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ただの欠陥魔術師ですが、なにか?  作者: 猫丸さん
二章 魔導学論展編 下編
63/106

戦いの跡

「――――――ッ」


 "――"の声が聞こえる。


「――――――」

「――――――!」


 "――"の声が聞こえる。


「――――――?」

「――――――ッ!」

「――――――」

「――――嫌だッ!」


 "――"の声が聞こえる。


「――僕の分まで、幸せになってくれ」


 "――"の声が遠のいた。




「――んあ?」


 目を覚ます。

 上体を起こして辺りの様子を伺うと、棚に並べられた薬品や各所に設置してある患者用の寝台が目に入った。

 ズキッと右肩と左腕が痛むことで、そちらに視線をやると包帯が巻かれている。それを見てユウリ・グラールは思い出した。


「――あー……」


 魔導学論展とそれらを襲撃する"再生者"。

 ユウリ達が目にしたのは戦闘、戦闘、戦闘。そして殺し合い。

 様々な刺客が入り乱れ、自分達の戦いに三人もの常識を超越した実力者が介入した。中でも印象に強いのは歴然たる差を見せつけた"加護持ち"、シド・リレウス。


「……もうちょい寝るか」


 それらを忘れ去るようにユウリはもう一度布団を頭から被った。



 ★


 魔導学論展への襲撃。

 多くの犠牲を出したその事件が終わって、丸一日が経った。


「それで、被害を報告してもらえる?」


 騎士の兵舎の一室で優雅に座って此度の事件の詳細を求めるセリーナ・ルグエニアと、その傍に佇む護衛役のスイ・キアルカ。


「セリーナ王女にそう問われれば、答えざるを得ないでしょう」


 対峙するのはジーク・ノートである。王宮騎士団の副隊長の座に就く彼は、頭を抱えたくなる気持ちを押し殺してそう答えた。


「民間人の被害は百に及びますな。会場から漏れ出た魔獣の何体かが原因のようです。更にアルディーラの衛兵に多数、死傷者と重傷者が出ており、事態は深刻。そして蒼翼の騎士団(ノーブル・ソード)の数人が――」

「"汚染"にやられた、と」


 ジークの言葉を引き継いだセリーナ第二王女は溜息を吐いた。

 "汚染"、というのは災厄の使者(エンドリスト)に名を連ねるゾフィネスのとある呪術の別称である。


 これを受けし者は一週間もの間、喘ぎ苦しむことを強要される。まさに名前の通り――呪い。


「被害者曰く、想像を絶するほどの悪夢を見続けていたとも聞きます。しかもほぼ全ては悪夢に耐えきることができず、精神崩壊を起こすとも」

「"再生者"の襲撃にあの"汚染"が関わっていたなんてね。騎士団側はこれを知っていたのかしら?」

「奴らが都市に入ることを可能とするのは我々を欺けるほどの強力な呪術師です。だとするならば、可能性は十分にあると考えていましたが……」


「しかし本当に関わっていたとは」と。まるで苦虫を噛み潰したような顔をする。


「幸いと言えるかわからないけれども、"汚染"が現れた場所にはあなたがいた。もしもそうではなく他の場所なら、もっと被害は増えていたと考えられるわ」

「――と、いうと?」

「"汚染"を一時的にも止められる人材は非常に限られるってことよ。何よりあなたが彼女を退けたのでしょう?」


 疑いを含むことのない眼差し。それがジークへと送られる。セリーナ第二王女がジーク・ノートという王宮騎士団の中でも非常に剣術に長けた才気ある男だと認めている証拠だ。


 信頼の視線。ジークはそれを受けて僅かばかりに目を逸らしてしまう。


「――いえ。私はただ防ぎ、捕らえられないよう避けることしかできなかった」


 全身を雪のように白く染める魔女。

 ゾフィネスという女性はそう形容するに相応しい容姿と戦いぶりを披露していたのを、思い出す。

 ジークを含む騎士団は気付けば呪術を受けており、視界から消え、分裂し、その場から溶けて無くなる彼女を捉えることもできなかった。


 なにより彼女の最も恐るべきところは、一度触れられればその場で意識を刈り取られて悪夢へと誘われる汚染(ディゾルブ)と呼ばれる呪術。


 "汚染"の代名詞の由来ともされる彼女の固有呪術の厄介さを、ジークはその目で拝むこととなった。


「――恐れながら。あなたほどの剣の使い手が、ですか?」

「そうだ、キアルカ嬢。剣で切りつけたとしても彼女は透けて無くなるか、まるでその場にいないように剣が素通りする。見えているのにその場にはいない。精神に干渉する呪術もあそこまで極まれば無敵を意味するということだ」

