29.つながる その3
「そう言えば、梶谷。おまえんところの姪っ子。そろそろ高校卒業か?」
急に思い出したのか、中森さんがそんなことをたずねる。
「ああ。まさに今、大学受験の真っ最中だよ」
「大学受験か……。って、ほら、ギターじゃなくてウクレレじゃなくて、なんだっけ、そう、バイオリン。バイオリンの学校に行くんだろ?」
「そうなんだ。音大に行くらしい。小さいころから音楽が好きな子で、亡くなった父親がオーケストラの団員だったこともあって、その血を受け継いだのかもな。個人レッスンの先生にも期待されているみたいで、練習も大変らしい。けどな、まひろの演奏を聴くと、音楽には疎い俺でも鳥肌もんだからな。まあ、出来る限りの援助は惜しまないつもりだ」
まひろ……。今確かに、梶谷さんの口からまひろさんの名前が飛び出した。
美桃はバイオリンケースを抱えた少女の姿を、はっきりと思い浮かべていた。
なんとまひろさんは、梶谷さんのお姉さんの娘だったのだ。そして梶谷さんの実家に住んでいるという。思い起こせばあの時、まひろさんのお母さんが、留学やレッスンの費用はおじさんも助けてくれると言っていたではないか。
確かその人の名前は……。そうだ、ひろやおじさん、だったはずだ。
当然ながら梶谷さんの名前は、これまで苗字でしか呼ぶことがなかった。たとえ書面上でフルネームを目にしていても、美桃の記憶にそれが“ひろや”として留まることはなかった。ずっと裕也と書いてゆうやと読むと思いこんでいたのだ。
どこか寂しそうで思いつめたような表情を浮かべたあの少女が、梶谷さんの姪だったとは。なんと不思議なめぐりあわせなのだろう。そしてまひろさんの叔父である梶谷さんに美桃はついさっき、交際を申し込まれたばかりだ。
サトさんといい、まひろさんといい、偶然出会った人が誰かとどこかで結びつく。
これらの出来事が、すべて天国にいる桜野さんの願いなのだとしたら……。桜野さんのこの村への深い想いが、このような形で表れたのだとしたら……。
梶谷さんとのことも彼が後押ししてくれているのかもしれない。美桃の身体に覆いかぶさっている過去という鎧が、少しだけ外されて行くような気がした。。
「桜野さん、どうしたの。大丈夫?」
サトさんが心配そうに美桃をのぞき込んだ。
「あ、ごめんなさい。あの、大丈夫です」
「ああ、びっくりした。なんかさ、身動きひとつせずに下を向いたままだったから。気分でも悪くなったのかと思った」
「いや、本当に大丈夫なんです。それが、いろいろと不思議だなって思って」
「何が?」
「こうやってサトさんとまた出会えたこととか、その、梶谷さんの……」
「え? 梶谷の? 梶谷がどうしましたか?」
中森さんが話に飛びついて来た。
「あ、あの……」
そうだ。いくら梶谷さんとまひろさんが親戚関係であっても、まひろさんが店に来たことは、ここで言ってはならないような気がした。明日の受験に向けて一生懸命頑張っているまひろさんのためにも、この話を今ここでするのはやめようと思った。
「あの、梶谷さんと中森さんが店に来て下さったことが、不思議だなと……」
「あははは。そうですね。桜野さんをびっくりさせようと言って、連絡もせず急に押しかけるのを提案したのは梶谷ですから。まあ、俺は諸事情で遅れてしまい、申し訳なかったですけど。おっ、そろそろ着くぞ。前に見える集落の後方に実家があります」
中森さんはハンドルを右に切り、いとも簡単に小さい橋を渡る。そして、除雪が不十分な狭い道に入り、慎重に車を進めていく。
何度か路地を曲がり、ようやく大きな門の前で停まった。
「サト、ここが実家の正面玄関だ。ほら表札があるだろ?」
中森さんが後ろを向いて、サトさんに説明する。
「あ、ホントだ。大きな家だね」
美桃も玄関灯に照らされた表札を見た。中森さんはお母さんの旧姓を名乗っているから、もちろん表札名は違う。違うのだが……。
日浦と書かれた表札の文字に、美桃の視線は釘付けになってしまった。
「さあ、降りて下さい」
中森さんが後ろのドアを開けながら言った。
「桜野さん、降りるよ」
サトさんがぼんやりしている美桃の腕を引っ張った。
「あ、ごめんなさい。ここ日浦さんって方のお宅なんだ……」
美桃は車から降りながら、独り言のようにつぶやく。
「さあさあ、寒いから早く家に入って。俺は車を裏の納屋の方に置いて来るんで」
中森さんがいなくなり、雪道の上に、梶谷さん、美桃、サトさんの順に立っていた。
「それじゃあ、行きましょう」
梶谷さんが先陣を切り、玄関ドアのところまで歩いていく。無数の足跡の上にまた雪が積もり、でこぼこした道になっていた。滑らないよう、ゆっくりと雪を踏みしめて進む。
「こんばんは。おばさん、こんばんは。梶谷です」
ドアを開けた梶谷さんが、室内に向かって声をかけた。
「はーい」
奥の方から声がする。そして、中森さんのお母さんと思われる女性がひょこっと顔を出した。
「あらあ、梶谷君。久しぶりだわね。ますます男前になっちゃって。まさかあなたが来てくれるなんて思ってなかったから、心の準備ができてないじゃない。あれ、うちの子は?」
「車を置きにいきましたよ。こんな時間におじゃましてすみません」
「何を言ってるの。さあさあ、入って。あら、きれいな方たちもご一緒なのね、って、え、え、えええええっーーー」
やはりというか思った通りというか、そこにいたのは、さよさんだった。美桃の店に一番乗りだったお客様、日浦さよさんだ。




