蠢く
荘厳な雰囲気を惜しげもなく晒す一室。
そこは王国だけならず大陸内でも屈指の名門学園、ルグエニア学園のある一つの部屋だ。
招集をかけられ、集まったのはその学園の教師達。
机につく彼らの手元には、一束の資料が置かれている。
「――それでは、学園総会は実地研修を行うという決定を下した。そういう認識で間違いないでしょうか」
「ええ。間違いありません」
その中に一人だけ、学園の制服を身につける者の姿があった。黒を基調とした正装。女性である彼女の身につけるまのは、下がスカートの形を取っている。
胸には悠々しく施されている、赤い獅子の刺繍。
煌びやかな金のロングストレートを揺らし、深緑の瞳で辺りの視線を釘付けにするかのようなその存在は、王国広しといえども一人しかいない。
セリーナ・ルグエニア第二王女の姿だ。
「詳細は追って説明しますが、例年通りの形式を取らせて頂こうと考えております。南の山中都市レガナント、東の港町ミーヴァリオン、そして北の鉱山都市バース。この三つの場所で行う予定です」
「ふむ。希望職業は?」
「傭兵、騎士、研究者。騎士と衛兵は同じ業務が多いということもあり、騎士一つにまとめさせてもらっています」
「妥当じゃろう。あとは護衛につく者達じゃが」
「学園総会実働部、および本部生から派遣させてもらいます。各都市に必ず一人の本部員を置くつもりですが」
セリーナの言葉に頷くのは教師陣。
中でも詳細を聞き出す学園長、メイラス・フォードの視線は通常生徒の前で向けている温和なものではない。
一つの些細な点も見逃さないような、鋭いものと変わり果てている。
「それだけではちと心配じゃ。各都市に教師を数人、配置しようと思うておるが、いかがかの?」
「私としては願ってもない申し出ですが、学園側の負担を考えると得策とは言い難いかと」
「最近の物騒な事態を見るに、そのくらいの用心はしてしかるべきと思うがの」
「それに」と。
学園長の地位に就く老人は、息を漏らす。
「――去年は生徒一人が事故により死亡した。今年は再生者のこともある。準備は万全でも足りぬくらいじゃ」
「ごもっともですな」「確かに」など。
その他の教師もメイラスの言葉に同意の意を示す。
「しかし人選はいかがなさるのだ。その場合は」
「各都市に治癒魔術を扱える教師を一人置く。それと戦闘の得意な教師を二人以上。万が一のことを考えると、それでも少ないくらいじゃが」
「そこは学園総会側も加勢するので、心配はないかと」
「そうじゃのう。どれ、ズーグ君。君の意見はどうじゃ?」
そこで振られる対象は、獅子組の担任教諭を務めるズーグであった。
突然の言葉に僅かに眉をピクリとさせるものの、動じるといったことはしない。
「長く傭兵業を務めておった君の話を聞きたい」
「――概ね、それでよろしいかと思います」
短く、そう答える。
けれど、「しかし」と続けた。
「できればA級傭兵を最低一人、都市に呼び寄せたいものですな」
「ズーグ教師。それはつまり、私達だけでは力不足だと?」
「そうは言っていない」
ズーグの言葉に他の数人の教師が視線を向けた。
自身の腕を疑っているのかと、そのような不満げな視線である。
彼らとてここまでの人生の中で培った経験は決して浅くない。それを否定されたとするなら、やはり敵意の視線の一つや二つは向けたくもなる。
ズーグはそんな彼らを諌めるように言葉を繋げた。
「だが、教師と傭兵では危険に対する敏感さに差が出る。特にA級傭兵ともなれば、そうあった本能や嗅覚というものに優れている者が多い。出なければ、A級などには上がれないことは分かると思われるが?」
「……一理ある」
「元A級傭兵である"風塵"の意見だ。無視はできまい」
皆が彼の言葉に押し黙った。
A級傭兵というものには、それだけの力があるという証拠である。
「質問が一つあるけれど、よろしいかしら」
沈黙が漂う、その前に。
すかさず手を挙げて言葉を紡いだのはマリア・フォックスであった。
「各都市に一人は治癒魔術の扱える者を置くという話だけれど。その人選も気になるわ」
治癒室の主ともされる彼女の言葉に、それもそうだと皆が瞳で語った。
口々に隣の者と誰が選ばれるのかについてを話し合う。
「私としては」
ズーグがポツリと呟く。
「私としてはマリア教師。あなたにも動いてもらいたいものだが」
「あら。それはどうして?」
「言わずとも知れたことだろう。あなたが学園で最も治癒魔術に長けているからだ」
