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紅茶、飲みませんか  作者: 大平麻由理
39/40

39.いらっしゃいませ その3

「あ、さよさんじゃないですか。いらっしゃいませ。夕べはありがとうご」

「ちょっとちょっと、いらっしゃいませじゃないわよ。いいから早く。こっちに来て。外に車を待たせているから、乗って!」

「え? でもお客様が……」


 ただならぬさよさんの様子に、つい言われるがまま外に出そうになるが、そうはいかない。店主が店を守るのは当然のこと。いくらさよさんの頼みだとしても、出来ることと出来ないことがある。


「あら、お客さんがいたのね。おや? そこにいるのは松本君? そうよね」

「やあ、おさよちゃん、久しぶりだね。どうしたんだい。そんなに慌てて」


 井ノ瀬さんの向いに座る松本さんが軽く右手を上げて、さよさんにあいさつをする。知り合いのようだ。

 けれど美桃はこのような偶然を目にしても、もう驚かない。この村では皆がどこかでつながっているのはごく普通のことだと、身をもって実感したからだ。


「いえ、ちょっと事情があってね。急いでるから今はゆっくり説明してる暇がないのよ。美桃さん、ここは私と松本君が見てるから。ねえ、松本君、それでいいわね!」


 まるで学級委員長のように、さよさんが松本さんに命令口調で話す。


「何だか知らないけど、おさよちゃんも大変そうだね。店番なら大丈夫だよ」


 松本さんはどこまでも従順に快諾する。二人の話を聞いていた井ノ瀬さんも、にこやかにうなずいていた。


「ほら、松本君もああ言ってくれてることだし。さあ早く。エプロンのままでいいの。とにかく外に待たせている車に乗って!」


 さよさんに背中を押され、何が何だかわからないまま、美桃は外に停まっていた白いセダンの助手席に無理やり押し込まれてしまった。



「あの、桜野さん、先日はお世話になりました」

「間宮さん!」


 ハンドルを握っていたのは、フードコーディネーターの間宮さんだった。あのおいしいスコーンを作ってくれた、ヒロト君のお母さんだ。


「さっき急に、お隣の日浦さんに頼まれたんです。あの、私もよくわからないんですけど、とにかく桜野さんの一大事だから、車を出してと。では、行きますね」


 間宮さんは本当に何も知らないようだった。事の真意は謎のまま、慌ただしい時が過ぎていく。

 美桃はエプロン姿のままシートベルトを装着し、目的地も知らされない状況で、どこかへ連れ去られてしまった。


 随分長い間走ったように思えたが、車内にあるデジタル時計は美桃が乗車してから五分も経っていないようだ。ほんの数分間の出来事だった。


「桜野さん、あの、ここです」


 間宮さんが遠慮がちにそう言った。彼女が車を停めたところは、村の皆が使ういつもの駅だった。


「はい。で、私はここで降りるのでしょうか……」


 さっきから動転したままの美桃は、この先、自分が取るべき行動すら何もわからない。同じように不可解な表情を浮かべている間宮さんに指示を仰ぐことことも無意味なのだろうと理解している。

 けれど、美桃が頼れる人物は隣で申し訳なさそうにハンドルを握っている間宮さんしかいないのだ。


「日浦さんから駅まで行って下さいと言われたのです。本当にそれしか聞いてなくて。桜野さん、お役に立てなくて本当にごめんなさい。あの、桜野さんが戻って来られるまで、ここで待っていますから。どうぞ」


 はい、と元気のない返事をして、とにかく車から降りる。

 店の改築中にはまだ車を持っていなかった美桃は、電車でこの村に通っていた。何度となく通った駅の改札口の前で呆然と立ち尽くす。

 いったいどうすればいいのか。切符を買おうにも財布は持っていない。いや、そもそも、行き先不明の現状で買えるのは、入場券くらいだ。

 すると一台のワゴン車が間宮さんの車の後ろに停まった。あれは……。

 間違いない。夕べ、美桃が乗せてもらった中森さんの車だ。

 中から降りてきたのは梶谷さん。美桃はあまりの展開にただただ目を見開くばかりだった。

 美桃に気付いていない梶谷さんの声が、どことなくとげとげしい。


「おい、中。いい加減にしてくれよ。だから送ってくれなくてもいいって言ったじゃないか。なんで用もないのに村の中をぐるぐる連れまわされなければならないんだよ。これだけの時間があったら、うちからここまで歩いて来れたさ。本当におまえってやつは……」

「だって、おまえと会うのは本当に久しぶりだからな。こうでもしないと、話もできないだろ?」

「話? いったい何の話をしたっていうんだよ。今回の大雪の話や、隣村の合併の話しのことか? わざわざ車を走らせながら話すようなことでもないと思うが」


 ひとしきりブツブツと文句を言って、梶谷さんは後部座席からスーツケースを取り出し、じゃあな、と言ってぶっきらぼうに中森さんに別れを告げた。そして駅の方を向いた梶谷さんと視線がぶつかった。


「え? 桜野、さん?」


 それを言うなら美桃も一緒だ。どうして梶谷さんがここにいるの、と。


「梶谷、向こうで最後の奉公、頑張って来いよ。おっといけない。俺もそろそろサトの実家に行かないと。サトの親にちゃんと挨拶して来いってお袋の命令だから。じゃあな、元気でな!」


 中森さんが運転席の窓を開けて陽気に手を振る。助手席ではサトさんが同様に両手を振っている。


「お、おい、中。待てって。おい!」


 梶谷さんの引きとめる声もむなしく、中森さんの車はあっと言う間に駅から遠ざかって行く。すると。


「桜野さん、ちょっと用事を思い出したので、行って来ます。改めて迎えに来ますので、ごめんなさいね」


 間宮さんまでそんなことを言って、いなくなってしまった。


 誰もいない駅前で取り残されたのは、大きなスーツケースを持った日に焼けた男性と、エプロン姿の色白の女性の二人だけだった。


「どうも……」


 バツが悪そうに梶谷さんが言った。


「あの、これはいったい、どういうことなんでしょうか……」


 周りに誰もいないのは幸いだが、外でエプロン姿のままなのがことのほか恥ずかしくて顔を上げられない。美桃は目の前の梶谷さんを見ることなく、うつむいたまま、もごもごとたずねる。


「うーん。そうですね、多分ですが。陰謀ですよ」


 梶谷さんがとてつもなく真面目な声でそう言った。


「陰謀?」


 美桃は顔を上げ、梶谷さんに聞き返す。


「そうです……って、桜野さん、そんな真剣な顔をしないでくださいよ、ぷっ、あははは」


 梶谷さんが急に吹き出すように笑った。そんな梶谷さんにつられるように美桃もくすっと笑ってしまった。


「こうなったら仕方ない。皆の陰謀に乗ってやろうじゃないですか。駅の西側に行きましょう。あそこならゆっくり話せる」


 梶谷さんが大きなスーツケースを引っ張りながら先陣を切って歩いていく。遅れまいと美桃も小走りで彼の後をついて行った。




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