力の差
ダッと音を立てて、数歩分の距離を一気に埋める。
瞬発力に関して言えば上位に位置するユウリの早業に、さしものシドも面白いものを見たと目を丸くした。
「へぇ。速いじゃん」
「――ッ!」
しかし余裕の表情は一切崩れない。その程度のことなど想定するまてもないといった笑みだ。
ならばまずはそれを打ち砕いてやろうと、ユウリは拳を握って拳撃を撃ち出した。
★
「ユウリの成長がここまでだと?」
マナフィアの言葉に驚く。
エミリーの目には、ユウリ・グラールという少年は発展途上の道を歩いているように見える。ゆえに彼をよく知るマナフィアからそのような言葉が出たことに、疑問が内に生じた。
「なぜそう言える?」
「なぜ、か。そうだな。まずは貴様にあいつの体質から話さねばならんか」
「体質?」
話の方向に訝しげな表情を表に晒す。
「ああ。ユウリ・グラールという男は魔力門と魔力抵抗力が存在しない体質を持っている。魔術剣士である貴様なら、この意味がわかるだろう?」
「――」
だが次の言葉に絶句し目を見開くことを余儀なくされた。
彼女の言わんとすること、そして言われた言葉の意味をエミリーは理解できる。しかしそれは受け入れ難い事実でもあった。
魔力門が存在しないということはすなわち、生を受けた時より自らの魔力量が増えることはなく。
魔力抵抗力が存在しないということはすなわち、魔力に対する耐性がないので魔術を受ければそれが初球魔術ですら致命傷になりかねない。
つまり現代に根付く魔導社会では普通に生活することでも困難になる。まさしく翼をもがれた鳥を想像して間違いない。
「しかしあいつはB級傭兵まで上がった。普通ならば生きる糧を得ることすら難しい立場であるはずなのに、この高みまで登ったのだ。それがどれほどの苦難な道か、どれほどの努力を必要とするかは想像するのは容易いだろう」
「……そうだな。俺だったら、そんな体質を持っちまった時点で生きることに絶望するかもしれねえ」
どこか哀れみの色を含む瞳。
決してユウリはそのような視線を向けて欲しいと他人に思いはしないだろう。欲することなく、普通でありたいと願うはずだ。
「ユウリはこの体質を魔波動という武術によりある程度克服した。もちろん血の滲む努力をしていたが、自分の体質の不利な点を逆手に取って、己だけの戦闘スタイルを築き上げていった」
「それがあいつの……」
「己の手足から直接、純魔力を発して敵を討つ。奴の天性ともいえる反応速度と相まって強くなった。しかしだ」
「しかし?」
「――あいつは心のどこかで、自ら歩みを止めてしまっている」
「――」
「自覚しているかはわからないが」と。
マナフィアは少しだけ目を逸らした。
「わからねえな。今の話を聞くに、あいつは力を貪欲に求めていたように聞こえたが」
「それはそうだろうな。間違いではない。けれど、ユウリは憧れてしまったんだ。この世界の頂点――高みの極みに」
「高みの極み――"武帝"か」
「ああ。真近で見てきたからな。それゆえに、圧倒的な欠点を持つ自分との越えられない差に嘆いたことだろう」
ここで少しの沈黙が二人の中に訪れる。
今まで聞いたことのない圧倒的不利な体質。それにエミリーはどう答えていいのかわからない。
沈黙を破ったのは金色の騎士だった。
「だから妾は心配なのだ。聞けばS級傭兵のシド・リレウスと邂逅したらしいではないか。爺と同じ"帝"の称号を持つ同世代最強の傭兵――その圧倒的実力差を前にしてユウリの心が折れないかを、ただ心配している」
「――ま、少しは頑張った方じゃねーの?」
茫然と。
ただ茫然と。
呆気にとられて地べたに這い蹲るユウリを、シドは無機質なものを見る目で見ついた。
ユウリの拳からはダラダラと血が流れており、腫れているのも相まって真っ赤に染まっている。息は荒く音を刻み、彼が今一歩でも歩けるような状態ではないことを悠然と物語っていた。
「……ぁ」
「だけど弱ェ。弱ェーな。これがジジイの弟子だと? 落ちぶれてんのか、あのジイちゃん」
「――」
「ハァ。もう反抗的な目もできないってか。非っ常ーに残念」
