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世界最強の極悪貴族は、謙虚堅実に努力する~原作知識と固有魔法<虚空>を駆使して、破滅エンドを回避します~  作者: 月島 秀一
第二章

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第二十五話:聖騎士エリザ・ローレンス

 エリザは孤児だった。

 親の名前は知らない。

 物心付く前に王都の裏路地へ捨てられたからだ。


 文字の読み書きは、ゴミ捨て場で拾った教本で学ぶ。

 随分と古いモノだったため、堅苦しい言葉遣いが身に付いてしまった。


 しかし、本人は特に気にしていない。

 意思の疎通が取れれば十分、そういう考えの持ち主だった。


 聖暦1007年。

 当時まだ七歳のエリザは、ゴミ箱を漁って残飯を(むさぼ)る。

 どこかの店で働こうと思い、何度か店の扉を叩いたこともあったのだが……。

 クライン王国には労働の基準を定めた法律があり、十歳に満たない児童の使役は禁じられている。

 そのため、どこも門前払いだった。


 エリザは仕方なく、残飯を漁って()えを(しの)ぎ、雨露(あめつゆ)で喉の渇きを(うるお)す。

 たとえどれだけ空腹に(あえ)いでも、盗みは絶対に働かない。

 彼女は強い『正義感』の持ち主であり、その『高潔な精神』が決して悪事を許さなかった。


(ふむ、今日は当たりだな)


 珍しく綺麗な食パンを一切れ手に入れたそのとき、視界の端に小さな仔犬(こいぬ)が映る。

 路傍(ろぼう)に置かれたバスケットの中にちょこんと座っており、横の小さな立て札には「拾ってください」と書いてあった。


「……お前も捨てられたのか?」


「くーん……」


「そうか、私と同じだな……。そうだこれ、一緒に食べよう」


「わふっ!」


 今しがた手に入れた貴重なパンを半分に割り、仔犬へ分け与えた。

 それからほどなくして――彼女の『唯一の友達』は、優しそうな家族に拾われていく。


(……よかったな、幸せになるんだぞ……)


 エリザはその様子を物陰から見守り、お別れに小さく手を振ると――仔犬は「わふっ!」と鳴いた。

 その夜は、久方ぶりに涙を流した。


 再び時は流れ、


(……お腹、空いたな……)


 巡り合わせが悪く、残飯の見つからない日々が続いた。

 かれこれもう三日は何も食べていない。

 育ち盛りの体に慢性的な栄養失調が重なり、誰もいない路地裏でバタリと倒れた。


(……そうか、死ぬのか……)


