研修依頼と遭遇と
次の日の早朝のこと。
ユウリ達はスイも交えて、傭兵ギルドへと顔を出した。
「ようこそおいでませ」
出迎えたのはこの傭兵ギルドの支部長である、ラディーネである。
彼女の腰下まで伸びる艶やかな黒髪が真っ先に目に飛び込んで来たため、見間違えることはほぼなかった。
「ラディーネさん。今日もよろしくお願いします」
「ええはい。どうぞこちらこそよろしくお願いします」
「はい。それで、どうしてマリウス先生もここに?」
しかし彼女の隣に立っている男に関しては、ユウリは首を傾げてしまう。
特徴としては、温厚な雰囲気を纏った好青年というのが言葉にしてみて一番しっくりと来るだろうか。
知的な印象を思わせる眼鏡と貴族特有の銀の髪は、総会本部副総会長であるレスト・ヤードに似ているが、纏う雰囲気は苦労が見え隠れする彼と違って優しげなものだ。
服装は黒のローブを纏っていることから、ルグエニア学園の教師だろう。しかしユウリは学園の教師の顔をほぼ覚えていないために思わず「誰だ?」とまるで語るような視線を向けてしまった。
「ユウリ。彼は学園の剣術学を担当しているマリウス・ディークライト教師だ。前にキアルカ先輩から紹介があっただろう?」
「ああ、そういえば」
思い出すのは魔導汽車を降りてすぐに行われた、実地研修の開会宣言。その際にスイが同伴する三人の教師を紹介していたが、その内の一人が彼である。
ユウリがようやく目の前の教師について思い出していたところ、スイとマリウスの会話は続いていた。
「僕がここにいるのは、生徒の大半が今日は都市外への依頼を受けているからさ。その様子を確認したくてね。君達もその一つに含まれているんだけれど」
「なるほど。理由はわかりました」
マリウスの言葉に、スイは納得したように頷く。総会本部員として、一教師の動きも把握しなければならないのだろう。
大変なものだな、と。ユウリは他人事のようにそう思った。
「――」
「――?」
そんな時である。
マリウス・ディークライト。レオンの言葉では剣術学を担当しているという彼の視線が、真っ直ぐとこちらを向いていることに気がついた。
「俺に何かようでもあります?」
「いやいや。黒髪に黒い外套を纏う生徒に、少し覚えがあってね。もしかして噂のユウリ・グラール君かな?」
「噂って、そんなに俺って有名なんですか? やだなぁ、照れるじゃあないっすか」
「そりゃ有名だよ。もちろん悪い方の噂でね」
「なぬ」
お茶目に片目を瞑って舌を出すマリウス。その彼の言葉に呑気な笑みを浮かべていたユウリの肩ががくりと落ちた。
「……むしろいい噂があると思ったのですか?」
「考えればわかるでしょ。あれだけ魔力測定の時に酷い数字を叩き出しておいて」
耳を澄ませば横でスイとフレアの辛辣な言葉が聞こえてくる。それによってさらに傷を負ったユウリの精神。
哀れに思ったのか、レオンだけは慰めるようにポンっと軽く肩に手を乗せた。
「ま、まあユウリ君。魔力測定の値が悪くたって、ユウリ君の強さが変わるわけじゃないでしょ? だから気にすることなんてないよ!」
「そうだよな! 流石ステラ、よく分かってらっしゃる!」
「え、あ、うん。もう少し気にしてもいいとは思うけど……」
さらにステラの言葉に一瞬で立ち直る。そのユウリの姿に、激励の言葉を送ったステラ自身が苦笑しつつ身を引いているが、それに気付くことはない。
なんとも呑気なものだと、この場の全ての人間が心を一つにしてそう思った。
「しかし君がユウリ君となると、ズーグ先輩が言っていたように愉快な性格をしてるんだね」
「ズーグ先輩?」
「ああ。僕も昔は傭兵業をやっていてね。その際に先輩から色々と教えてもらったんだよ」
「命も助けられたりしたね」と。
あっけらかんにそのような言葉も口にした。
