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紅茶、飲みませんか  作者: 大平麻由理
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8.このまま眠っていて その2

「じゃあ、あたしはどうすればよかったの? 間宮さんから連絡くるまでひたすら待てばよかったの? ねえ、どうなの、何とか言ってよ」

「いや、そうじゃなくて。子供の熱だって今夜にはもうよくなるだろうし。金曜日には本社の方に出向くから、その時に……」


 男性の慌てている様子が手に取るようにわかる。


「夜にちょっとだけ会うってことでしょ? そんなの、もういや。いつだってあたしは待つばかり。今までずっと間宮さんの言いなりになっていたけど、もう我慢できないの。子供が小学生になったら離婚するって言ってたよね。あと二か月で入学式。まさか約束を忘れたとでも?」

「あははは、忘れるわけないだろ?」


 乾いた笑い声だ。それを見抜けないほど女性も馬鹿じゃない。どうしてこの人は果たせもしない約束をちらつかせるのだろう。

 男性の必死の言い訳が続く。


「でもな、そういうのはタイミングが大事なんだ。君のことをうちのやつに気づかれないように離婚に持って行くのはなかなか難しい。子供の体調も考えてやらないとだめだし」

「やっぱりそうなんだ。間宮さん、ウソついてる。本当は離婚なんてこれっぽっちもする気ないんだ」

「だからそんなことはないって」

「じゃあさ、今から間宮さんのおうちに行こうよ。そして奥さんに直接話をしよ。どうかご主人と離婚して下さいって、あたしが言うから、ね?」


 内容がヒートアップしてくる。


「お、おい、待ってくれ。それだけはだめだ。と言うより、うちのやつは、今日はいないよ」

「なんで? だって子供が熱を出してるんでしょ? なら奥さんが看病してるはず」

「いや、だから、うちのやつはパートに出てるし、子供は隣のばあちゃんに預かってもらってて」

「じゃあ、待つ。奥さんが帰って来るまで、間宮さんのおうちで待つ」


 二人の激しい言い争いに、美桃は紅茶を載せたトレーを持ったまま、なかなか動けずにいた。

 店内が静かになった隙を見て、今がチャンスだとばかりに急いで二人の席に向かった。


「お客様、大変お待たせいたしました。こちらにあります具材を紅茶に……」

「沢井、結局おまえは、何がしたいんだ」


 美桃の説明など彼らには不要なのだろう。辟易した男性が彼女に回答を求める。

 大変なことになった。どんな顔をして客と接すればいいのかわからない。テーブルに一式を並べ終えると、説明もそこそこに会釈をして、一目散にカウンターに逃げ戻った。

 本当にこういうのは美桃のもっとも苦手とする場面だ。

 この二人はおそらく道ならぬ恋の真っ最中なのだろう。

 四十代前半の男性は既婚者で、小学校入学前の子どもがいるようだ。

 女性は二十代半ば。まだ未婚で恋愛経験も豊富そうには見えない。

 少し鼻にかかった甘えた話し方をするその女性は、清楚で純粋そうな外見とは真逆の、意志の強そうな目をしていた。


 美桃はこれまで、このような現場に居合わせたことはない。

 ましてや、自分自身が経験したことも皆無である。

 いつしか心臓がバクバクし始めて、のどがカラカラに乾いてきた。

 できることなら彼らの話など聞きたくない。

 けれどここを出て客だけにしておくわけにもいかず、結局はすべてを知ってしまうのだろう。

 これも店主の定めだと思って黙って受け入れるしかない。


「だから、間宮さんの家に行くってさっきから言ってるじゃない。奥さんにあたしたちのこと全部話して、離婚を決断してもらうの」

「何度も言ってるけど、それはまずいって」

「だって、奥さんとは家庭内別居中なんでしょ? お互い何も話すこともないって言ってたし。そんな冷めた関係で夫婦を続けてるなんて意味わかんない。奥さんも愛されてもいないのに間宮さんと一緒に暮らしているなんて気の毒だし。そして愛し合ってるあたしたちが一緒になれないなんて、間違ってると思うの」


 次第に女性の声が熱を帯びてくる。もう後には引けないのだろう。


「そ、そうだよ。おまえの言う通りだ。けどな、やっぱり何事にもタイミングってものがあるんだ。何も子どもの体調が悪い時にこんなことを持ち出さなくても。息子には何も罪はないんだ。小さな体で苦しそうにしている息子がかわいそうだと思わないか?」

「かわいそう? じゃあ、あたしはどうなの? かわいそうじゃないの? いつだって一人ぼっち。そんなの不公平だよ」 

「おまえと息子のどっちがかわいそうとか、そんなんじゃないんだ。おまえはもう大人だろ? 息子はまだ六歳になったばかりの子どもなんだ。だから、それを比べる方がおかしいって言ってるんだ。おまえのことは大事だし、ずっと一緒にいたいと思っている。これは嘘じゃない」

「じゃあ、今すぐ奥さんにあたしのことを話してよ」

「だからそれは……」

「あのね、あたしだって小学生の頃に親が離婚して母と二人で暮らしてきたの。でもね、父親が恋しかったのもほんの数か月のこと。それよりも、親のけんかを見なくて済んだほうがどれだけ幸せだったか。離婚してくれてよかったって思ったくらいだよ。間宮さんの息子だって、仲の悪い両親を見てるより離婚して母親と楽しく暮らしたほうが幸せだってば。ね?」

「でも、息子が……。わ、わかったよ。ちゃんとうちのやつに話すから。じゃあ、あと一年、あ、いや、半年でいいから待ってくれないか? 学校生活に慣れる頃に……」

「そんなの絶対にいや。じゃあ、今すぐが無理なら、一週間だけ待つ。もうこれ以上は何があっても無理。三年間も待ったんだよ。人目を気にしてこそこそと夜の街を歩くのなんてもういやなの。堂々と手をつないで歩きたい。友達にも親にも彼氏だよって、間宮さんを紹介したい。だから四月からは一緒に暮らして欲しい。あたし、間宮さんの奥さんになりたいの。お願い……」


 切羽詰まった女性の涙声が、美桃の耳に否応なく飛び込んできた。



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