傷跡
魔導学論展襲撃事件。
多くの者を巻き込んだその事件より、三日が経った。
「――それではルーノ殿。お気をつけて」
「ああ。君も忙しいだろうけど、ご武運を」
魔導汽車の駅で言葉を交わすルーノとジーク。
明日から休日が明けてルグエニア学園も通常通り授業が行われ始める。研究者のルーノも、そして学生であるユウリ達も急ぎ戻らねばならない状況であった。
ジークもまた此度の事件の対応に追われる身となっているため、このまま王都へと報告に向かわなくてはならないらしい。学園都市と王都とでは方向が真逆。ゆえに乗車する魔導汽車は別のものとなる。
彼のこれからの忙しさを考えると少しの同情心も湧いてくるものだが、ジークからすればそれは責務だ。それを口に出すのは愚行だろうと、ルーノは少しだけ笑うだけに留めた。
「――そういえば、他の生徒はどうなされた?」
そんなルーノに問う。
彼がここに来た時は、他に四人ほど生徒が同行していたはず。
しかし今はその姿が見えない。そのことに疑問を持ったからだ。
「ああ。彼らもそれぞれの別れを済ませているようだよ」
その問いに対してルーノはそう答える。
内容は口に出さず、それだけを語った。
★
黒髪を風に靡かせ。
木の枝の一つに腰をかけて、地上よりも少し高い位置で空を眺めるユウリ・グラール。その瞳、一杯に映る青空は今の彼の心境とは対極のものである。
「兄様。そんなところで何をしてるんですか? リリはすっごく気になります」
感傷に浸る彼にかかる一つの声。
下を見下ろせば、茶の色の外套を纏う少女がユウリに視線を向けていた。
リリアンナである。
「世界は広いんだなぁと。黄昏てただけ」
「そんなこと当たり前じゃないですか。世界がもしも狭いなら、リリと兄様は会いたい放題ですもん!」
「その場合はマナフィアも付いてくるんだろ? 俺の身がもたないと思うんだけど」
思わず苦笑した。
彼女と毎日顔を合わせることになったら。それを想像するだけで表情が引き攣っていく。
幼少の頃は行動を共にする時間が多かったが、あの傍若無人なマナフィアにどれだけの苦労を背負わされたことか。
あの頃には戻りたくないと、切に願う。
「それよりも。リリはどうしてこんなところにいるんだ?」
「兄様をお見かけしたので」
「そっか」
言葉を返して、枝から地面へと降り立つ。
「……兄様、何かありました?」
その際に声がかかる。
こちらを気遣うような、そんな表情と共に。
何かあったといえば、確かにあった。
シド・リレウスとの邂逅。流れるように続いた決闘。
そして圧倒的な敗北と土の味、その記憶が蘇る。
「いや、何でもない。そっちこそ、俺に用事でもあるのか?」
「そうでした。リリ達も明日の朝にここを発つ気でいるので、お別れのご挨拶をしようかと」
「なるほど」
どうやら彼女達もここから遠くの地へと離れるようだ。
おそらく、自分達の国へと帰るのだろう。
「思えばここに来ること自体は大丈夫なのか? バレれば大変なことになると思うんだけど」
「そりゃあもうっ。最悪、打ち首もありえますよ!」
「早く帰れ」
思わず素で返してしまった。
「なのにわざわざここに来たのか。マナフィアは馬鹿なのか……」
「兄様、知らなかったんですか?」
「仮にも侍女が仕えるべき王族に対して言うような言葉ではないと思うのは気のせい?」
「気のせいですよぅ」
あはは、と年相応に笑うリリアンナ。しかしその笑顔の裏側に幾つもの死線と悲しみを背負っているのかは、昔から知っているユウリでさえ推し量れない。
「それよりも連絡です」
「連絡?」
「はい。例の件、じきに準備が整うとマナフィア様より伝言です」
「――」
例の件、とは。
マナフィアとリリアンナの悲願であり、ユウリがフォーゼのもとに転がり込む条件でもある、一つの事。
ユウリは言葉を聞いて、こくりと静かに頷いた。
★
「――それでは総会長とスイ先輩はもうしばらくここに留まる、と」
「ええ。今回の事件の被害が少しばかり大きいものだったから。ジーク副隊長も王都に戻らないといけない以上、私が復興の指揮を執らなければならなくなったのよ」
息を吐きつつカップに入った紅茶に口を付ける。
