
無理もない。
<時の調停者>を使われたが最後、次の瞬間には『三秒後の世界』となっているのだから。
このズレに対応するには、けっこう『慣れ』が必要だ。
原作知識でもなければ、普通はまず反応できない。
「どけ」
「なっ、ホロウ!?」
エリザを安全な場所へ突き飛ばし、迫りくる短刀をいなして、ティアラの胴体へ蹴りを放つが……。
「危、な……ッ」
さすがは帝国屈指の暗殺者というべきか。
紙一重のところで腰を捻り、見事な回避を見せた。
(こいつ、嘘でしょ!? 三秒後の世界に即適応し、仲間の女を助けたうえ、反撃の蹴りまで……っ。ホロウ・フォン・ハイゼンベルク、噂に違わぬ『化物』っぷりね……ッ)
ここでちょうどインターバルの一秒が経過。
お互いを『必殺の間合い』に捉えたまま、<時の調停者>のクールタイムが上がってしまう。
「ふふっ、馬鹿な男ねぇ。この女を助けなければ、きっと勝てたでしょうに」
ティアラは邪悪な笑みを浮かべ、右手の短刀を構える。
「誇っていいわ、あなたは本当に強い。でも――私の勝ちよっ!」
「待て、やめろッ!」
顔を真っ青に染めたエリザが、せめて身代わりになろうと走るが……間に合わない。
「チッ」
ボクがバックステップを踏み、間合いを取ろうとしたそのとき、
「<時の調停者>!」
向こうの方が一手早く――世界の時が止まった。
「停止した世界の中じゃ、その偉そうな口も静かなものねぇ?」
ティアラは嗜虐的な笑みを浮かべながら、ボクの胸部に細い指を走らせる。
「まずは右脚を刎ね飛ばす。そうして逃げられなくした後は、左脚・指・耳……一つ一つゆっくりと丁寧に削ぎ落してあげる。ふふっ、強気なあなたが惨めに泣き叫ぶ姿、最高にそそるわッ!」
彼女のあまりに滑稽な姿を見て、
「――くくっ」
ボクは思わず、吹き出してしまった。
「えっ?」
呆けた顔のティアラ、その隙だらけの鳩尾へ――右の拳を叩き込む。
「が、は……ッ」
彼女はみっともなく地面に這いつくばり、
「ゲホッ、ゴフッ、ゴホッ……!?」
わけがわからないといった様子で、苦しそうに何度も何度も咳き込んだ。
そうこうしているうちに<時の調停者>が解け、再び時が流れ出す。
「ホロウ――なっ!?」
三秒後の世界に到達したエリザが、驚愕に目を白黒とさせる中、ティアラはゆっくりと顔をあげる。
「はぁはぁ……なん、で……!?」
「おやおや、動けてしまったぞ? 魔法の精度が低いんじゃないか?」
ボクは嗜虐的な笑みを浮かべながら、ゆっくり右足を振りかぶり――ボールを蹴るかのように振り下ろす。
「くっ、<時の調停者>ッ!」
世界の時が停止した。
しかし――ボクの足は片時も止まることなく、ティアラの顔面を痛烈に蹴り上げる。
「ぁう゛っ!?」
遥か後方へ吹き飛んだ彼女は、
「……ヴッ、あっ、グぅ……ッ」
地面に何度も体を打ち付け、体中に生傷を作った。
三秒後――<時の調停者>の効果が切れ、再び世界が動き出す。
「これは、いったい……!?」
「はぁ、はぁ……何が、起こっているの……!?」
エリザとティアラは、混乱の極みにあった。
「くくくっ、残念だったな。俺は時間系統の魔法に対し、『完全耐性』を持っている」
「あ、あり得ない……っ。そんな話、聞いたことがない……ッ」
「自分の固有を無敵と過信した魔法士は、遠からず命を落とす。今のお前がまさにそれだ」
伝説級の固有<時の調停者>は、現実世界の時を止める強力な魔法だ。
(でもボクは――『現実世界』と『虚空界』を生きている)
この体を止めたければ、『二つの世界』を同時に停止させなければならない。
しかし、そんなことは無理だ、神様にだってできない。
(何せ、『虚空界における神』は、このボクだからね)
確かに<時の調停者>は、大当たりの固有だろう。
でも残念、ボクの<虚空>は、超々大当たりなんだよ。
あらゆる固有に対して有利を取れる、それが虚空という『チート魔法』だ。
「い、いや、違う……っ。あなたの『ペテン』には騙されないわ! ホロウ・フォン・ハイゼンベルクッ!」
ティアラはそう言って、こちらへ指をさす。
「ほぅ、言うにこと欠いてペテンと来たか……面白い、聞いてやろう」