 まるで他人事のようにそんなことを考えていると、


「――ほら、食え」


 目の前においしそうなパンが差し出された。


 小麦色のコッペパン。

 カビてもなければ、泥水(どろみず)で濡れてもなければ、誰かの食べさしでもない。

 正真正銘の店に売られているコッペパン。


「……っ」


 エリザはゴクリと生唾を呑む。


「……いい、のか……?」


「いいから黙って食え」


 (いささ)かぶっきらぼうな男だったが、そんなことは気にもならない。


「か、感謝する……ッ」


 エリザは一心不乱に食し――喉を詰まらせた。


「ん、んぐ……っ」


「馬鹿、がっつくからだ」


 男はそう言って、水の入った瓢箪(ひょうたん)を投げた。

 エリザはそれを受け取り、すぐさま喉へ流し込んだ。


「んぐんぐ……ぷはぁ……っ」


 雨露(あめつゆ)以外を飲んだのは、いったいいつぶりだろうか。

 綺麗な水とは、こんなにおいしいものなのかと思った。


 コッペパンを一瞬で平らげ、ホッと安堵の息をつくと――食事を恵んでくれた男が、ドッカリと目の前に座り込んだ。

 五十代ぐらいだろうか、背が高く恰幅(かっぷく)のいい男だった。


「ガキ、名前は?」


「エリザ」


「親はどうした?」


「物心つく頃には、もういなかった」


「そうか」


「そうだ」


 淡々とした会話が続いた。


「うち、来るか?」


「……えっ……?」


「働くってんなら、メシと寝床ぐらい用意してやる。付いて来い」


 男は返事も待たず、クルリと(きびす)を返し、大股でズンズンと歩いて行く。

 行く当てもないエリザが、後に付いていくと――小さな孤児院に辿り着いた。


「おい、帰ったぞ」


 男がそう言うと、優しい顔の女性が出迎える。


「あら、お帰りなさ……あらあらあら! また可愛いらしい子を連れているじゃない! もしかしてこの子……」


「うちでしばらく面倒を見ることになった。適当に世話してやってくれ」


「えぇ、任せてちょうだい」


 コクリと頷いた彼女は、中腰になってエリザと目線の高さを合わせる。


「私はダリア・ローレンス。あのちょっと不愛想な人は、ダン・ローレンス。夫婦で孤児院を開いているの。あなたのお名前、教えてもらえないかしら?」


「エリザだ」


「ありがとう、エリちゃんね。ようこそ、ローレンス家へ! 今日からここが、あなたの新しいお家よ!」


 そうしてエリザは、『ダンダリア孤児院』に迎えられ、エリザ・ローレンスとなった。


 ぶっきらぼうな旦那ダン・ローレンス、50歳。

 おっとりとした優しい妻ダリア・ローレンス、48歳。

 夫婦二人で運営する、非常に小規模な孤児院だ。

 ちなみに……ダンダリア孤児院という名前は、二人のファーストネームを繋げた、非常に安直なものである。


 一家の大黒柱たるダンは大工を(いとな)んでおり、稼いだ金は全て孤児院の運営に回した。

 子どもたちは日中、ときに遊び・ときに学び・ときに仕事を手伝い――楽しい毎日を送る。

 もちろんエリザもその輪の中に入れてもらい、充実した毎日を送った。


「おいエリザ、将棋は指せるか?」


「『しょうぎ』……なんだそれは?」


「どれ、教えてやろう」


 ダンは殊更(ことさら)にエリザのことを可愛がった。

 若くして亡くした娘にそっくりだった――というのは、彼だけの秘密だ。


 家族みんなで夕食を囲むとき、


「こらエリザ、箸の持ち方がなっておらんぞ。ここをこうして……こうじゃ」


「むぅ、難しいものだな……」


 彼女が外で恥をかかないよう、しっかりと礼儀作法を教えた。


 エリザがうっかり足を踏み外し、階段から落ちたとき、


()っつつつ……っ」


「大丈夫か、怪我はないか!?」


「あ、あぁ、平気だ」


「ふぅ、そうか……気を付けろよ」


 誰よりも早く駆け付け、その身を案じた。


 近所の悪ガキ二人が、エリザに意地悪をしたとき、


「てんめぇクソガキども、うちの可愛いエリザに何しやがんだ! ぶち殺してやらぁああああああああッ!」


「ひ、ひぃいいいい……っ」


「ごめんなさぁああああい……っ」


 鬼の形相でどこまでも追い掛け回した結果――聖騎士たちに補導された。


 エリザが初めてコーヒーを飲んだとき、 


「に、(にが)ぃ……なんなんだこの飲み物は……っ」


「がっはっはっはっ! エリザにコーヒーはまだ早かったようじゃな!」


 心の底から楽しそうに笑った。


 エリザが初めて「お父さん」という言葉を口にしたとき、


「ふむ……『お父さん』と呼ぶべきだろうか?」


「……ぐすっ……」


「……何故、泣く?」


「ば、馬鹿野郎お前……嬉しくなんかねーぞ、この野郎っ!」


 彼女が引くほど、ボロンボロン泣いた。


 あっという間に月日は流れ、十歳になったエリザは『洗礼の儀』で、<銀閃(ぎんせん)>を習得する。


「――<銀閃(ぎんせん)抜刀(ばっとう)>」


 白銀の剣閃が宙を舞い、目の前の木材が正確にカットされた。


「ほぉー、見事なもんじゃなぁ」


「エリちゃん、かっこいいわ! レジ、レジェ……とにかく、なんちゃらクラスの凄い魔法なのよね!」


<銀閃>の価値を知らないローレンス夫妻は、ただただ『凄い魔法』という認識だった。


 エリザのこの力のおかげで、あらゆる木材が瞬時に加工され、大工仕事は大捗(おおはかど)り。

 その結果、家族団欒(だんらん)の時間が増えた。


「なぁ知っとるかエリザ、この世界には『天空に浮かぶ大きな城』があるんじゃぞ?」


「本当か!?」


「う・そーっ!」


「……そこに直れ、三枚におろしてくれる」


「ま、待て待て冗談だ! 落ち着け、悪かった! <銀閃(ぎんせん)>は洒落にならんぞ!?」


 ダンはよく冗談めいた嘘をつき、純粋なエリザはよくコロっと騙された。

 そんな二人を見て、子どもたちは楽しそうに笑う。

 みんなの笑顔を見て、エリザもまた嬉しそうに微笑む。


 貧乏で豊かではないが、穏やかで幸せな毎日――だった(・・・)


