第九話:神隠し
深夜遅く、聖騎士協会王都支部にて――。
「ぅ、う゛ぅ……ハッ!?」
フィオナ産の神経毒が自然分解され、エリザ・ローレンスが意識を取り戻した。
バッと跳ね起きた彼女は、枕元に置いてあった太刀を引き抜き、迅速に周囲を警戒する。
「ここ、は……王都支部、か?」
ひとまずの安全を確認したエリザは――すぐさま自分の体を調べる。
着衣の乱れはなく、体に異物感もない。
あの下種共の慰み者にはなっておらず、この身の純潔は奪われていなかった。
「……よかった……っ」
心の底から安堵し、ホッと胸を撫で下ろす。
いくら気丈に振る舞ってていも、彼女はまだ十五歳の少女。
神経毒を盛られ、動けなかったあのときは――暴漢二人に迫られたあのときは、背筋が凍るほどに怖かった。
「しかし、いったい何が……う゛っ」
頭部に鋭い痛みが走る。
毒物の影響か、まだ記憶が混濁しており、何があったのかはっきりと思い出せない。
ただ一つ、確かなことがある。
「……負けた……っ」
一対一の戦いで敗れた。
毒物という卑怯な手を使われたが……負けは負け。
(それに奴は――『神隠し』はまるで本気じゃなかった……っ)
エリザは一流の剣士であり、相手の身のこなしを見れば、凡その力量を掴めるのだが……。
今回ばかりは、何もわからなかった。
それもそのはず、神隠しはエリザを見ていない。
戦いの最中もずっと別のことを考えており、まったく集中していなかったのだ。
片手間に戦われ、片手間に制圧された。
まるで幼子でもあしらうかのように。
「……くそ……っ」
エリザの人生において、これほどの屈辱を受けたことはない。
そして何より――。
「何故、私を助けた……ッ」
もしもあの場に捨て置かれていたら、慈悲を掛けられなければ、きっとその身は穢されていただろう。
ただ、敗れただけじゃない。
敗れたうえ、情けまで掛けられた。
事実そのおかげで、エリザの純潔は守られており――ホッとした、ホッとしてしまった自分がいる。
彼女のプライドはもう……グチャグチャだった。
「覚えていろ、神隠し……っ。この借りは、いつか必ず返す……ッ」
固く強く拳を握り締めたそのとき、医務室の扉がキィと開き、『緑のアホ毛』がひょっこりと現れた。
「――あっ、エリザさん! よかったぁ、目が覚めたんですね!」
少女の名前はリン・ケルビー、聖騎士協会王都支部に勤めるエリザの同期だ。
身長150センチ、緑色のショートへアで、頭頂部に生えた立派なアホ毛が特徴。
ほんわかした空気を醸す可愛らしい美少女で、聖騎士の白い隊服に身を包む。
リンは、エリザの古くからの幼なじみで、レドリック魔法学校の特進クラスに通うクラスメイト――もちろんホロウとも顔を合わせている。
おっとりとした性格のため、しばしば侮られることもあるが……。
彼女は僅か十五歳にして、回復魔法を修めた天才魔法士。
その知力・洞察力・思考力は、原作ロンゾルキアでも、非常に高く設定されている。
「もう、心臓が止まるかと思ったんですよー? 夜番で待機していたら、奥の医務室から急に『バタン』って音がして、恐る恐る様子を確認しに行くと……なんとビックリ、エリザさんが倒れていたんです!」
「私は……医務室にいたのか……?」
「えぇ、とにかく大慌てで診察したところ、強力な神経毒を盛られていて……。幸いにも呼吸器には影響しないモノだったので、ポーションを使って体力と魔力を回復させつつ、安静状態を維持しました。目を覚ましてくれて、本当によかったぁ……」
リンは両手を胸に当て、ホッと安堵の息を吐く。
「そうか……すまない、迷惑を掛けた(……神隠しの仕業だな。やはりあの漆黒の渦は、空間支配系の固有魔法。私をあそこから王都支部まで飛ばしたとなると、かなり高位のモノだ。おそらくは伝説級……いや、起源級もあり得るか?)」
