呪術とは
ルグエニア学園の午後の授業。
その終盤に差し掛かる。
「――最後に魔術と呪術の違いについて説明しよう」
場所は訓練場。
ズーグ教師が担当するのは実践形式の授業のため、必ず学園に設置されてある訓練場で赴くこととなる。
本日も例に溺れず模擬戦を行なわされ、そしていつもと同じように最後に魔術についてのちょっとした講義が展開されていた。
「ちなみに呪術について、少しでも知識のある奴はいるか?」
ズーグは周りを見渡す。
しかし進んで手を挙げる者はいなかった。
「ならばそうだな。ユウリ・グラール、答えてみろ」
「お言葉ですがズーグ教師。ユウリはあなたとの模擬戦で完全に伸びていますが」
「そうだったな。ではレオン・ワード、叩き起こせ」
「……許せ、ユウリ」
「――ぎゃっ!」
無慈悲の命令により、意識を手放していた自我を強制的に呼び戻されたユウリ。
何事だと。周りを見渡し、ズーグに目を止める。
「ユウリ・グラール。呪術とは何か、説明してみろ」
「先生は鬼ですか? さっきあんたに伸されたばかりなんだけども」
起きて早々、ユウリは表情を引き攣らせた。
模擬戦において、体質のため特別にズーグとの模擬戦を行なわされているユウリであったが、今日もまた意識が飛ぶまで付き合わされた。
近くに治癒魔術師がいたからこそ、起き上がれる程度に回復しているが、本来なら未だ意識を取り戻してはいないだろうほどには体力を消耗させられていのである。
それを、張本人のズーグから。
安眠を邪魔されたことに憤りを感じつつも、しかし絶対的な強者に挑む勇気もなく、諦念を抱いて頭を掻いた。
「いやーははは。わかんないです、はい」
「後でもう一度模擬戦だな」
「それはあんまりじゃ……?」
「ではフレノール・メルドリッチ。答えてみろ」
「はい、ですの」
当てられたのは、金髪の先をカールさせた貴族の少女。フレノールである。
少しばかり自信がないのか、目線がいつもよりも落ちている。
「ワタクシも詳しいことはわかりませんが、呪術は相手へ精神干渉することのできるもの、でしょうか……?」
「ふむ。正確ではないが、合格点だ。座りたまえ」
答えられたことに安堵したのか、ホッと息を吐く。次いで答えられなかったユウリに対して、勝者の愉悦ゆえか嘲笑を口元に浮かべた。
それをチラリと目にし、しかし無視するようにズーグは口を再度開く。
「呪術に関する知識を正しく持つ者は少ない。それは、一般的にある一定以上の効力のある呪術は使用を禁じられているためだ。では、なぜ禁じられているか。その効力が余りにも危険であるからだ」
ズーグは続ける。
「魔術が自身の脳内にある魔術式演算領域にて魔術式を構築するのに対し、呪術は対象となる物や生き物に直接魔術式を刻む。これにより、その対象に干渉するものを呪術と呼ぶ」
説明に、少しだけ目を丸くするユウリ。
「説明だけ聞くと、魔導武具と似てるな」
「魔術式を刻む、その一点に関してはね。だけど、その残虐性はただの道具を作り出すことの比じゃないわ」
「――フレア?」
隣からより詳しい話が聞こえて、そちらの方に視線をやる。そして次には、ユウリは思わず生唾を飲み込んでしまった。
隣に座るのはフレアである。それはもちろんユウリとて知っているが、今の彼女の表情はありありと歪んでいることが見て取れる。
呪術、その単語を口にした瞬間などは特に。
憎悪に染まる少女の顔に、ユウリは自然と瞳を鋭く尖らせてしまった。
「ユウリ。どうしたんだ?」
「――いや。なんでも」
しかしレオンに声をかけられて、彼女から視線を逸らす。
今は授業中。彼女のことも気にはなるが、それについては後々考えればいいだろう。
「よく例に挙げられる呪術は、傀儡化だ。これを受けると術者の傀儡と成り果て、魔術式に刻まれた法則に則り操られる。もちろん完全な傀儡となるわけではないが、簡単な命令程度であれば可能だ。例えば、目につく者に被害を与えるよう理性を奪うなどな」
「――」
「更に言うなら、他人の目に本来の姿とは違う仮の姿を映すものもある。対象者に魔術式を刻むのではなく、その周辺に呪術の含まれた煙や香水などを漂わせて発動させるかなり高度な呪術だが、使うことができれば変装し放題だ。それだけでもかなり危険な呪術だが、暗殺などに使われなどしたら、それこそ見破るのは至難の技だ」
