分岐点へ
まるで人々の心を写しているかのような、曇天の空。その下では慌ただしく怪我人の治療が行われている。
魔獣侵攻よりおよそ一日が経った。
しかしほとんどの人間は満足に寝ることができず、その足を昼夜駆けずり回していたことだろう。
そしてそれは今も同じ。
「――」
街の風景を淀んだ瞳で見つめるユウリは、石段の上に座っていた。
その場で目を瞑ると、あちらこちらから悲鳴が上がる。怒声が上がる。
ゾフィネスによる呪術を受けた、"汚染者"達。その絶叫だ。
ほとんどの人間が満足に寝られないのも当然のことだろう。これほどの声がどこからも響いてくるのだから。
現にユウリとて睡眠時間はいつもと比べると半分もない。
「――」
無言でずっと、己の拳を見つめる。
魔力を掻き集めた、青白い純魔力。これにいつもなら【衝撃】の魔術式を加える修行を行っているところだが、生憎とそのような気分でもなかった。
単なる気休め。
何もすることがない。
何もできることがない。
そんな自分に対する、ほんの気休めでしかない。
「――こんなところにいましたの」
青白い魔力を灯していると、隣にスッと座り込む気配を感じた。
チラリと覗くと、そこに見えたのは金色のロングストレートの先を螺旋状に巻いた少女の姿が。
「フレリーナ」
「フレノール、ですの。いつもあなたはそうやって間違えますわね」
「ああ、そうだった。ごめんなフレランス」
「わざと間違えなくともよろしい」
ユウリの力ない冗談に、怒るでもなくどこか困ったような苦笑を浮かべるフレノール・メルドリッチ。
彼女は魔獣の被害に遭わずに、ここまでしっかりと避難を完了したようだ。
「……メルは?」
「相変わらずですわね。……正直、側にいるのが辛いほど」
「そか」
彼女の従者、メルクレアもまた、汚染の被害に遭っていた。命だけでも助かったことは僥倖だろうが、ステラなどと共に、衰弱していく様を見ていると楽観的な感情も搔き消える。
「あなたでも、こんな時は落ち込んだ様子を見せるんですわね」
「そうかな。いつもこんなもんだって」
「いえ、いつもならもっと軽口を叩くはずですの。こちらに喧嘩を売っているのかと疑うようなヘラヘラした顔と一緒に」
「あんたの目から見て、俺はどう映ってるのだか」
彼女の言葉に苦笑しながら、ユウリは肩を竦めた。
確かに今の自分はいつもの様子ではないかもしれない。
虚勢で塗り固めた自分ではなく、内側の何かが漏れ出ているかのような、そんな感覚が自身を襲っていた。
否。
(どちらかと言うと、もう少し前から……)
ふと溢れる言葉。
フラッシュバックしたのは、完膚なきまでにS級傭兵に叩きのめされた苦い記憶だ。
思えばあの時から、何かが自分の中を燻っているように思える。
それが何であるのか。
その正体は未だにわからぬまま。
「私の目から見ると、全く謎の男子生徒ですわね」
「――え?」
声に、下げかけていた頭をフレノールへと向けた。
「私の目からあなたがどう映ってるか、についての話ですわよ。入学当初はただの欠陥魔術師だと思っていたのに、気付けば"剣皇"の息子であるレオン・ワードを下している破天荒児。何をするのかわからない未知の生命体とも言えますわね」
「ははっ。なかなか酷いな」
「だけど、今は側にいれば少しだけ安心するクラスメートですわ」
フレノールの貴族特有の碧眼が、スゥっとユウリへと向けられる。
「生徒が逃げる際も、自分から進んで彼らを守ろうとした」
「――」
「誰かもわからない悲鳴の先へと、真っ先に来てくれたのもあなただった」
「――」
「あなたは自分のハンデのことで精一杯なはずなのに、他人のために足を進めることのできる勇敢な戦士ですわ」
言葉がユウリの耳から体へと浸透していく。
今、自分は何を言われているのか。
目の前の少女からどんな評価を得ていたのか。
言葉を聞き、しかしユウリは。
「違う」
その一言を無意識の内に呟いていた。
「別に他人に手を差し伸べたかったわけじゃない。優しさで、同情して、それを行ったわけじゃないんだ」
「ユウリ・グラール?」
「違う。違うんだよフレノール。俺はただ。ただ。ただ――」
その言葉の先は言えなかった。
言ってしまえば、己の中の確固たる根幹部分を直視してしまうから。
それを行えば、自分の無力さを嘆くことしかできなくなるから。
「――ごめん」
立ち上がる。
これ以上、彼女の眩いばかりの視線を目にしていれば、ユウリは壊れてしまいそうだから。
「ごめん」
もう一度だけ言葉を綴り、ユウリは歩いていく。
「ユウリ・グラール!」
「ごめん。また今度、な」
最後に振り返って、笑みだけを浮かべた。
おそらくとても弱々しい笑みであっただろう。それを目にしたフレノールは、追おうとしたその足を止めた。
それだけで、彼と彼女の距離は隔たりを生む。
後に残った冷たく重い寂寥感は、誰にもどうすることはできなかった。
★
「ユウリ!」
しばらく歩いた先に見えたのは、大剣を背負った軽装の女性と、その対面で彼女と話していた黒ローブを纏う眼鏡の男である。
"岩断ち"のエミリーと、学園教師であり剣術学を担当するマリウス・ディークライトだ。
「おいおいどうしたんだよ、そのシケた面はよ」
「エミリー。学友と友人があんな目にあったんだ。むしろ君の方がもう少し落ち着いてくれ」
ズイズイと近付いてくる彼女に対して、マリウスが待ったをかけるようにその肩に手を置いて彼女の行動を留める。