「もしもホロウが時間魔法に完全耐性を持つのなら、どうしてすぐに私を殺さなかったのかしら? どうして逃げるような真似をしたのかしら? これ、おかしいわよね?」
彼女は得意気な顔で、自分の推理を述べる。
「つまり、あなたの言葉は『ブラフ』! 本当は時間魔法に耐性なんか持っていない! <時の調停者>を無力化したのには、何か『ネタ』があるっ!」
そのとき、
(くくっ……可哀想になァ)
ボクの腹の奥底から、『どす黒い愉悦』が湧きあがってきた。
「何故すぐに殺さず、逃げるような真似をしたか、だと? そんなもの……お前の醜態を嘲笑うために決まっているだろう?」
「こ、の……舐めるなぁあああああああああッ!」
耐え難い侮辱を受けたティアラは、プライドを踏み躙られた暗殺者は、怒声を張り上げながら猛然と駆け出した。
「死ィねぇええええええええッ!」
魔力で強化された短刀が、凄まじい速度で振るわれる。
(確かに速い――が、それだけだ)
ボクは必要最小限の動きで、迫りくる斬撃を容易く躱す。
正面切っての戦闘じゃ、剣術を修めたボクには遠く及ばない。
これが、スピードに特化した『暗殺者ビルド』の限界だね。
(本来、『原作ホロウ』にとって、ティアラ・ミネーロは『天敵』だ。極めて相性が悪く、まず勝てない)
彼の敗北には、『三つの理由』がある。
「くそっ、なんで当たらないのよ!?」
「遅過ぎるからだ」
一つ目の理由は――『膂力の不足』。
原作ホロウは、体を鍛えたことがない。
その結果、ティアラの凄まじいスピードに対応し切れず、あっという間に斬殺されてしまう。
「くっ、<時の調停者>!」
「無駄だ、俺には効かんと言っただろう」
二つ目の理由は、『虚空の練度不足』。
原作ホロウは、魔法を鍛えたことがない。
ボクのように<虚空憑依>を24時間張り続け、『虚空界との接続』を維持できないのだ。
その結果、<時の調停者>を無力化できず、停止した時の中で斬殺されてしまう。
「こ、こんな女の子に本気になって、恥ずかしいとは思わないの!?」
「くくっ、子どものように泣いて謝るのなら、許してやらんこともないぞ?」
三つ目にして『最大の理由』は――怠惰傲慢が確定で発動すること。
原作ホロウは、油断と慢心の化身だ。
まさか女のティアラに、幼い見た目の彼女に負けるなど、これっぽっちも思わない。
その結果、怠惰傲慢が100%の確率で起動し、全てのステータスが半減――単純な数値の差で斬殺されてしまう。
(膂力の不足・虚空の練度不足・怠惰傲慢の確定発動――これら三つの理由により、原作ホロウは確実に死ぬ)
しかし、ボクは違う!
六年前から体を鍛え、虚空を磨き上げてきた。
(たとえ相手が女であろうと子どもであろうと……決して侮らない!)
『謙虚堅実』を心に刻み、全力で叩き潰すのだ!
「死ね! 死ね! 死んじゃえッ!」
ティアラは幼稚な罵声を口にしながら、当たらない短刀を必死に振り続けた。
もはやその姿には、暗殺者としての矜持も品格もない。
こうなっては、もう終わりだね。
「くくっ、まるで子どもの癇癪だな」
「だ、黙れェ゛!」
図星を突かれたティアラは、大振りの一撃を放った。
ボクは半身で軽く躱し、彼女の首裏を手刀で軽く打つ。
「あ゛ぅッ!?」
ティアラの体がビクンと跳ね、そのまま地面に崩れ落ちた。
まるで陸に打ち上げられた魚みたく、地面にビタンと張り付いている。
「くくくっ、どうしたどうした、もう終わりか? さっきまでの偉そうな態度は、いったいどこへ行ったんだ? 俺の右脚から刎ね飛ばして……なんだったかな?」
ティアラの後頭部を土足のままに踏み付け、エリザが息を呑むほどの罵声を浴びせるが……まったく反応を返さない。
「おい、聞いているのか?」
ティアラの肩を爪先で軽く蹴り、仰向けに転がしてやる。
「……」
その瞳孔は完全に開いており、ピクリとも動かない。
「まったく、軽い手刀で気絶するとは……情けない奴だ」
黒い愉悦がサッと引いていく。
ここからが楽しいところなのに……残念だ。
「はぁ……お前には失望したぞ、ティアラ」
ボクがため息を零していると、エリザが深刻な表情で呟く。
「これは……首の骨が、折れている……っ」
「……えっ……?」
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