教師の言葉に、皆が息を飲む。
呪術。対象への精神干渉というのは、非常に強力なものだと、説明を聞いただけで皆が理解した。
通常の授業には関心を示さないユウリですら、今はおとなしく話を聞いている。
「ズーグ教師。それでは、呪術を防ぐ術はないのですか?」
一人の生徒が堪らずといった様子で質問した。
「安心していい。もちろん存在する」
その生徒を安心させるように、滅多に浮かべることのない微笑をズーグは浮かべる。そして言葉を続けた。
「呪術を防ぐ方法は全部で四つだ。呪術師など滅多に遭遇することはないが、もしもの時のためにしっかりと覚えておくように」
皆に視線をやる。
「まず一つ目。当たり前だが、呪術そのものを受けないことだ。触れられない。近寄らない。視線で追わない。もちろん、対峙したならばかなり難度を誇るがな」
まず一つに、呪術師に干渉しないことと説明される。
当たり前だがこれはかなり難しいもので、触れられることはもちろん、呪術師が放つあらゆることに干渉してはいけないなどと、例え腕に覚えのある傭兵や騎士でも至難である。
「二つ目に、治癒魔術による治療だ」
言われて、ステラの方を見る。
彼女もそれを知っているのか、強い視線を説明するズーグに向けていた。
「三つ目は、受けた呪術よりも更に強い呪術による上書きだ。しかし元に受けていた呪術の方が効果が強い場合、抵抗される」
三つ目に提示された方法は呪術による上書き。もっともこれは現実的ではないだろう。
となると残りは――。
「四つ目。呪術師本体の意識を奪うこと。以上が、呪術への対処だ」
そして述べられる最後の条件。それは呪術師の意識を断つというものだった。
「ゆえに呪術師と一対一で対峙したなら、まず逃げることをお勧めする。味方がいる場合は、片方が後ろを取る。これが呪術師への一般的な対応とされている」
「では先生。呪術師というのは先生でも一対一では敵わないのですか?」
誰かが興味本位で質問した。
その内容は、元A級傭兵であったズーグであっても止められぬものなのかというもの。
それを聞き、彼は少しだけ笑う。
「呪術師の練度にもよる。前提だが、呪術は基本的に使用を禁止されているものだ。あまり知られていない技術であるから、扱える者もかなり少ない。何より私ならば、ちょっとやそっとの呪術なら受けたところで戦闘に支障はない」
彼の言葉に生徒も感心したのだろう。
「おおー」と歓声が上がった。
「私でも止められない呪術師となると、確認されている者の中では"災厄の使者"に連なる者くらいだ」
「――」
ギリッと。
右隣から、歯を噛み締める不快音が耳に届く。
フレアだ。瞳を刃物のように尖らせた彼女が、災厄の使者という言葉に反応した。
(そういえば)
レオンから、フレアの過去を少しばかり聞いた。
故郷を、その災厄の使者に滅ぼされたと。そう聞かされている。
何と声をかければいいのか。ユウリですら戸惑うほどに剣呑な雰囲気を醸し出す彼女のそのような様子に、近くの生徒も自然と彼女の姿を視界に収め始める。
そんな時、授業終了を知らせる鐘の音がその場に降り立った。
「ふむ、もう時間か。では授業を終了する前に、来週から行われる実地研修についての追加の説明をしておこう」
学園の鐘の音を聞いて、忘れない内にとズーグがそのように言った。
実地研修。それが来週に行われる。
「まずはチームについて。ほぼ全ての生徒が速やかにチームを組んでくれたようで、教師達も助かったと口にしている。そこで、どのチームがどの都市へと赴くか、その報せを明日の朝にでも、それぞれに手紙として通達する予定だ」
言葉に、生徒一同はざわざわと音を鳴らす。
待ちに待った実地研修の報せが明日に届くということで、多くの生徒が少しばかりの興奮を覚えていたからだ。
「場所は例年通り、南の山中都市レガナント、東の港町ミーヴァリオン、そして北の鉱山都市バース。この三つの都市から諸君らが配属される都市、そしてその中での役職が決まる」
「――」
