第二十一話:ご都合主義
序列戦が始まると同時に、アレンは猛然と駆け出した。
彼の左手には、刃引きした序列戦用の短剣が逆手で握られている。
(ホロウくんの固有は<屈折>、生物・非生物を問わず、触れたモノを捻じ曲げる強力な魔法だ。でもこれには精密な魔力操作が必要で、近距離の高速戦闘をとても苦手としている。――大丈夫、<屈折>のことはしっかり調べた。魔法の起点となる彼の手にさえ気を付ければ、きっと対応でき……る゛ッ!?)
次の瞬間、ガツンという鈍い音が響いた。
「~~ッ」
涙目で顔を顰めるアレン、その額から鮮血がツーっと垂れ落ちた。
「これは……<障壁>!?」
眼前に聳え立つのは、目を凝らせばギリギリ視認可能な半透明の巨大な壁。
彼はこれに思い切り頭をぶつけたのだ。
「なんだその間抜けな顔は? まさかとは思うが、固有を使ってもらえるとでも思ったのか?」
「そ、それはその……っ」
あの反応、図星だな。
<屈折>を強く警戒するあまり、それ以外への注意が疎かになっている。目の前に展開された<障壁>にさえ気付かないほどに。
「『獅子は兎を狩るにも全力を尽くす』と言うが、蟻を踏み潰すのに余計な労は取らん。お前如き、<障壁>一つで十分だ」
<障壁>のみで戦えば、主人公は碌に経験値を得られず、彼のレベリングは進まない。
<障壁>のみで勝てれば、それは文字通り圧勝であり、極悪貴族の格は保たれる。
(多少リスクはあるけど……きっと大丈夫だ)
ボクはこういうイレギュラーに対応できるよう、謙虚堅実に努力を重ねてきたのだから。
一方のアレンは、
「<屈折>は使わず<障壁>だけ……。そっか、それじゃ――キミに本気を出してもらえるよう、精一杯頑張るよ!」
両脚に魔力を集中させ、超高速移動を始める。
しかも今回は、真っ直ぐ最短距離を駆けるのではなく、大きなジグザグ走法で左右に動きを振ってきた。
(……もう<障壁>に適応したか)
単調な動きでは<障壁>の餌食となる。
今の一幕でそれを学習し、すぐに変化を加えてきた。
やはり原作の設定通り、主人公は戦闘の天才だ。
「お、おいおい、速過ぎんだろ……!?」
「天性の敏捷性に魔力の強化が加わって、とんでもないことになってるね……」
「なるほど……。あいつが予科生の癖に特進へ振り分けられたのは、この超人的な膂力を買われてのことか」
聴衆がにわかに騒がしくなる中、
「はっ、芸のない奴だ」
ボクは両手をポケットに収めたまま、超高速で<障壁>を展開した。
「なっ!?」
大小様々な壁が林立し、アレンの行く手を阻む。
「くっ、それなら……!」
彼はすぐさま進路を変えたが……そちらへも大量の<障壁>を展開してやる。
「な、なんつー構築速度だ!?」
「アレンの高速移動を上回る、超高速の魔法展開。いくら<障壁>が一般下位魔法とはいえ、この構築速度はちょっと異常だね……っ」
「は、はは……あの野郎、どんな魔法技能してやがんだ……ッ」
オーディエンスから、渇いた笑いが漏れ出した。
(さて、これでアレンの進行は封じた。次はどう出る……?)
(考えろ、頭を回せ。ホロウくんの守りを突破する手段を見つけるんだ……!)
何か作戦でも立てているのか、アレンの移動速度が少し落ちた。
ボクはその極々僅かな隙を見逃さず、大量の<障壁>を差し向ける。
「なっ!?」
アレンはすぐさまスピードをフルスロットルにし、大きく前方へ跳び跳ねた。
その直後――暴力的な<障壁>の波が押し寄せ、演習場の外壁を食い破る。
(んー、惜しい。後もうちょっとだったのになぁ……)
(あ、危なかった……っ。<障壁>にこんな使い方があるなんて……やっぱりホロウくんは凄いや!)
