第二十五話:聖騎士エリザ・ローレンス
エリザは孤児だった。
親の名前は知らない。
物心付く前に王都の裏路地へ捨てられたからだ。
文字の読み書きは、ゴミ捨て場で拾った教本で学ぶ。
随分と古いモノだったため、堅苦しい言葉遣いが身に付いてしまった。
しかし、本人は特に気にしていない。
意思の疎通が取れれば十分、そういう考えの持ち主だった。
聖暦1007年。
当時まだ七歳のエリザは、ゴミ箱を漁って残飯を貪る。
どこかの店で働こうと思い、何度か店の扉を叩いたこともあったのだが……。
クライン王国には労働の基準を定めた法律があり、十歳に満たない児童の使役は禁じられている。
そのため、どこも門前払いだった。
エリザは仕方なく、残飯を漁って飢えを凌ぎ、雨露で喉の渇きを潤す。
たとえどれだけ空腹に喘いでも、盗みは絶対に働かない。
彼女は強い『正義感』の持ち主であり、その『高潔な精神』が決して悪事を許さなかった。
(ふむ、今日は当たりだな)
珍しく綺麗な食パンを一切れ手に入れたそのとき、視界の端に小さな仔犬が映る。
路傍に置かれたバスケットの中にちょこんと座っており、横の小さな立て札には「拾ってください」と書いてあった。
「……お前も捨てられたのか?」
「くーん……」
「そうか、私と同じだな……。そうだこれ、一緒に食べよう」
「わふっ!」
今しがた手に入れた貴重なパンを半分に割り、仔犬へ分け与えた。
それからほどなくして――彼女の『唯一の友達』は、優しそうな家族に拾われていく。
(……よかったな、幸せになるんだぞ……)
エリザはその様子を物陰から見守り、お別れに小さく手を振ると――仔犬は「わふっ!」と鳴いた。
その夜は、久方ぶりに涙を流した。
再び時は流れ、
(……お腹、空いたな……)
巡り合わせが悪く、残飯の見つからない日々が続いた。
かれこれもう三日は何も食べていない。
育ち盛りの体に慢性的な栄養失調が重なり、誰もいない路地裏でバタリと倒れた。
(……そうか、死ぬのか……)
まるで他人事のようにそんなことを考えていると、
「――ほら、食え」
目の前においしそうなパンが差し出された。
小麦色のコッペパン。
カビてもなければ、泥水で濡れてもなければ、誰かの食べさしでもない。
正真正銘の店に売られているコッペパン。
「……っ」
エリザはゴクリと生唾を呑む。
「……いい、のか……?」
「いいから黙って食え」
些かぶっきらぼうな男だったが、そんなことは気にもならない。
「か、感謝する……ッ」
エリザは一心不乱に食し――喉を詰まらせた。
「ん、んぐ……っ」
「馬鹿、がっつくからだ」
男はそう言って、水の入った瓢箪を投げた。
エリザはそれを受け取り、すぐさま喉へ流し込んだ。
「んぐんぐ……ぷはぁ……っ」
雨露以外を飲んだのは、いったいいつぶりだろうか。
綺麗な水とは、こんなにおいしいものなのかと思った。
コッペパンを一瞬で平らげ、ホッと安堵の息をつくと――食事を恵んでくれた男が、ドッカリと目の前に座り込んだ。
五十代ぐらいだろうか、背が高く恰幅のいい男だった。
「ガキ、名前は?」
「エリザ」
「親はどうした?」
「物心つく頃には、もういなかった」
「そうか」
「そうだ」
淡々とした会話が続いた。
「うち、来るか?」
「……えっ……?」
「働くってんなら、メシと寝床ぐらい用意してやる。付いて来い」
男は返事も待たず、クルリと踵を返し、大股でズンズンと歩いて行く。
行く当てもないエリザが、後に付いていくと――小さな孤児院に辿り着いた。
「おい、帰ったぞ」
男がそう言うと、優しい顔の女性が出迎える。
