4.店主の秘密 その1
「お待たせいたしました。こちらにあります具材の中からお好みのものを入れて飲んでくだ」
「わかったから。そこに置いといて!」
その女性は美桃の説明をさえぎって、尚もイライラしたようなそ振りを見せていた。
「ど、どうぞ、ごゆっくり」
声を震わせながら美桃はそれだけ言って、カウンターの中に引き返した。
店はお客さんを選べない。どんな人であってもお客様には違いないからだ。失礼のないよう、誠実な対応を試みなければならない宿命を背負っている。
そんなこと、店を始めようと決めた時にすでに覚悟していたじゃないか……。などと思ってみるものの、現実は砂嵐のように劣悪な環境をも連れてくる。
地獄のような時がスローモーションのように過ぎていく。同じところを何度も拭き、まだ一度も使っていないカップも丁寧に磨き上げた。
何かをしていないと女性の様子ばかりが気になり、落ち着かないからだ。
その人は、ポットにすら手をつけないまま、どこか一点を見つめて、身動きひとつしなかった。
あれから二十分ほど経つ。いくらポットに保温のための覆いをかぶせていたとしても、冷めてしまっているのは疑いようのない事実だ。
美桃は新しい紅茶を作り直し、木製のトレイに載せて女性のところに持って行った。
「お客様、紅茶、取り替えますね」
勇気をふりしぼって、女性に言った。その人ははっとしたように美桃を見上げ、テーブルの上にある冷めたポットの覆いを手に取った。裏生地までひっくり返して見る念の入れようだ。
「このティーコゼー、手作り?」
「はい、そうです」
突然の問いかけに驚きはしたものの、女性の声がさっきとは違って優しい響きになっていたので緊張感が幾分かやわらいだ。
「へえ、手作り……か。器用なんだ。私ね、仕事で輸入雑貨を扱っていたことがあったの。イギリスから食器やこういった布物も取り寄せていたのよ。あっ、紅茶、淹れなおしてくれたんだ。ありがと」
女性は淹れたての紅茶をカップに注ぎ、一口飲んだ。そして、もう一口とみるみる全部飲んでしまった。
「ああ、おいしかった。いい香りね。これって、フルーツティーもできるんだ。私ね、ポットに入れるより、紅茶を飲みながらフルーツをつまむのが好きなの。このイチゴ、めっちゃ甘いし。やだ、しょうがもあるの? 迷っちゃうよ。こんなに楽しい紅茶、初めて」
「お客様においしいと言っていただけて、とても嬉しいです。オープンしたてで不備な点も多いかと思いますが、どうぞごゆっくりして行ってくださいね」
「あなた、親切だね。そっか、オープンしたてなのか。そう言えば前にこの村に来た時は、この店、なかったものね」
「はい……」
「そうだ、さっきはランチないのなんて無理言ってごめんね。なんかね、もういっぱいいっぱいでさ、どうにでもなれって、自暴自棄になってたんだ、私」
その人はしょうがを入れた二杯目の紅茶をゆっくりと飲み始めた。
「今日がオープンで、客は私ひとり。店員さんも大変だね。ねえねえ、もしかして、ここ、あなたのお店?」
しょうが入りの紅茶が入ったカップをソーサに戻したその人が、ぼそっとつぶやくように言った。
「はい、そうです」
正真正銘、ここは美桃の店だった。
「そっか。でもさ、何でまたこんなところにお店開いたの? ちゃんとリサーチした? 観光地からは微妙にずれてるし、民家も少ないし。そんなに集客のぞめないよ」
すべてを含めて納得済みの決断だった。誰が何と言おうと、この村で店を出す以外の選択肢は美桃にはなかった。
美桃はほんの少し考えた後、その人に言った。理解してもらえないだろうことは承知の上だ。
「あ、はい。多分、お客様はそんなにいらっしゃらないって、予想していました」
「いやいや、ちょっと待って。予想していましたって、何のんきなこと言ってるの? そりゃあ、ここはいいところよ。自然は豊かだし、住んでる人たちもいい人ばっか。けどね、こんなんじゃ、すぐに店をたたむはめになっちゃうよ」
「はい、そうですよね」
それは否定しない。いつか資金が底をつけば、店は閉めなくてはならない。
「って、ホント、大丈夫? なんかさ、世の中で一番私が不幸だって思ってたけど、あなたも相当よ。ねえねえ、あなたさえよかったらSNSとかブログでこの店の宣伝してあげるけど。でもそんなんじゃ、ずっとは続かないよね。やだ、私、どうしちゃったんだろ」
その人は首を傾げてきょとんとした目を美桃に向ける。
「さっきまでどん底にいたはずなのに、この店のことばかり考えてる。ま、いいか。くよくよしててもしょうがないし。あのさ、立ち入ったこと聞くけど、なんでここで紅茶屋さんをしようと思ったの?」
「え? それは、その、まあ……」
いったい何から話せばいいのだろう。そして、今日会ったばかりの見知らぬ人に、どこまで話していいものか困惑を隠せない。
「ごめん、変なこと聞いちゃったかな。じゃあ、まず私のことから話すね。他のお客さんが来たら話すのやめるから。それならいいでしょ?」
「あ、はい、大丈夫です」
美桃は目に見えない何かに導かれるように、いつしかその人の向いにある黄緑のいすに座っていた。