ただただ情けなくもシドを見つめるばかり。そのユウリの視線に、表情に、心底失望した様子をシドは見せる。
戦闘の結果は酷く単純だった。
終始ユウリの拳は銀の光に阻まれて彼に届かず、終始シドの攻撃を避けなければならない状態が続いていた。そして余波に吹き飛ばされて今に至る。
「動きは悪くなかったんだが足りないもんが多いな、お前。技術、威力、気迫。挙げればキリがねえ。B級傭兵としては申し分なかっただろうが、それ以上となりゃ無理そうだ」
「――」
「おいおい。もうちっとなんか言ってくれねーと張り合いがないだろうが。つーかこれなんだァ? 完全に弱いもん虐めしてる構図じゃねーか。パパとママが心配して飛んで来るって展開だけは勘弁してくれよ?」
「それがジジイなら大歓迎だが」とシドは笑う。嗤う。
ここまで言われてもなお、しかしユウリは黙ったままだった。
圧倒的なまでの実力差。決して越えられない壁。それを強制的に悟らされた。理解させられた。そのような感覚が彼を襲っていたから。
「んま、オシショーさんに会ったら伝えておいてくれよ。シド・リレウスは最強だ。いつだってあんたに挑戦してやるよってな」
そのようなユウリに何を言っても無駄だと悟ったのだろう。
シドはそう言葉を言い残して、ヒラヒラと手を振ってその場から立ち去っていく。
踵を返し、背を向けた彼。
今奇襲をかければ、一撃だけでも見舞うことができるのではないだろうか――。
「――」
否。
断じて否であった。
隙だらけのような彼の背。けれども狙ったところで銀の光を纏われてしまえばユウリは彼に対して何も干渉できなくなる。
できることと言えば、遠くなる背を眺めることだけ。
あまりに無力で、あまりに情けなくて。それでも仕方ないとも思った。
自分と彼。欠陥魔術師と加護持ち。
初めから持っている基盤があまりにも違いすぎて、そして遠すぎる。それを埋めることなど、神であってもできるはずがない。
だから気にすることではない。どうあってもこの結果は避けられない事態であったのだ。
しかし。それでも。
ユウリの拳が力強く握られる。血の滲むほどの力で。
胸から込み上げてくる激情と暗い影。それはどうして止むことなくユウリへとのし掛かってくるのか、当の本人でさえも理解できないでいた。
★
「――よく、頑張ってくれた」
ルグエニア王国、その上空。
鋼鉄の鳥を模した飛行船の上で労いの言葉が、生き残った者達へと送られた。
真ん中に佇むマクス・ベルはにっこりと穏やかな笑顔を浮かべる。
「君達のおかげで目的の物は一つ残らず手に入れることができた。これこそ正義の、正義による、正義のための、正義である僕が挑んだ聖戦の結果。やはり僕こそ神に選ばれた正義なのだと、痛感させられたよ」
「――」
総勢、三十名以上。
今回の襲撃で数はおよそ半分ほどに減ってしまったが、"再生者"の始祖たる中央の男は余裕の笑みを崩さない。
まるでこの程度の損害などどうということではないと、そう語っているようにさえ見える。
「特に今回の功績者は、君達も知っての通りこの三人だろう。三幻飾の名は伊達ではないということだ。三人――前へ」
手を広げて招き入れるような穏やかな表情を晒す。その対象者は三幻飾と呼ばれる"再生者"の幹部三人。
"怠惰な獅子"、アルバン・ドアが。
"狂犬"、エブリス・スレインが。
"魔獣使い"、ラグ・カルゴが。
前へと進み出る。
「アルバンは会場外の見張りと牽制を。エブリスは会場内のお目付け役を。ラグは今回の襲撃の総指揮を。それぞれが己の仕事を果たしてくれなければここまで上手くは行かなかった。感謝するよ」
「ケハハッ、儂の場合は起きた瞬間ここに連れられているせいで、何がなんだかわからんがのう」
エブリスはそう言って笑った。その言葉に溜息を吐くのはアルバン。
「……ったく。シド・リレウスが出てきた時は本気で肝が冷えたっつうのに。呑気なもんだな」
「どぉーでもいいけどぉ。ねぇリーダー、頑張ったあたしに褒美とかってないわけぇ?」
しかしその溜息すら無視するように、隣で犬型の魔獣に騎乗していた少女が強請るように声を上げた。