「あら、お帰りなさ……あらあらあら! また可愛いらしい子を連れているじゃない! もしかしてこの子……」
「うちでしばらく面倒を見ることになった。適当に世話してやってくれ」
「えぇ、任せてちょうだい」
コクリと頷いた彼女は、中腰になってエリザと目線の高さを合わせる。
「私はダリア・ローレンス。あのちょっと不愛想な人は、ダン・ローレンス。夫婦で孤児院を開いているの。あなたのお名前、教えてもらえないかしら?」
「エリザだ」
「ありがとう、エリちゃんね。ようこそ、ローレンス家へ! 今日からここが、あなたの新しいお家よ!」
そうしてエリザは、『ダンダリア孤児院』に迎えられ、エリザ・ローレンスとなった。
ぶっきらぼうな旦那ダン・ローレンス、50歳。
おっとりとした優しい妻ダリア・ローレンス、48歳。
夫婦二人で運営する、非常に小規模な孤児院だ。
ちなみに……ダンダリア孤児院という名前は、二人のファーストネームを繋げた、非常に安直なものである。
一家の大黒柱たるダンは大工を営んでおり、稼いだ金は全て孤児院の運営に回した。
子どもたちは日中、ときに遊び・ときに学び・ときに仕事を手伝い――楽しい毎日を送る。
もちろんエリザもその輪の中に入れてもらい、充実した毎日を送った。
「おいエリザ、将棋は指せるか?」
「『しょうぎ』……なんだそれは?」
「どれ、教えてやろう」
ダンは殊更にエリザのことを可愛がった。
若くして亡くした娘にそっくりだった――というのは、彼だけの秘密だ。
家族みんなで夕食を囲むとき、
「こらエリザ、箸の持ち方がなっておらんぞ。ここをこうして……こうじゃ」
「むぅ、難しいものだな……」
彼女が外で恥をかかないよう、しっかりと礼儀作法を教えた。
エリザがうっかり足を踏み外し、階段から落ちたとき、
「痛っつつつ……っ」
「大丈夫か、怪我はないか!?」
「あ、あぁ、平気だ」
「ふぅ、そうか……気を付けろよ」
誰よりも早く駆け付け、その身を案じた。
近所の悪ガキ二人が、エリザに意地悪をしたとき、
「てんめぇクソガキども、うちの可愛いエリザに何しやがんだ! ぶち殺してやらぁああああああああッ!」
「ひ、ひぃいいいい……っ」
「ごめんなさぁああああい……っ」
鬼の形相でどこまでも追い掛け回した結果――聖騎士たちに補導された。
エリザが初めてコーヒーを飲んだとき、
「に、苦ぃ……なんなんだこの飲み物は……っ」
「がっはっはっはっ! エリザにコーヒーはまだ早かったようじゃな!」
心の底から楽しそうに笑った。
エリザが初めて「お父さん」という言葉を口にしたとき、
「ふむ……『お父さん』と呼ぶべきだろうか?」
「……ぐすっ……」
「……何故、泣く?」
「ば、馬鹿野郎お前……嬉しくなんかねーぞ、この野郎っ!」
彼女が引くほど、ボロンボロン泣いた。
あっという間に月日は流れ、十歳になったエリザは『洗礼の儀』で、<銀閃>を習得する。
「――<銀閃・抜刀>」
白銀の剣閃が宙を舞い、目の前の木材が正確にカットされた。
「ほぉー、見事なもんじゃなぁ」
「エリちゃん、かっこいいわ! レジ、レジェ……とにかく、なんちゃらクラスの凄い魔法なのよね!」
<銀閃>の価値を知らないローレンス夫妻は、ただただ『凄い魔法』という認識だった。
エリザのこの力のおかげで、あらゆる木材が瞬時に加工され、大工仕事は大捗り。
その結果、家族団欒の時間が増えた。
「なぁ知っとるかエリザ、この世界には『天空に浮かぶ大きな城』があるんじゃぞ?」
「本当か!?」
「う・そーっ!」
「……そこに直れ、三枚におろしてくれる」
「ま、待て待て冗談だ! 落ち着け、悪かった! <銀閃>は洒落にならんぞ!?」
