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紅茶、飲みませんか  作者: 大平麻由理
7/40

7.このまま眠っていて その1

 カップやポットを洗い終わり、客足が遠のいたと判断した美桃は、カウンターの中側に置いてある折り畳み式の簡易な椅子に腰かけた。

 少し遅くなってしまったが、昼食を取ろうと思ったのだ。早起きして作った、サンドイッチ弁当。昨日焼いた丸い食パンにレタスときゅうり、薄切りハムをはさんだだけのシンプルな昼食。

 一口、また一口とパンをほおばる。ほんのり甘味があるパンにハムの塩味がピリリと引き立つ。たった一人の昼食だけど、自分の大好きな空間で食べるサンドイッチは格別な味がした。

 ミルクをたっぷり入れた紅茶を飲み終わり、ひと時の休息タイムが終わりを告げる。この間、二十分ほど。しかし、客は誰一人来なかった。

 今日の客は二名だ。さよさんとサトさん。この村の人とそうでない人に出会い、彼女たちの話を聞くことが出来た。

 みんな一生懸命生きている。そんな彼女たちに励まされたのは、美桃の方だった。


 テーブルの上をていねいに拭き、椅子をまっすぐにセッティングする。

 板張りの床は、まだモップをかけるほどではない。

 ドアの向こう側の外階段が気になる。雪は融けているけれど、泥がついて汚れていないだろうか。

 美桃はほうきを手にして、ドアのところに向かった。

 すると。


「うわっ!」


 ダウンジャケットを着た四十代くらいの男性が、ドアを開けた拍子に大きな声を上げる。


「わっ!」


 美桃もほうきを持ったまま、同じように驚きの声を上げた。けれどすぐに気を取り直し、


「い、いらっしゃいませ。どうぞ、中へお入りください」


 と言って、再びドアを開け、階段のところに立っている男性を招き入れた。


「ああ、びっくりした。店、やってるんだ。閉まってるのかと思った」


 その人は美桃と目を合わせることなく、店内に視線をさまよわせる。


「お客様、驚かせてしまい、大変失礼いたしました」


 美桃は深々と頭を下げた。せっかく来てくれた客に不快な気分にさせてしまったことを心から詫びる。


「いや、こっちこそ変な声をだしてしまって申し訳ない。ふーん、誰もいないんだ」


 店内を確認した男性が小刻みに頷きながら、自分に言い聞かせるようにつぶやいた。


「はい、どなたもいらっしゃいません」

「誰か来るかな?」

「それは私にもわかりませんが。とにかく今は、お客様だけです」

「そう。なら……。おい、入れよ、誰もいないぞ」


 その人は外にいる誰かを呼び、中に引き入れた。若い女性だった。

 伏し目がちなその女性は、男性の後ろに隠れるように立ち、静かに店内に足を踏み入れた。



「いらっしゃいませ」


 美桃は奥の方にある壁際のテーブルに、水の入ったグラスを二つ置いた。


「えっと、俺はコーヒー。沢井は?」

「紅茶」


 二人が注文を唱える。おっと困った。コーヒーは、ない。


「あの、申し訳ございません。コーヒーはご用意できませんが、紅茶でよろしいでしょうか」


 すると若い女性が壁のポスターに目をやり、ホントだ紅茶だけみたい、と言った。


「えっ? ったく、どんな喫茶店なんだよ、ここは。しょうがねーな。んじゃあ、俺も紅茶で」


 男性はしぶしぶながらもコーヒーをあきらめてくれたようだ。

 こうなることは、最初から想定はしていた。サイフォンも用意して、コーヒーをメニューに加えることも考えたのだが、店内に二つの種の違う香りが混ざるのは美桃の思い描く店ではなかったのだ。

 他のメニューもさることながら、コーヒーがないのは致命傷になりかねないとアドバイスしてくれたのは大のコーヒー党である父だった。

 当然あるものと思って店に入ってきて、コーヒーがないとわかるなり、怒りだして悪態をつき出て行ってしまう人への対処法は、残念ながらまだ確立できていない。


「では紅茶を二つご用意させていただきます。しばらくお待ちください」


 美桃は少しでも早く二人から離れたくなり、急ぎ足でカウンター内に舞い戻った。

 お湯を沸かし、ポットとカップを温める。具材を小さいガラス容器に盛り付け、白い横長のプレートに並べていく。

 幸い、カウンターからは二人の座席は死角になるため何も見えない。けれどとても狭い店内だ。ひそひそと話す声もすべて美桃の耳にしっかりと届いてしまう。

 たとえ何が聞こえても、関知してはいけない。美桃には二人のプライバシーに踏み込む権利はないのだから。何も聞こえていないことにして、紅茶の準備を進める。


「なんで来たんだよ。仕事場に来るのは、いくらなんでもなしだろ?」


 男性の声が低く響いた。


「だって、間宮(まみや)さんが連絡くれないから……」

「あ……。だから昨日は子供が熱を出して行けなくなったって、メールで知らせたじゃないか」

「熱が出てたって、電話くらいできるじゃない。会えないなら、声くらい聞かせてよ」

「そんなこと言ったって、無理なものは無理なんだよ。頼むから、俺をこれ以上困らせるな」

「ずるい。間宮さんはいつだって子供のことばっかり。子どものことなんて奥さんに頼めばいいじゃない」

「お、おい!」


 美桃ははっとして、ポットに湯を注ぐ手を止めた。

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