向けられた視線を誤魔化すように、マリアは肩を竦めた。
彼の言葉に反論は起きない。それは学園において周知の事実であるからだ。
「ふむ。そこらの調整は学園総会に担ってもらおうかの」
一通りの案が出たことで、メイラスがそう締めくくる。
時間も限られている中で、これ以上話し合うことは現実的ではないことを伝えるためのものだった。
「実地研修はあくまで学園総会側が運営するものじゃからな。儂ら教師の意向を反映させた研修を期待しておる」
「もちろんです。先生方の意見、参考にさせてもらいます」
セリーナも一礼。
頭を下げて、胸に手を当てた見事な立ち住まいを見せつける。その姿を見て、教師一同もまた一礼した。
★
「――先輩」
「マリウスか」
実地研修に関する教員会議も終わり、一息つくズーグ。そのもとに一人の人物が近付いて来ることを感じた彼は、ふと視線を背後へと向ける。
マリウス・ディークライト。
ズーグよりも少し遅くに学園へと配属された教師である。
平民出身であるズーグとは違い、貴族らしい銀の髪と碧色の瞳を携える男だ。
「お前は今から担当授業があるのではないか?」
「あります。しかしどうしても先輩に聞きたいことが」
「聞きたいこと、とはなんだ」
「さっきの話ですよ。各都市に最低一人、A級傭兵を配置するということ」
言って、ズーグに一歩近づく。
「傭兵を配置した方がいいという意見は、元傭兵として僕も同意見です。でもA級傭兵をわざわざ呼び寄せるほどのことなのかなと、少し疑問に思って」
純粋な疑問を含む視線。それがズーグへと向けられる。
マリウス・ディークライトはズーグと同じく傭兵業をこなしていた。彼がズーグを先輩と呼ぶのも、彼より後に学園に配属されたというより、傭兵として活動していた時にそう呼んでいたからだ。
「ルグエニア学園の教師は、特に戦闘面に関して専門とする人は最低でもB級傭兵上位の実力を保有しています。その中から護衛として各都市に置かれて、更には治癒魔術師も配置。その上でまだ足りないとするズーグさんの考えが、僕は聞きたい」
「……別に教えてもいいが、笑うぞ?」
「先輩の話ですよ。笑えると思いますか?」
苦笑が返ってきた。
それを見たズーグは一つ溜息を吐く。
「私の勘だ」
「……勘?」
「ああ。今回の実地研修は妙な胸騒ぎがしてしまう」
眉を寄せてそう答えた。
胸騒ぎと言ったが、その根拠をズーグは持っているわけではない。
けれども長年培ってきた経験や感覚が、彼自身にそう呼びかけるのだ。
「先輩の勘、となると無視もできないですね」
「私自身どうかしているとも思うがな。それよりマリウス、授業はいいのか?」
「おっと、そろそろ時間ですね。では僕はこれで」
「ああ」
駆け足で去っていくマリウスの後ろ姿が目に入る。察するに、授業が行われる教室はここからそれなりに遠い場所にあるのだろう。
なのにズーグのところに先ほどのような質問をして来るところを見ると、彼自身の中でもズーグの発言が気になったようだ。
「勘、か」
ふと、窓の外を見る。
視線の先には不気味なほど晴れ渡るような青空が広がっていた。
★
「――おい、聞いたか?」
「聞いたって、何を?」
学園都市ロレントからは遠く離れた地。
その一つの酒場で男二人の声が、周りの騒音に混じって小さく響く。
「西の方で何やら"再生者"の輩が暴れたらしい」
「あの国家犯罪者達が?」
「ああ。幸い鎮圧されたらしいが、最近の奴らは何を考えてんのかわかりゃしねえ」
「ふぅん。でも鎮圧されたんなら良かったな」
「だが半数以上には逃げられたらしい。そいつらがどこに行ったかは知らないが」
「おっかないもんだ。そういった話を聞くたびに、山中都市にでも行って温泉に浸かりたくなる」
「おお、いいね。でもこの時期はあまりよろしくないんじゃないか?」
「どうして?」
「ほら。例の大型魔獣」
ガヤガヤと声が拡散する中、ある白き人物の耳がピクリと動く。
「岩竜の話か。でもあれはただの噂なんじゃ?」
「そうなんだが。噂になるってことは何かしらの情報源があるってことだろ? 俺ならもう少し時期をおいて行きたいね」
「あそこに旅行で行くのは密かな楽しみなんだがなぁ。お前の話だ。もう少し待つとしようかね」
わはは、と。
景気良く笑う男達。
その席から少し離れた位置に座るとある女性が、ニッコリと笑う。
「あらあらまあまあ」
口元を手で隠して、クスクスと。
「――うふふっ。退屈凌ぎに、私も旅行に行こうかしらぁ」
悪夢が、嗤う。




