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ただの欠陥魔術師ですが、なにか?  作者: 猫丸さん
三章 実地研修編 後編
97/106

喰われる

 フレアという少女は"加護持ち"として産まれた。

 右手の甲に紋章のような魔術式を刻まれながらも産声を上げた彼女は、辺境に存在するとある村ですくすくと育つことになる。


 彼女は"加護持ち"の中でも恵まれた環境にいたと言えるだろう。

 父と母、それから一人の兄と自分とで構成される四人家族。

 加護持ちだからといって、辺境の村で差別されることもなかった。むしろ、将来は有望な傭兵か、もしくは国に仕える騎士になるのかもしれないと期待すらされていたほどである。


「――お兄ちゃん」

「どうしたんだい? フレア」

「"加護持ち"って、なぁに?」


 それはまだ自身が"加護持ち"であると認識していない、幼少の頃のこと。

 自分とは違い、白髪の髪と真っ白な澄んだ雲を思わせる瞳を所持した三つほど上の兄に尋ねたことがある。


 すると、彼は笑顔を浮かべた。


「"加護持ち"っていうのはね。神様に愛されて産まれた人のことを言うんだよ」

「じゃあ、フレアは神様に愛されてるの?」

「そうだよ。君は神様に愛されてる。僕も嬉しいよ」


 ポンっと頭に手を置かれた。

 宝石でも触るような手つきで白銀の髪を優しく撫でる。そんな兄のことが、フレアは大好きだった。

 これまでのフレアの人生というものは、穏やかに、そして静かに流れていた。




 しかしそれも、終わりが来る。




「――あらあらまあまあ」


 始まりは一人の来客が姿を現したことであった。


 兄よりも真っ白なロングストレートの髪と、毒々しく輝く紫色の瞳が特徴の少女。

 肌も、身に纏うワンピースも、全てが白。まるで全身を雪色で染めているかのような、ただならぬ雰囲気を発する人物だ。


 世界を見渡してもここまで容姿の整った美少女というのはそうそうお目にはかかれない。

 気のいい若者や老人が多くを占めるこの村ならば、この少女を歓迎したことだろう。


 彼女の傍に血に濡れて倒れた村の若い男がいなければ。

 白く透き通った彼女の右手に、赤く染まったナイフが握られていなければ。


「何者だ」


 誰かが尋ねた。


「ゾフィネス」


 少女は答えた。


「そこに倒れている若者はこの村の者だが――お前さんがやったのかね?」

「うふふっ、察しの悪い人。見ればわかるでしょぉ?」

「ならば覚悟することだ」


 そこから戦闘は始まった。


 この時のフレアは知る由もなかったことであるが、この村の男は傭兵経験や狩猟経験の豊富な者ばかりであった。

 ゆえに戦闘経験や武器の扱いに関しては、他の村よりも数倍長けていると言える。


 殺気走る男達に、遠くの小屋の中から兄と共に覗いていたフレアはしかし、どこか自分の平穏がこれ以上脅かされることを考えもしなかった。


 けれど彼女の予想を覆して――殺戮が始まった。


 二十代にも満たないはずの若い少女が、村の男達を次々と鋭利なナイフによって切り裂いていく。

 ただ切り裂くだけではない。白き少女は分身したかのように――否、本当に分身したのか何人にも体を分かれさせて村人を襲っていく。


 当初こそ一人だった少女は、今や十人以上にもその数を増やしていた。


「うふふっ、弱い人達」


 狂気の笑みを張り付かせて、ゾフィネスと名乗る彼女が嗤う。


「――逃げるよ、フレア」


 次々と男達が殺されていく殺戮現場に、兄は真っ白な眉を寄せた。

 幼くも聡明なフレアの兄は、状況が非常に危険であることを見抜いていたからだ。


「フレアッ!」


 同時に、フレアの父がバンッと音を立てて彼女らが隠れていた小屋の中に入って来る。

 緊迫とした表情を隠すことなく二人に近付いては、その手を取った。


「お前達はすぐにここから逃げなさい。ここはお父さん達で何とかする――」

「――あらあらまあまあ。あなた一人で何とかできるのかしらぁ?」

「かは……っ」


 鮮血が散った。

 首筋の頚動脈を掻き切られたフレアの父が、ゆっくりと地面へ倒れる。

 父に隠れて見えなかったが、白い魔女は彼のすぐ後ろに迫っていたようだ。


「父さん……ッ」

「……ぁ」


 呆気なく命を散らした目の前の父に、奥歯を噛み締める兄と声も満足に出せないでいるフレアの二人。

 数秒間の間だけ、時間が止まったかのように静かな空間がその場に降り立つ。


