元から
山中都市に辿り着いたユウリは、まずやることとしてこれから都市に在中する際に世話となる宿へと足を運ばせた。
「あんたらもルグエニア学園の生徒かい。まっ、ゆっくりしていきな」
どうやらこの宿の女将らしき女性が声をかけてきた。
年の頃はユウリ達の年齢を二倍したよりも少し上といったところ。
彼女に軽い挨拶を交えたユウリ達は、そのまま引率者であるスイに引き連れられていく。
「ここがユウリ・グラールとレオン・ワードの部屋です。相部屋となりますが、よろしいですか?」
「大丈夫」
「僕も構わない」
スイに案内されるまま宿の一室へと移動し、そこで荷を下ろした。
都市の中でも中央近くに佇む巨大な宿――"山神の亭"。
レガナントの中心に聳え立つ監視塔のすぐ目の前に建てられたこの宿は、収容人数だけなら都市内どころか国内でも有数とされている。けれど決して質素といった雰囲気を見せることなく、荘厳とした印象を周囲に刻みつけていた。
また自然と一体化したように、周りには木々や草むらが生い茂っている。ある種、広大な庭を携えているような見た目だ。
内部は主に木造を中心として建設されているようで、風流を感じさせる趣ある内装をしている。木造だからと決して脆い印象を抱かせることなく、まるで芸術のように見る人々の心を癒すようだ。
どこか珍しい風貌をしたこの宿が、ユウリ達の今後の拠点となる場所である。
「しっかし大きいなぁ。この宿」
「当たり前です。宿泊人数の多い宿でなければ、ルグエニア学園の生徒を宿泊させることなどできないでしょう?」
「だが、ここまで大きい宿は王都でもあるかどうか怪しい。僕ですら、ここまでの宿泊施設は初めて見た」
畳の上に座るユウリとレオンは、周囲を見渡しては感嘆の息を吐く。
自然の匂いを感じさせる独特の造り。それに少しばかりの安らぎを覚えてしまう。
「そういえば、フレアとステラは?」
「彼女達は隣の部屋です。流石に同じ班と言えども同室にするのは控えさせてもらいました。いつあなたが獣と化すかわからないので」
「いやいや。フレアに殺されるわ」
「……私に、その、あんなことをしておいてよく言えますね」
「あれは事故。触りたくて触ったわけではないので大丈夫ってことで」
「そろそろ本気で殺してもいいでしょうか?」
笑顔で言われた。
目がどこか虚ろで、黒く澱んでいたような気もしたが。
「……ともあれ、明日から忙しくなります。今日一日はゆっくり休んで、疲れを残さないように。では私は自室に戻ります」
「ほーい。ちなみに先輩の部屋はどこ?」
「――忍び込むつもりですか?」
「違います。もしも用事があった時に部屋の場所を知っていた方が都合いいから」
絶対零度の視線で身構えるスイに対して、ユウリはいやいやと首を降る。
もちろんユウリに邪な感情は存在せず、ただ必要だから聞いたまでだ。
なにせスイ・キアルカはユウリ達の担当者でもある。何かしらあった時に連絡することは必須とも言えた。
それを聞いて彼女は「ああ……」と疲れたような顔をする。
「この部屋の一つ上の部屋です。ちょうどこの部屋の真上なので、すぐにわかると思いますよ。それでは」
そう言って、スイは去っていった。
後に残るのは自身とレオンの二人のみ。
「明日から傭兵活動か」
少しの沈黙が漂った後、剣の手入れを始めながらレオンがそのようなことを呟く。
「――何か思うところでもあるのか?」
「いや。ギルドで依頼を受けること自体が初めてだからな。少しばかり、心が躍る」
少しばかり口元を吊り上げる。
ユウリにとっては、傭兵活動というのは数年も前から行ってきたものだ。今更思うところなど、特には存在しない。
けれどレオンにとってはそうでないようだ。
初めての事だからこそ、その未知に足を踏み入れる事に心を躍らせている。
その彼の心境が、酷く眩しく映るのはなぜだろうか。
「――ちと、外に出てくる」
ユウリは視線をレオンから逸らして、ゆっくりと立ち上がった。
「どこに行くんだ?」
「適当にぶらついてみる。せっかく来たから、色々見たいしさ」
理由をつけては、室内から立ち去ろうとする。その場にいればいるほど、自分の中の何かと対面せざるを得ないような気がして。
「そうか。夕食までには戻って来るようにな」
「了解。それじゃ、行ってくる」
背中からレオンの言葉を浴びる。