ダンはよく冗談めいた嘘をつき、純粋なエリザはよくコロっと騙された。
そんな二人を見て、子どもたちは楽しそうに笑う。
みんなの笑顔を見て、エリザもまた嬉しそうに微笑む。
貧乏で豊かではないが、穏やかで幸せな毎日――だった。
「あれはもしや……<銀閃>かっ!?」
『闇の大貴族』ヴァランの目に留まるまでは……。
それはどんよりと曇ったある日のこと、
「――ど、どういうことだ!?」
ダンの手掛けていた大工仕事が、全て同時にキャンセルされた。
「す、すみません、ちょっとうちにもいろいろとありまして……」
「何故じゃ!? せめて理由を教えてくれ!」
「いや、その……本当に申し訳ない……っ」
僅かばかりの違約金を残して、誰も彼も逃げるように去っていった。
闇の大貴族ヴァランから圧力が掛かり、みんな手を引かざるを得なかったのだ。
唯一の収入源を失い、ダンダリア孤児院の資金繰りは急激に悪化。
そこへ畳みかけるように、
「……ぅ、ぐ……っ」
ダンが心臓の病で倒れた。
彼は元々、それほど体が強くない。
孤児院の子どもたちを養うため、寝る間も惜しんで働き――寂しい思いをさせないため、休む間もなく全力で遊ぶ。
そんな毎日の疲労が蓄積し、病となって現れたのだ。
ダンはローレンス家の経済的・精神的な支柱、屋台骨を失った孤児院は一気に傾く。
このとき既に十歳を超え、王国の法定就業年齢に達していたエリザは、すぐさま外へ働きに出る。
無論、ダリアもそれに続いた。
二人は昼夜の別なく、休むことなく、がむしゃらに働いた。
しかし、女手二つで、孤児院を支えることは難しい。
家族全員の生活費に加えて、ダンの薬代まで必要となると……到底不可能だ。
ムードメーカーのダンは、寝室でほとんど寝たきり状態。
食事はどんどん質素になっていき、家の空気はどんよりと重い。
「ふぅ……私はもうお腹いっぱいだ。残りはみんなで食べるといい」
エリザはそう言って、半分以上の料理を残した。
自分の食事を子どもたちに分け与えることで、ひもじい思いをさせまいとしたのだ。
当然ながら、そんなものは『焼け石に水』である。
その後も孤児院の財政状況は悪化の一途を辿り、もはや首が回らなくなったところで――タイミングを見計らっていたかのように、ヴァランの息が掛かった性質の悪い『高利貸し』が訪れる。
「はいはいはい、ダリア様。えぇえぇえぇ、大丈夫ですよ、御心配には及びません。こちらは『リボルビング払い』と言って、毎月定額の返済を行うだけで――そうそうそう、仰る通りでございます。その御理解で間違いありません」
ダリアは言葉巧みに騙され、『泥沼の借金地獄』に沈められた。
利息ばかり払い続けることになり、元本は減らないどころか、法外な金利によって膨れ上がっていく始末……。
「ごめんなさぃ、ごめんなさぃ、ごめんなさぃ……っ」
まんまと罠に嵌められたダリアは、来る日も来る日も謝罪の言葉を繰り返し――やがて心を壊した。
そうしてダンダリア孤児院が崩れたところへ、『闇の大貴族』が訪れる。
「はじめまして、儂はヴァラン・ヴァレンシュタイン。王国の辺境を治める、しがない貴族じゃ」
ヴァラン・ヴァレンシュタイン、当時75歳。
身長185センチ、中央で分けられた長い銀髪。
かつては絶世の美男子として、社交界を騒がせたその顔は、年と欲と皺で醜く歪み……今や見る影もない。
その体は枯れ木のように細く、右手には歩行を補助する木の杖が握られ、黒い貴族衣装に身を包む。
元々は『神技の剣聖』と謳われた大剣士だったのだが……。
天喰の呪いを受けて左足を負傷、その後は第一線を退き、元より行っていた『裏家業』を本格化させる。