エリザが真剣な顔で考え込んでいると、リンが疑問の声をあげる。
「それで、いったい何があったんです? 警邏任務中のエリザさんが、どうして医務室で倒れていたのか、どこで神経毒を盛られたのか……もうなんか混沌としているんですけれど」
何も知らない彼女からすれば、とんでもない怪奇現象である。
「実は……神隠しと遭遇した」
「えっ、例のあの!?」
「あぁ。『切り裂きジェイ』を餌にして、奴の後を付けていたところ、黒づくめの男と出くわしてな。それが神隠しだった」
「どんな顔をしてました?」
「いや、見えなかった。暗がりの中で、奴はフードを深くかぶっていたのでな。ただ……恐ろしく強い男だ。私の剣を真っ正面から容易く捌き、虎の子の固有も見切られた」
「うそっ……あの超高速の<銀閃>を!?」
「『最速』ではなく、『初速』の<抜刀>だが、完璧に捌かれたよ。こんなことは初めてだ、いったいどうやったのかさえわからん。そして……すれ違いざまに毒物を打たれ――このザマだ」
エリザは肩を竦め、自嘲気味に笑った。
「に、にわかには信じられません……。エリザさんの<銀閃>が、初見で破られるなんて……っ」
ホロウは原作知識を持っているため、<銀閃・抜刀>の予備動作――納刀とバックステップを見て、完璧にタイミングを読んでいたのだが……。
敵に『知識チート』があるなんてことは、当然ながら警戒の外である。
「とりあえず……軽く調書を取らせていただけますか? 神隠しの目撃・接敵は、とても貴重な情報なので」
「あぁ、もちろんだ」
エリザはパイプ椅子に腰掛け、神隠しの身長・体型・空気感など、あの場で見知った全ての情報を話し――机一つ挟んで対面に座ったリンが、それらを素早く書き留めていく。
と言っても、碌な情報はない。
何せ神隠しの顔はフードで隠れて見えず、体型もほとんどローブで隠されていた。
わかったことと言えば、『身長170台前半の男』という、なんともありふれた記号のみ。
しかもこれだって、一般魔法の<変身>や<変声>を使われていたら、正確なモノではなくなってしまう。
「――っとまぁ、私が知り得たのはこんなところだ」
「う、うーん……これだけではちょっと……」
「あぁ、神隠しの逮捕には役立たんな」
せっかく神隠しと接触できたにもかかわらず、収穫はほとんどなし。
エリザが気を落とす中、リンは努めて明るく声を掛ける。
「で、でも! 奴の目的が『因子の収集』と判明したのには、少なからずの意味があると思いますよ!」
「それについては、ほぼ確定事項として捜査が進められていた。あまり意味はない」
「まぁ……そう、ですが……」
「ふっ……ありがとうリン。気を使わせてしまったな」
そうして調書を取り終えたところで、エリザは自身の推論を述べる。
「神隠しの正体は、『大魔教団の幹部』――私はこのように考えるのだが、リンはどう思う?」
「いえ、それは違うかと」
リンはおっとりした性格だが、自分の意見をはっきりと口にするタイプだ。
「理由を聞かせてもらえるか?」
「はい。大魔教団は希少な魔法因子を集めており、おそらく神隠しもそこは同じ。でも彼の犯行には、なんというか……『悪の美学』のようなものを感じます」
「悪の美学?」
「えっと、これはその……決して神隠しを肯定するわけじゃないのですが……」
「あぁ、わかっている。お前の率直な意見を聞かせてくれ」
エリザの真っ直ぐな視線を受け、リンは「……わかりました」と頷く。
「神隠しは、自分の設定した基準に則って、粛々と重罪人を消しています。『一般人に迷惑を掛けず、重罪人のみを攫い、痕跡を残さず立ち去る』、彼の犯行からは、そんな拘りを感じずにはいられません」
「なるほど……」