「その彼から君のことについてよろしくと、そう伝えられてるんだ。なるほど、ここで君に会えてよかったよ」
「それは悪い意味で?」
「はははっ。もちろん良い意味でさ」
先のこともあり、少し疑わしげな視線をするユウリ。その言葉に笑いながら、マリウスは首を横へと振った。
「君の体質についても少しだけ聞いてる。詳しくというほどではないけれど、満足に魔術の類が扱えないってことは知ってるよ」
「そうですか」
「もしも何か困ったことがあったなら、僕のところに来るといい。先輩が気にかける君のためだ。微力ながら力を貸すよ」
スッと手を差し出される。
友好の証であろうか。握手を求められた。
ユウリはその手の先をキョトンと眺めながら、握り返す。
「そろそろ私のお話に移らせてもらってもよろしい?」
その光景に、こほんと咳払いが降りたった。
このままでは話が進まないと判断したのだろう。ラディーネが口元に袖を当てながらニッコリと、しかしそれ以上は控えるようにと視線で語っていた。
ゆえに、ユウリとマリウスは互いに手を離す。
「失敬」
「いえいえ。友好的に接する教師と生徒の場も必要なことはもちろんわかっておりますゆえ」
別段気にはしていないようで、クスクスと笑いながらそのように言われた。
しかし「けれど、それは後回しでお願いします」と釘も刺される。
「これから彼らには依頼を受けてもらいますが、何分都市外でのこと。どれほど時間がかかるか正確にわからない以上、出来る限り早めに受諾して欲しいと思ってしまいます」
「そうですね。ラディーネさんのおっしゃる通りで」
マリウスもまた彼女の言葉に頷いた。それと同時に、ラディーネから一枚の紙を差し出される。
おそらくは依頼書であろう。それをスイが代表して受け取った。
「これが今回の依頼ですか」
「ええはい」
手に取って文字に目を通すスイ。その後ろから、内容が気になったユウリは彼女の肩越しに覗き見る。
依頼書の内容は、端的に言えば薬草採取の依頼であった。
ここより西側にある湖。そこに生息している薬草を幾つか摘んできて欲しいというもの。
「初めての都市外の依頼なので、比較的簡単なものを選ばせてもらいました。難易度もD−級なので、ルグエニア学園の生徒方には安全とも言える依頼かと」
「そうですね。西側なら凶暴な魔獣も少ないはずですし」
ここの土地について調べてきたのか、はたまたは最初から知っているのか。スイが彼女の言葉に理解を示すように頷いた。
「もし巡回中の騎士にあった場合はこの依頼書を見せてください。そうすれば向こうもこちらの事情を察してくれますゆえ」
「わかりました。では、そろそろ私達も行くとしましょう」
依頼書を懐に直して、スイはユウリ達の方へと向き直る。それが依頼開始の、ある意味での始まりを意味していた。
ユウリ達もまた、それぞれ心構えを整える。
早朝、傭兵ギルドにて。
この日の依頼が幕を開けた。
★
山中都市レガナントの外へと続く出入り口は三つある。
一つは麓街まで降りるための洞窟が存在する外山道。その反対側には鉱石や山の奥深くに入るための内山道がある。
そしてもう一つ、レガナントの周りに生い茂る森の中に用意された森林道。これら三つの道が舗装された街道だ。
ユウリ達が進んでいるのはその三つの中の森林道に当たる。
森林道をずっと進めば、都市の周りに輪っか状に広がる森をそのままぐるっと一周することになる、円形の道だ。
また東西南北によって生息する植物や生き物も若干異なるために、目的の場所の近くまで森林道を歩き、そこから舗装されていない森の中に入るという形が傭兵や巡回する騎士の基本的な動きとなる。
その例に溺れず、ユウリ達もまた森林道を歩く。舗装された道は周囲に木々がある中でも進みやすい。その事実にレオンなどは少しばかり意外そうな顔をしていた。