対してユウリは逃げるように、部屋から立ち去った。
★
「そういえば、フレア達は隣の部屋って言ってたな」
部屋から出た後、ユウリは思い出したように声を出した。
先ほどのスイの言葉によれば、同じ班の二人はユウリ達の部屋の隣に用意されているとのこと。
どこかに立ち去る前に彼女達の様子を一目見るかと、ふと思いついたユウリは自室の左隣の部屋へと赴く。そして流れるようにトントンッと扉を叩いた。
「――はい。今行きますわよ」
「――あれ?」
予想した声とは随分と違うものが耳に届いた。どこかで聞いたことがあるが、決してフレアやステラの声とは違うそれである。
人違いだと、そう目の前の部屋の住人に伝える前に扉が開いた。
「――あなたは……」
そして住人はユウリの姿を目にして、ポカンと口を半開きにする。その姿を、逆にユウリは冷静な瞳で眺めていた。
ロングストレートの金の髪は半分から下が螺旋状に巻かれており、美しい色の碧眼はユウリを映しつつ僅かに見開かれている。
前回拝んだ時は黒を基調とするルグエニア学園の制服を着用していたが、今は部屋着であろうゆったりとした白色のワンピースを身に付けていた。
「――確か、フレリーノ」
「フレノールですの! いちいち失礼な人ですね!」
その者の名をフレノール・メルドリッチという。ユウリと同じく獅子組の一生徒である。
「メルかと思いましたけれど、どうしてあなたが私の部屋に?」
「あーっと。部屋を間違えて」
隣の部屋がフレアとステラの部屋だとは聞いていたが、右隣が左隣のどちらかを聞いてはいなかった。そのことに軽い後悔を覚えつつ、ユウリはポリポリと頭を掻く。
その仕草に、どこか小馬鹿にしたような顔をするフレノール。
「……ふん。欠陥魔術師は頭の方も欠陥だらけではなくって?」
「そりゃ、人間の頭の中には血管がいっぱいあるだろうけど」
「そういうことを言ってるんじゃありませんことよ! はぁ……」
ユウリの言葉に、どこか疲れた様子を見せる。彼女も色々大変なのだなぁと、元凶であるはずのユウリがお門違いにもそのような感想を抱いた。
「……ともかく。私は傭兵希望のあなたと違って明日から騎士としての活動が控えていますの。そろそろ休みますから、有意義な休息の時間の邪魔をしないでほしいのですけれど?」
「へぇ。フレリドルは騎士希望なんだ」
「当たり前ですの。それとワタクシの名前はフレノール。早く覚えてくださいまし!」
睨むようにそう言われる。
ともあれ、フレノールの希望職業が騎士であることに驚きは少ない。予想通りとも言える結果だからである。
「……ところで。あなたはこれからどこか外出でも?」
「――急にどしたの?」
「ただの気紛れ、ですの。ワタクシが聞いているのです。さっさと答えなさい」
高圧的な態度でそのようなことを問われた。
といえども、ユウリも目的があって外に出たわけではない。
「単純に外の空気でも吸いに行こうかと」
「あら。てっきり欠陥魔術師らしく、どこかしろで修練でも重ねて足掻くのではと思いましたけれど」
「――」
なぜか、ユウリは喉に空気を詰まらせた。
言葉を吐き出そうとして、けれど失敗したような感覚が襲う。
「まあ、そのような高尚なことを考えられるならば、魔力抵抗力はともかく魔力総量最低値など叩き出しませんものね」
「……」
「なぜそこで沈黙に? ワタクシは当然のことを言ったまで」
ふんッと。
フレノールは鼻を鳴らした。
魔導社会において、魔力総量の値はそのままどれだけ魔力を消費したかに直結しやすい。
もちろん才能の差が大幅に出てしまうものでもあるが、ユウリのように総量が低すぎると、それはすなわち努力を怠っているということを宣伝しているようなものである。
魔導社会を信じるフレノールもまた、その考えが根幹に佇んでいるのだろう。それを否定することは、この魔導社会という枠組みに捉えられた人間にはできないことだ。それをユウリは知っている。
「――そうだな」
ゆえに、というわけではない。
前回、レオン・ワードにも同じことを言われて、しかし不敵な笑みをユウリは返した。
だが、頭の片隅に残るアルディーラで起きた事件の記憶が。シド・ディノルとの決闘の記憶が。その片鱗がフラッシュバックする。
だからこそ、乾いた笑いしか浮かべることができなかった。