 けれど、それもあくまで数秒間のこと。


「次は、あなた達ね?」

「逃げるぞ、フレアッ!!」


 兄に手を引かれて、フレアは彼と共に小屋を飛び出した。


 走って、走って、走って。

 走り続けたその先に何が待つのかを、フレアは知らない。兄に引かれるまま、訳も分からず足を動かすだけである。


 その後ろで幾つもの悲鳴が聞こえても、兄は立ち止まらなかった。

 幾人もの村人から「早く逃げなさい」と声をかけられても、頷くだけで足を止めることはしなかった。


 最も、彼や彼女も幼い子供である。

 やがて体力は底を尽き、どちらからともなく立ち止まった。


「……ハァ……ッ。ここまで来れば――」

「あらあらそうそう。ここまで来れば、どうしたのかしら」

「――ッ」


 逃げても逃げても、ゾフィネスからは逃れられなかった。

 背後から聞こえた囁くような声に、フレアは怯えながらも視線を後ろへと向ける。


 目の前に迫る白い魔の手。

 それが額に触れた瞬間、急速にフレアは睡魔に襲われた。


 意識が飛ぶ寸前に見た光景は、必死な形相で彼女へと駆け寄る何人もの村人と、自分を背負って走り出そうとする兄の姿であった。



 ★


 そこから長い悪夢の時間が始まる。


 ★


「お父さん? お母さん? お兄ちゃん?」


 気付けば真っ暗な暗闇の中でたった一人、ポツンと存在していた。

 周りを見渡しても誰もいない。ただ孤独な時間が過ぎるばかり。


「――フレア」


 声がした。

 背後から、今にも消えそうな小さな声が。


「お母さん?」


 何度となく聞いてきた声である。

 朝起きる時も、昼に家に休息する時も、夜に寝る時も。

 自分を包み込むようなこの優しい声は、間違いなくフレアの母親のものだ。


 だから迷いなく振り返る。

 未来の彼女がもしもこの状況を客観的に見ていたならば、「見るな!」と全力で叫んでいたことだろう。それが地獄の始まりであったのだから。


「――ヒッ」


 引き攣った音が喉から漏れる。

 いつも自分に笑いかけてくれる優しい母親は、首から上だけを残した生首の状態で息絶えていた。


 ヒタッと。

 足首に冷たい感触を覚える。


 フレアは恐る恐る足下を見た。

 いつの間にか真っ暗だと思っていた場所は、次の瞬間には赤く染まった空間に変わっている。赤黒い血の色だ。

 足元には血の池が広がっており、フレアは理由こそわからないが池の上に立っている状態である。


 自身の足首を掴む、赤い池から伸びている何者かの手のひら。


 ゾッと背筋が凍る。


 訳も分からず、恐怖が度を過ぎて声も出せないまま硬直した。けれど、そんな彼女を何者かは待ってはくれない。

 手の持ち主はどんどんと浮き上がって来て、その姿の全容を晒していく。


 ゴツゴツとした手。

 狩猟を仕事としていたため、鍛えられた腕の筋肉が嫌でも目に飛び込んでくる。

 全身から赤い鮮血を撒き散らしながら、浮き上がってきたその男は――フレアの父親だった。


「おと……さ……?」


 声が出せない。

 フレアの父親はいつも顰めっ面をしていた。それは不機嫌だからではなく、照れを隠すためだ。

 眉を顰めつつも甘えるフレアの頭を撫でてくれた。


 しかし目の前の父親は。


 目から。

 耳から。

 鼻から。

 口から。

 肩から

 腰から

 腕から。

 足から。


 全身から隈なく血を垂れ流し、ニタニタと笑っている。


「ぐ、ふふ。ふれあぁ」

「お父……さん……?」


 あまりにも現実離れしたその光景に、フレアの脳内もいよいよ処理の行える範囲を超えた。


 だって、違う。

 自分の母親はこんな生気のない淀んだ瞳をしない。

 自分の父親はこんな君の悪い笑みを浮かべない。


 だって。だって。だって。


「フレア。こっちだよ」


 さらに声が響く。

 この世界でフレアが最も愛していた少年の声が。


「お兄ちゃん――お兄ちゃん!!」


 感情の容量が限界を超えた彼女は、唯一縋れる存在にむけて有り余る声で答えた。

 助けてほしい。救ってほしい。その気持ちを全面に押し出して、泣きそうな震声を目一杯上げた。


 口から血を流して心臓を貫かれたケタケタと笑う、兄。

 その心臓をナイフで背後から貫き、体の正面まで貫通させながらケタケタと嗤うゾフィネス。


 彼女の目に入ってきたのは、そのような光景だった。


「おやおやまあまあ」

「あ……あぁ……」

