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ただの欠陥魔術師ですが、なにか?  作者: 猫丸さん
三章 実地研修編 後編
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死別と絶望と

 山中都市レガナントを襲うのは魔獣の群れ。

 もちろん対抗するべく、レガナントに在中している騎士や傭兵達がそれを迎え撃つのはごく必然的なことである。


 当初こそ、この魔獣の軍勢を押し返そうと奮闘していた彼らであったが、しかし状況は一変した。

 今はできる限りの時間稼ぎと、魔獣の侵攻を防ぐことに力を注いでいる。


 一体なぜか。


「誰か、アレを止めろォ――――ッ!!」


 鋼鉄の鎧に身を包む傭兵の男が、絶叫を上げる。そしてそのすぐ後に、降り注いだ岩の一つに体を潰され、地面を赤く染めた。


「……まさか竜種がお出ましとはな」


 ハウンドドッグを斬り伏せた騎士が、舌打ち混じりにそのようなことを呟く。

 岩竜ガルベグルスを見据えて、それを憎々しげに。


 ガルベグルスの姿を形容するならば、巨大な岩でできた小山というのが最も当てはまるだろう。

 四足歩行から行われるのっしりとした動きは決して早くはない。けれどあまりの巨体とその頑丈さにより、ただ動くだけでも非常に脅威となり得る。


 体全てが岩の鎧に覆われており、その瞳は竜種独特の黄金の眼光を放つその存在は、この場にいる誰をも絶望の淵へと叩き落としていた。


「あんなもん、どうやって勝ちゃいいんだ」

「勝つ必要はねえ。とにかく今は止めるんだ…!」


 押し寄せる魔獣は街の中に入った瞬間、散開し始める。それを仕留めていく傭兵達は、巨大な岩竜から発射される岩砲弾に意識を注ぎつつも魔獣の相手をしなければならない。その圧力を終始感じている。


「――がぁ……ッ」

「ベルツがやられた!」


 ――そしてそれは、戦闘における隙を生んでしまう。


「治癒魔術師はいないのかッ!」

「ここから先のところで待機してる。早くそっちに――ぐ……っ」

「今度は騎士がやられたぞ!」


 都市にいるはずのA級傭兵は、避難先に魔獣が向かったとのことで、単体突入を行った。ゆえにここでの指揮をする立場の者はいないため、各個人がそれぞれで判断して動いている。


