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ただの欠陥魔術師ですが、なにか?  作者: 猫丸さん
二章 魔導学論展編 下編
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幕間 メルクレアの日常2

 これはアルディーラに向かうより、少し前の話。


「――今日も快晴。絶好の依頼日和ってところかな」


 ノビをしながら石造りの大通りを歩くのはユウリ・グラールだ。


 本日はルグエニア学園の休日となっている。そのため暇を持て余したユウリはこうして外に出て、とある場所へと向かっている途中だ。


「よし着いた」


 とある場所とは、ユウリの本職である傭兵の集まる場所。

 すなわち傭兵ギルドである。


 ユウリは休日を利用して、この学園都市の傭兵ギルドに顔をだしている。

 理由は単純だ。

 路銀を稼ぐ。その一言に尽きる。


 学園に通っている間は金銭を使う機会はあまり無い。

 しかしだからこそこの機関にしっかりと懐を増やしておくことが、ユウリにはとても大切なことに思えた。


「美味しいもの食いたいからな」


 食欲で押し潰された思考だった。


「たのもー!」


 バン、と扉を開け放っては受付へと足を進める。

 今日はどのような依頼を受けようかと思考しながら、鼻歌交じりに心を躍らせた。



 ★


 ルグエニア学園在籍。

 一年獅子組、メルクレアは平民である。


 どこにでもいるような少し暗めな茶色の地毛をセミロングヘアーに垂らしており、どこか弱々しげな同色の瞳はそのほとんどが下を向いている。


 容姿が平民の中でも整っているところを除けば、特筆すべき点もないただの少女だ。


「よいしょ、よいしょ」


 その少女は今、木々が生い茂る森の中にいる。

 何をしているかと問われれば、樹木の幹にある薬草を地面から抜いているところだ。


「よいしょ、よいしょ――うん。これくらいあれば……!」


 学生服を身に着け、背中にはメルクレアの体にはやや大きめな籠が背負われている。

 その籠の中には彼女が採取したであろう薬草の束が見える。


 学園都市ロレントの南西にある森に彼女が薬草採取に赴いているのは、主人である貴族の少女が病に伏してしまったからだ。


 といっても命に関わるような緊急性のある状態ではない。

 ただ体調を崩し、寝込んでいるだけである。


「このくらいあればフレノール様も治ってくれるかな」


 しかし心優しき少女は、主人の容体に対して様子見をすることを良しとしなかった。

 結果、この薄暗い森の中に足を運んでは、こうして薬草の採取に勤めている。


 しかし仮にも危険区域の指定をされている森の中。

 そう易々と帰れるほど、甘い環境ではない。


 パキッ、と。


 落ちた木の枝が踏み割られる音が聞こえた。


「え?」


 音の方へと視線を向けるメルクレア。

 完全に一人と思っていたこの現状で、ゆっくりと近づいてくる気配を感じ取る。


「な、なに……?」


 声を漏らし、静かに立ち上がる。

 茂みが揺れる度に腰を落とし、身を構える。


 森の中で動く気配、忍び寄る足音、それらの正体を考えると妥当な判断と言えるだろう。


「――ッ!」


 現れたのは灰色の体毛を生やした狼。

 通称、ワイルドウルフと呼ばれる――魔獣だった。


「う、あ」


 現れたその姿に、メルクレアは後ずさる。

 魔術師を育成するルグエニア学園の生徒といっても、実践経験があまりに乏しい一年生の身だ。


 魔獣相手に立ち向かう覚悟も固められず、瞳の色は恐怖に彩られる。

 その瞬間を、魔獣は見逃してはくれない。


「あ――」


 気付けば喉元を目掛けて飛びかかってくるワイルドウルフの姿が映った。

