無謀な意地
魔導学論展が襲撃されてから、二日目となった。
「うーん。やっぱ外の空気の方が美味いなぁ」
伸びをしながら、医務室の患者の証である白衣を身に付けて通りを歩く黒髪の少年。その姿が伺える。
驚異の回復力を見せつけたユウリは、通常なら完治に時間のかかる重傷をもたった二日で治して見せた。
担当の治癒魔術師曰く、異常なほど治癒魔術に対する適応が良かったとのこと。
聞いた瞬間、ユウリは昔自らの師から言われた言葉を思い出した。
なんでも、ユウリの魔力抵抗力が異常に低い――というより無い――ことが関係しているらしい。
人の身には魔力抵抗力が必ず存在し、自らの魔力により他人を治癒する治癒魔術もまた抵抗される魔力の例に溺れない。それを他人に通すためには時間をかけて相手の魔力と適合させなければならないのである。
しかしユウリには魔力抵抗力が無いのでそれを受けなくて良い。ゆえに治癒魔術の恩恵を抵抗力による阻害がなく、すぐさま受けることが可能なのだ。
もちろんそのようなことを言えば相手から白い目で見られる可能性があるため、「なんででしょうかねー。あっはっは」と笑って済ませたが。
(――それにしても)
都市の風景に目を向けると、各所で壊れた建物の修理が行われていた。
傷付いた部分はその一部を修復し、倒壊している建物は建て直している。
ユウリは"再生者"の始祖たるマクス・ベルが退場したから、その先の記憶がない。原因はその後すぐに気絶したからであると周囲の人間からは聞かされている。
話によると、襲撃した"再生者"の者達はただちに帰還していったようだ。
都市に残った魔獣は全て駆逐され、そして現在に至る。
「奴らの目的。なんだったんだろうな」
誰に聞かせるでもないただの独り言。
けれどもユウリの本音が詰まった言葉であるのは確かだ。
"再生者"の目的。
蒼翼の騎士団の副隊長たるジーク・ノートは知っているのだろうか。彼らが何を考え、何を狙ったのかを。
ユウリには考えても答えは出なかった。しかし、医務室でとある噂話は耳にした。
(研究レポートと実物品。そして――神核)
会場内から消えたそれらの品々。
それが一体何を意味するのかはユウリとて知らないが、それこそ彼ら襲撃者の目的の物であったのかもしれないと、ユウリを始めとした事件の関係者は疑っている。
「あ、すんません。そこの果物一つ頂戴」
「おうよ坊主。良い目してんじゃねえか。ほれ」
近くに置いてあった赤い果物。
ちょうど小腹も空いていたと、ユウリは店主に声をかけてそれを受け取った。
対価として払ったのはルグエニア王国の共通貨幣である、翼の模様が刻まれた銅貨。
手に取った果物の重量感はそれなりであり、食べ応えがありそうだとユウリは僅かにほくそ笑んだ。
「――んむっ。なかなか美味いじゃん」
「目もそうだか舌も肥えてるねぇ、兄ちゃん。気に入ったぜ!」
「どうも。それより、街の復興は順調?」
シャリシャリと音を鳴らしながら果物を咀嚼し、ついでに都市の復興作業の風景を眺めながら何気なくそう尋ねた。
すると、店主は先ほどまでの明るさが嘘のように消えてなくなる。
「……未だ傷は癒えねえままさ。いきなり都市の中で魔獣が現れたんだ。しかも一体じゃねえ。何体も」
「驚くよなぁ。安全だった街中が一瞬で狩場になってんだからさ」
「ああ。怪我をした奴、殺された奴。遺族はやりきれねえよ。こんな大事件が起きるなんて、誰が想像できた?」
「――」
店主の声は震えていた。きっと彼の親しい者や近しい者も犠牲となってしまったのだろう。
彼の言う通り、今回の事件は誰もが想像していたものより遥かに大規模かつ予想外の出来事に見舞われた。