「……お前のような大貴族が、うちになんのようだ?」
本能的にヴァランを『悪』と見抜いたエリザは、冷たく応じた。
彼はそれを意にも介さず、淡々と要求を告げる。
「エリザ・ローレンス、お前の<銀閃>が欲しい」
「何を言っているのかわからないな」
「簡単な話じゃよ。エリザが儂のために働くというのであれば、この孤児院の借金を全て肩代わりしてやる。その働きぶり如何によっては、資金援助を考えてやってもいい」
「……」
「今この場で判断しろとは言わぬ、じっくり考えるとよい。しかしまぁ……その間に孤児院が潰れてしまわぬといいがのぅ?」
ヴァランは邪悪に嗤い、自分の領地へ帰って行った。
その日、エリザは一人で熟考し――決断を下す。
(……やるしかない……)
ダンダリア孤児院は、既に火の車だ。
このままでは子供たちが、路頭に迷ってしまう。
自分の身を差し出すことで、孤児院を守れるのなら、大切な家族を守れるのなら――それでいいと思った。
そこから『地獄』が始まる。
「エリザ、お前を『聖騎士見習い』として捻じ込んでおいた。機を見て、奴等の捜査情報を持って来い」
「……わかった」
「エリザ、うちの経営する地下闘技場に出ろ。お前は顔と体がいい、華もある。客たちも喜ぶだろう」
「……わかった」
「エリザ、儂に暗殺者が差し向けられたらしい。しっかりとこれに対処しろ。万が一にも、失敗は許されぬぞ?」
「……わかった」
言われるがままに従った、従わざるを得なかった。
自分の命よりも大切なモノを守るため、強い正義の心も凛とした誇りも確固たる矜持も捨てて、命令のままに動く。
しかしそれでも――『殺し』だけは絶対にしなかった。
その一線を踏み越えては、もう戻れない気がしたのだ。
「……まぁよい……」
ヴァランは腐り切った男だが、その審美眼は本物だ。
エリザの『ライン』を正確に見極め、そこにだけは口を出さなかった。
ヴァランにとっても、エリザは優秀なボディガード。
無茶な使い方をして、壊したくはない。
それから二年が経ったあるとき、
「――みんな、逃げるぞ! 今ならきっとなんとかなる!」
エリザは家族を連れて、ヴァランの手から逃げ出そうとした。
幸いにも、地下闘技場で稼いだ金がある。
血に汚れた汚い金だが……金は金だ。
これだけの大金があれば、王国の片田舎で三年は暮らせる。
その間になんとか生活を立て直せれば、と考えたのだ。
無論、すぐに追手が差し向けられるだろうけれど……。
その対策として、ヴァランの悪事を聖騎士協会に密告しておいた。もちろん、言い逃れのできぬ『確たる証拠』付きで。
これでしばらくは時間が稼げるはず、そう考えた。
「さぁ急げ! 奴等がこちらの動きに気付く前――」
「――エリザ、どこへ行くつもりだ?」
「……ヴァラン……何故、ここに!?」
ヴァランと聖騎士協会の上層部は、強い繋がりを持っていた。
『献金』という名の『裏金』で、固い絆を結んでいたのだ。
その後、エリザは薄暗い倉庫へ連れ込まれ、厳しい罰を受ける。
「なぁに舐めた真似してんだ、小娘がッ!」
「ふざけんじゃねぇぞ、ボケッ!」
「ヴァラン様に逆らって、タダで済むと思うなよッ!」
ヴァランの配下である若い男たちは、容赦なくエリザを痛め付けた。
「……う゛っ、ぐッ……」
殴られ蹴られ踏まれ、その体にいくつもの生傷ができたところで――ヴァランがようやく『待った』を掛ける。
「エリザ、儂は悲しいぞ……。何故こんな酷いことをするのじゃ。二人で上手くやれていたではないか」
「ふざ、けるな……っ。誰が、お前なんかと……ッ」
「そうか、残念じゃ」
ヴァランは芝居がかった動きで両肩を落とし、配下の一人に命令を飛ばす。