 何をするでもなく、呆気に取られるメルクレア。


 本来であれば、ここで一人の少女の命が刈り取られることになっていたはずだ。


 しかしその現実が舞い降りることはなかった。


「――っと」


 一陣の風が吹く。

 同時に、漆黒の外套に身を包んだ少年がワイルドウルフの頬に拳撃を打ち込んでいた。


 あっという間の出来事に、メルクレアは声を出すこともできない。


 ギャン、と鳴くワイルドウルフと相対する少年。

 その姿には見覚えがあり、それを認識すると共にようやくメルクレアは目の前の人物が何者かを悟った。


「ユウリ、さん?」


 少年の名はユウリ・グラール。

 メルクレアの同級生として、共にルグエニア学園に通っている生徒だ。


「あれ、俺のこと知ってるの――ってかどっかで見た顔だな」


 特徴である闇夜よりも黒く染まった髪を揺らして、同色の瞳がメルクレアへと向けられる。


 メルクレアは以前、貴族の身である生徒とちょっとした揉め事に合っていた際、彼に助けてもらったことがある。

 何より学園でも有名な生徒だ。彼女がその存在を忘れるわけがない。


 しかしユウリの方も同じ、というわけではないようだ。

 どこで会ったかと、メルクレアの顔をまじまじと見ながら首を傾げている。


 その背後で、殴られたワイルドウルフが起き上がっては唸り声をあげた。


「あ、危な――ッ」

「甘いぞ犬っころ!」


 飛びかかり、そして返り討ち。


 ワイルドウルフに背後から襲われたユウリであるが、そんなものは脅威にもならないとばかりに振り向きざまに裏拳の一撃を放つ。


 頭部にその拳を受けた灰色の狼は、脳を揺らされたのか足元をフラつかせる。


 同時に――ユウリの蹴り上げが魔獣の喉元に突き刺さった。


 ギャ、と。

 命が刈り取られたような、鈍い声が響く。

 (のち)にドスンと地面を揺らしながら魔獣は生き絶え、倒れ伏した。


「――」


 唖然とその光景を見やるメルクレア。

 その様子にユウリの方は「あぁー……」と困ったような声を上げる。


「えーっと。一応、怪我はなさそう?」


 驚きに満ちた目を向けられて、バツの悪そうな顔を浮かべるしかないユウリは、とりあえず話を進めるためにもメルクレアへと手を差し伸べることを優先した。



 ★


「へぇ。主人のために薬草を」


 ワイルドウルフを仕留めたユウリは、すぐにメルクレアを連れて移動する。

 戦闘の影響による音が森の中に響いたため、速やかに場所を移さなければ他の魔獣も寄ってくると考えたためだ。


 その最中で、メルクレアがどうしてこの森に来たのかを知った。


「そういうユウリさんは……」

「ああ。ワイルドウルフを仕留めにね」


 先ほど倒したワイルドウルフの牙をチラリと見せる。


「ちょっとした依頼を受けてこの森に入ったんだ」

「そうなんですかぁ。 それにしても魔獣を一人で撃退するなんて、ユウリさんは強いんですね!」

「やぁー、このくらいはできないと生き残れないし」


 照れるでもなく、さも魔獣を相手取れることが当たり前であるかのように振る舞う。そんなユウリの姿に、メルクレアは小首を傾げる。


 傭兵であれば魔獣を仕留めなければ生活できない。

 その意識の差の表れと言えるだろう。


「それよりメルアリアの方こそ一人で森に入って大丈夫なのか?」

「え、と。メルクレアです」

「あ、失礼」


 苦笑しながら後頭部をポリポリと掻く。

 メルクレアの方は、やはり名前を覚えられていなかったかと少しだけ残念な気持ちになった。


「い、いいえ。こちらこそ前に助けてもらったのに、満足にお礼をすることもできず……」

「前? ――あぁー、別にいいよ。気にしなくても」


 うる覚えであることが丸わかりの反応に、メルクレアも困ったように笑うしかない。