「うふふっ、可哀想な子。そんなあなたには最高のお楽しみをあげるわね」


 ゾフィネスが声を発した、次の瞬間。

 周囲に広がる血の池から数え切れないほどの人がヌッと浮かんできた。

 どれも見たことのある顔。フレアの村の住人達である。


「どうしてお前だけが」「加護持ちだからか」「羨ましい」「加護持ちって美味しいのかな」「ねえどんな気持ち?」「あなたはそんな子じゃないと思っていたのに」「期待を返せ」「卑怯な娘」「自分だけ生きるなんて浅ましい」「俺が加護持ちなら」


「あ……あぁ……」


 ゆっくりと近付いてくる血に濡れた屍体。

 全員が目を血走らせ、その歯を剥き出しにして憎悪の感情を幼い娘に叩きつけている。

 優しかった住民はそこにはいない。いるのは憎しみに飢えた醜い汚染の化身達。


「絶望をゆっくりと味わえばいいわぁ。あなたも、そしてその屍体達も」

「やだ、やだ……」

「――食べちゃいなさい」

「嫌ァ――――――ッ!!!」


 叫んだ。

 あらん限りの叫び声を上げた。

 でも誰も助けてくれはしない。

 手足を噛み付かれても。頬肉を齧り取られても。目玉を取り出されても。骨を舐めまわされても。臓物を啜られても。髪の毛を頭皮ごと剥がされても。


 痛みが。

 熱い痛みが襲う。

 絶叫を喉から絞り尽くして、しかし喉も食いつかれて声も出なくなる。

 意識が消えない。彼女の宝石のような碧眼が抜き取られて視界が完全に閉ざされても、意識だけは消えない。

 限界を超えた痛みが彼女を蝕み、叫び声もあげることもできず、肉が咀嚼されていく感覚だけをフレアに訴えかけてくる。


 そして。

 自分の体のほとんどが屍体達の腹に収まり始めた時。

 ようやく意識が消えた。



 ★


「あらあらまあまあ。これで終わりだと思ったぁ?」


 ★


「ァ――――――ッ!!?」


 声が出た。

 滝のように額から流れる汗と、ボロボロと零れ落ちる鼻水と涙。それは自分が生きている確かな証である。


「お父さん? お母さん? お兄ちゃん?」


 気付けば真っ暗な暗闇の中でたった一人、ポツンと存在していた。

 周りを見渡しても誰もいない。ただ孤独な時間が過ぎるばかり。


 この光景を(・・・・・)フレアは(・・・・)知っている(・・・・・)


「――フレア」


 声がした。

 背後から、今にも消えそうな小さな声が。


「――」


 優しげな母の声。

 掠れてはいても、自分を包み込むような穏やかな雰囲気の持ち主。

 なのになぜ、自分はこれほどまでに後ろを振り向くのが怖いのだろう。


「ふれあぁ」


 漏れるような父親の声。

 無愛想だがしっかりと愛情を注ぎ込んでくれる憧れの存在。

 なのになぜ、足下から聞こえてくるその声を聞き、視線を下に向けることを拒絶しているのだろう。


「フレア」


 兄が目の前に現れる。

 心臓をナイフで貫かれながらもケタケタと笑っている。

 背後ではゾフィネスもまたケタケタと同じように嗤っている。


「うふふっ、可愛い子」


 池の中からどんどんと現れてくる見知った顔。血に濡れた彼らはやはり、ゆっくりとフレアに近づいていく。


「絶望、味わってね?」

「嫌ァ――――――ッ!!!」


 フレアはもう一度、喰われた。



 ★


「あらあらまだまだ。続くわよぉ?」


 ★


 また喰われた。


 また喰われた。


 また喰われた。


 また喰われた。


 また喰われた。


 また喰われた。


 また喰われた。


 また喰われた。


 また喰われた。


 また喰われた。


 また喰われた。


 また喰われた。


 また喰われた。


 また喰われた。


 また喰われた。


 また喰われた。


 また喰われた。


 また喰われた。



 ★


「ほらほらまだまだ。もう一回」


 ★


 喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。



 ★


「あらあらまあまあ。まだ足りないのぉ?」


 ★


 喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。喰われた。



「うふふっ、健気な子。そんなに欲しいなら、もっともぉーっといっぱいあげる」



 喰われ続けた――。



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