「それと……ここだけの話ですが、神隠しに感謝している市民は、とても多いと聞きます」
「神隠しに……感謝?」
「ほら、聖騎士協会って、腐っているじゃないですか? あまり大きな声では言えないですけど、大貴族や王政府や犯罪者と繋がっていたりして……きちんとした職務を果たせていません」
「……そう、だな」
エリザは口を堅く結び、グッと奥歯を噛み締めた。
「その点、神隠しは万人に公平です。希少な魔法因子を持つ重罪人を攫うだけ。そこに忖度や贔屓はなく、彼のお眼鏡に適った犯罪者は、有無を言わさずに――消される。たとえ大貴族の息子でも、王政府の重鎮でも、犯罪組織の頭領でも、大きな罪を犯した者は決して逃れられない。これって一般市民からすれば……『平等な正義』、なんですよね。腐敗した聖騎士の代わりに、誰かが裁きを下してくれる。だから、神隠しは感謝されているんです」
もちろんそんなこと、ホロウは何も知らない。
彼はただ趣味と実益を兼ねた『街作り』を楽しんでいるだけであり、世直しのつもりなど微塵もないのだが……結果的に王都全体の治安は、かつてないほどに安定し、市井の人々は救われていた。
「……なんとも耳の痛い話だな。一人の聖騎士として、恥じ入るばかりだ」
彼女は僅かに俯き、その長い銀髪で顔を隠す。
「でも……私達のような下っ端には、どうすることもできません。王都支部はもう完全に腐り切ってます。うちの『上層部』がどこの大貴族と繋がっているのか知りませんが……よほど『強烈な外圧』でも受けなければ、今後も変わることはないでしょう」
「……あぁ、腐り切っているな……本当に……どうしようもないぐらい」
エリザは身を切られるような思いで、リンの話を聞いていた。
何故なら、自分も上層部と同じ――クライン王国の大貴族『ヴァラン辺境伯』に飼われているからだ。
彼の命令には絶対服従、決して逆らうことはできない。
大切な家族を人質に取られているとはいえ……周りから見れば、金で釣られた上層部と同じ。
(……醜いな、私は……)
親友のリンも現場の仲間も市民の信頼も裏切り、どの面を下げて聖騎士として働いているのか、なんの正義のもとに犯罪者を捕まえているのか。
自分だって、それと同じくらい汚いくせに……。
(誰か、教えてくれ……私はどうすればいい? どうすれば、この地獄から抜け出せるんだ……っ)
エリザは正義感の強い女性だ。
強く気高く誇り高い存在。
しかし、それ故に苦しんでいた。
屈折した自己。
歪んだ在り方。
道理なき正義。
あまりに情けなく、あまりに不甲斐なく……何故こんなことになってしまったのか、それを考えない夜はない。
「……ザ……ん……。エリザさん、おーい? エリザさーん?」
「ぁ、す、すまない……っ。少しボーッとしていたようだ」
エリザは滲む涙をサッと拭い、ブンブンと頭を振って、罪の意識を心の奥底へ仕舞い込んだ。
「大丈夫ですか? やっぱりまだ毒の影響が……」
「いや、問題ない。それよりも、続けてくれ」
「そうですか? では、話を戻しますね。――神隠しの犯行と比較して、大魔教団のそれは途轍もなく下品です。一般人の被害を顧みず、好き放題に暴れ回って、痕跡は全て残したまま。両者は『月とスッポン』ぐらい違います。だから私は、神隠しが大魔教団の幹部だとは思えません」
「なるほどな……(奴が、独自の美学を持っていることは確かだ)」
その証拠に、エリザは手を出されなかった。
あれだけの猛攻を仕掛けたにもかかわらず、神隠しは徹頭徹尾『紳士』だった。
(敵に敗れた女聖騎士のその後は……悲惨だ)
散々その身を弄ばれた挙句、奴隷にされたり、娼館に売られたり、見世物にされたり――人としての扱いを受けることは二度とない。
ましてやエリザのような若く美しい聖騎士が、敵の手に落ちたとなれば……どれほどの地獄が待ち受けているのか、想像に難くないだろう。