 学園での態度を見るに、かなり陽気な性格をしていることは知っていた。しかしいざ目の前にすると乾いた笑いも出てくるというもの。


「それで、一人で大丈夫なのかって話だけど」

「あ、その。この森は特に危険も少ないと聞いていたので大丈夫なのかなって」

「今まさに危険があったばかりなのに?」

「あぅ」


 当初こそ大丈夫だろうと考えていたその自信も、魔獣に襲われてしまえば萎んでしまった。

 意気消沈するメルクレアに対して、ユウリは「ふむ」と鼻を鳴らす。


「まあ安心していいよ。俺も依頼は終わったし、一緒に学園都市に帰ろうか」

「いいんですか?」

「いいよ。別行動する理由もないしさ」

「あ、ありがとうございます!」


 笑いながら言われた言葉に、メルクレアは安堵した。

 まだ大人になりきれていない少女が魔獣という危険な存在と相対するということは、思った以上に精神的な不安を煽るものだったからだ。


 何より掴み所のないこの少年は、少なくとも戦える術というものを心得ている。

 一緒にいて安心する存在というのは、彼女にとっては主人以来のものだった。


「……」

「……」


 歩く。

 風に揺れる木々が騒めき、音が静かに浸透する。


「あの」


 会話が途切れたことに若干の居心地の悪さを感じたメルクレアは、おもむろに口を開けた。


「ユウリさんはどうしてこの学園に?」


 何気なくそのようなことを聞く。

 ルグエニア学園は、大陸の中でも最も規模の大きな学び屋といえる。


 当然、学べることも飛び抜けてレベルは高い。そのような場所に扉を叩く生徒は、ほとんどの者が明確な目標を持っていることが多いだろう。


「――なんでだろうな」


 だが、ユウリの答えは酷く曖昧なものであった。


「俺もどうしてこの学園に来ることになったのか、わかんないんだよね」

「わからない、ですか?」

「そうそう。強いていえば、恩師に勧められたからってことになる」


 どうして勧められたのかもわからないけど、と。

 ユウリは肩を竦めながら苦笑した。


「そうですか」

「で、メル――メルマリナはどうしてこの学園に?」

「メルクレアです」

「やぁー、ごめん。人の名前ってなかなか覚えるのが苦手なんだよなぁ」

「――ふふっ。メルでいいですよ」


 困ったように頬を掻くユウリの姿がなぜだか可笑しくて、微笑んでしまう。

 メルというのは主人である貴族の生徒が自分を呼ぶ時に使う愛称だ。


 それを、理由はハッキリとしないものの、この少年になら呼ばれてもいいと思った。


「そか。じゃあメルがこの学園に来た理由は?」

「……私もユウリさんと同じだと思います。どうしてここにいるのか、その理由もまだわからないまま」

「ふーん。なら、似た者同士かもな」


 悪戯気に笑う。

 ユウリのその顔は、年相応の無邪気なものであった。


「さて。森の出口に着く頃だし、そろそろ――」

「――ユウリさん?」

「ちょいと静かに」


 途中、雰囲気が変わった。


 ユウリは身を屈めて、周囲に視線を回す。

 何かに警戒しているような仕草だ。

 しかしメルクレアには何が起こっているのかわからない。


「えっと」

「妙に周りが静かだな。それに視線を感じる」

「え?」

「しかも割と多いぞ。となると、面倒なことになった」


 視線を細めて、ユウリはふぅと息を吐く。


 同時に、周囲からガサガサと草が踏み鳴らされる音が響いた。


 一つ、二つではない。

 いくつもの音が重なって耳に届く。


「一体何が……」

「――狼の群れだな」

 

 実に面倒だと言いたげな顔で言葉が紡がれた。


 直後のこと。

 茂みの奥から先ほどとは別のワイルドウルフが姿を現した。


 一匹、二匹、三匹と。

 その姿を晒していくワイルドウルフの群れ(・・)