 中にはもちろん、逃亡を実行する者もいた。

 けれどライセンスC以上の傭兵や、騎士などの多くはこの場に踏み止まって魔獣の相手をしている。それが自らの使命だと信じて。


「――ッ!」


 岩が降り、魔獣の相手をして。

 眼前にゆっくりと迫ってくる竜の存在を意識しながら。

 戦い続ける者達。


 むしろここまで長く戦闘が続けられていたことの方が奇跡と言えるのかもしれない。


 戦闘開始からおよそ二時間。


 防衛戦は崩壊し、そして突破された。



 ★


「――ハァ……ッ」


 息を切らし。

 けれどオルカは走る。

 その手には唯一守るべき存在が、その温もりがあるから。


「――お兄ちゃん……。もう、走れない」


 その温もりが、重くなる。

 立ち止まって荒い息を吐き、膝をつくのはマリーであった。

 オルカとしても、彼女をここで休ませて上げたい。しかしその時間も余裕もなかった。


「マリー、休むのは後だ。今は走って!」

「でも、もう、無理だよ。お兄ちゃんだけでも……」

「マリーッ!!」


 オルカは怒鳴った。

 妹の口からそのような言葉を聞きたくもない。それに彼は誓ったのだ。


「父さんと母さんの分まで一緒に生きようって誓っただろう! こんなところでお前を置いてはいかない!」


 歩けないのならば、背負えばいい。

 オルカはもはや走れる状態ではない妹を背負って、重い足を再度動かし始める。


 何のために前線から退いて、ここまで逃げてきたのか。それは誰よりも妹を守りたかったからに他ならない。

 例え何と罵られようと、今は彼女と共に生きることが先決である。


「――くそ」


 思わず眉を寄せた。

 前方に魔獣が見えたからだ。


 姿を見せたのは危険度D+級と位置づけられる一角兎(ホーンラビット)であり、頭の上に生えている長く先の尖った角が特徴的な魔獣である。

 体全体は大柄な野兎に似ているが、決して可愛らしいものではない。

 口からは剥き出しの牙が。頭からは鋭利な角が。それらが二人の命を脅かす。


「マリー、下がって!」


 剣を鞘から抜き去り、襲いかかってきた魔獣を迎え撃った。


 突進してきた一角兎の角を巧みに受け流し、その突進の軌道を僅かに逸らす。

 魔獣をひらりと躱して交錯、その後一匹と一人の距離はまた開いた。


「お兄ちゃん!」

「マリーは逃げて。僕が相手をする」


 不幸中の幸い、と言うべきか。

 魔獣はこの一匹以外は見受けられない。

 周囲にはチラホラと、逃げ遅れたのか足をバタバタと動かす者が数人ほど。


 けれど市民だ。

 魔獣を相手にできるのはこの場で、オルカただ一人である。


 ならば。


「――ッ」


 一角兎の突撃を寸前で躱す。

 その際に、己のショートソードを振るうことを忘れはしなかった。

 新品に近いその剣の切れ味が未だ衰えているところがないためか、スッと滑らかに魔獣の肉を裂く。


 鮮血が舞った。

 一角兎が兎とは思えない野太い声を上げる。


 けれど、傷は浅い。


(ユウリさん)


 戦闘経験が無いわけではない。

 しかし乏しいことを自覚しているオルカは、それまでの待ちの構えを解いて足に力を入れる。


 すなわち、敵の懐へと飛び込む覚悟を固めたということ。


(僕に勇気を、ください)