「――」

「そうして幻影に惑わされている間に彼女は背後から隙を伺う。そしてあの"汚染"の手に触れた瞬間、悪夢の世界へと旅立つことになる。大国である我が国の騎士団でも、隊長でなければあれと戦えることなどできん。それでなければS級傭兵くらいだろう」


 ギシッと音がした。

 スイが音の原因を視線で探すと、ジークの手が震えながら手にしたコップを強く握り締めている。簡素な木製のコップだが、頑丈そうなそれにヒビが入っていることから相当な力で握られていることが彼女にはわかった。


「――なるほど。S級傭兵といえば、スイちゃん。あなたの所にシド・リレウスが応援に来たと聞いたけれど」


 そこでセリーナの視線が移った。

 おおかたジークの心情を察して話を変えるためだろう。それを理解したスイは僅かに表情を引き締めて肯定する。


「はい。私とユウリ・グラール及びレオン・ワードが"狂剣"と戦闘行為を取っている時に現れました」

「そして"狂剣"を討伐した瞬間、マクス・ベルがそれを回収しに来たらしいわね。滅多に姿を現さない彼にしては珍しい」


 マクス・ベル。

 恐らくこのルグエニア王国の中でその名を知らぬ者などいないのではなかろうか。

 "再生者"を立ち上げた国家最重要手配人。王国でも、各傭兵支部でも手配されている最も凶悪とされる犯罪者である。


 かの名前が出たことに、ピクリとジークも反応を示した。


「――マクス・ベルが……。よくぞ無事だった、キアルカ嬢」

「"銀竜帝"がいましたので。かの災厄の使者(エンドリスト)もS級傭兵とこういった場で争うのは控えているようです」

「なるほど。王宮騎士団もいる現状では当然とも言えるか」

「ええ」


 ジークの言葉にセリーナが頷く。


「ただし、素直に退いたのは目的を達成したからとも考えられます。私にはその目的というものがわかりませんが」

「確かにそうですね。ジーク副隊長殿は何か彼らの目的についてご存知でしょうか?」


 兼ねてより気になっていたことをスイは尋ねた。それすなわち"再生者"と名乗る国家反逆者の目的についてである。

 どうして彼らが魔導学論展に多大な犠牲を出してまで襲撃したのか。都市への被害は甚大であったが、決して彼らの犠牲も少なくない。


 そうまでしての、目的とは何か。


「――正直、私にも分からない。しかし魔導学論展からとある物品が消えていたのが先ほどわかった」

「とある物品?」


 セリーナとスイの二人が訝しげな表情をそれぞれ晒して首を傾げる。その様子を少し見て、ジークは言葉を続けた。


「魔導学論展に出席した各研究者の研究レポートと実物品。それと会場二階に展示されていた神人の魔核。これらです」

「腑に落ちないわね。つまり彼らの目的は魔導学論展の魔導研究者達の研究内容だと?」

「そう考えるのが自然となります。しかしなぜ研究内容に目をつけたのかは謎です」

「――そして、魔核を盗んだのもまた謎」


 思案する表情でセリーナは呟いた。

 研究内容と魔核。これらを必要とする理由とは何なのだろうかと頭を悩ませるが、答えは出ない。


「瓦礫に埋まっており、まだ見つかっていないということはないのですか?」

「それもない。瓦礫についてはあらかた片付いており、感知魔術も使用しているため見落としの可能性はないと思われる」


 会場内の様子を直に多く見ていたスイがそのように答えるも、すぐさま否定された。


「今回の事件は色々と不可解な点が多い。一体奴らは何を考えているのか……」


 言葉に、三者が三様の表情を取る。

 不可解な点。理解できない点。それらが解決することはなく、彼らの会合は終わった。



 ★


 草むらが風に揺れて音が鳴る。

 ここはアルディーラ内で一般的に解放されている庭園。中央には水が流れ続ける噴水が置かれている、観光場所の一つである。