通常ならあまりの美しさに惹かれてしまうであろうセリーナ第二王女の優雅な仕草。それを目にしても、レオンは瞳を揺らさない。
セリーナの隣には見慣れた人物であるスイが座っている。一方、レオンの隣を陣取るのはステラ・アーミアだ。
四人は魔導汽車が出発するまでの時間をアルディーラの中でも非常に有名とされる茶屋で潰している真っ最中である。
「レオン君にステラちゃん。あなた達はこのまま学園に戻るのよね?」
「はい。もうすぐ実地研修も近くなっていますので、私とレオンはすぐにでも戻らせて頂きます」
「そうなのよね。実地研修があるのに、どうして私はこの場に留まらなければならないのか」
「心中お察しします。確か、あれも総会が運営する授業だと聞いてますが、大丈夫なのでしょうか?」
カップを置いて、真っ直ぐとした視線を向けつつ尋ねる。
貴族の礼儀を尽くした、仕草と口調。
普段こそあまり意識しないステラであるが、相手が有力貴族と王族ともなればこれはまた話が別である。
自身もルグエニア王国を代表する貴族の末子であるがゆえに、それらを崩すことはしない。そしてそれは隣に座るレオンも同義である。
「準備の方は副総会長のレスト君に任せるわ。レーナちゃんもいるから大丈夫でしょうし」
「バン・ノートを抑える役がいないことが少し気掛かりではありますけど」
「彼もしょっちゅう暴れるといったことはしないと――いいのだけれどねぇ」
スイの言葉に、重い息が漏れた。
悩めるその表情に、レオンとステラは苦笑してしまう。
バン・ノート。
王宮騎士団である蒼翼の騎士団の副隊長、ジーク・ノートの実の息子である。
魔術師として非常に長けた才能により素行不良であっても総会本部に抜擢されるほどの生徒。
「彼も自分の境遇と今ある現状を受け入れることができれば、一皮剥けると思うのよね」
「それがいつになるかは……」と明言を避けた。
加護持ちたるセリーナの目から見ても、バンの才能は一級品と分かる。しかし才能だけではこの魔導社会でのし上がることは不可能。
それをセリーナは知っている。
「話を戻しましょう。実地研修については心配しなくても大丈夫よ。当事者としては運営状況が気になることは理解しているけれど」
「いえ、僕も今の総会を疑っているわけではない。だから心配しているわけではありませんよ」
「でも今年の実地研修に関して、少しは気になってるんでしょう?」
「――」
レオンは押し黙った。
隣のステラもまた、チラリと横目で彼を一瞥するだけで何も語らない。
「今回の事件で"再生者"が国内にいることがわかった。そして"汚染"も。彼らが近くにいるこの状況で、果たして実地研修が行われることに許可が出るのか。それを危惧しています」
ルグエニア学園というのは、未来のルグエニア王国を背負う立場にある若者が多く通っている。だからこそ他国から遠距離にある地に設立されている。
過去の実地研修もしっかりと管理の行き届いた環境で行われることが多かったのだが、今年は何かと物騒な事件が相次いでいるという事態。レオンがそう思ってしまうのも仕方のないことであった。
「許可に関しても心配ないわ。こちらも総会実働部だけじゃなく、本部員を各地の運営長として組み込むつもりなの。ここにいるスイちゃんも、山中都市レガラントに派遣する予定よ」
「レガラントですか。魔獣の量も奥に入らなければそれほど多くはないし、確かに研修には向いていますね」
「はい。もしあなた方の研修地がレガラントであれば、私がお世話をさせてもらいます」
「その時はよろしくお願いします」
スイの言葉にステラは少しだけ頭を下げた。
レオンの方は紅茶を口に含み、渋みのあるそれを舌先で転がすように味わっている。
「しかし許可が良く下された。僕の見立てでは"再生者"が国内に潜伏している現状、中止の危険性もあると思ってましたが」
「――実はここだけの話だけれど。彼らは国内から出ている可能性が高いの」
ピクリと。
王女の言葉に、眉が動いた。
「――というと?」
「東の都市で鋼鉄の鳥がデイン帝国領に向かっていったと報告があったの。目撃者は複数。それを踏まえて、今の時期に研修を行うことへの不満が次第に収まり始めているわ」