「おい、そこの。孤児院のガキを一人殺して、ここへ持って来い」
その瞬間、エリザの顔が絶望に染まった。
「ま、待て、それは……それだけはやめてくれ。あの子たちには――私の家族には、手を出さないでくれ……ッ」
「はぁ……最近の若いのは、『謝り方』がなっておらんのぅ」
「……っ」
彼女は屈辱に奥歯を噛み締めながら、震える足でゆっくりと立ち上がり、深々と頭を下げた。
「ヴァラン卿、申し訳ありませんでした。もう二度とこのような真似はいたしません。如何なる罰をも受けますので、どうか孤児院には手を出さないでください……っ」
「ふむ、そこまで頼み込まれては仕方がないのぅ」
「……ありがとう、ございます……っ」
屈辱に震えながら、感謝の言葉を述べる。
「しかし、『罪には罰を』、だ。今後、ダンダリア孤児院への出入りを禁ずる。そうじゃな、孤児院の場所もどこか遠くへ移すとしよう」
「そ、そんな……っ」
「全てお前が悪い、儂を裏切るからこうなるのじゃ。まったく馬鹿な女よ。こんなことをしなければ、家族一緒に暮らせたものを」
ヴァランは醜悪に嗤い、その場から立ち去った。
「……くそ……っ」
首輪を嵌められたエリザは、悔し涙を流しながら、耐え忍ぶことしかできなかった。
今ここで怒りに身を任せ、ヴァランの首を刎ねることは容易い。
しかしそんなことをすれば、『王国の好々爺』を殺害した大罪人として、聖騎士によって断罪される。
その後、膨れ上がった『民意』という暴力は、エリザを輩出したダンダリア孤児院へ向かい……悲惨な結末を迎えるだろう。
だから、彼女は逆らえない。
煮え繰り返るような思いを押し殺し、ヴァランの身辺警護役として、憎き男の身を守り続けた。
そうすることしか……できなかった。
ヴァランのボディガードとして、悪事の片棒を担がさせられている間、エリザはこれまで以上に『正しさ』を求めた。
聖騎士の活動に尽力し、大勢の犯罪者を検挙した。
病的なまでに『正義』へ固執した。
自分の犯した過ちを別の正しさで清算しようとしたのだ。
そんなこと、できるはずもないのに……。
そうして正義と悪の板挟みにあった少女の心は、次第に擦り切れていき――ゆっくりと壊れていった。
幾多の犯罪者を捕まえる過程で、<銀閃>は研ぎ澄まされ、その『強さ』こそが自分の『価値』だと誤認してしまった。
しかし、
「……ば、馬鹿な……っ」
敗れた。
二度も。
立て続けに。
一度目は、『神隠し』。
重罪人ばかりを誘拐する、正体不明の犯罪者。
【即効性の神経毒だ。安心しろ、殺しはしない】
【ふざ、けるな……!】
敵に情けを掛けられるどころか、その身を守られるという屈辱を味わった。
二度目は、ホロウ・フォン・ハイゼンベルク。
怠惰傲慢を絵に描いたような男で、ハイゼンベルク家の次期当主。
【だから言っただろう、『勝負にもならん』と】
【ケホッ、カハッ、コホッ……】
圧倒的な実力差で、いとも容易く捻じ伏せられた。
エリザの『正義』は、二人の『巨悪』に敗れたのだ。
「私は……弱い……っ」
彼女の心を支えた最後の柱が、『強さ』という拠り所が、音を立てて崩れていく。
それからほどなくして――レドリック魔法学校にて、魔宴祭の決勝戦が始まった。
相手は『第三十一位』アレン・フォルティス。
序列こそ低いが、ここまで破竹の勢いで勝ち進んできた男、油断や慢心は禁物だ。
「ハァ!」
「フッ!」
「そこだッ!」
「なんの……っ」
二人の戦いは、熾烈を極めた。
本来であれば、エリザの圧勝に終わるはずだったのだが……。
先々代勇者ラウル・フォルティスの『勇者修業』によって、アレンの膂力は大幅に向上しており、今や互角の剣戟を繰り広げるまでに至った。