「あれはもしや……<銀閃(ぎんせん)>かっ!?」


『闇の大貴族』ヴァランの目に()まるまでは……。


 それはどんよりと曇ったある日のこと、


「――ど、どういうことだ!?」


 ダンの手掛けていた大工仕事が、全て同時にキャンセルされた。


「す、すみません、ちょっとうちにもいろいろとありまして……」


「何故じゃ!? せめて理由を教えてくれ!」


「いや、その……本当に申し訳ない……っ」


 (わず)かばかりの違約金を残して、誰も彼も逃げるように去っていった。

 闇の大貴族ヴァランから圧力が掛かり、みんな手を引かざるを得なかったのだ。


 唯一の収入源を失い、ダンダリア孤児院の資金繰りは急激に悪化。


 そこへ畳みかけるように、


「……ぅ、ぐ……っ」


 ダンが心臓の病で倒れた。

 彼は元々、それほど体が強くない。

 孤児院の子どもたちを養うため、寝る間も惜しんで働き――寂しい思いをさせないため、休む間もなく全力で遊ぶ。

 そんな毎日の疲労が蓄積し、病となって現れたのだ。

 ダンはローレンス家の経済的・精神的な支柱、屋台骨を失った孤児院は一気に傾く。


 このとき既に十歳を超え、王国の法定就業年齢に達していたエリザは、すぐさま外へ働きに出る。

 無論、ダリアもそれに続いた。

 二人は昼夜(ちゅうや)(べつ)なく、休むことなく、がむしゃらに働いた。

 しかし、女手(おんなで)二つで、孤児院を支えることは難しい。

 家族全員の生活費に加えて、ダンの薬代まで必要となると……到底不可能だ。


 ムードメーカーのダンは、寝室でほとんど寝たきり状態。

 食事はどんどん質素になっていき、家の空気はどんよりと重い。


「ふぅ……私はもうお腹いっぱいだ。残りはみんなで食べるといい」


 エリザはそう言って、半分以上の料理を残した。

 自分の食事を子どもたちに分け与えることで、ひもじい思いをさせまいとしたのだ。

 当然ながら、そんなものは『焼け石に水』である。


 その後も孤児院の財政状況は悪化の一途を辿り、もはや首が回らなくなったところで――タイミングを見計らっていたかのように、ヴァランの息が掛かった性質(たち)の悪い『高利貸し』が訪れる。


「はいはいはい、ダリア様。えぇえぇえぇ、大丈夫ですよ、御心配には及びません。こちらは『リボルビング払い』と言って、毎月定額の返済を行うだけで――そうそうそう、仰る通りでございます。その御理解で間違いありません」