魔獣使いと呼ばれるラグ・カルゴである。
貴族特有の金髪をサイドテールで纏めており、生意気な印象を周囲に抱かせる少しだけ吊り上がった碧色の瞳はマクス・ベルへと向けられた。
「そうだね。そのような意見も出るだろう。だけど、これはやって当然の行いなんだよ。だって――正義だもの」
「いやリーダーぁ。そんなことを言ってるんじゃなくてぇ」
「人を助けることに理由はいらないよね? 同じように僕の行う正義を手伝うことに理由なんていらないんだよ。もちろん、ここにいるみんなは清き正しい心を持っているからこそ、そんなものを求めていないのは知っている」
「――」
「知らないのであれば、それは正義の同士ではない」
それに対してのマクス・ベルの返答。
剣呑な視線と雰囲気。逆らえば命はないと告げるかのような存在感がラグへと襲いかかる。
眉をピクリと動かした少女は、それっきり言葉を口にすることはなくなった。
口を出せば問答無用で殺されてしまう。
「それでもラグは、求めるのかい?」
「……そんなことありませぇんよぉ。ラグはいつだって正義の味方ですってば」
「わかってくれて嬉しいよ」
「もうっ。冗談が通じないリーダーなんだからっ」
キャハッと笑うラグの額には冷や汗が少しばかり滲んでいる。それをアルバンもエブリスも指摘しない。
彼らとて思うことがないわけではない。しかし逆らうことにメリットもなければ、機も熟していない。
彼らは知っているのだ。
正義の名を借りるこの狂人が、災厄の使者と呼ばれる極めて残忍な人間であることを。そしてまた、彼の強さを。
「ところでボスよ。あの真っ白な姉さんはどこに行ったんだ?」
話の流れを変えるために。アルバンが一歩進んで尋ねる。対照的にラグの方は後退して、己の身の安全を図った。
「真っ白な姉さん……ああ、ゾフィネスのことか」
「ああ。アルディーラまでの手引きと陽動を頼んだって話だったが、この作戦が終わって撤退する時にはあいつの姿を見てねえ」
「それなら心配はいらないよ。彼女は何やらあの国に残りたいらしく、ここでお別れすることになったんだ」
「はあ?」
いまいち話の内容を理解できないアルバンは眉を寄せる。
"汚染"などという呼称を持つゾフィネスのことだ。自慢の呪術で一般人を装い、都市の中に潜伏することなど容易いものだろう。
しかしその目的がわからない。 アルバンには見当もつかなかった。
「機会があればいずれ彼女とも会えるさ。大切な仲間との別れを惜しむことは悪いことではないけれど、僕らは進まなくちゃいけない」
「惜しむどころか万歳とすら言いたい気分だがな。あんの女が近くにいた時ゃ、俺の心臓がはち切れそうだったぜ」
悪態をつく。
彼女のお目付け役を任されていたアルバンは、すぐにどこかに姿を消してしまう"汚染"の自由奔放な性格に翻弄されたものだ。それから解放されたことで、ホッと息を吐く。
その姿にマクスは苦笑する。
「そう言わないであげて欲しいな。彼女はあれで綺麗なものを好む魅力的な女性だよ。ただ、その理由が歪なだけでね」
「だからこそあの女は危険なんでしょーよ。一体"汚染"に幾つの村や街が滅ぼされたことか」
「ケハハッ、儂もアルバンの言葉に賛成してしまうのう。それよりボス。これからどこに向かうか、教えてもらってもよいか?」
その姿にエブリスが笑った。
横にいたラグが退屈そうに自身の髪を弄っているのを尻目に、アルバンもまた同じことを知りたいとばかりに視線を向ける。
その場の様々な視線を浴びるマクスであるが、彼は穏やかな笑みを崩さない。
「そうだね。まずはデイン帝国領に入ろう。話はそれからだ」
「デイン帝国領。どうしてまた?」
「計画の最終段階。その準備をする」
雰囲気が変わった。
穏やかな表情こそ変わらないものの、纏う空気が一変したことをこの場の誰もが理解する。
さんさんと輝く太陽。それを眩しそうに見上げながら。
「"再生"の時は近い」
未来を見通しているかのように、光を瞳で反射させながらマクスは嗤った。
己の歩む正義。それを疑うということを知らないとばかりに。
次の更新は9月18日を予定しております。




