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紅茶、飲みませんか  作者: 大平麻由理
11/40

11.このまま眠っていて その5

「なんかさ、変なところ見せちゃって、本当にごめんなさい。全部聞こえてたよね?」

 

 すっかり元気を失くした沢井さんがたずねる。


「いえ、そんなことは……。たとえ聞こえていたとしても、それはお客様のプライバシーにかかわることですので、当方は秘密保持を厳守いたします。どうぞ、ご安心下さい」


 客に不安を与える店であってはならない。美桃は背筋を正して、ポリシーを伝える。


「ふふっ、お姉さん、すっごい緊張してるみたいだけど。そんな堅苦しく考えなくていいよ。悪いのはこっちなんだからさ。あーあ、せっかくのチャンスだったのに、結局奥さんに何も言えなかった」


 沢井さんはカップに紅茶を注ぎ、ミルクを入れて飲み始めた。


「では、失礼します。どうぞ、ごゆっくり」


 美桃はトレイを手に、カウンターに戻ろうとしたのだが。


「あたしさ、今からここで全部吐き出すからさ。お姉さん、向こうで用事しながら聞いていて。相槌なんかいらないから。右から左に聞き流してくれていいからさ」


 などと、尚も話を続けてくる。


「これは全部あたしの独り言。なんかさ、ここなら何でも話せそうなんだ。だってさ、あんなこと、実際、誰にも話せないでしょ? フ、リ、ン。不倫だよ? あたしだって自分が既婚者とそんなことになるなんて思ってもみなかった。気づいたらそうなってた。ありえないよね」


 美桃はこくりとうなづき、ゆっくりとカウンターに戻って行った。

 内容が内容なだけに、テーブルの向いに座って聞くよりも、姿が見えない方が話しやすいだろう。

 美桃は沢井さんの希望通り、下げた食器を洗いながら、彼女のつぶやきに耳を傾けていた。


「あたしはさあ、専門学校を卒業して、すぐにハウスメーカーに就職したの。さっき間宮さんが言ってたのは全部本当よ。間宮さんはうちの課と取引があるエクステリア専門の会社の人で、彼とモデルハウスに出向くことも多くて、いろいろ接点を持つうちにこんなことになっちゃったの」


 なるほど、そういう関係だったのか。スポンジを握る手に力が入る。


「でね、初めはあたしも本気じゃなかった。っていうか、本気になっちゃいけないって自分に言い聞かせる毎日だった。だって、間宮さん、とっても家族を大事にしてるんだもん。あたしが立ち入る隙なんてこれっぽっちもないって思ってた」


 さっきの感じだと、少なくとも間宮夫妻の関係が壊れているようには見えなかった。

 決して実ることのない恋だとわかっていても、既婚者相手に踏み込んでしまうことがあるのだろうか。美桃には到底理解できない世界だ。


「けどね、ここの村にある支社に間宮さんが支店長として転勤になってから、彼が変わっていったの。もうすぐ離婚するから待ってくれだとか、嫁のことは愛してないとか、そんなことを頻繁に口にするようになって。そんな話聞くと、誰だって信じちゃうじゃない? ああ、この人は本当はあたしと一緒になりたいんだ。けど子どもが小さいからなかなか離婚に踏み出せないだけって、都合よく解釈してた。嫁はパートの仕事と子どものことに一生懸命で、夫である自分のことは二の次、あんな嫁とはもうやっていけないって、グチってた。今の支店長の任務が終われば、数年後は本社の役員になれる。こんなに仕事を頑張っている自分を大切にしない嫁はもういらない。だから俺の仕事に理解のあるおまえとそのうち結婚するから待ってくれと言ってくれていたのに……」


 沢井さんが声を詰まらせる。男性の本心がどこにあったのかは知る由もないが、所詮浮気男のたわごとなのだろうと話の流れから推測できる。人生経験の少ない女性をもてあそんだ男性の罪は重い。


「約束の時が来ても、一向に離婚話が進まない。こんなにも彼に尽くしているのになぜ? あたしの方が奥さんより愛されているのに、どうして? って、思い悩む日が増えてきて」


 浮気男のお決まりの流れなのに、自分たちだけは特別だと思っていたのだろうか。


「あのね、あたしだってずるい女だって自覚はあったし、彼を奥さんから奪うためなら何だって出来た。彼の話には何でもうんうんって理解者を装って同意していたし、一度だってこっちから離婚してって言ったこともない。こちらから無理に会って欲しいと言ったこともなかったし、メールだってどんなに忙しくても真っ先に返信してた。常に彼を一番に考えてるつもりだった。それなのに……。そこで、あたしは最後の賭けに出たってわけ。あたしだって好きな人と結婚して幸せになりたいもの。煮え切らない彼に決断を迫ったの。もう覚悟だって出来てた。慰謝料だって奥さんの言い値で払うつもりだった。ところが、どう? このありさまだもの。あのね、あたし。今日彼の奥さんに初めて会ったの。実はね、これまでに何度か彼の家まで行ったことがあるんだ。彼に内緒で奥さんの様子を見ようと思っていたんだけど、タイミングが悪かったのか、一度も会えずじまいだった。何かの勧誘を装った台本まで作ってシミュレーションしていたけど、結局無駄足だった」

「えっ……」


 美桃は思わず絶句してしまった。幸い、沢井さんには気づかれずにすんだようだ。

 それにしても恐ろしい。家にまで行っていた彼女の大胆な行動に、思わず身震いしてしまった。



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