しかしそれでも――ホロウの見立て通り、エリザの地力が上回る。
腕力でこそ、ややアレンに後れを取るものの……。
勝負を分けるのは、伝説級の固有魔法<銀閃>。
戦闘に特化したこの固有がある限り、エリザが一対一で敗れることはまずない。
ただそれは、彼女のコンディションが万全であった場合の話だ。
正義と悪の板挟みにあったエリザの心は、かつてないほどに摩耗しており、そこへ畳み掛けるように訪れた『屈辱的な二連敗』。
彼女のコンディションは、万全とは対極のところにあった。
(……アレン・フォルティス、私よりも遥かに序列が低く、未熟で粗削りな魔法士)
剣術・戦闘経験・固有魔法、総合的な実力は、エリザの方が遥かに上だ。
まともにやり合えば、彼女の勝利は固い。
(だが……真っ直ぐな剣だ。一本の『芯』が通っている)
アレンの剣は、綺麗だった。
その太刀筋には、一切の迷いがない。
(きっと私の剣は……醜く歪んでいるのだろうな……)
戦闘中にもかかわらず、彼女の心はどこか浮いていた。
まるで迷子のようにふらふらふわふわと。
迷いは判断を鈍らせ、揺らぎは刃を錆び付かせる。
「「ハァッ!」」
太刀と短刀と強くぶつかり、大きな間合いが生まれた。
これを嫌ったアレンは、前方へ大きく跳ぶ。
その行動は『悪手』と言えぬまでも、『最善』からは程遠いモノ。
瞬間、
(『最速』を切るなら、ここしかない!)
(『最速』を切るなら、ここだ)
ホロウとエリザの思考が重なった。
しかし、
(醜く汚れた悪が……正義に勝ってもよいのだろうか?)
迷いが生み出した空白の時間。
コンマ一秒にも満たない硬直。
(ば、馬鹿! おい、何をしている!? いったい何を躊躇っているんだ!?)
ホロウは心の中で憤激するが……当然その思いは届かない。
刹那の不動時間を経て、エリザの『最速』が放たれる。
「<銀閃・瞬――」
「――<零相殺>!」
勇者の固有が炸裂し、<銀閃>は崩壊――鋭い斬撃をモロに受けた。
(た、立てぇええええええええ……! 立つんだ、エリザぁああああああああ……ッ!)
決して立てないダメージじゃない。
しかし、体に力が入らなかった。
『心』という大切な原動力が、既に底を突いていたのだ。
「――勝者アレン・フォルティス!」
地下演習場に響く大歓声。
エリザはそれをどこか他人事のように聞いていた。
その後、
「――馬鹿やろぉおおおおおおおおおおおおおッ! エリザ、お前……何をやっているんだぁああああああああああッ!?」
『王の怒声』が響き渡り、虚空界に途轍もない大魔力が吹き荒れる中――衰弱しきったエリザは、王都のボロアパートへ帰った。
聖騎士としての給金は、ほとんど全て孤児院に送っているため、彼女の生活は清貧を極めている。
(私は……なんなのだろう……)
神隠しに敗れ、極悪貴族に敗れ、主人公に敗れた。
唯一の拠り所である強さは、完全に崩壊した。
今やエリザ・ローレンスという存在がいったいなんなのか、自分で自分のことがわからなくなっていた。
家の鍵を開けたところで、郵便受けに手紙が入っていることに気付く。
「そうか……もうそんな時期か」
月に一度だけ、ダンダリア孤児院と手紙のやり取りを許可されており、こうして月末に届けられるのだ。
エリザたちがまた『よからぬ企み』をせぬよう、手紙の内容は全てヴァラン本人がチェックし、孤児院の所在地が悟られぬよう、彼の配下が運び手を担っている。
ヴァラン・ヴァレンシュタインという男は、この辺りの細かいところが本当に抜け目ない。
「……みんな、元気にしているだろうか……」