 ダリアは言葉巧みに騙され、『泥沼の借金地獄』に沈められた。

 利息ばかり払い続けることになり、元本は減らないどころか、法外な金利によって膨れ上がっていく始末……。


「ごめんなさぃ、ごめんなさぃ、ごめんなさぃ……っ」


 まんまと罠に()められたダリアは、来る日も来る日も謝罪の言葉を繰り返し――やがて心を壊した。

 そうしてダンダリア孤児院が崩れたところへ、『闇の大貴族』が訪れる。


「はじめまして、儂はヴァラン・ヴァレンシュタイン。王国の辺境を治める、しがない貴族じゃ」


 ヴァラン・ヴァレンシュタイン、当時75歳。

 身長185センチ、中央で分けられた長い銀髪。

 かつては絶世の美男子として、社交界を騒がせたその顔は、年と欲と(しわ)で醜く歪み……今や見る影もない。

 その体は枯れ木のように細く、右手には歩行を補助する木の杖が握られ、黒い貴族衣装に身を包む。


 元々は『神技(しんぎ)の剣聖』と(うた)われた大剣士だったのだが……。

 天喰(そらぐい)の呪いを受けて左足を負傷、その後は第一線を退(しりぞ)き、元より行っていた『裏家業』を本格化させる。


「……お前のような大貴族が、うちになんのようだ?」


 本能的にヴァランを『悪』と見抜いたエリザは、冷たく応じた。

 彼はそれを意にも介さず、淡々と要求を告げる。


「エリザ・ローレンス、お前の<銀閃(ぎんせん)>が欲しい」


「何を言っているのかわからないな」


「簡単な話じゃよ。エリザが儂のために働くというのであれば、この孤児院の借金を全て肩代わりしてやる。その働きぶり如何(いかん)によっては、資金援助を考えてやってもいい」


「……」


「今この場で判断しろとは言わぬ、じっくり考えるとよい。しかしまぁ……その間に孤児院が潰れてしまわぬといいがのぅ?」


 ヴァランは邪悪に(わら)い、自分の領地へ帰って行った。


 その日、エリザは一人で熟考(じゅっこう)し――決断を下す。


(……やるしかない……)