むしろ"再生者"が国内から出ている可能性が高い今が、実地研修を行う最大の機会だと言う。それを聞いてレオンは納得した。
「それでは、"汚染"も?」
「ええ。彼らと"汚染"が繋がっている以上、そう考えて間違いはないと思うわ」
「そうですか。それなら安心ですね……」
ほっと胸を撫で下ろす。
ステラもこの襲撃の被害を見て、改めて彼らの危険性を思い知った一人だ。
治癒魔術師である彼女は前線に出るよりも後方で怪我人の治療を主にやっていたため、直に殺しあう現場を目撃はしていない。しかし自分のもとまで連れて来られる重傷者を見れば、戦闘の苛烈さが伺える。
特に酷い惨状を招いたのが、やはり"汚染"だ。
彼女の汚染の手を受けたものは、三日三晩の時間を悪夢に費やすと言われる。その悪夢もタチの悪いものらしく、起き上がった時には被害者を廃人にすることも多い。
その"汚染"が消えた。または遠ざかったとなれば、この安堵も頷けるというもの。
しかしそれは、本当に脅威が過ぎ去っていればの話ではあるが。
★
――いる。奴は、近くに。
心の中でそんな確証を抱いたまま、フレアは目の前の惨状を目にする。
断末魔の叫びを上げながら、寝台の上でのたうち回る幾人もの騎士。
王国随一の、屈強な騎士達が集まると言われる蒼翼の騎士団。その彼らがこうも涙を流して暴れ回ることから、降り立つ悪夢の壮絶さが伺えるというもの。
ふと目に映ったのは、悪夢に誘われた一人の男の手を握る、女騎士。
「――あなたは?」
視線に気付いたのだろう。ゆっくりと振り返っては、フレアに対してそう声をかける。
明るい茶色の髪と碧眼の女性。その頬には涙が伝った跡が見えた。
「フレアよ。この人はあなたの知り合い?」
「……ええ、同僚よ。幼い頃から、一緒に騎士を目指した中なの」
言って、視線を落とす。
荒い息を吐き、目を剥いて、呻き声を上げる男。彼女にとっては大切な人なのだろう。その手を強く握り締めている。
「彼とは別行動を取っていたの。私は会場から逃げる人々の護衛をしていたわ」
「――」
「無事に任務も終わって、事態も解決した。決して被害が少なかったとは言えないけど、それでも生きていることを互いに喜び合おうとその場にいた全員で決めていたの。そして、彼の知らせを受けた」
「それは、また」
フレアは目を伏せた。
悪夢を見続ける彼の様子から、目を覚ましたとしてもタダでは済まないことを経験から察していたから。
彼の精神が強靭なものであれば良いのだが、人はそれほど強くない。
「"汚染"。話には聞いていたけれど、こんなにも酷いものなのね」
「――ええ。酷いものよ」
ジワジワと意識を蝕んでいき、人を根本から捻じ曲げてしまう。"汚染"という存在の残虐さを、フレアはよく知っている。
「あなたは、どうしてここに?」
顔を上げて、そのようなことを尋ねられた。
フレアがここに来た理由。それは決意を固めるためである。
「あの女を、止めるため」
決意を固めて、あの時の復讐心を忘れないように。
「あの女を、仕留めるため」
汚染を止めるのは自分なのだと再認識するためだ。
「私が"汚染"を断ち切る。その約束を、彼らにも誓いにきただけよ」
「――あらあらまあまあ」
ルグエニア王国、西部。
そこに位置する都市アルディーラの門を何事もないように潜り、街道をゆったりとした歩調で歩くのは――白き魔女。
「匂う、匂うわぁ。悠然と佇む力強い波動。それを醸し出す白銀の彼女の匂いが」
白い、白い、白い。真っ白な笑顔を浮かべる。
「うふふっ、強い人。フレア、あれからあなたがどれほど成長したのか、再会の瞬間が楽しみで楽しみでしょうがないわぁ」
貼り付けたような笑顔で嗤う"汚染"。
ゾフィネスの笑い声が、周囲に木霊した。
★
集まり、魔導汽車へと乗車したユウリ達一同。
ガタン、ゴトンと。
揺れる汽車の中、彼らは終始無言だった。
疲労もあるだろう。
感傷もしていた。
しかし一番の理由としては、やはり。
――強い脅威を、心の奥底で抱えていたからだろうか。
二章 魔導学論展編 下編 ―完―