彼女は自宅に入ってすぐ、家族からの手紙に目を通す。
『エリザ、迷惑を掛けてすまんな……。元気でやっておるか?』
『エリちゃん、本当にごめんなさい、私が不甲斐ないばっかりに……』
『またエリザお姉ちゃんと一緒に暮らしたいな!』
『エリ姉みたいな、かっこいい女の人になれるよう頑張るね!』
手紙は『一か月に一枚』と制限されているため、みんなそれぞれ一文ずつだけ、寄せ書きのような形で送られてくる。
「……う゛、うぅ……っ」
自然と涙が零れ落ちた。
楽しかった頃の、幸せだった頃の――五年前の記憶が蘇る。
エリザは玄関口で崩れ、嗚咽を零した。
「……頼む。誰か、誰でもいい……私を、私達を……助けてくれ……っ」
悲しき聖騎士の声は、誰の耳にも届かない――。
■
聖暦1015年6月1日21時58分。
黒い外套を纏ったエリザは、ルーデル森林の木陰に身を潜めていた。
当然、ヴァランの護衛としてだ。
ヴァラン・ヴァレンシュタインはこの日、帝国の密使と極秘の会談を持ち、『王国転覆計画』を最終段階へ移行する。
病床に臥したクライン国王は、もはやそう長く持たない。
崩御後まもなく『王選』が始まり、『次代の王』を巡る激しい戦いが勃発する。
ヴァランはその混乱に乗じて、『クーデター』を起こすのだ。
無論、大貴族ヴァランと雖も、たった一人で王国を転覆させることはできない。
そのため彼は、古くより付き合いのある帝国の貴族を頼り、皇帝との『極秘の謁見』を取り付けた。
短く濃密な交渉の末、帝国の力を借り受けることに成功。
皇帝の目論見は、邪魔な王国を支配下に置くこと。
ヴァランは王国を売った見返りとして、公爵の地位と帝都の一等地を賜る。
(『四大貴族』だかなんだか知らぬが、王都の土地を独占しおって……気に喰わぬ)
彼は『辺境伯』という地位が嫌いだった。
何が悲しくてこんなド田舎を治めねばならぬのか、幼少の時分よりずっと納得がいかなかった。
(しかし、このクーデターが成功すれば、儂は栄誉ある帝国の大貴族となる! 帝都のど真ん中に巨大な領地を構えられるのじゃ!)
ヴァラン・ヴァレンシュタインは、『欲望の権化』とも呼べる醜悪な男なのだ。
(ふむ……そろそろか)
彼が懐中時計に視線を落とすと、時刻は二十一時五十九分、約束の時間まで後一分と迫る。
ほどなくして、予定の二十二時を迎えたそのとき――『異変』が起こった。
「ひ、ひぃいいい――」
「ば、ばばば……化物ぉおお――」
「だ、誰か、助け――」
「ぁ、ぐ、がぁああ――」
耳をつんざく壮絶な悲鳴は、不自然に『プツン』と途切れる。
まるでその瞬間に世界から消えてしまったかのようだった。
明らかな異常事態、
「……何事じゃ……?」
緊迫した空気が張り詰める中、この場にそぐわぬ明るい声が響く。
「――おや?」
木々の奥から姿を現したのは――闇を煮詰めたような『漆黒』。
「これはこれはヴァラン卿、こんなところでお会いするなんて、珍しいこともあるものですね」
飛び切り邪悪な笑みを浮かべた『極悪貴族』だった。
【※読者の皆様へ、大切なお知らせ】
「面白いかも!」
「早く続きが読みたい!」
「執筆、頑張れ!」
ほんの少しでもそう思ってくれた方は、本作をランキング上位に押し上げるため、
・下のポイント評価欄を【☆☆☆☆☆】→【★★★★★】にする
・ブックマークに追加
この二つを行い、本作を応援していただけないでしょうか?
ランキングが上がれば、作者の執筆意欲も上がります。
おそらく皆様が思う数千倍、めちゃくちゃに跳ね上がります!
ですので、どうか何卒よろしくお願いいたします。
↓この下に【☆☆☆☆☆】欄があります↓