(だが、奴は違った)
手を出さないどころか、暴漢から彼女を守ったうえ、安全な本部まで飛ばした。
実際のホロウはこのとき、唯一の弱点とも言える『情欲』に呑まれ、エリザの胸元に手を伸ばし――ギリギリのところで理性を取り戻しただけなのだが……。
当時のエリザは意識が朦朧としており、そこまではっきりとは覚えていない。
「「……」」
なんとも言えない沈黙が流れる中、リンが「あっ」と声をあげる。
「実は神隠しの正体が、今話題の『ボイド』だったら……めちゃくちゃ面白い話ですよね!」
「ボイド……。確か、『虚』のトップだったか?」
「はい、大魔教団と敵対する謎の組織『虚』の創始者にして統治者。全て謎に包まれた男ですが、一つ確かなことがあります」
「なんだ?」
「それは――恐ろしく強いこと。これはまだ未確定情報ではありますが……あの獣人ギギンも、ボイドに殺されたという話です」
「なっ、本当か!?」
「はい。どんな手段を用いたのかは不明ですが、綺麗に首を落とされていたようです。他に目立った外傷もないことから、おそらくは一撃で仕留めたものと思われます」
「あのギギンが……たったの一撃で……っ」
戦闘狂の獣人ギギン・ゴランゴンの武勇は、世界中に轟いており、その逸話はエリザの耳にも入っている。
「神隠しの正体が……ボイド……」
彼女は顎に右手を添え、思考の海に浸る。
(虚と大魔教団は折り合いが悪く、世界各地で散発的に衝突している。そう言えば……私が神隠しに「大魔教団の手の者か?」と聞いたとき、奴は即座に否定していたな)
毒もすっかり抜けて、平時のクリアな頭が戻ってきた。
(神隠しは普通の犯罪者とは一線を画す、なんとも掴みどころのない男だった……。奴は悪の美学を持っており、一般人に迷惑を掛けず、重罪人のみを攫い、痕跡を残さず立ち去る。虚もまた、大魔教団を襲うだけで、一般人には決して手を出さない……)
『謎に包まれた神隠し』と『虚の統治者ボイド』には、僅かばかりではあるが、共通項と呼べるものがあった。
(そして何より――私がこれまで相対した者の中でも、神隠しは間違いなく『最強の存在』。あの強さは明らかに異常だ、最低でも『剣聖』クラス、それ以上も十分にあり得る。もしかして、本当に奴が……?)
真剣に考え込むエリザを見て、リンはすぐにパタパタと両手を振る。
「って、冗談ですよ冗談! こんな街中に、虚のトップがいるわけないじゃないですか。何せボイドは『裏社会のお尋ね者』、大魔教団の連中が血眼になって探していて、その首には10億の値が懸けられているとかいないとか? 『無敵のバリア』でもあればともかく、普通の神経をしていたら、王都になんて出て来られません」
「……あぁ、そうだな」
口でそう言ったものの……エリザには、確信めいたモノがあった。
(虚の創始者にして統治者――ボイド)
確たる証拠は何もない。
こんな話を聖騎士の会議にあげようものならば、一笑に付されてしまうだろう。
だが……『神隠し=ボイド』という図式は、自分でも驚くほどにしっくりと嵌った。
(覚えていろよ、神隠し……いや、ボイド! 次に会ったときは、我が<銀閃>の『最速』を以って、一刀のもとに斬り伏せてやる……!)
エリザはグッと拳を握り締め、復讐の炎を燃やすのだった。
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ランキングが上がれば、作者の執筆意欲も上がります。
おそらく皆様が思う数千倍、めちゃくちゃに跳ね上がります!
ですので、どうか何卒よろしくお願いいたします。
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