その後、ボクとアレンの戦いは、一方的な展開となった。
「くくっ、最初の勢いはどうした? 逃げてばかりでは勝てんぞ?」
ひたすら<障壁>を展開し続け、盤面を圧迫するボクと、
「くっ(とにかく、足を止めちゃ駄目だ。一瞬でも動きを止めたら、<障壁>に呑まれて終わりだ)」
必死に足を動かして、なんとか耐え凌ぐアレン。
(ふふっ、いいぞいいぞ、この調子だ)
このまま行けば、勝利条件を満たしたまま、序列戦を締めることができる。
(しかし、ここで勝負を焦ってはいけない)
今ボクが注意を払うべきは、自分の中にある油断と慢心。
落ち着いて正着の一手を打ち続ければ、自然と勝ちは転がり込んでくる。
何も逸る必要などない、勝っているときは、有効な戦術を擦り続ければいいのだ。
(序列戦が始まってから、ホロウくんはまだ一歩も動いていない。対するボクは、魔力で体をフル強化して、なんとかやっと逃げ延びている状況。このままじゃジリ貧だ……っ)
アレンの顔に焦りの色が見えるな。
(『速度』は潰した。となれば次は――『力』だろう)
その直後、ボクの予想した通り、
「これなら……どうだッ!」
アレンは右の拳に大量の魔力を込め、目の前の<障壁>に渾身のストレートを叩き込む。
主人公の体には、『英雄の因子』と『魔王の因子』が同居している。
なるほど普通の<障壁>ならば、その強拳で叩き割れたことだろう。
(でも残念、ボクの<障壁>は特別なんだ)
アレンの拳が半透明の壁を殴り付けた瞬間、凄まじい衝撃波が演習場に吹き荒れる。
その結果、
「ぁ、ぐ……(か、固い……っ。この壁、ただの<障壁>じゃないぞ。一枚一枚にとんでもない量の魔力が練り込まれている……ッ)」
彼の顔が苦悶に歪み、右の拳に痛々しい朱が滲む。
ボクは過酷なシナリオを生き抜くため、『防御』と『回復』に多くのリソースを割いてきた。
謂わば、『超生存特化の構築』。
この<障壁>は、大砲の直撃を受けても傷一つつかない。
「はぁ、はぁ……っ」
アレンは肩で息をしながら、自分の拳の状態を確認する。
(……大丈夫。めちゃくちゃ痛いけど、骨まではイッてない)
さて、そろそろ頃合いかな。
そう判断したボクは、気怠げにため息をつき、アレンの目を見据える。
「彼我の実力差は明白、これ以上は時間の無駄だな」
「ど、どういうこと……?」
「わからんか? ここが潮時だと言っているのだ。お前の実力では、どう足掻いても俺には勝てん。さっさと負けを認めろ」
主人公を下手に追い詰めるのは……悪手だ。
アレンは世界の寵愛を一身に受けた存在、その身に危機が迫れば、どんなご都合主義的な展開が起こるかわからない。
(戦いが佳境を迎える前に――圧倒的な実力差を見せ付けた今ここで、向こうに降りてもらうのがベスト!)
頼むから、もうこの辺りで引いてくれ……っ。
一方、降伏勧告を突き付けられた主人公は――何故か嬉しそうに微笑んだ。
「――ホロウくんは、やっぱり優しいね」
「……は?」
「ありがとう、ボクの体を気遣ってくれて。でも、大丈夫。まだまだやれるよ!」
違う違う、そうじゃない。
お前はいったい何を言っているんだ?