「――」
「んじゃ、俺はこれで」
「あ、ちょっと。待ちなさい」
眉を寄せたフレノール。
何かを後悔するような表情の彼女を、しかしユウリは直視できなかった。それがなぜかはユウリにすらわからない。
だが、それを見れば。
自身の中の何かが壊れるというその確信だけが、確かに胸の中に存在していた。
★
「――ユウリ?」
「フレア?」
山神の亭を囲む木々と草むらは、さながら庭園のようであった。その中で伸びをしながら進むユウリの前に、見慣れた後ろ姿を見つける。
セミロングの白銀髪を携える少女。
いつもなら強く、凛々しく、その存在を周囲に刻み付ける彼女であるが、なぜか今は切なく儚い。そんな印象をユウリは抱いた。
「やぁー。フレアも外の空気を吸いに?」
「ええ。ここの空気は結構気に入ったわ」
「そっかそっか」
風に揺れる自身の髪を抑えながら、フレアは言った。
気に入ったと口にはしたが、その口調に哀しみが多く含まれているのはユウリの気のせいではないはずである。
「――」
「――」
並び立つ二人。
そこに言葉は存在せず、ただひたすら沈黙が漂う。しかし気まずさというものを感じているわけではなく、ただ自然と口数がなくなったと形容できる雰囲気だ。
「――この都市の空気は、どこか私の故郷のものと似てる」
そんな沈黙の最中。
破ったのは意外にもフレアの方からだった。
「山があって、草があって。見渡せる空は澄み渡るような青一色。小さな村だったけど、とても生き生きとして生活していたわね」
「――」
「あの当時も、今日と同じくらい晴れ渡っていた気がする」
言いつつ、右手のひらに炎を灯す。
目の前に広がる青空にも似た、蒼炎。
右手の甲に刻まれた加護持ちの紋章。そこに刻まれし彼女の力だ。
「当時、ってのは」
「私の故郷が滅んだ日。今でも鮮明に覚えてるわよ」
「そっか」
「あの日から私は復讐を誓った。あの女を必ず殺すと――心に決めたの」
その蒼炎を握り潰す。
灯された炎の光は手の中に収まり、消えていった。
「ユウリ。あんたはさ、どうして私と関わろうと思ったの?」
「どうして……?」
「そ。私はあんたと関わろうとはしなかった。あんただけじゃない。他人の全てを拒絶していた。なのに、あんたはなぜ――」
「さあ。どうしてだろ」
遮るように、ユウリは言葉を重ねる。
その先の言葉をまるで言わせないかのように。
「明確な理由はわからない。ただ、関わろうと俺が思ったから。そうとしか答えられない」
「……そう。わからない、ね」
呟いては俯く。
彼女の表情は下を向いているため、ユウリにはその全容が伺えなかった。
けれど彼女の中の闇が、溢れてくる。その感覚は理解できた。
「フレア?」
思わず視線を細めて彼女の名を呼ぶ。
胸中の激情を押し殺そうとして、しかし漏らし続ける彼女の名を。
「もしわからないなら。ただの興味本位で私と対峙してるなら。もう二度と関わらない方がいいわよ」
「……」
「これは忠告。じゃあ、私はそろそろ戻るわ」
ふいと踵を返して、それだけを告げる彼女。
草むらを踏みつつ、迷いない足取りはユウリと彼女の隔たりを強くしていた。そして互いの距離がそれに合わせるように、開く。
「――」
何かしらの失言をしたのだろうかと、ユウリは考える。考える。考えて、分からなかった。
彼女のことも。そして今の自分のことも。
何か自分を形成しているものが、根幹から腐敗していくような感覚。
足元に確かにあった踏場が、崩れ去っていく感覚。
言葉に言い表せない何か。その何かが欠落していく。そんな感覚がユウリを襲った。
「はぁー……」
長く、重い。
まるで魂が抜けるほどの息を吐く。
「なんか、調子が狂うな」
頭の上に生い茂る自らの黒髪を、ワシャワシャと掻き乱す。
自覚はしていた。最近の自分は少しおかしいことに。
何がと言われると、口には出せない。けれど最近までにはあった何かが、ユウリの中から消失しているような気がする。
いや。
「元からなかった、の方が近いか?」
自嘲するような笑みを浮かべる。
今ここに立っている自分が、どこか脆く儚いものへと変わった。そのような錯覚を覚え始める。
夕日が差し込む中、草や木々の葉を揺らす風が吹いた。合わせて、葉の擦れる音が耳に届く。
静かに。雑音のように。
ユウリの鼓膜を揺らした。