空を泳ぐ巨大な飛行船。何体も収容されていた魔獣。
"再生者"がここまで大胆にアルディーラを襲うことを、誰が察することができたのだろうか。
「壊れたもんは直る。体の傷もな。だけど、心の傷だけはどうにも癒えちゃくれねえのさ」
「そっか」
魔導汽車で"再生者"の刺客と対峙したユウリでさえ、ここまでの襲撃計画を練っていたなどとは考えもしなかった。
(そういや、ツヴァイとレイドスはどうなったんだろ)
ふと魔導汽車での出来事を思い出している時、彼らのことが脳裏にチラついた。
今朝に完治したユウリはそれまでの情報に疎い。
彼ら襲撃者達がどうなったのか。何を考えて事を起こしたのかを何も知らないのだ。
となると。
散歩がてらに外へと出てみたが、行き先は決まった。
同時に果物の残りを全て口に収める。
「やっぱもう一個だけもらうわ」
ピンッと銅貨を弾いて店主に渡すと、果物をもう一つ取った。そんなユウリの様子に店主は一度目を丸くするが、すぐに頬を緩めて「まいどー」と声を出す。
彼の心にも癒えぬ傷が縫い付けられたようだが、しかし彼ならそれを乗り切れるだろうと、ユウリもまた頬を緩めた。
行き先はアルディーラの傭兵ギルド。
上手くいけばエミリーか、もしくはマナフィアとリリアンナに出会えるかもしれない。
彼女達ならば今回の事件の顛末を知っているはずだと当たりをつけて、ユウリは歩き出す。
一歩。二歩。三歩。
そしてユウリは――。
「――あん? どっかで見た顔だな」
"銀竜帝"、シド・リレウスと出会った。
★
A級傭兵であるエミリーの、ここ数日の稼働時間は並みの人間を凌駕していた。
学園都市ロレントを中心として活動していた彼女はそろそろ他の都市に移動しようかと考えてる時、傭兵ギルドからの要請を受けた。
内容は"再生者"の襲撃を危険視されている西の都市アルディーラに護衛として向かって欲しいというもの。
連絡を受けた時にはあと一日で魔導学論展が開催されるという状況であった。ゆえに彼女が移動を終えた時にはすでに開催前。そのまま疲弊した体を背負って会場の護衛へと勤しむ。
そして例の事件が起きた。
「――ったく。少しは休ませろってんだ」
愚痴を溢しながら傭兵ギルドへと帰還したエミリー。今しがた終えた復興作業の依頼に、欠伸を一つ噛み締める。
悲しきかな。A級傭兵というものは超越者とも呼ばれる大陸でも高名な傭兵に与えられる称号ではあるが、使いっ走りをされることも少なからずある。
今回の依頼がまさにそれだと、文句を言いたくなる胸中を押し殺して握り締めた依頼の完了証を受付に叩きつけようと歩を進めた。
「――ふむ。"岩断ち"ではないか」
「あぁん?」
そんな時に声がかかる。
不機嫌な彼女は眉を寄せて、いかにも「話しかけるんじゃねえ」とばかりの感情を滲ませた表情を表へと晒した。
しかし次の瞬間には驚きで僅かに目を見開くこととなる。
「――って、てめえ! "金色"のぉ! 久しぶりじゃねえか。元気ぃしてたか」
「ああ。妾がそうでないはずがなかろう。貴様も相変わらずだな」
「おうよ! ただ今は疲れてんがな」
がははッと女らしさの欠片もない笑い声を挙げる。その様子に変わりないようだと"金色の騎士"と名高いA級傭兵、マナフィア・リベールもニヤリと笑った。
「なんだ疲れておるのか。妾としては以前の続きをやりたかったが」
「決着がつかなかったもんなぁ。俺としちゃ今からやってもいいが、せっかく復興し始めてる街がまたぶっ壊れることになるだろうぜ」
「それは困るな。本部から小言をもらうのはもう沢山だ」
少しだけ遠い目をするマナフィア。