ボクはただ、キミと戦いたくないだけ。
キミの体のことなんか、一ミリも案じていない。
なんなら今この場で、爆発四散してくれたって構わない。
変な受け取り方をするのはやめてくれ。
主人公の『アルティメット好意的解釈』に、ボクが割と真剣に頭を抱えていると、
(やっぱりホロウくんは凄いや……。強くて優しくて、ボクが理想とする魔法士そのもの。……なんだか不思議な気分だな。痛いのに、辛いのに、苦しいのに……キミと戦うのが、どうしようもなく楽しい! 全力をぶつけても、まるで届かないのが――悔しいはずなのに、何故かとても嬉しいっ!)
アレンは地面を蹴り、再び距離を詰めんとした。
「ふん、何度やっても同じ……なに!?」
ボクの展開した三十枚の<障壁>が、一瞬にして突破される。
アレンのスピードが、先ほどよりも上がっているのだ。
(これはまさか……『因子共鳴』!?)
主人公が精神的に昂ったときや瀕死の危機に陥ったとき、英雄の因子と魔王の因子が共鳴し、一時的に爆発的な膂力を得る――という、アレンにのみ許された『インチキ能力』だ。
(因子共鳴の発生率は僅か3%、それをこんなところで引いてくるか……ッ)
「チィッ……」
ボクはたまらずポケットから右手を抜き、バッと前に突き出す。
(座標の演算を右腕で補助すれば、<障壁>の構築速度はまだ上げられる!)
一呼吸のうちに100の壁を展開し、アレンの進路を防がんとした。
しかし、
「まだまだっ!」
アレンの速度はさらに上昇し、<障壁>の森を掻い潜ってきた。
(くそ、これだから『主人公』は……『ご都合主義の化身』め……っ)
因子共鳴の発動中、彼のステータスは、時間の経過に伴って強化されていく。
(これ以上、戦いを引き伸ばすのはマズい……ッ)
この展開、自分が主人公だったならば、さぞや『脳汁ブシャーッ』だろう。
ただ、悪役貴族に転生したボクにとっては、ただただ不愉快でしかない。
その後もアレンの速度はどんどん上がっていき、ついに<障壁>の構築速度を上回った。
(……ボクの守りが、突破されるか……っ)
互いの距離は3メートル。
既にアレンの射程圏内だ。
「ここまで来れば、<障壁>はもう怖くないっ!」
「はっ、それは使い方によるだろう?」
ボクは<障壁>をピラミッド状に展開し、自分を中心とした『全方位の立体防御』を敷く。
おまけに硬度は、これまでの三倍。
アレンの膂力が大幅に高まったとはいえ、ここまで強化した<障壁>は、絶対に拳じゃ砕けない。
そうして完璧な守りを目にした主人公は――笑った。
「――<零相殺>ッ!」
甲高い音が鳴り響き、<障壁>の立体防御が掻き消される。
固有魔法<零相殺>。
前方の魔法Aを瞬時に模倣、全く逆位相の魔法A’を放ち、対消滅させる。
あらゆる魔法を無力化する起源級の固有魔法<極反撃>――の『劣化ver』。
(やはり隠し持っていたか……)
奥の手を使って<障壁>の立体防御を突破したアレンは、ここが勝機と大きく踏み込み、逆手に持った左の短刀を振りかぶる。
「これでボクの――」
「――あぁ、お前の負けだ」
アレンの振り下ろした短刀は空を切り、
「そんな、消え――」
「――どこを見ている?」
「しまっ!?」
圧倒的な膂力を活かし、主人公の背後を取ったボクは、がら空きの脇腹に強烈な蹴りを叩き込む。
「が、はッ……!?」
体を『く』の字に曲げたアレンは、肺に溜まった空気を絞り出しながら地面と水平に吹き飛び――演習場の外壁に全身を打ち付けた。
「ぁ、ぅ……っ」
完全に気を失っているのか、もはやピクリとも動かない。
「――そこまでっ! 勝者ホロウ・フォン・ハイゼンベルク!」
審判を務める教師が、大声で勝敗を宣言する。
こうして特進クラスにおける初めての序列戦は――悪役貴族と主人公の戦いは、ボクの圧勝に終わるのだった。
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