 そこでフレアは夜風に晒される銀の髪を揺らして、星を眺めていた。


「――」


 明るい星。輝く星。消え入りそうな星。流れるように動く星。様々な星が目に入る。

 それを真っ直ぐと見つめる彼女の瞳に映るのは、白く、どこまでも白い魔女の存在。


「――ゾフィネス」


 ポツリと呟く。

 声色に滲むのは憎悪。そして少しの恐怖。

 抑えきれぬ感情の炎を内で燃やし続けているところ、ふと背後から二つの人の気配に気付いた。


「フレアさん。こんな所で何をしてるの?」

「今、夜に一人で都市の中を出歩くのは感心しないな。去ったとはいえ、まだ"再生者"の連中が隠れていない保障はどこにもない」

「――ステラ。そしてレオンも」


 振り向いたその先にいたのは、もはや見慣れた二人組だった。

 レオン・ワードとステラ・アーミア。

 今を生きる現代の若者であり、ルグエニア王国の中でも名門とされる貴族の末子達。

 将来はそれぞれ国の未来を背負っていく立場になることは平民であるフレアでもわかる。そんな彼らが少しだけ眩しく映ってしまう。


「二人はどうしたのよ。レオンなんか特に寝ていた方がいいんじゃない?」

「やっぱりフレアさんもそう思うよね! ほら、だから早く帰って体を休めないと!」

「見かけほどじゃない。歩けるし、動ける。それだけできれば大丈夫だろう」

「そういう問題を言ってるんじゃないの!」


 しかしそのような会話を聞けば、年相応に見えるというもの。むしろ年齢より幼くも感じる。貴族の人間がそのような姿を人前で晒してもいいのだろうか。


 レオンの方は所々に包帯が巻かれており、一目で怪我人だということを察することができる風貌で、そんな彼をステラが心配するような視線で見つめていた。


 けれど彼女の胸中も知らずにレオンは大丈夫だと言い、頑なに医務室に行くのを拒む。


「そう大きな声を出すな。僕は大丈夫だ。僕より重い傷を負った者だっているんだぞ」

「――」

「レオン、その話は……」

「……そうだな、無神経だった。すまない」


 注意され、眉を寄せたレオンは謝罪した。

 いつもならこの面子にもう一人加わっているはずだった。この場の誰よりも明るい黒髪の少年、その彼が今ここにはいない。


「ユウリ君は大丈夫なの……?」

「治癒魔術師によると命に別状はないらしい。ただ、あと二日は起き上がれないだろうと言われてる」

「二日かぁ。もしも傷の治りが遅ければ学園に戻るのは間に合わないかもしれないんだね」

「このままなら、な。しかしユウリに対する治癒魔術の効きは非常に良いらしい。普通なら一週間は体を動かすことはできないらしいんだが、かなりの回復力を持っているから完治までの時間が短縮されるかもしれない」

「ならいいんだけど……」


 元気付けするような言葉に、蒼髪の少女の表情が少しだけ明るさを取り戻す。


「そっか」


 フレアもまた、ホッと息を吐いた。

 彼女にとってもユウリ・グラールという少年の存在は、ここ最近では近くにいても不自然ではないほど日常に溶け込んでいる。

 その彼が急にいなくなると胸の中に去来するのは一抹の寂しさであった。


「ま、あいつならすぐにケロっとした顔で戻ってくるでしょ」

「光景がすぐに思い浮かぶのも考えものだがな。しかしその可能性も低くないだろうさ」

「二人のユウリ君への評価ってどうなっているんだろ」

「馬鹿ね」

「能天気だな」


 二人の辛辣な言葉。それを受けてステラはキョトンとし、そして笑う。


「もう、二人ったら」


 からからと笑う少女に、釣られてレオンもまた少しだけ笑った。フレアもまた頬を若干緩めている。


 先ほどまでは俯いていた三者の顔が、しかし今では夜空に浮かぶ星のように明るさを取り戻した。その事実を前にして、笑ったことにより目に滲んだ涙をステラは拭いながらステラは言葉を続ける。