 ダンダリア孤児院は、既に火の車だ。

 このままでは子供たちが、路頭に迷ってしまう。

 自分の身を差し出すことで、孤児院を守れるのなら、大切な家族を守れるのなら――それでいいと思った。


 そこから『地獄』が始まる。


「エリザ、お前を『聖騎士見習い』として捻じ込んでおいた。機を見て、奴等の捜査情報を持って来い」


「……わかった」


「エリザ、うちの経営する地下闘技場に出ろ。お前は顔と体がいい、華もある。客たちも喜ぶだろう」


「……わかった」


「エリザ、儂に暗殺者が差し向けられたらしい。しっかりとこれに対処しろ。万が一にも、失敗は許されぬぞ?」


「……わかった」


 言われるがままに従った、従わざるを得なかった。


 自分の命よりも大切なモノを守るため、強い正義の心も凛とした誇りも確固たる矜持(きょうじ)も捨てて、命令のままに動く。


 しかしそれでも――『殺し』だけは絶対にしなかった。

 その一線を踏み越えては、もう戻れない気がしたのだ。


「……まぁよい……」


 ヴァランは腐り切った男だが、その審美眼は本物だ。

 エリザの『ライン』を正確に見極め、そこにだけは口を出さなかった。


 ヴァランにとっても、エリザは優秀なボディガード。

 無茶な使い方をして、壊したくはない。


 それから二年が経ったあるとき、


「――みんな、逃げるぞ! 今ならきっとなんとかなる!」


 エリザは家族を連れて、ヴァランの手から逃げ出そうとした。

 幸いにも、地下闘技場で稼いだ金がある。

 血に汚れた汚い金だが……金は金だ。

 これだけの大金があれば、王国の片田舎で三年は暮らせる。

 その間になんとか生活を立て直せれば、と考えたのだ。


 無論、すぐに追手が差し向けられるだろうけれど……。

 その対策として、ヴァランの悪事を聖騎士協会に密告しておいた。もちろん、言い逃れのできぬ『確たる証拠』付きで。

 これでしばらくは時間が稼げるはず、そう考えた。


「さぁ急げ! 奴等がこちらの動きに気付く前――」


「――エリザ、どこへ行くつもりだ?」


「……ヴァラン……何故、ここに!?」


 ヴァランと聖騎士協会の上層部は、強い繋がりを持っていた。

『献金』という名の『裏金』で、固い絆を結んでいたのだ。


 その後、エリザは薄暗い倉庫へ連れ込まれ、厳しい罰を受ける。


「なぁに舐めた真似してんだ、小娘がッ!」


「ふざけんじゃねぇぞ、ボケッ!」


「ヴァラン様に逆らって、タダで済むと思うなよッ!」


 ヴァランの配下である若い男たちは、容赦なくエリザを痛め付けた。


「……う゛っ、ぐッ……」


 殴られ蹴られ踏まれ、その体にいくつもの生傷ができたところで――ヴァランがようやく『待った』を掛ける。


「エリザ、儂は悲しいぞ……。何故こんな酷いことをするのじゃ。二人で上手くやれていたではないか」


「ふざ、けるな……っ。誰が、お前なんかと……ッ」


「そうか、残念じゃ」


 ヴァランは芝居がかった動きで両肩を落とし、配下の一人に命令を飛ばす。


「おい、そこの。孤児院のガキを一人(ばら)して、ここへ持って来い」


 その瞬間、エリザの顔が絶望に染まった。


「ま、待て、それは……それだけはやめてくれ。あの子たちには――私の家族には、手を出さないでくれ……ッ」


「はぁ……最近の若いのは、『謝り方』がなっておらんのぅ」


「……っ」


 彼女は屈辱に奥歯を噛み締めながら、震える足でゆっくりと立ち上がり、深々と頭を下げた。


「ヴァラン(きょう)、申し訳ありませんでした。もう二度とこのような真似はいたしません。如何(いか)なる罰をも受けますので、どうか孤児院には手を出さないでください……っ」


「ふむ、そこまで頼み込まれては仕方がないのぅ」


「……ありがとう、ございます……っ」


 屈辱に震えながら、感謝の言葉を述べる。


「しかし、『罪には罰を』、だ。今後、ダンダリア孤児院への出入りを禁ずる。そうじゃな、孤児院の場所もどこか遠くへ移すとしよう」


「そ、そんな……っ」


「全てお前が悪い、儂を裏切るからこうなるのじゃ。まったく馬鹿な女よ。こんなことをしなければ、家族一緒に暮らせたものを」


 ヴァランは醜悪に(わら)い、その場から立ち去った。


「……くそ……っ」


 首輪を()められたエリザは、悔し涙を流しながら、耐え忍ぶことしかできなかった。


 今ここで怒りに身を任せ、ヴァランの首を()ねることは容易い。

 しかしそんなことをすれば、『王国の好々爺(こうこうや)』を殺害した大罪人として、聖騎士によって断罪される。

 その後、膨れ上がった『民意』という暴力は、エリザを輩出したダンダリア孤児院へ向かい……悲惨な結末を迎えるだろう。


 だから、彼女は逆らえない。

 煮え繰り返るような思いを押し殺し、ヴァランの身辺警護役として、憎き男の身を守り続けた。


 そうすることしか……できなかった。


 ヴァランのボディガードとして、悪事の片棒を担がさせられている間、エリザはこれまで以上に『正しさ』を求めた。

 聖騎士の活動に尽力し、大勢の犯罪者を検挙した。

 病的なまでに『正義』へ固執した。

 自分の犯した過ちを別の正しさで清算しようとしたのだ。


 そんなこと、できるはずもないのに……。


 そうして正義と悪の板挟みにあった少女の心は、次第に()り切れていき――ゆっくりと壊れていった。

 幾多の犯罪者を捕まえる過程で、<銀閃>は研ぎ澄まされ、その『強さ』こそが自分の『価値』だと誤認してしまった。 


 しかし、


「……ば、馬鹿な……っ」


 敗れた。

 