「山中都市ということで、もう少し荒れた道を想像していたんだが。レガナントというのはしっかりと人の手が加えられた都市なんだな」
「そうですね。正確には自然と一体化し、利便性と風流のバランスを重要視していると言えますが」
レオンの声に反応したのはスイである。
「広いルグエニア王国の中でもここでしか生息しない薬草などもあります。今回の目的であるパーム草もそうです」
「ふぅん。パーム草の生息地ってここだったのね」
パーム草、という単語に真っ先に反応したのはフレアだった。それに対してユウリが彼女に視線を投げかける。
「フレアはそのパーム草ってのを知ってるの?」
「ええ。あの草には身体に残中する魔力の効果を和らげる性質があるのよ。例えば、【麻痺】の魔術式や【睡魔】の魔術式を受けた時なんかには重宝するわ」
「フレアってやっぱり物知りだよな」
「逆にあんたは傭兵のくせに色々と知らないことが多いのよ」
フレアの言葉に思わず苦笑する。
確かにユウリの持つ知識というのは、生きる上で必須となるものや、傭兵として活動する上で必要なものなどが多い。
それは知識の吸収以上に、鍛錬などに明け暮れなければならなかったためだ。
しかし、それをわざわざここで口にする必要もないために言うことはしなかった。
「そういえば、私達の他にもこの森林道を進む学園生徒っているんですか?」
ユウリの様子から何かを察したのだろう。
話を変えるようにステラが先頭を進むスイにそのようなことを尋ねた。
チラリ、とスイが振り向く。
「ええ。一日目は街中で済む依頼を受け、二日目は都市外に出なければならない依頼を行うことが実地研修での基本となりますから。どうしてそのようなことを尋ねるのですか?」
「あ、いえ。さっきマリウス教師がそんなことを言ってた気がしたので」
「なるほど。ステラさんは他の傭兵希望の生徒と遭遇するかもしれない、と思っているのですね」
自らの心の中を見透かされたことに、ステラは驚いた表情を浮かべた。
「はい」
「確かに傭兵希望の者や、はたまた騎士希望の生徒と遭遇する可能性はありますね」
「傭兵希望はわかるんですが、騎士希望の生徒とも、ですか?」
「ええ。レガナントに関わらず、騎士や衛兵には街の外を見回る巡回作業があります。それと出くわすことも珍しくはありません」
「そうなんですね」
それだけを口にして、チラリと彼女はユウリを一瞥した。
何やら含みのある視線であるが、ユウリは気にすることをしない。
「大丈夫だって。多分揉めないから」
彼女の心境がある程度理解できたユウリは、そう口にした。ユウリの学園での他生徒からの評価は決して高くはない。むしろ最低値を叩き出しているとも言える。
先のマリウスとの言葉で悪い噂と口にされたことから、気配りのできる彼女が他の生徒からの辛辣な言葉を受けるのではないかと、ユウリを心配してのことだろう。
けれどユウリからすると、今更な話である。
周囲への評価が低いことなど、幼少から当たり前のことであったのだから。
そんなある種の開き直った様子に、どこか安堵したようにステラは息を吐いていた。
逆に、その隣を歩くレオンからは納得のいかないとばかりの顔をされているが。
「話をしている間に、湖近くまで来たわよ」
そんな彼らに向かって、ポツリと呟くようにフレアが声をかけた。
言葉にユウリ達は揃ってフレアの視線の先を追いかける。
「へぇ。ご丁寧に看板まで用意されてんのねぇ」
思わずユウリは関心の息を漏らした。
森林道をある程度進んだ先には、『この先、西部にレガナント湖』と刻まれた看板があった。
木の板で作られたそれは所々に傷跡が目立つため、おそらく最近になって作られたというわけではないのだろう。
それなりに古くから設置されているとすると、レガナントというのは長い期間自然と時間を共有することに時間を注いだのだろうと予想できた。
