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紅茶、飲みませんか  作者: 大平麻由理
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1.お店、はじめました その1

 看板の用意はこれでよし。ドアの横に立てかけた焼き板に白いペンキで書いた文字は、紅茶、飲みませんか。今日からオープンするこの店の名前だ。

 白いエプロンをつけて、長い髪をひとつに結ぶ。シュシュの色は薄いブルー。

 背筋を伸ばし、いらっしゃいませとつぶやいてみる。だめだだめだ。もう少し大きな声を出さなければ。


「いらっしゃいませ」


 これくらいでいいかな。うん、これなら大丈夫。背中側にあるエプロンのリボンを整え、裾のフリルもきれいなドレープが出ているか確認する。よし、準備は完ぺきだ。

 レースのカーテン越しに外を見る。公園から続く雪道は、朝日に照らされて、きらきらと輝いている。


 誰かがやってくるのを待った。


 五分たち、十分たち、いつしか三十分たっても誰も来なかった。


 宣伝のビラを配らなかったから、今日がオープンだってこと、誰も知らないのかも。それともこの家が小さすぎて、誰にも気づいてもらえないのかもしれない。

 仕方ないか、まだ一日目だもの。

 椅子に深く腰を掛け、ふうっとため息をついた。


「ごめんください」


 外の冷たい風が部屋の中に入ってきた。あ、お客さんだ。


「いらっしゃいませ」


 あわてて立ち上がり、ドアの隙間から顔だけのぞかせているその人を笑顔で迎え入れる。


「あの……。私なんかが入ってもいいんですかねえ」


 遠慮がちにその人がたずねる。


「ええ、どうぞどうぞ。中にお入りください。外は寒いですから」

「ありがと。じゃあ、遠慮なく。あらあら、かわいいお店。いつの間にできちゃったのかしら。気が付かなかったわ」


 その人はよいしょと言って、黄色い椅子に腰を下ろした。



「紅茶、ください。あったかいのをね」

「わかりました。少しお待ちください」


 水の入ったコップをその人の前に置き、カウンターの向こう側に回った。


「ねえねえ。ミルクにしますか、とか、レモンにしますか、とか。ほら、普通、早口でいろいろきくじゃない? ここはそうじゃないのね。どんな紅茶が来るのかしら」


 その人は椅子から身をななめにしながら質問してくる。


「ふふ、そうですね。こちらの店では紅茶をお持ちするとき、お砂糖、ミルク、レモン、はちみつ、シナモン、しょうが、あと季節のフルーツを刻んだものを、一緒にお出しするようにしています。ポットでサービスさせていただきますので、一杯目、二杯目と、さまざまなお味を楽しんでいただけたらいいなと……」 

「へえ、そうなんだ。なんだか楽しみだわ。で、この店、いつからあるの?」


 その人が室内をきょろきょろ見まわしながら言った。


「今日からです。オープンしたばかりなんですよ」

「え、そうなの? どうしてまた、こんなところに?」

「この村が好きだったので」

「これはまた、変わった人もいるものだわ。私なんか、早くこの村から出たいと思いながら、いつの間にかこんな年になっちゃって。もう今さら、どこへも行けはしないけどね」


 どこか遠くを見るような目をして、その人が話し続ける。


「都会にいる息子が一緒に住もう、なんて言ってくれるけど、多分、お嫁さんはいい顔しないしね。気兼ねしながら暮らすんだったら、この村で気ままに過ごす方がいいんじゃないかって、そう思ってるの」


 その人はシュシュと似た色をした手編みのショールを外し、ガラスのコップに入った水を一口飲んだ。


「お待たせいたしました。こちらの紅茶はすぐにお飲みいただけます」


 砂時計を置いたりはしない。ちょうど飲みごろになった物を提供するのだ。

 テーブルにポットやカップ、すべての容器を並べて置いた。食器はすべて真っ白。ワンポイントで浮かび上がったレリーフ柄は木の葉の形だ。


「あら、ありがとう」


 その人はそう言って、カップに紅茶を注いだ。


「いい色ね。それに香りも。そういえば、紅茶の種類も選ばなかったけど、メニューもないわね」

「はい。当店はこの紅茶一種類だけ、お出ししています」


 カウンター横の壁に貼ってある小さな手書きのポスターをそっと指し示す。


「あ、ほんとだ。ごめんなさい。何も見てなかった。壁に貼ってあるのね、メニューはありませんって。ますます不思議な店だわ。ではさっそく、いただいてみましょう」


 その人はふうっと息を吹きかけて、ゆっくりとカップに口を寄せた。


「ああ、おいしい。私の好きな香りよ。何をいれようかしら。そうね、はちみつにしましょうか」


 木のスプーンではちみつをすくいカップに落とす。ゆるゆると混ぜて、一口、また一口と飲む。


「身体がぽかぽかとあったまるわね。優しい甘さ。はちみつは大好きよ。そうだ、あなたの名前、聞いてなかった。なんておっしゃるの?」

「私、ですか?」


 予想外の問いかけに驚く。店に入って店員に名前を聞くことなど、これまでに自分自身が経験したことなどなかったからだ。

 けれど、それを拒む理由もない。心を落ち着けて、カウンター越しにその人に向かって言った。


桜野(さくらの)……美桃(みもも)、と申します」

「みもも?」


 予想通りの反応だ。物心ついたころから様々な人が同じ声を上げた。


「はい。美桃、です」

「かわいい名前。で、どんな字を書くの?」

「……美しい、果物の桃です」


 たとえ文字の説明だとしても、自分のことを美しいと言うようで、こういうのは苦手だ。けれど親には感謝している。珍しい名前のおかげで、すぐに憶えてもらえるし、友達にも恵まれたからだ。


「桜に桃。春らしい、素敵な名前ね」


 元の名前は山田美桃。桜野さんと結婚して、名前だけとんでもなく女子度がアップしてしまった。


「じゃあ、みももさんって、呼んでもいい?」

「あ、はい」

「私は日浦小夜(ひうらさよ)。さよって呼んでね」


 さよさんはにこっと微笑んで、二杯目の紅茶をカップに注ぎ始めた。



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