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ただの欠陥魔術師ですが、なにか?  作者: 猫丸さん
三章 実地研修編 後編
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明けて、絶望

 山中都市レガナントへと通ずる洞窟は、麓町バーベルと繋がっている。

 レガナントから避難した人々が連れられる先は当然、この麓町バーベルであり、今は数え切れないほどの難民とも言える人々が、野宿しながら食事を啜っていた。


「――」


 その風景を眺めるユウリの表情は、いつもの呑気なそれとは真逆のもの。

 普段の彼からは考えられないほど視線を落とし、その顔色を暗く染めている。

 しかし被害を考えれば当然と言えるかもしれない。


 レガナントでの魔獣進行からおよそ半日が経った。

 死者の大体は傭兵や騎士達だったが、都市の住民にも決して少なくない犠牲者が出ている。また怪我人も多数。


 幸いと言うべきか、都市が完全に魔獣に荒らされる前には市民の避難が完了した。でなければユウリ達もこのバーベルへとたどり着いていない。

 それによって傭兵や騎士達も避難を開始。

 全滅する前に何とか脱出が叶ったというわけだ。


「――」


 脱出後、人々はバーベルの街に布幕を設置した。

 そこを避難民の仮宿、そして怪我人の治療室として与え、今に至る。


 未だ多くの怪我人と"汚染者"の悲鳴があちらこちらから聞こえており、それがユウリの耳へと届いてきた。

 その声を遮断しようと耳を閉じたい衝動に駆られる。けれど、それをすることは彼らを愚弄することのように思えて、ユウリは遂にその行動に移すことはできなかった。


「――何もできなかった」


 ポツリと。

 彼の呟きが空気の中に溶けて消えていった。



 ★


 ふらりと歩いた先の布幕へと足を踏み入れる。そこは他のものとは一線を画す、一際大きな天幕だった。


「――ユウリか」


 用意された簡易椅子に弱々しく座り込んでいたのはレオン・ワードである。

 普段は凛々しく力強い光を瞳に灯す彼であるが、今だけはその光も消えかけていた。


 無理もない。

 彼の目の前で悲鳴を上げながら暴れ続ける、ステラの姿をずっと眺めているのだから。


「――ァァァァアアアア!! 嫌ァッ!! もう殺さないで! 置いていかないで! 止めて! 私を一人にしないで!! 嫌ァ――――ッ!!!」


 目をカッと見開いて、寝台の上で絶叫するステラの姿は、どう見ても気が狂っているようにしか見えない。ユウリも初めて見たが、これが"汚染"ゾフィネスの呪術を受けた者の末路だという。


 彼女はずっと手足をバタバタと動かし続けており、体中から汗を流している。

 この状態は、ステラを発見した時からであり、一向に改善される気配はなかった。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。何もできなくて、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。役に立たなくて、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」


 うわ言のようにごめんなさいと呟き続ける。

 聞くところによると、この呪術は一週間ほど想像を絶するような悪夢を見せ続けられるとのこと。

 最悪の場合は三日も経てば気が狂って、衰弱死してしまうこともあるらしい。それほど恐ろしい呪術に、ステラは晒されている。


「あの時、僕がもっと早くステラを見つけていたなら、こんなことはなかったはずなんだ」


 レオンが悔いるような声色を漏らした。


「……オルベグルスの岩に避難民が混乱して、彼女と逸れたんだ。お前のせいじゃない」

「それでも僕がしっかり彼女を見ていれば……ッ」


 ドンッ、と。

 自分の膝に拳を打ち付ける。

 彼は許せないのだろう。何もできなかった自分自身を。


 それでもこうしてステラの側に居続けることができるのは、彼の強さだ。

 ユウリにはない、真っ直ぐとした強さなのだ。


 現実から逃げるためにマリーとオルカの側から逃げ出したユウリとは違って。


「――レオン。レガナントのことは?」

「聞いた」


 話を変えようと。

 ユウリは声を絞り出したところ、即座に返事があった。


「一時放棄される、らしいな。討伐部隊が王都から寄越されるのに、およそ一週間ほど。それからレガナント奪還作戦を進めると耳にした」

「らしいね。俺もその情報を聞いた。王宮騎士団が動くらしい」

蒼翼の騎士団(ノーブル・ソード)か」


 ギュッとレオンは拳を握り締める。

 王宮騎士団、蒼翼の騎士団(ノーブル・ソード)。その隊長を務めるのが、確か彼の父親である"剣皇"と名高いレオナール・ワードであったはずだ。


 父親に会える、といった心境ではないのだろう。

 今この状況では、レオンの頭の中に締めるのは目の前の彼女のこと。


「確かに岩竜、そして"汚染"がいるとなると父上が出て来なければ収めることはできないだろうな」

「この大陸で一番の剣士だったか」

「そうだな。一番かは"北の剣皇"と決着が着いてないからわからないと言っていたが」


 レオンは腰に掛けられている剣の柄を、無意識に撫でる。


「しかし一週間。それじゃあ、遅いんだ」


 一週間ということは、おそらくちょうどゾフィネスの呪術が解け始める頃合いだろう。

 けれどそれは喜ぶことのできるものではない。むしろ全くの逆。タイムリミットでもあると言えるのだ。


「治癒魔術師の話によると、"汚染"の呪術を一週間耐え切った者は一桁ほどしかいないらしい。それ以外は全て途中で気が狂うか、衰弱死を遂げると聞いた」

「――」

「一週間では、ステラは助からない」


 彼の言葉が重くのしかかる。

 ステラの様子は今なお暴れ続けている現状を見れば一目瞭然だ。

 この様子では一週間どころか、三日を過ぎた辺りから怪しくなるだろう。

 五日でも耐えきることができれば、奇跡だ。


「治癒魔術師には、どうにもできないのか」

「――できないと言われた」


 べっとりと汗により顔に張り付いたステラの蒼髪を、レオンは己の手で払いのける。

「レオン、レオン」と名前を呼ぶ彼女のその手を、彼は強く握った。


「ユウリ。僕は最悪の場合、覚悟を決める」


 まるで死の覚悟を固めるような表情のレオン。彼の言いたいことを、ユウリは察した。


 彼の言う覚悟というのは、ステラの死を覚悟することではない。

 それをさせないための覚悟のことだ。


(無理だ)