「さーて。んじゃ、湖に行きますか」
ユウリは伸びをしながら、森を円形になぞる森林道から枝分かれするかのような細い道へと足を踏み出した。
周りも同じく、彼へと続く。
そこで、ふと。
ユウリの足が突然のように止まった。
「ユウリ君、どうしたの?」
「――今、何か聞こえなかった?」
耳に手を当てて、周囲の音をより取り入れようと目を瞑る。
瞑目したその姿は一切の音漏れを聞き逃さないとばかりの体勢だ。それに首を傾げたのはスイ・キアルカ。
「一体どうしたので――」
そこまで口にした瞬間のこと。
スイもまた何かを察知したように、その動きを止めた。
また、瞑目していた状態のユウリは、カッと目を開く。
「これは……」
「誰かが、魔獣に襲われているようね」
フレアもまたユウリと同じく音を耳にしたのだろう。
先ほどの音、というのは。
聞き間違えでなければ、何者かの悲鳴のものであった。
★
「――ハァ……ハァ……」
「しっかりしてくださいまし!」
森林道の外れ。
レガナント湖の近くにて。
四人の人間と一匹の魔獣が対峙していた。
「――まさかこんなところに魔獣が……」
一房の白髪が目立つ茶髪を携えた、少年が呟く。
布をベースとした軽装を纏い、腰には小型のナイフが鞘に収まっている。
表情こそ無感情のものを装っているが、額からは嫌な冷や汗が流れていることが見て取れた。
その足下には、血だらけで倒れた一人の少年が意識を失っている。
「ロードス先輩! 目を覚ましてください、ですの!」
意識を失っている少年に呼びかける少女が一人。
長い金髪の先を螺旋状に巻いて、いつもなら毅然としている碧眼は不安に駆り立てられ揺れている。
フレノール・メルドリッチ。
ルグエニア学園の獅子組に所属する、メルドリッチ家の令嬢であった。
「ふ、フレノール様! 今は目の前に集中なさってください!」
その少し離れたところでは、魔獣に対して警戒の視線を送り続けているメルクレアが立っている。
彼女も体のあちらこちらに生傷が目立ち、幾つかの血が伝っていた。
それを見据えるのは、剣角鹿。
一見するとただの鹿であるが、その角は鋭利な刃のように鋭く磨かれている。
体毛は浅黒く、黄色の眼光が周囲の獲物を照らしていた。
危険度C+級の魔獣であり、とても学園の一生徒の手に負える相手ではないその生き物は、目の前の獲物をどう捉えようと模索しているのか動く気配がない。
けれど、背を見せれば最後。先のロードス・ラルクラルのように切り刻まれることになるだろう。
「……お姉さん。なんとか隙を見つけて、逃げないとですよ。これは」
「――ええ。そうするのが最良、ですの」
少年が呟く。
年は学園生徒であるフレノールと同じほどであろうか。ショートソードの柄を握りながら、彼は真っ直ぐと魔獣を見据えていた。
言葉にフレノールは唇を噛み締めて、しかし反論することなく頷く。
「メル。ロードス先輩を運ぶ手伝いをしなさい」
「――は、はい。でも大丈夫でしょうか……」
「仕方ないでしょう。置いていくことはできませんわ。メルドリッチの名にかけて、拾える命を捨てることは恥ですわよ」
強い口調で言われては、フレノールの付き人であるメルクレアは反論することはできない。
もとより彼女の中でも自分達の担当生徒を見捨てる選択肢は用意されていない。ロードスに近寄り、肩を担げるようにとゆっくり近づく。
そんな時であった。
「――来る……ッ」
剣角鹿が動いた。
僅かな気の緩みを察してのことか、回り道などせずに真っ直ぐとこちらに向かって接近してくる。
とても倒れたロードスを担ぐ時間などなく、あっと言う間に近寄られ、そして――。
「――捉えた!」
突如として現れた黒髪の少年による脚撃が、剣角鹿を吹き飛ばした。