映る光景は以前行われたエミリーとの模擬戦の現場である。
「あん時ゃ怒鳴られたもんなぁ。さらには一週間の私闘の禁止。破れば傭兵の依頼は受けさせねえときたもんだ」
「たかが模擬戦程度でなぜそこまで言われなければならないのか」
「ぶははっ! そのたかが模擬戦で村一つが壊滅寸前まで破壊されたからだろうよ!」
「原因の二割ほど妾にあるのは認める。しかし残りの全ては貴様の衝撃魔術によるものだろうに」
「わははッ! 違ぇねえ!」
マナフィアとの会話でさらに笑う。
エミリーの声は賑やかな傭兵ギルドの中でも一層響いて注目を集める要因となった。
行き交う人々がそちらに目をやり、ギョッとする。必然とも言える。ギルドの中にA級傭兵が二人も存在し、顔を合わせている光景など稀であるのだから。
「そういや、いつも連れてる小さいのがいねぇな。どうしたんだ?」
「ああ、リリのことか。あれには遣いを頼んでいる」
「ほぅほぅ。てめえみたいな奴に使われるあいつも大変だなぁ」
「なに。貴様ほどではない」
「てめえやんのか?」
他愛ない話。その一つ一つに周りは耳を傾けて警戒心を露わにしなければならない。
戦闘狂である"金色の騎士"と現地での被害が多発する"岩断ち"の邂逅。ギルド職員でさえ身構えている始末である。
「貴様はまだソロでやっているのか?」
「おうよ! 臨時でパーティーを組んじゃいるが、基本は一人だ。気楽だからな」
「確かにそれは認めるが。お眼鏡に叶う傭兵がいないという理由もあるのではないか?」
「それもあるな!」
ニヤリと口角を吊り上げる。
言われた通り、ここ最近ではめっきり実力の高い傭兵との出会いが減ってしまった。それはこの国が他国と比べて平穏な生活が送れるからという理由もあるが、しかし彼女達からするとそれは歓迎できる話ではない。
「――いや。一人いたな、目を掛けてる傭兵」
「ほぅ。貴様が言うのなら外れはなかろう。誰だ」
「名前はユウリ・グラール。齢十六のくせしてB級傭兵の座に就いてやがる」
そこで話題が一人の傭兵に移った。
聞き覚えのある名前にマナフィアが僅かに瞠目する。
「ユウリだと。あいつを知っているのか?」
「ちぃと前のギルドで一緒に依頼をこなしてな。そういうてめえこそ知ってるようだが」
「妾の弟分のようなもんだ」
言葉に、エミリーが面白いことを聞いたとばかりの表情を浮かべた。
「なるほど、そりゃ強いわけだな。魔力量が半端なく少ないって聞いたが、それを感じさせない戦い方だ。機転も利く。あのまま成長すれば遠くない未来にはA級傭兵にもなってるだろうよ」
「……」
ユウリのことを余程気に入っているのか、楽しげに彼についてを話す。しかしそんなエミリーの言葉にマナフィアは僅かに視線を下げた。
「――どうした?」
先ほどまでと雰囲気が変わったことにすぐに気付いたエミリーは、訝しげな視線を送る。
目線を飛ばされたマナフィアは少しだけ戸惑うように口を開いては閉じる動作を行った。が、すぐに言葉を吐き出す。
「貴様の言う通り――ユウリは強い。頭の回転も悪くなく、決して驕らない。あれほどの枷を背負って、それでもここまで登り詰めたことは賞賛に値する」
「……登り詰めたって言ったな。そいつはまるで」
「ああ。もしかしたらあいつの成長は――ここまでかもしれん」
★
アルディーラの中央に存在する巨大な闘技場。
所々に瓦礫が落ちており、ここも復興作業の対象のはずだがそれを行っている者は誰もいない。
おそらく都市の市街地を優先しているため、ここは後回しにされているのだろうとユウリは推測した。
「それで、話ってなんすか?」
シド・リレウスとバッタリ出くわしたのは数分前のこと。
