第二十八話:ホロウ・フォン・ハイゼンベルクの行動規範
ボクが直接この手を下さずとも、最も厄介な主人公とヒロインのコンビが、今夜その命を散らす。
(あぁ……素晴らしい。最高にいい気分だ……っ)
ボクの計画は大幅に短縮――いや、もはや壮大な計画を練る必要さえなくなった。
これでようやく人間らしい、穏やかな日常を過ごせる。
(そうだ、久しぶりにオルヴィンさんと剣を交えよう)
最近は忙し過ぎて、まともに剣術の修業ができていなかったからね。
きっと自由で解放された、とても楽しい時間になるだろう。
ハイゼンベルクの屋敷に帰ったボクは、自室の机に鞄などの手荷物を置き、
(えーっと、修業用の剣は確か……)
クローゼットを開けると同時、シンプルな短刀がカランカランと落ちてきた。
「あっ、そう言えばこれ……アレンに返し忘れていたな」
少し前に『魔力付与の特別授業』で借りた後、うっかり家に持って帰ってしまい、それっきり返すタイミングを逸していた。
「明日にでも返して……って、それは無理か」
アレンは今夜死ぬ、ゾーヴァに殺される。
だから、彼に会うことはもう二度とない。
「……これは一応、『アレンの形見』ってことになるのかな?」
ボクはそんなことを呟きつつ、彼の短刀をクローゼットの奥に仕舞った。
それからすぐに庭園へ移動し、久しぶりにオルヴィンさんと一戦交える。
しかし、
「あっ」
手元から剣が舞い、首筋に切っ先が添えられる。
「私の勝ち、でございますな」
「ふぅ……さすがだな、オルヴィン。あれからまた腕を上げたか?」
「もったいなきお言葉です。――しかし、私の剣はさほど変わっておりません」
「どういう意味だ?」
「坊ちゃまの剣筋に迷いが見られました。学校で何かございましたか?」
「……いや、いつも通りだ」
オルヴィンさんとの剣術修業を早々に切り上げたボクは、自室に戻って夕食を取る。
だけど、
「……マズい」
なんの味もしなかった。
最高級ステーキのはずなのに、まるで柔らかいゴムを食べているみたいだ。
「も、申し訳ございません……っ。ホロウ様の御口に合うよう、すぐに作り直しますので、少々お待ちください!」
メイドのシスティさんが勢いよく頭を下げ、大慌てで料理を回収せんとする。
「待て。システィ、ちょっとこれを食べてみろ」
「と、とんでもございません。私のような使用人が、ホロウ様と同じものを口にするわけには……」
「案ずるな。こっちにはまだ手を付けていない」
ステーキの端の部分に目を向け、未使用のフォークとナイフを差し出す。
「そ、そういう意味ではないのですが……はい、承知しました」
システィさんは上品な手つきで肉を切り分け、「いただきます」と言ってステーキを口へ運ぶ。
「どうだ?」
「……恐れながら、とても美味しい、かと」
「そうか、俺の口が悪いか」
「まさか、そのようなことは決してございません! すぐに新しいモノをご用意いたします!」
「よい。せっかく作ったのだ、いただくとしよう」
食材を無駄にするのはもったいない。
ボクは味のしない肉を淡々と口へ運び続ける。
(そう言えば……あの玉子焼きは本当においしかったな)
もう二度と食べることのない味が、なんだか妙に恋しく思えた。
今日はどうにも気分が優れないようなので、自室に籠って魔法書を読むことにする。
やっぱりこういうときは読書に限るよね。
知の世界に没入すれば、このスッキリしない気持ちも、きっとすぐに晴れることだろう。
っと、思っていたのだが……。
「……」
本の内容が、まるで頭に入ってこない。
こういうのを『文字が滑る』というのだろうか。
読み込んだ情報が脳を素通りし、そのまま彼方へ抜けていく。
手元の本をパタリと閉じ、がっくりと肩を落とした。
「はぁ……ボクはいったいどうしてしまったんだ?」
現在、全ての計画が思い通りに進んでいる。
完璧だ。
最高の展開だ。
それなのに……なんだかスッキリしない。
(なんなんだ、この気持ちは……?)