 二度も。


 立て続けに。


 一度目は、『神隠し』。

 重罪人ばかりを誘拐する、正体不明の犯罪者。


【即効性の神経毒だ。安心しろ、殺しはしない】


【ふざ、けるな……!】


 敵に情けを掛けられるどころか、その身を守られるという屈辱を味わった。


 二度目は、ホロウ・フォン・ハイゼンベルク。

 怠惰傲慢を絵に描いたような男で、ハイゼンベルク家の次期当主。


【だから言っただろう、『勝負にもならん』と】


【ケホッ、カハッ、コホッ……】


 圧倒的な実力差で、いとも容易く()じ伏せられた。


 エリザの『正義』は、二人の『巨悪』に敗れたのだ。


「私は……弱い……っ」


 彼女の心を支えた最後の柱が、『強さ』という()(どころ)が、音を立てて崩れていく。


 それからほどなくして――レドリック魔法学校にて、魔宴祭(まえんさい)の決勝戦が始まった。

 相手は『第三十一位』アレン・フォルティス。

 序列こそ低いが、ここまで破竹の勢いで勝ち進んできた男、油断や慢心は禁物だ。


「ハァ!」


「フッ!」


「そこだッ!」


「なんの……っ」


 二人の戦いは、熾烈(しれつ)を極めた。


 本来であれば、エリザの圧勝に終わるはずだったのだが……。

 先々代勇者ラウル・フォルティスの『勇者修業』によって、アレンの膂力(りょりょく)は大幅に向上しており、今や互角の剣戟(けんげき)を繰り広げるまでに至った。


 しかしそれでも――ホロウの見立て通り、エリザの地力が上回る。

 腕力でこそ、ややアレンに(おく)れを取るものの……。 

 勝負を分けるのは、伝説級(レジェンドクラス)の固有魔法<銀閃(ぎんせん)>。

 戦闘に特化したこの固有がある限り、エリザが一対一で敗れることはまずない。


 ただそれは、彼女のコンディションが万全であった場合の話だ。


 正義と悪の板挟みにあったエリザの心は、かつてないほどに摩耗しており、そこへ畳み掛けるように訪れた『屈辱的な二連敗』。

 彼女のコンディションは、万全とは対極のところにあった。


(……アレン・フォルティス、私よりも遥かに序列が低く、未熟で粗削りな魔法士)


 剣術・戦闘経験・固有魔法、総合的な実力は、エリザの方が遥かに上だ。

 まともにやり合えば、彼女の勝利は固い。


(だが……真っ直ぐな剣だ。一本の『芯』が通っている)


 アレンの剣は、綺麗だった。

 その太刀筋には、一切の迷いがない。


(きっと私の剣は……醜く(ゆが)んでいるのだろうな……)


 戦闘中にもかかわらず、彼女の心はどこか浮いていた(・・・・・)

 まるで迷子のようにふらふらふわふわと。


 迷いは判断を鈍らせ、揺らぎは(やいば)()び付かせる。


「「ハァッ!」」


 太刀と短刀と強くぶつかり、大きな間合いが生まれた。 

 これを嫌ったアレンは、前方へ大きく跳ぶ。


 その行動は『悪手』と言えぬまでも、『最善』からは程遠いモノ。


 瞬間、


(『最速』を切るなら、ここしかない!)


(『最速』を切るなら、ここだ)


 ホロウとエリザの思考が重なった。


 しかし、


(醜く汚れた(わたし)が……正義(アレン)に勝ってもよいのだろうか?)


 迷いが生み出した空白の時間。

 コンマ一秒にも満たない硬直。


(ば、馬鹿! おい、何をしている!? いったい何を躊躇(ためら)っているんだ!?)


 ホロウは心の中で憤激(ふんげき)するが……当然その思いは届かない。


 刹那の不動(ふどう)時間を経て、エリザの『最速』が放たれる。


「<銀閃(ぎんせん)(しゅん)――」


「――<零相殺(ゼロ・カウンター)>!」


 勇者の固有が炸裂し、<銀閃(ぎんせん)>は崩壊――鋭い斬撃をモロに受けた。


(た、立てぇええええええええ……! 立つんだ、エリザぁああああああああ……ッ!)


 決して立てないダメージじゃない。


 しかし、体に力が入らなかった。

『心』という大切な原動力が、既に底を突いていたのだ。


「――勝者アレン・フォルティス!」


 地下演習場に響く大歓声。

 エリザはそれをどこか他人事のように聞いていた。


 その後、


「――馬鹿やろぉおおおおおおおおおおおおおッ! エリザ、お前……何をやっているんだぁああああああああああッ!?」


『王の怒声』が響き渡り、虚空界に途轍(とてつ)もない大魔力が吹き荒れる中――衰弱しきったエリザは、王都のボロアパートへ帰った。

 聖騎士としての給金は、ほとんど全て孤児院に送っているため、彼女の生活は清貧(せいひん)を極めている。


(私は……なんなのだろう……)


 神隠しに敗れ、極悪貴族に敗れ、主人公に敗れた。

 唯一の()(どころ)である強さは、完全に崩壊した。

 今やエリザ・ローレンスという存在がいったいなんなのか、自分で自分のことがわからなくなっていた。


 家の鍵を開けたところで、郵便受けに手紙が入っていることに気付く。


「そうか……もうそんな(・・・・・)時期か(・・・)