最初こそユウリは会釈と挨拶だけで済ませる予定だったが、向こうは何を思ったのかユウリをこんなところにまで連れ出した。
「グラールってのに聞き覚えがあんだ。単刀直入に聞くが、フォーゼ・グラールの関係者か?」
「……そうだけど?」
尋ねた言葉への返答は、そのようなものである。
質問の内容に眉を寄せつつ、しかし隠すことでもないと開き直って素直に肯定した。
するとシドはこちらが警戒するほど、ニヤリと口角を上げる。
「クハハッ。やっぱそうかよ、おい」
「で、それがどうしたんすか? 俺も暇じゃないんすけど」
学園序列二位。S級傭兵。加護持ち。
様々な称号を手にするシド・リレウスは、聞くところ自分の学年の一つ上――すなわち二年生に該当するようだ。
その彼が自分に声をかけた理由が自らの師ともなれば、少なからず疑念が内に生まれる。
「お前ぇには関係ねーことさ。S級傭兵の都合って奴? お前はただ俺の質問に答えてくれやァそれでいい」
「――」
「あんのジジイは今どこにいる? 何をしている? 答えろ。早く――答えろ」
矢継ぎ早に質問が投げ込まれる。
ギラギラと金の瞳を輝かせて、少しでもフォーゼの情報を得ようとユウリに詰め寄った。
しかしユウリにはその言葉が聞こえない。
否、聞く余裕がなかった。
「――――――ない」
「あん?」
「俺は、あの人と関係なくは、ない」
ハッキリとそう告げる。
瞳に映るのは、激情。
「それを聞いてあんたはどうする? 返答はそれによる」
「へぇ。俺を相手にしてその啖呵はなかなか肝が据わってるじゃねーかよ、オイ。面白ェから特別に教えてやらなくもねェな」
その瞳を見てか。それとも言葉か。
シドはこちらを見下したような蔑称を浮かべつつ、考えが変わったとばかりに言葉を述べた。
「つってもやるこたァ難しいもんじゃねえ。ジジイを探して――倒す」
「――」
「俺は今まで様々な奴と殺り合ってきた。だが、全部雑魚だ。俺に傷を付けることすら誰も叶わねえ。が、かの"武帝"はこの大陸でも最強の武術師ってことらしいじゃねえか。なら俺とどちらが上か、S級傭兵同士で殺り合うのも一興」
「――」
「そうは思わねえか?」
ユウリは絶句した。
フォーゼと殺り合う、という内容にではない。
あのどこまでも頂きにあり続ける"武帝"と戦い、そして勝つ気でいるシドが信じられなかったのだ。
「あんた、勝てると思ってるのか……?」
「当たり前だろうが。むしろ俺が負ける理由がねえ」
「無理だ。俺の師匠に勝てる奴なんているわけがない」
「――へぇ。お前、ジジイの弟子か」
そこで視線がユウリへと向いた。
背後にいるフォーゼの幻影ではなく、ユウリへと。
「――ハッ。お前ェみたいな腑抜けが弟子じゃ、フォーゼも噂だけで大したこたァないってことか」
「――」
そして明らかな失望へと、含む感情を変化させた。
過程を、事細かに目に収めたユウリ。自分が下に見られることには気にもしない彼であるが、しかし自らの命を繋いでくれた師に対する暴言は話が別であった。
「――取り消せ」
ポツリと、呟く。
「……取り消せ? 何を?」
「爺さんを侮辱したことだ。取り消せ」
明確な敵意。
殺意にすら変貌しそうなその瞳を、しかしつまらなさそうに眺めるシド。
「取り消す理由がねぇよ。俺は本当のことを言ったまでだ」
「――ッ!」
怒気が膨れ上がる。
僅か、笑みを浮かべる白銀の少年。
「来るか? ならお前の力で訂正させてみろ」
「――後悔するなよ」
飛び込むユウリ。
待ち受けるシド。
意図せぬ邂逅から始まった衝突。
後にユウリの選択を決定付けた瞬間が幕を開けた。