自分のことが自分でもよくわからない。
「……駄目だな」
自問自答を繰り返しても、碌な答えは出て来ない。
こういうときは、『客観視』が必要だ。
ボクは<虚空渡り>を使い、禁書庫へ飛ぶ。
「――エンティア、ちょっといいか?」
「あら、どうしたの」
彼女はいつもの椅子に腰掛け、本に目を落としたまま、こちらを見ることもなく応じる。
「キミは、ボクという人間の価値観を知っているよね?」
「もちろん、私は知欲の魔女よ? あなたの性格・趣味指向・友人関係、好きな食べ物から好みのタイプに至るまで、ありとあらゆる情報を網羅しているわ」
「……気持ち悪いな」
「も、もぅ、そんなに褒めないでよ……っ」
エンティアは頬を赤く染めながら、パタパタと右手を振った。
いや、別に誉めたわけじゃないんだけど……。
知欲の魔女様は変わり者だ。
「それで、私になんの用かしら?」
「んー……なんというか、自分のことがちょっとよくわからなくてさ」
「あー……そっか、そういうお年頃だもんね」
ハッと何かに気付いた彼女は、生温かい目をこちらへ向けた。
「違う。思春期特有の痛々しいアレじゃない。そうじゃなくて、もっとこう哲学的なものなんだ」
「ふーん」
エンティアは興味なさそうに生返事をする。
「とにかく、自分のことがよくわからなくて困っている。こういうときは客観視が必要だ。今からエンティアにいくつか質問をするから、ボクに成り切って答えてくれないか?」
「えー……やだ、面倒くさい」
「……そうか、残念だ。せっかくお礼に日本の知識を教えようと思っ――」
「――何をしているの? 早く質問をちょうだい、今、すぐに!」
エンティアは迫真の表情で、バンバンバンと机を叩いた。
ほんとこの魔女様は、チョロくて助かる。
ボクはエンティアの対面にある椅子に腰掛け、コホンと咳払いをした。
「それじゃ最初の質問だ。ボクは今、自ら手を下すことなく、主人公を消すことができる。しかしそれをすると、この先の人生に『張り』が――『遣り甲斐』や『生き甲斐』のようなものがなくなってしまう。そんな思いはあるだろうか?」
「NO。あなたは遣り甲斐や生き甲斐なんて、曖昧なものに価値を見い出さない。いつ如何なるときも、自分の命を最優先に行動する。これは絶対にして不変の価値観よ」
「……だな」
二つ目の質問へ移ろう。
「今後あらゆるモノから逃げ、あらゆる死の可能性に怯え、あらゆる強敵から隠れ続けた場合――ボクは自分のことが嫌になってしまうのではないだろうか? 何かそう、自尊心のようなものが、壊れてしまうんじゃないだろうか?」
「NO。原作ホロウならばともかく、あなたはそんなにプライドの高い人間じゃない。みっともなく逃げ・怯え・隠れ続けた先に『命』があるのなら、きっとそれをよしとするでしょう」
なんだか凄く小物だと言われたような気がするけど……まぁ間違ってはいない。
「では、こういうのはどうだ。ボクは自分が生き延びたいという手前勝手な理由から、『主人公の強化イベント』を潰して回った。その結果として今、アレンとニアは死の淵に立たされている。その償いとして、罪滅ぼしとして、友達を助けるというのは――ボクの行動規範に適うだろうか?」
「NO。あなたがリスクを取るのは、それに見合うリターンがあるときだけ。その行動規範は単純にして明快、『自らの命に危機が迫るかどうか』、全てこの一点に集約される。自分の行いの結果によって友達が亡くなれば、きっと悲しみもするでしょう、きっと申し訳なくも思うでしょう。だけど、『償い』のためにリスクを取るような真似は絶対にしない」
「……その通りだ」
ボクが放った三つのクエスチョンに対し、エンティアは完璧なアンサーを返した。
「はぁ……やっぱり駄目だな。何をどう考えても、どんな理屈をこねても、答えは『No』だ。ボクが動く意味はない。アレンとニアを助けることになんのメリットも見い出せない。今このときこの時点この瞬間における最善手は――何もしないこと、だ」
所詮、ボクという人間は保身第一。
でも、仕方がないだろう?
『歩く死亡フラグ』に転生してしまったんだ、これぐらいの危機意識は持たないと。
「悪い、邪魔をしたね」
席を立ち、自室へ飛ぼうとしたそのとき、エンティアの口から大きなため息が零れる。
「はぁ……呆れた。あなたそんなに頭がいいのに、自分のことはまるでわかっていないのね」
「どういう意味?」
「まったく、仕方がないわね。遥か悠久の時を生きる知欲の魔女様が、悩める若人を導いてあげましょう」
エンティアはそう言って、ボクの瞳を真っ直ぐ見つめる。
「<原初の炎>と<原初の氷>、強大な二つの因子を取り込んだ『大翁』ゾーヴァは、魔法士としての完成形――一種の極致へ到達する。その圧倒的な力は、いつかどこかであなたの命を脅かすかもしれない。自分の生命に指が掛かる潜在的な仮想敵、将来の不確定要素を可及的速やかに葬り去る。その過程として、ほんの僅かな副産物として、偶然にも友達を助けてしまうことは……ホロウ・フォン・ハイゼンベルクの行動規範に適うかしら?」
「――――Yesだ」
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