 月に一度だけ、ダンダリア孤児院と手紙のやり取りを許可されており、こうして月末に届けられるのだ。


 エリザたちがまた『よからぬ企み』をせぬよう、手紙の内容は全てヴァラン本人がチェックし、孤児院の所在地が悟られぬよう、彼の配下が運び手を担っている。

 ヴァラン・ヴァレンシュタインという男は、この辺りの細かいところが本当に抜け目ない。


「……みんな、元気にしているだろうか……」


 彼女は自宅に入ってすぐ、家族からの手紙に目を通す。


『エリザ、迷惑を掛けてすまんな……。元気でやっておるか?』


『エリちゃん、本当にごめんなさい、私が不甲斐ないばっかりに……』


『またエリザお姉ちゃんと一緒に暮らしたいな!』


『エリ姉みたいな、かっこいい女の人になれるよう頑張るね!』


 手紙は『一か月に一枚』と制限されているため、みんなそれぞれ一文ずつだけ、寄せ書きのような形で送られてくる。


「……う゛、うぅ……っ」


 自然と涙が零れ落ちた。


 楽しかった頃の、幸せだった頃の――五年前の記憶が蘇る。


 エリザは玄関口で崩れ、嗚咽(おえつ)を零した。


「……頼む。誰か、誰でもいい……私を、私達を……助けてくれ……っ」


 悲しき聖騎士(ヒロイン)の声は、誰の耳にも届かない――。



 聖暦1015年6月1日21時58分。

 黒い外套(がいとう)を纏ったエリザは、ルーデル森林の木陰に身を潜めていた。

 当然、ヴァランの護衛としてだ。


 ヴァラン・ヴァレンシュタインはこの日、帝国の密使と極秘の会談を持ち、『王国転覆計画』を最終段階へ移行する。

 病床に()したクライン国王は、もはやそう長く持たない。

 崩御(ほうぎょ)後まもなく『王選』が始まり、『次代の王』を巡る激しい戦いが勃発(ぼっぱつ)する。

 ヴァランはその混乱に乗じて、『クーデター』を起こすのだ。


 無論、大貴族ヴァランと(いえど)も、たった一人で王国を転覆させることはできない。

 そのため彼は、古くより付き合いのある帝国の貴族を頼り、皇帝との『極秘の謁見(えっけん)』を取り付けた。

 短く濃密な交渉の末、帝国の力を借り受けることに成功。


 皇帝の目論見は、邪魔な王国を支配下に置くこと。

 ヴァランは王国を売った見返りとして、公爵の地位と帝都の一等地を(たまわ)る。


(『四大貴族』だかなんだか知らぬが、王都の土地を独占しおって……気に喰わぬ)


 彼は『辺境伯』という地位が嫌いだった。

 何が悲しくてこんなド田舎を治めねばならぬのか、幼少の時分(じぶん)よりずっと納得がいかなかった。


(しかし、このクーデターが成功すれば、儂は栄誉ある帝国の大貴族となる! 帝都のど真ん中に巨大な領地を構えられるのじゃ!)


 ヴァラン・ヴァレンシュタインは、『欲望の権化』とも呼べる醜悪な男なのだ。


(ふむ……そろそろか)


 彼が懐中時計に視線を落とすと、時刻は二十一時五十九分、約束の時間まで後一分と迫る。


 ほどなくして、予定の二十二時を迎えたそのとき――『異変』が起こった。


「ひ、ひぃいいい――」


「ば、ばばば……化物ぉおお――」


「だ、誰か、助け――」


「ぁ、ぐ、がぁああ――」


 耳をつんざく壮絶な悲鳴は、不自然に『プツン』と途切れる。


 まるで(・・・)その瞬間に(・・・・・)世界から(・・・・)消えて(・・・)しまった(・・・・)かのよう(・・・・)だった(・・・)


 明らかな異常事態、


「……何事じゃ……?」


 緊迫した空気が張り詰める中、この場にそぐわぬ明るい声が響く。


「――おや?」


 木々の奥から姿を現したのは――闇を煮詰めたような『漆黒』。


「これはこれはヴァラン(きょう)、こんなところでお会いするなんて、珍しいこともあるものですね」


 飛び切り邪悪な笑みを浮かべた『極悪貴族』だった。

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― 新着の感想 ―
ホロウとか言うエリザの厄介ファンすこ
エリザの人生が思ったより悲惨で草w 孤児院や出生地がハイゼンベルク領だったら エリザの人生ももう少しマシだったんだろうか・・・。
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