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紅茶、飲みませんか  作者: 大平麻由理
40/40

40.紅茶、飲みませんか

 そこは小さな公園になっていて、花壇を中心に周囲にベンチが設置してあった。フェンスの向こうは線路。下り列車がたった今通過したばかりだ。


「ここは日当たりがいいから、雪もかなり融けていますね。さあ、座って」


 ポケットからハンカチを取り出した梶谷さんが素早くベンチの上の水滴を拭い取り、美桃に座るよう勧める。


「ありがとうございます」


 美桃はためらいがちに腰を下ろした。どうしてもエプロン姿のままであることが気になるのだ。かと言ってそれを外すと、紺色のスカートに薄地の白いセーターというとても寒そうな恰好になってしまう。

 どちらにしろ、真冬の公園にはそぐわない身なりには違いない。美桃は観念して、そばに立つ梶谷さんの話に耳を傾けた。


「で、桜野さん、あなたはなぜここにいるのですか? いや、その顔だと、あなたも僕と同じ穴のムジナ、ってところなんでしょうけど」


 美桃の隣に並ぶようにして座った梶谷さんが、今もっともこの場にふさわしい質問を投げかける。


「よくわからないのですが、いつの間にかここに……」

「いつの間にか、ですか」

「はい。さよさんが突然店にいらして、間宮さんの車に乗ってと言われました」

「間宮さん? さっき車の中から桜野さんに話していた人ですよね?」


 梶谷さんが不思議そうに言った。


「あ、はい。梶谷さんにも召し上がっていただいた、あのスコーンを焼いて下さった方です。さよさんの家のご近所に住んでいらっしゃるみたいです」

「へえ、そうなんだ。日浦家の近所……。あ。あそこかな。空き家になってるところがあったから、そこに引っ越してきたファミリーかな?」

「多分そうかと……」


 詳しくはわからないが、地元民である梶谷さんには何かピンとくるものがあったのだろう。


「その人の車で、なぜか知らないが、ここに連れてこられたというわけですね」

「はい……」


 美桃は腕をさすりながら頷いた。


「ヨメタ……」


 梶谷さんがマフラーを外しながらつぶやいた。


「よめた?」

「はい。からくりがすべて解明されましたよ。首謀者は中森。そして参謀はおばさんと婚約者のサトさん。あと、間宮さんは重要協力者というところでしょうか。中森がずっとおかしなことばかり言ってましたからね。僕のスケジュールを事細かに聞いて、おまけに、駅には一人で行くのか、とか、桜野さんの店には顔を出さないのか、とかね」


 梶谷さんはどこか楽しそうに口元を緩め、外したモスグリーンのマフラーを、美桃の首にふわっと巻いてくれた。


「あ……」


 首元のマフラーに手を添え、ぬくもりを確かめる。暖かかった。カシミヤのマフラーだ。直前まで巻いていた梶谷さんの体温を感じるようだった。


「ありがとうございます。でも梶谷さんが寒くなってしまいますよね。お借りしてもいいのですか?」

「大丈夫ですよ。僕はコートも着ていますから。見る限り、あなたの方が凍えそうだ。本当に何の前触れもなく、ここに連れて来られたんだ」

「ええ、まあ……」

「桜野さん、すまなかった。本当に申し訳ない」

「え?」


 どうして梶谷さんが謝るのだろう。彼だって陰謀に嵌められた当人であるのに。


「僕があなたのことを、その……。つまり態度がバレバレだったということですよ。桜野さんのことが好きだと、顔に書いてあったのでしょう。それに気づいた中森が一肌脱いだ、と、そういうわけだったのです。結果、こちらの騒動にあなたを巻き込んでしまった。仕事中なのにこんなところまで連れ出されてしまって、何とお詫びしたらいいのか……」

「そんな、巻き込まれただなんて……」

「どうか皆のことは許して欲しい。彼らは悪気があったわけではないんだ。いつまでも独り身の僕を案じて、背中を押してくれたのでしょう。あなたの優しさに甘えてこんなことになってしまいました。そろそろ行かなければ。搭乗手続きまでは、まだ充分間に合いますが、その前に隣町の本社に出向くことになっていまして。あ、あなたはここにいて下さい。僕は大丈夫ですから」


 立ち去ろうとする梶谷さんと共に駅に向かおうとした美桃だったが、梶谷さんに制止されてしまう。


「ではここで失礼します。どうか身体に気を付けて。桜野さんのお店のますますの発展を祈っています」


 その言葉を最後に、梶谷さんは大きなスーツケースの取っ手を持ち、引きずらずに手に下げた状態で、改札口に向かって歩き出した。


「あの……」


 もう少し、彼と話していたかった。けれどこれ以上引きとめてはいけないのだ。会社に立ち寄る時間が無くなってしまう。美桃はそこまで出かけた言葉をのみこみ、口を閉じた。閉じたつもりだったが。


「梶谷さん、梶谷さん! 待って下さい」


 美桃はぬかるんだ道をエプロンの裾を揺らしながら走って行った。


「桜野さん」


 駅の看板の下で梶谷さんが立ち止まり振り返る。


「梶谷さん。あの。次は、いつ、帰って、来られるの、です、か」


 美桃は肩で息をしながら追いついた梶谷さんにたずねた。


「夏には帰ってきます」

「そう、ですか。よかった。あの、その時に、その時に」

「その時に?」

「はい。私と一緒に、紅茶、飲みませんか」

「ええ、それはもちろん。こんな僕でよければ」


 梶谷さんは少し怪訝そうな顔をしながらも同意してくれた。


「ありがとうございます。あの、それ以降もずっと、あなたと一緒に、紅茶、飲みたいです。日本に帰って来られたときはずっと一緒に、紅茶が飲みたいです。朝も昼も晩も。ずっと一日中、あなたと一緒に紅茶が飲みたいです」


 言ってしまった。自分の発した言葉に一番驚いたのは美桃自身だった。


「桜野さん、それって……」

「私も、梶谷さんのことが好きです。好きなんだって気づいたんです。こうやってお別れするのが辛くてたまらないのです……」


 美桃はマフラーをぎゅっとつかみ、唇をかみしめていた。


「桜野さん、ありがとう。ありがとう……」

「こちらこそ、こんな話を聞いていただき、ありがとうございます。あの、これ以上ここにいてはだめです。どうか、遅れないように、会社の方に行って下さ……」


 次の瞬間、美桃は目の前が何かに覆われて何も見えなくなっていた。あろうことか、梶谷さんに抱きしめられていたのだ。


「桜野さん。ありがとう。あなたには触れないと言いましたが、どうか、こうするのだけはご理解いただきたい」


 緊急事態が発生しても、梶谷さんはどこまでも梶谷さんだった。


「桜野さん。夏にはこっちに帰って来ます。やっと国内勤務に戻れます。僕からもお願いします。その時は美桃さん。僕と一緒に、紅茶、飲んでくれませんか? これから先、ずっと、あなたの紅茶を飲んでいたいのです」


 梶谷さんが空を舞う小鳥よりも優しい声で、美桃の耳元にそっと語りかけた。








               了











 最後まで読んでいただきありがとうございました。

 読んで下さった皆様に、心より感謝いたします。



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