「移動手段は、近くの都市までは魔導汽車で赴き、そこからは馬車での移動となる。ただし山中都市レガナントだけは、途中の山のふもとにある街で馬車を降り、レガナントに続く洞窟を抜けてもらう。ここまでで質問のある者はいるか?」
問いに、しかし誰も声を上げる者はいなかった。それに満足するようにズーグは頷く。
「よし。ならば注意事項の最後に一つ、私からの言葉を君達に送ろう」
視線を周囲に集まる生徒全員に送る。
茶色の瞳に含まれる感情の全てを推し量れる生徒は存在しなかったが、そこに多種多様な光が折り重なっていることは、ほぼ全ての生徒が理解した。
「この実地研修で、君達は将来について、今の自分について、様々なことを経験し、知っていくだろう。その一つ一つを噛み締めて、成長してこい。そして――」
一つ、息を溜めて。
「――全員死ぬな。以上だ」
最後にそう言い残して、その授業は終わりを告げた。
★
「――死ぬな、ね」
生徒達が訓練場から去っていく中で、ユウリは先ほどの言葉を噛み締める。
「まあ、そのような注意をするのも頷けるところだ」
「レオン」
ポンッと肩に手を置かれる。
誰であろうかと見上げれば、そこには金髪を携えた友人の姿があった。
「実地研修というのは、もちろん引率に学園総会の実働部や教師などが付く。だが、安全な学園都市の中とは違い、何が起こるかわからない外での出来事だ。一歩間違えれば、危険な魔獣と遭遇することだって十分考えられる」
鋭く視線を尖らせる彼の表情は、真剣そのもの。
長らく、というほどではない。けれど、数ヶ月ぶりの魔獣や賊などの襲撃者と遭遇する可能性の高い――あくまで比較的にだが――旅に、ユウリもまた首をコキッと鳴らす。
これまではそれが自然であったというのに、改めて脅威を感じるということはそれだけ自分が鈍っているという証拠なのか――。
「でも、フレアさんもユウリ君もいるし。滅多なことじゃ危険なことはないと思うよ」
そして不意にもう一つの声が上がる。
レオンの側まで歩み寄ってきたステラだ。
「ステラ。あまり油断をしていると――」
「B級傭兵に加護持ち。これで滅多なことが起こるなんて、それこそ誰にもどうにもできないことなんじゃないかな?」
「だからと言ってだな」
「私が言いたいのは! みんな、もう少し肩の力を落としたらどうかな……」
言われて、気付く。
ユウリもレオンも。それぞれ己の体がどこかしら強張っていたことに。
チラリと隣を覗けば、フレアもまた。
ここ最近の一連の事件のせいか、どこか緊張感を余分に持ち過ぎていたように感じる。
「もちろん実地研修は授業の一貫。それに危険も付きまとってくるのは知ってる。だけど、そんなに身構えていたら学べる物も学べないよ」
「……そうだな。確かにステラの言う通りだ」
言われ、レオンは納得したように頷きを返す。そして一瞥するようにこちらを見た。
ユウリもまた、肯定の意を汲んで首を縦に振る。
「フレア」
「わかってるわよ。ただ、少しだけ一人にさせて」
しかし。
フレアだけは、感情の高ぶりを抑えきれないのか。
先ほどの呪術の話から剣呑な雰囲気を纏う彼女は、静かにその場から立ち去っていった。
★
夕日が暮れる直前。
いつもならレオンとの軽い模擬戦闘を行うことが日課なのだが、本日は違う。
光が無くなり、影が薄くなる風景の中。
ユウリは二人の人物と対峙していた。
「クスクス。君が欠陥品と呼ばれる落ちこぼれかな」
「クスクス。そんな君がどうしてこんなところにいるの?」
嗤う。
二人の人物は嘲笑を張り付けて、ユウリ・グラールを嗤う。
欠陥品だと。落ちこぼれだと。
「――どちらさん?」
ここまでの悪意を向けられることも久しい。
比較的温厚な者が多いとされるルグエニア王国の地にて、けれどもやはり魔導社会を重視する者もいるのだと再認識される。
その対峙相手の名を、問う。
「僕の名はラル・フラスコル」
「私の名はルナ・フラスコル」
「君とは違った」
「血統を重んじる高貴な血筋の魔術師よ」
絶妙なテンポで言葉を向けられた。
そこに含まれるのは敵意と悪意。ユウリは僅か、腰を落とした。
「さてさてそんな君に相談がある」
「私達と決闘しなさい」
言葉は続く。
「「これは――命令だ」」
そして次の瞬間には、二人の悪意が牙を剥いた。