 一体でも脅威を感じた存在が次々と姿を現していることに恐怖を覚えたメルクレアは、「ひっ」と声を漏らす。


「ど、どうしましょう!?」


 群れなす狼の姿に気圧されたメルクレアが慌てたような声を出す。

 いや、メルクレアでなくともこの現状には恐怖を刻み付けられても致し方ないだろう。


 相手は多数の魔獣。

 一方、こちらは少年と少女の二人のみ。

 まとめて奴らの腹に収まる光景が目に浮かび上がる。


「――」

「ユ、ユウリさん……?」

「――メル。俺が合図したら、そのまま後ろを振り返らずに走り切れ」


 手を振り、足を振り。

 ユウリはまるで今から一戦、とばかりのウォーミングアップを始める。


 もちろんメルクレアとしては、目を丸くするばかりだ。

 この現状で彼は何をしようというのか。


「俺が相手をする。流石に足手まといだから、早めに行ってもらえると助かるかな」

「で、でも」

「できれば俺も早いとこトンズラしたいんだけど、ほら。メルがいるとそれができないだろ?」


 肩を竦めて苦笑する。


「つーことで早く逃げてくれない?」

「――」


 チラと目を向けられて悟った。

 この少年は自分を逃すために、この場を引き受けようとしてくれていることを。


「絶対に、無事に帰ってきてくださいね……ッ!」


 自分は足手まといだ。

 理解した彼女は、そのまま踵を返して来た道を駆け去っていく。


 残るのは黒髪の少年と狼の群れ。

 ただそれだけだった。


 グルル、と威嚇する魔獣に対して、それでもユウリは手足をブラブラと揺らすばかり。


「んじゃ、来なよ犬っころ。俺が相手だ」


 不敵に笑うユウリと襲い来る狼の牙。

 衝突までの時間はさほど関わらず、互いの命を貪り合う瞬間はすぐにでも訪れた。



 ★


「――本当に、あの時はビックリしましたよ!」

「やぁー、ごめんごめん」


 時間は過ぎ、依頼を受けた日から二日ほど後のこと。


 ルグエニア学園の休息時間の際に偶然出くわしたユウリとメルクレアは、そのまま談笑することとなる。


「ギルドの受付の人に聞いたんだけど、あの後は他の傭兵にも声をかけてくれたらしいじゃん」

「声だってかけますよ。あんな魔獣の群れと一人で相手にすることになったら……」


 メルクレアは今でも忘れられない。

 何十匹もの狼と相対するユウリの安否を心配して、ギルドの中で助けを乞うたこと。

 そのすぐ後に、ケロリとした様子でユウリが帰ってきたこと。


「流石に傷一つ負ってないなんて予想できませんよぅ……」

「それなりに傭兵業をこなして入れば、ワイルドウルフはそんなに苦戦する相手じゃないからさ。群れと出会ったのは流石に冷や汗ものだったけど」

「ユウリさんって、前の時も思ったんですけど強いんですね」

「やぁー、まだまだだけどね」


 頭を掻きながら陽気に笑うユウリに、メルクレアもまた微笑む。

 欠陥品と呼ばれる彼だが、皆が思っているような欠陥だらけの少年ではないのだと。

 メルクレアは改めて認識したのだから。


「――っと。そろそろ授業の時間か」

「あ、もうそんな時間なんですね」


 庭園に用意されているベンチに座っていたユウリは立ち上がり、メルクレアも時間を気にしてか、生徒が慌ただしく駆けている廊下の方へと視線を向ける。


「確かメルは人を待たせてるんだっけ?」

「あ、そうです」

「なら一旦ここで別れようか。んじゃ、また教室で」

「はい!」


 軽く手を振り、伸びをしながら教室へと帰っていく黒髪の少年。

 一方のメルクレアは人を待たせている。

 自分の主人に当たる、貴族の子女だ。


 ユウリのおかげとも言うべきだろう。

 無事に薬を渡すことができ、今では元気すぎるほどに回復している。


「――また、あとで会いましょう」


 それも彼のお陰なのだと思えば、やはり感謝の気持ちは強くなるというもの。

 主人以外に初めて親しい人ができた。そのような感覚を持ちながら、メルクレアは待ち人のいる方へと踵を返した。



三章開始は一週間後を予定しております。

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