 心の中で、それは不可能だと断ずる。

 彼一人では何も変えられない。弱肉強食、それがこの世界のルールなのだから。


(その時は、俺が止めるしか……)


 暗い表情のまま、ユウリは無言のまま布幕を出ていく。

 ステラだけではない。あちらこちらから絶叫のような悲痛な声が上がっている。"汚染"にやられた者達だ。

 顔を歪ませて、ユウリはそこから去っていく。


 そろそろ、向こうの様子を覗きに行かなければならない。

 半ば使命感のような気持ちが、そのように浮かんだから。



 ★


 ユウリが次に身を移した場所は、ステラとレオンがいる布幕から少し離れた場所にある、先ほどより少しばかり小さな布幕だ。

 その中に足を踏み入れる。


 やはり、まだ絶叫が響き渡っていた。


「お兄ちゃん! 嫌、嫌ァッ!! お兄ちゃァァァァアアアアアアアア!!!」


 地面に敷かれた布の上で暴れ回るマリーの姿があった。

 悲鳴を上げる少女を見守っていたフレアの姿があった。


 そして、首に斬撃を受けて生を奪われたオルカの姿があった。


「――ッ」


 表情が自然と歪む。

 それと同時に、彼らを発見した時の状況が脳内に呼び起こされる。


 血を噴き出して倒れるオルカと、ひたすら彼の名を口にするマリー。

 ユウリ達が彼らのもとに姿を現したのは、全てが終わった後であった。


 そして、その傍にて。

 マリーの体を抱き締めていたフレアの姿を、ユウリは今でも覚えている。


「――フレア。もうずっとここにいるだろ。何か食事でも取らないと、お前の方が保たない」

「いらない」

「だけど」

「いらないって言ってるでしょ!?」


 鋭い声が飛んだ。

 思わず口を噤んでしまうほどの、怒気がぶつけられる。


 いつも涼しい顔をしている"加護持ち"の彼女が、けれど今は激情を燃やしていた。


「……ごめん。あんたに八つ当たりしたところで、何も改善するわけじゃないのに。ごめん」

「別に気にしてないよ」


 彼女の隣まで歩いて、そこに立つ。


 汗を滝のように流すマリーと、逆に冷たく横たわるオルカ。

 負の感情を一身に受け続けている彼女と、逆に何の感情も持たない無の表情で永眠している彼。

 苦しむ妹と、逆に死んだことで何も感じなくなった兄。


 対極に位置する彼ら兄妹の姿。

 隣を見ると、フレアはただひたすら悲痛な視線を彼らに向けている。


「どうしてこの子達がこんな目に合わなきゃならないのよ」

「……」


 誰に問うでもない、単なる独り言だろう。

 けれど、彼女は誰かにそう問いかけたいのだ。自身と目の前の兄妹を重ねてしまった彼女にとって、それは必要な行程だった。


「兄を失って、家族の中で一人になる。肝心の自分は悪夢にかかる」

「――」

「これがどれだけの辛さか。孤独か。私にはわかる」

「――」

「ゾフィネス。全てはあいつが元凶」


 ぎりぎりと、歯が噛み締められる。

 彼女の周りに揺らぐ魔力は、もしも本気を出せばここら一帯を焼き尽くしてしまうのではないだろうかとさえ思わせられる。


「――許さない。絶対に」


 彼女の右手が蒼炎に包まれた。

 今のフレアの瞳の奥底には、青空のように澄み渡る蒼炎が灯されるのではなく、どこまでも黒く染まった憎悪の炎が激しく爆発している。


 そんな印象を、ユウリは抱かされた。



 ★


 フレアのもとから離れて、ユウリは一人で街の中を歩く。


 周囲からは絶叫が。

 悲しみ嘆く声が。

 激しい怒号が。


 様々な負の感情が声となって耳に届いてくる。その中を憂鬱な表情をしながら歩いていく。


「――」


 ユウリはあの時の光景を今でも鮮明に思い出せる。


 倒れ伏すオルカ。

 その際誰も気付かなかった、オルカの残した最期の置き土産。

 血によって書かれた、ユウリへのメッセージ。


 ――助けてください。ユウリさん。


「――俺は、何をしていた?」


 レガナントを駆けずり回っていた。

 けれどそれはフレアを探していたから。

 魔獣と戦っていた。けれどそれは身を守るため。


 ユウリは生徒として、最初は避難していたのだ。

 傭兵であるはずなのに。


 そして。

 覚悟を固めるレオン。

 憎悪を燃やすフレア。

 彼らの感情を覗いてもなお、ユウリを襲うのは圧倒的な無力感のみ。


「俺に何ができるわけでもない。なのに、どうしろと?」


 問いかけたい。

 ここにはいない誰かに。

 師であるあの老人に。

 自分をくれた――に。


 しかし答えは返ってこない。

 返ってくるはずもない。


 だから、ユウリは。


「俺は何をすればいい?」


 黒い眼差しを天へと向けて、ただそこに立ち続けることしかできないでいた。




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