第三十九話:黄金の時計塔
ボクが馬カスの懐具合を案じていると、
(……ん?)
矢のような視線が、背中に突き刺さった。
半身になって上を見れば……特別観覧席に座る皇帝ルインとバッチリ目が合った。
(貴様が何故闘技場に出たのか、正直よくわからんが……これは『千載一遇の好機』だ!)
(キミの考えていることは、手に取るようにわかるよ。どうせ『千載一遇の好機』とか思っているんだろう?)
(ここで正義の魔女が、悪のボイドを倒せば……。奴の帝国侵略は完璧に頓挫し、理想的な形で三国会議へ臨める。ははっ、最高の展開だな!)
(ここで正義のボイドが、悪の魔女を倒せば……。ボクの帝国侵略は完璧に成就し、理想的な形で第六章へ臨める。くくっ、最高の展開だね!)
ボクと皇帝が仲良く微笑み合っていると、鈴を転がしたような美しい声が響いた。
「ねぇ……どこかで会った?」
闘技場の王者イリスが、コテンと小首を傾げる。
イリス・エルフェリア、外見年齢は15歳。
身長168センチ、プラチナブロンドのロングヘア、長く尖った耳が特徴的なエルフだ。
彼女と顔を合わせるのは、これで二度目なんだけど……。
「人違いじゃないか?」
ボクは素知らぬふりをした。
「ほんとに初めて?」
「完全に初対面だ」
「む、ぅ……?」
イリスは納得のいっていない顔で、ジィーっとこちらを見つめた。
さすがはエルフ族、めちゃくちゃ勘が鋭いね。
(イリスと初めて会ったのは、帝国魔法学院の代表――ワイ、ワイ……『ワイくん』と戦った後だ)
でもあのときのボクは、『極悪貴族ホロウ』だった。
『虚の統治者ボイド』として会うのはこれが初めてだから、別に嘘は言っていない。
(とにかく、『ホロウバレ』しないように気を付けないとな)
エルフの第六感に対し、警戒を強めていると、
「これより、王者イリスVS挑戦者ボイドの戦いを行います!」
実況解説の大きな声が響いた。
ちょうどいいタイミングだね。
ボクとイリスは会話を打ち切り、五メートルの距離を開けて立つ。
「両者、準備はよろしいですね? それでは――はじめッ!」
開始の号令と同時、イリスは細剣を抜き放ち、右半身の構えを取った。
一方のボクは素手のまま、適度に脱力した自然体を維持する。
(イリスには悪いけど、サクッと終わらせてしまおう)
この戦いはあくまで前菜、主菜は第五章の大ボスだからね。
(色欲の魔女は、異常に強い)
それもそのはず、リゼとの戦いは『負けイベント』に設定されている。
無尽蔵の魔力+強力な雷魔法+理不尽な固有、第五章に登場していい敵じゃない。
彼女を倒すには、『異常な量のレベリング』が必要だ。
(今のボクなら十分に勝てる……はず)
とりあえず、色欲の魔女を見据えて、イリスとの戦いでは魔力を節約しよう。
虚空はもちろん、一般魔法も禁止。
肉体のゴリ押しで、膂力だけで勝つ。
ボクとイリスの間には、大きな実力差があるから、きっと大丈夫だろう。
(でも、『油断』と『慢心』だけは――絶対に駄目だ)
原作ホロウは、『歩く死亡フラグ』。
なんでもない相手に敗れ、なんでもない場所で刺され、なんでもない理由で殺される。
(自分の方が強いからと言って、雑な戦いをするのは『怠惰傲慢な行い』だ)
どんな相手にも細心の注意を払い、万に一つが起こらぬよう、慎重に丁寧に確実に勝利をもぎ取る。
(これこそが、『謙虚堅実な行い』だね!)
緩み掛けた気持ちを締め直し、目下の敵を――イリスを見つめると、
(……隙が、ない……っ。なんの構えも取らず、ただ立っているだけなのに……ッ)
彼女は細剣を構えたまま、石のように固まっていた。
「どうした、来ないのか?」
ボクの問いに対し、
「……っ(おかしい、間合いが広過ぎる。向こうは素手なのに。これ以上、近寄れない。一歩でも踏み込めば、確実に殺される……ッ)」
イリスは無言を貫いた。
そんな折、
「なぁこれ、何が起きてんだ?」
「二人とも、まったく動かねぇぞ」
「お願いしますボイド様、今回だけは負けてくださぃ……っ」
観客たちが、ざわつき始めた。
この膠着状態を不審に思ったのだろう。
「ふむ、これではオーディエンスが冷めてしまうな」
やっと辿り着いた最終盤面。
原作ファンとしても、ここは大いに盛り上がってほしいところだ。
「来ないのであれば、こちらから行くぞ?」
ボクがそう言いながら、ゆっくり前に踏み出すと、
「……っ」
額に大粒の汗を浮かべたイリスは、ジリジリと後ろへ退がる。
「おいおい、逃げてんじゃねぇよ!」
「しっかりしてくれ! あんたに30万も賭けてんだぞ!?」
「ボイド様ぁ、後生ですからぁ、なんでもしますからぁ……っ。この一戦だけは負けてくださぃ……ッ」
観客席から野次が飛ぶ。
イリスの消極的な姿勢を咎めるているのだ。
「挑戦者ボイドが悠々と距離を詰める一方、王者イリスはひたすら後ろへバックバックバックゥ! これはいったい、何が起こっているのでしょうかァ!?」
実況解説の声に紛れて、
「……ぁ……っ」
イリスの口から、戸惑いの息が零れた。
背後に聳え立つのは石の壁、闘技場の端まで退がり切ったのだ。
「くくっ、もう逃げ場はないぞ?」
ボクが邪悪に微笑むと、
「――ハァアアアアアアアアッ!」
窮地に追いやられた鼠は、自分を奮い立たせるように叫び、凄まじい速度で駆け出す。
「――<土精の泥沼>!」
足元の土がぬかるみ、
「――<火精の粉塵>!」
火の粉が視界を埋め、
「――<木精の樹槍>」
木の槍が両サイドから迫り、
「――<風精の斬撃>!」
風の刃が背後から放たれた。
さらに、
「――<水精の加護>!」
イリスは自身の得物を強化し、水の羽衣を纏った細剣を振りかぶる。
(精霊の力を借りた『エルフの秘術』、か。ふふっ、綺麗だな)
刹那、
「ハァッ!」
魔法と剣の総攻撃が、ボクの体を正確に捉えた。
(はぁはぁ……手応え、アリッ!)