マリウスの方はいつもより疲労感を表情に滲ませているが、エミリーの方はいつもと変わらず快活な雰囲気を周囲に与えていた。
「逆だ、逆。こんな時こそいつも通りに振るうのが一番いいんだろうが。こっちまでシケた顔してりゃ、他の奴にも影響出ちまうじゃねーか!」
「それはあくまで他の人ならだ。君は普通の人よりも数倍騒がしいんだから、もう少し落ち着いたくらいがちょうどいいんだよ」
「――あははっ。エミリーさんは相変わらずですね」
苦笑する。
前々から豪快な人間だということは知っていたが、このような状況でもそのスタンスを変えるつもりはないらしい。
むしろこのような状況だからこそ、このような振る舞いをしているという。
自分とは、大違い。
「そういうお前はお前らしくねーじゃねえか。もっと呑気に笑ってるだろ、いつもは」
「さっき同じクラスの奴にも言われました。いつもそんなに呑気そうにしてますっけ?」
「自覚がねーんなら、余程だな」
「やぁー、手厳しい」
エミリーの容赦ない言葉に後頭部をポリポリと掻く。
「それで、何の話をしていたんすか?」
「今回の被害について、諸々の情報が届いてね」
そういえばここにいる二人は何をしていたのか。それを尋ねると、エミリーの代わりにマリウスの方が答えた。
ヒラヒラと、一枚の報告書のようなものを見せ付けられる。
「被害の情報……」
「そうだ。実際に目を通して見ると、予想よりかなり酷いものだよ。騎士や傭兵のかなりが傷を負っている。中にはこの街に着いてから、程なくして亡くなった人間もいるようだ」
「――」
「何より痛手なのが、魔術師専門としてここに配属されていたロベルト・ディアヌス教師が殺されたことだろう」
「"汚染"の手にかかったそうだ」と。
マリウスは表情を歪ませて、眼鏡をスッと上げた。
「増援も来るようだが、一週間ほど待たされるそうだ。それまではレガナントへと通じる洞窟の通行を禁止にすることが決定された」
「妥当っちゃ妥当だろうな。俺はさっさと魔獣狩りに行きたいわけなんだが」
「流石の君でもあの数を相手にするのは厳しいだろうね。何より"災厄の使者"までいる始末だ。蒼翼の騎士団が到着するまでは、このバーベルに駐在することが賢明だろう」
マリウスとエミリーの会話。
それによって、昨日レオンから聞いた王宮騎士団がこちらに向かっているという情報が正しいものなのだと理解する。
そして、その到着が一週間ほどかかるということも。
「王宮騎士団が着いてから、どうやって都市の奪還をするんですか」
「詳しいことはもちろん彼らがここに辿り着いてから決めるが、おおよそ王宮騎士団が前衛を務めて、都市のあちこちで傭兵がゲリラ戦を仕掛けるというものになるだろう」
話によると、都市の内部に詳しい傭兵は遊撃隊として動いてもらった方が、魔獣駆逐の効率が上がるというらしい。
「その際はユウリ君にもできれば力を貸していただきたい。今は少しでも人手が欲しいからね」
「……」
マリウスの笑みと共に出された言葉に、ピクリとユウリは体を反応させる。
確かにこの惨状を見るに、生徒ではあってもまた傭兵でもあるユウリの戦力は使わない手はない。
「俺も――そうですよね」
そうだ。
ユウリは傭兵なのだ。
傭兵は都市の防衛義務があり、だからこそ他の傭兵達の多くは果敢に魔獣へと挑んでいった。
ならば、どうしてユウリはあの時。
他の生徒と共に避難していたのだろうか。
「――ユウリ?」
エミリーからの声がかかる。
けれどユウリは反応を示さない。
己の思考に没入していく。
回り、回り、回っていく思考。
何が正しかったのか。何が正解であったのか。
どうすれば良かったのか。
それらを考えて、堂々巡りに陥る。
――そんな、時のこと。
「――ユウリ・グラールッ!」
鋭い声が自分のもとまで飛んだ。
その声にビクリと体を反応させて、その声の主の方へと視線をやる。
声の主は、スイ・キアルカであった。
「――先輩、どうしたんすか」
こちらへとものすごい形相で走ってくる彼女の様子に、ただならぬ何かを感じ取った。
嫌な予感が、ユウリの中に芽生え始める。その芽生えが決して自分の思い過ごしであることを願いながら、彼女が近付いてくるのを待った。
「……ッ……ッ」
「先輩?」
「あなた、フレアさんをどこかで見ませんでしたか……?」
言葉に、ユウリは首を傾げる。
フレアの姿。確かに今日は彼女の白銀の姿を目にしてはいない。
「やはり、ですか」
「スイ先輩。話が見えないんすけど」
「――さっき、レガナントへと通じる洞窟を封鎖している騎士から連絡を受けました」
息を整えて、スイは姿勢を正す。そして言葉を続けた。
「白銀の姿をした魔術師が、どうやら封鎖している洞窟を通ってレガナントへと向かったらしいと」
「――ッ!?」
「なんだと」
ユウリと、その場にいた二人は彼女の言葉に目を見開いた。
白銀の姿をした魔術師。そのように形容できる人間など、大陸中を見渡してもそう多くはないだろう。
「おそらく、フレアさんはレガナントへと向かいました。理由はおそらく――」
「"汚染"、ゾフィネス」
口にして、ストンと何かが自分の腹の中に落ちたような気がした。
彼女の言葉も。彼女の中の憎悪も。
それらを考えた、彼女の行動も。
全てに納得がいったから。
「このままじゃ、フレアが死ぬ」
ポツリと呟いた言葉に、ユウリはどこか己の視界が黒く染まっていく感覚を覚えた。