 脳裏に描くのは、つい最近見知ったばかりの黒髪の少年。

 危険度の高い魔獣を相手に己の四肢だけで向かっていき、そして勝利を手にするあの姿である。


「――行くぞ!」


 だから自分もそうありたいと。そうなりたいと。

 守られる立場から守る立場に変わるため、オルカは声を上げて果敢に攻めていった。


「お兄ちゃんッ!」


 悲痛な叫びが聞こえる。

 マリーのその声を耳にしてオルカは一瞬だけ動きを止める――ことはなかった。


 真っ直ぐと。

 ただ真っ直ぐと。

 敵への距離を詰めていく。


 同じく敵もまたオルカへと直進する。

 互いに互いへの距離を埋めようと進めば、それだけ接近までの時間は短くなる。オルカと魔獣、その隔てていた距離はすぐにでも埋まった。


「――くぅ……ッ」


 オルカの腹部へと迫る鋭利な角の先を、自前の剣でなんとか受け流す。

 衝撃がビリビリと腕に伝って震えるが、しかしそれを気にする暇もなく魔獣の追撃が来る。


 魔獣の前足が振るわれた。

 先端に尖る爪の部分がオルカの肌を浅く切り裂く。ただの擦り傷ではあるが、しかしオルカの赤い血がピッと飛んだ。


「ホーンラビット、獲ったッ」


 しばしのタイムラグが発生したすぐ後に。

 怯むことなく一文字に振るったショートソードが、一角兎の側頭部を切り裂いた。

 頬肉を削ぎ、肉を断ち。けれども腕を止めることはしない。


「――ツァァアア!!」


 振り切る。

 水平に薙ぐその一撃は、魔獣の肉の深部まで切っ先をめり込ませた。

 骨まで斬り裂けたわけではないが、間違いなく魔獣にとっての致命傷となり得る斬撃。


 ぐらり。

 ギュァ、と一鳴きした一角兎がゆっくりと体を傾けさせて、倒れる。

 それをオルカは荒い息を吐きながら見下ろす。


「勝った……」


 肩を上下させて、安堵と共に腰を落とした。

 魔獣の脅威が退いたことに安心感を覚えたからこそ、全身の力が一気に抜けてしまったのだろう。


「だ、大丈夫……?」


 不安そうな声が聞こえた。

 チラリとそちらの方に視線を向けると、オルカの唯一の肉親とも言えるマリーの姿がそこにあった。

 眉を寄せて、心配そうにこちらを見ているその姿には、どこにも怪我をしたような様子は見受けられない。


 ――守れた。


 その事実が、オルカの緊張を緩める。




 だからだろう。


 背後に佇む白き魔女の存在に、この二人が気付けなかったのは。



「あらあらまあまあ。ここにも人がいたのねぇ」

「――ッ!?」


 気配も殺気もなかった場所から突然声が降ってきた。ゆえにオルカとマリーの二人はバッとそちらの方を勢いよく振り向く。


 見覚えのない女性。


「あなたは、誰ですか?」

「ゾフィネスよ。気軽にフィーさんと呼んでくださいな」


 カラカラと笑うその魔女は、笑顔だけを見るならばどの男も魅了しそうな眩い光を発している。

 けれども彼女の目はどこか狂気的だ。彼女の手に収まっている鋭利なナイフからは血がダラダラと流れている。


 オルカは傭兵だ。

 だから本能で察することができた。

 この女は危険であると。


「ゾフィネス。聞いたことがありますね」


 聞いたことがある、とオルカは口にしたが。その存在を傭兵が知らないはずがないのだ。

 一般人でもおよそ知られる、"災厄の使者(エンドリスト)"の一人。

 "汚染"の名を持つ彼女は、幾つもの都市を破滅させてきた凶悪な犯罪者なのだから。


 自然とマリーの肩に手を回す。そして再度襲ってきた緊張ゆえか、強く握ってしまった。


「お兄ちゃん……?」


 不安そうに自らの手の中で瞳を揺らす妹の存在。兄の様子から只ならぬものを感じたのだろう。

 彼女もまた、オルカの体に己の体を寄せた。


(マリー……)


 妹の震えが、ダイレクトにオルカへと伝わってくる。


 守らなければ。

 守らなければ。

 守らなければ。


 強く願い、震える体を押さえつけて、剣の柄を強く握った。


「僕の妹には――指一本触れさせない!」


 妹を離して、真っ直ぐと突っ込んだ。


 ゾフィネスとの距離は近い。

 不意を討てば万が一の機会(チャンス)というものが生まれるかもしれないと、オルカはその剣を振るった。


 斜めの線を辿る袈裟斬りが、オルカの人生の中でも最速であろう剣技より放たれる。

 この時の彼の集中力は並みのそれではなく、おそらく相手がユウリであっても完全に躱すことは叶わなかっただろう。


 その剣技が。

 まるで何もない虚空を切るように。


 手応えなく、空気だけを切り裂いた。


「ふふっ、怖い人。こっちよぉ」


 突如、肩に重みが増す。

 隣にゆっくりと視線を向けると、オルカの肩に手を回すゾフィネスの姿があった。


 ゾッと。

 悪寒が走る。


「――ッ!!」


 続く第二撃目。

 精度の無い、無茶苦茶な軌道を描く薙ぎ払い。けれどこれもまた虚空を走るだけ。

 まるで初めからそこにはいなかったかのように、一瞬で掻き消えた。


「何が、どうなって……」

「あらあらまあまあ。あなたが今追っているのは、私の幻影よぉ」


 今度は正面に突然現れた。


 剣を振るう。

 空振り。


「あなたにはすでに、私の呪術がかかってる」


 斬っても斬っても斬っても斬っても。

 ゾフィネスは空気の中に溶けるようにいなくなるだけ。

 どうやっても、どれだけ剣を振るっても届かないその存在にオルカは冷や汗を幾つも溢す。


「さてさてそろそろ。あなた達お二人に絶望の味を教えてあげる」

「――ッ」


 ゾフィネスの口が、まるで裂ける直前まで吊り上げられた。

 三日月のような形の笑みに、嫌な予感が脳裏を過ぎ去る。


 ここにはオルカとマリーの二人しかいない。

 そして目の前の"汚染"の標的は、自身とマリーの二人。


(マリーには)


 剣の柄を強く握る。


(マリーだけには)


 チラリと視線を向ければ、震えを抑えきれない妹の姿が。


「マリーだけには、手を出させない……ッ!」


 強く踏み込み、"汚染"へと果敢に飛び込んだ。

 絶対に退けない。退いてはならない状況、それが今であった。


 ゆえに飛び込み、自慢のショートソードを上段に振り上げて。


 そして。


「――あ、れ」


 目の前からゾフィネスが消えた。


 体が思うように動かなくなった。


 地面が赤く染まっていった。


 地面へと体が傾いていった。





「お兄、ちゃん?」


 後ろ首に横一文字の斬撃を受けたオルカが、ゆっくりと地面に傾いていく。

 多量の鮮血を空中に解き放ち、地面を酷く怪我していった。


 致命傷だと、子供のマリーでもわかるほどの手傷である。


「あ」


 ゆっくりと。

 兄の元へと歩み寄る。


 表情は蒼白としており、息は荒い。

 体は痙攣を起こして、視線は虚ろ。


「あ、あ、あ」


 手を握った。

 兄の手は、とても冷たく。まるで石のようであった。


「マ、リ――」


 言葉は最後まで出し切ることができず、オルカはその口から血を吐き出す。


 死にゆく兄の様子。

 それを目にして。


「――う、わぁあああァァああアアアアア!!!」


 マリーは叫んだ。

 目の前の絶望が、ただの夢であることを信じて。

 事実、マリーからするとこの光景は悪夢そのものだったから。


 その後ろでニッコリと嗤う白き魔女。





「さあさあそれでは。お嬢さんにも絶望、味わせて――あ・げ・る」



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