激しい土煙が立ち込める中、
「――見栄えはよいが、宴会芸の域を出んな」
無傷のボクは、右手を軽く振るい、邪魔な埃を振り払った。
「そん、な……どうして……!?」
驚愕に震えるイリスへ、答えを教えてあげる。
「俺は五大属性全てに高い耐性を持っている。あの程度の魔法、敢えて防ぐまでもない」
「か、仮にそうだとしても、私の剣は確実に腹部を捉えたはず……っ」
「死亡フラ――ゴホン、『とある事情』があって、腹筋は特に鍛えていてな。英雄級以下の攻撃は、全て無効化できるんだ」
ボクとイリスの間には、山よりも高く海よりも深い、『基礎スペックの差』があった。
エルフの秘術も堪能できたし、そろそろこの辺りで〆だね。
「では、終幕と行こうか」
軽く地面を蹴り、
「消え……!?」
イリスの背後を取る。
「――エルフの森でまた会おう」
耳元で小さく囁き、右手をゆっくり振る。
「く……ッ」
イリスは瞬時に振り返り、自身と手刀の間に細剣を滑り込ませた。
(おっ、いい反応だ)
次の瞬間、
(う、そ……っ)
刀身は折れ、肩は粉砕し、嫋やかな体が地面と水平に飛ぶ。
「か、は……ッ」
闘技場の壁に背中を打ち付け、肺の空気を吐き出した彼女は――重力に引かれてズルズルと落ち、そのままピクリとも動かなくなる。
(……えっ、死んだ……?)
嫌な汗がじんわりと背中を伝う。
いやいや、今のはかなり手心を加えたから、ちゃんと生きている……よね?
(念のため、治しておいた方がいいな)
こんなところで死なれたら、メインルートの進行に支障が出てしまう。
イリスにはまだ、『大切な役割』が残っているからね。
(これでよしっと)
遠隔で回復魔法を使い、最低限の治療を済ませたところで、
「勝負あり! 此度のメインカードを制し、闘技場の新王者となったのは――『虚の統治者』ボイドだァアアアアアアア!」
実況解説が高らかに宣言し、
「くそ、やられた……っ」
「まさかあのイリスが、一撃で倒されるなんて……っ」
「なんだよボイドって、さすがに強過ぎんだろ……ッ」
観客のほとんどは、ガックリと肩を落とした。
おそらくみんな、イリスに賭けていたんだろう。
(ふふっ、これはかなり儲かったんじゃないかな?)
今後はたくさんのお金がいるから、稼げるときに稼いでおかないとね!
第六章以降の『とある計画』に想いを馳せていると、臣下二人と目が合った。
「……さすがね。イリスの攻撃も凄かったけど、ボイドはレベルが違い過ぎる」
「虚空はおろか魔力強化もなし、素の膂力だけでこれか……。本当に底の知れん男だ」
ニアとエリザが神妙な面持ちを浮かべる横で、
「終わっ……た……。私の全財産が、頑張って貯めた300万ごるどがぁ……っ」
絶望顔の馬カスが、大粒の涙をポロポロと零した。
(あの落ち込みよう、かなり溶かしたな……)
相も変わらずの『負けっぷり』に呆れていると、どこからともなく美しい鐘の音が鳴った。
(おっ、始まったね、『イベントシーン』だ!)
天空に浮かぶのは、『黄金の時計塔』。
両端に聳え立つ鐘楼が、聖なる福音を告げる中、不思議な声が響いた。
「今日は素晴らしい日ね。空は青く、花はほころび、小鳥の囀りが心地いい」
<交信>による念波ではない、確かな肉声として鼓膜を打っている。
「こんな最高の日には――『魔女の試練』がふさわしい」
イベントテキストが響くと同時、凄まじい迅雷が降り注ぐ。
眩い稲光が消えるとそこには、
「私は色欲の魔女リゼ。突然だけど、殺し合いましょう?」
不敵な笑みを浮かべる、『絶世の美女』が立っていた。
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