「でも不思議だね。ユウリ君の話をしただけで、みんな笑顔になるんだもの」

「……別に、笑顔になんてなってないわよ」

「そうかなぁ。さっき笑ってたけど」

「それはッ! 二人の顔が面白かっただけ」

「フレア。それは僕の顔を馬鹿にしているのか?」

「捉え方は自由よ」


 ふんと鼻を鳴らす銀の少女に、レオンが視線を少しだけ細めると「はぁ」と息を漏らした。これ以上言葉を重ねても彼女を屈することはできないことを悟ったからである。


「それで、先ほどした質問に戻るが。君の方はどうしてここにいるんだ?」


 そして先にステラが問うた言葉を、次はレオンの口から発した。言葉を耳に届けて、フレアは押し黙る。


「――少し、考え事を」


 おもむろにそう呟いた。


「考え事?」

「ええ。私の故郷とそれが滅んだ事件。そして――その元凶」

「――」


 レオンとステラ。

 両者が銀の少女から告げられた言葉に絶句する。


「……故郷が、滅んだ?」

「ええ。今の時代じゃ珍しいけど、そこまで驚くことでもないんじゃない?」

「驚くに決まっているだろう。ルグエニア王国ではそんな事態、ほとんどないはずだ」

「そうね。この国は平和だし。でも大陸の全てがそうじゃない」


 感情を燃やした碧色の瞳が夜の街でも爛々と輝く。

 全てを焼き焦がすほどの激情を感じさせるそれは、自分達の知る言葉では表せないだろうことをレオンは察した。


「――元凶と言ったな。原因はなんだ」

「そこまで聞くのは失礼に当たるんじゃない? それとも私が平民だから、聞いても大丈夫って思ってる?」

「そんな詭弁はいい。僕は君を友人として心配している。だから君の話を聞きたいと思うことに恥などない」

「ふぅん。レオンのそういう所――嫌いだわ」


 すぅっと視線が細められる。

 加護持ちの圧力。それを受けてステラは僅かに後すざりしたがレオンは一歩も退かずに真っ直ぐと瞳と瞳を対峙させるばかり。


 意外だったのだろう。僅かに驚きの表情を浮かべて、その後フレアは次第に冷静さを取り戻すようにして威圧を解いていった。


「――ある女に、滅ぼされた」


 掠れた声。

 注意して聞かなければ聞こえないほどのそれが、二人の耳には聞こえた。


「その女は全身を真っ白に染めた魔女みたいな奴よ。最初こそその美貌で相手を魅了するけど、中身は腐りきっている。いいえ、そんな言葉じゃ足りないくらい――壊れてる」

「――」

「私は誓ったの。復讐のために強くなって仇を討つと。幸い私にはその力があるもの。だから強くなる。魔術、知識、立ち回り。できることを探して、強くなる」


「今回の魔導学論展もその一環よ」とフレアはさしたる感情も込めずにそう言い切った。

 激情、それが押し込められていることにはレオンとステラも気付いていたが。


「その女、というのは」

「あんた達も名前くらいは聞いたことがあると思う」


 自然な動作でゆっくりと。

 銀の光を髪から反射させる彼女は、足を動かして二人の間を静かに通り過ぎる。


 後ろ姿ゆえに伺える表情はわからない。しかし蒼炎の使い手たる彼女は、確かに内で燃えていた。


「――ゾフィネス。"汚染"なんて腐った名前で呼ばれてる、犯罪者よ」





「――あらあらまあまあ」


 都市を照らす月光の下。

 とある高い建物の屋根上にて、眼下に広がる都市の町並みを眺めている女性がいた。

 月光によって映される姿は、どこを取っても白。白。白。


「うふふっ、誰かが私の噂をしているのかしらぁ?」


 カラカラと。

 壊れた人形のように、ゾフィネスはただただ嗤っていた。




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