一時的な閉幕
「――あんた、は?」
突然の助け舟とも言うべきか。
今まさに狂気の一撃がユウリ達の命を刈り取ろうとした瞬間、目の前に銀の光が舞った。
エブリスは光に弾かれるように後方へと飛び、銀光が止むとそこには一人の少年が佇んでいたのだが、しかしユウリはこの少年のことを知らない。
白銀の髪を携えたその者は自分とそう歳が変わらないように見える。しかし圧倒的なまでの強者の雰囲気が、両者を隔てているのは十分に悟った。
「シド、リレウス……?」
そんな時、スイは目の前の少年の姿を見てポツリと呟く。その瞳は揺れて、口元はポカンと開いていた。
「先輩、知ってるの?」
「知っているも何も、ルグエニア学園の生徒です。制服を見れば一目瞭然でしょう」
「確かに。でも――」
彼女の言った通りである。
目の前の彼は黒を基調としたルグエニア学園の制服を身に付けている。それはすなわちユウリ達と同じ学園の生徒であることを物語っていることに他ならない。
それでも彼が生徒であると、自分と同じ立場であると、そう思えないのは圧倒的なまでの魔力と威圧感を少年に感じているからだ。
「シド・リレウス。聞いたことがあるぞ」
先ほどまでの楽しそうな表情から打って変わって警戒を露わにした様子を見せるエブリスは、静かな瞳で白銀の少年を観察するように眺め見ている。
「"加護持ち"が生んだ奇跡。最年少にして最高位の力を手にする英傑。同年代であれば比べるべくもなく最も強力な力を持つ魔術師」
「へぇ? 俺のことを知ってんのか」
「裏稼業をやっていれば嫌でも耳に入る。お主らは儂らにとっての天敵でもあるからのぅ」
「強すぎるゆえに、こちらが獲物とされる」と。
そう続けたエブリスはしかし、猫が獲物に飛びかかる寸前の体勢を取った。
「ゆえに儂の実力が届くのか。試してみたいものぞ」
「いいね。やるなら遠慮はしねーが、それでもいいのか?」
「当たり前じゃ。遠慮など、させるつもりもない」
返ってくる言葉に、ニヤリと笑みを浮かべる。その場は先ほどまでとは立場が逆転していた。
すなわち、狩る側と狩られる側が。
「――ゆくぞ」
残像を残しながら、エブリスは驚異的な速さでシドの懐へと侵入する。その時間は一秒にも満たぬ刹那の間。
反応速度において定評のあるユウリにも、完璧にその動きを目で終えたかは定かでない。
「ほーぉ。速ぇな、いいじゃん」
その俊敏な動きにシドは僅かに瞠目する。
ただ、それだけ。
――キンッ。
そんな甲高い音と共に、エブリスの振るった曲刀は弾かれた。
「――」
「ただよ。そんなチャチな剣じゃ、俺の竜鎧を貫くことはできねーなァ」
銀の光をオーラのように纏ったシドは、そのような剣撃を通さない。弾き返し、そしてそれは格好の隙となる。
少年が右腕を振り上げるとその手の先から銀の光が漏れ始めて片翼を形成。まるでシドの右手の先が竜の翼へと変わったようだ。
「クハハッ。さぁーて、どう対処すんだ?」
それを、大降りに振るう。
嵐が過ぎ去る光景を彷彿とさせる一撃。衝撃を起こし、周囲を巻き込みながら、獲物へと襲いかかった。
「――なんという威力」
それを寸前で躱す。
エブリスの猫のごとき俊敏さにより直撃こそ免れたが、藍色の髪は激しく揺らめいてその先端を散らした。
少しばかり掠ってしまったのだろう。額から血が一筋だけ垂れる。それでも動きを止めないのは、エブリスの本能がそれを明確に拒否したからだ。
「おぉーおぉー。動く、動く、動くじゃねえか」
右へ、左へ、上へ、後ろへ。
様々な方向に素早く動き続けながら剣を振るうその様子に、実に愉快そうな笑みを張り付けてシドは眺める。
その間、様々な角度から放たれる斬撃。その全てがシドの纏う銀のオーラに弾かれていた。
「中々面白い芸だ。ほらほら、次は何を見せてくれんだ?」
「――」
銀の巨大な翼。
それを両の腕から発現させては、振るう。
会場内を激しく揺らす大嵐は瓦礫やその場に転がってある椅子や机などを巻い散らしていった。
大翼が通ったその先には何も残らず、あったものはただ吹き飛ばされて消えていくばかり。もしも直撃を受ければ、エブリスとてただでは済まない。
その二つの翼撃をエブリスは身を捻って避ける。避ける。
然りとて翼は発現されたまま、連舞のように吹き荒れ続けた。無数の揺れを感じつつも、お得意の高速による動きで全てをいなし、躱す。
けれど、それもいつかは限界が訪れる。
「――ォッ!!」
「よっと。捉えたぜ」
胴を薙ぐ銀翼。
両の剣を交差させて防ぎこそしたが、圧倒的な衝撃には"狂剣"とてなす術もなく吹き飛んだ。
「……なんだよ、あれ」
思わずユウリの口から漏れてしまった言葉。それが呆気にとられた表情と共に隣の二人まで届いたことだろう。
しかしそれも仕方ないというべきか。先ほどまで戦った圧倒的なまでの力を誇るエブリス。それが赤子のように何も為すことなどできず、ジリジリと追い詰められていく。
「学園序列二位の"加護持ち"、シド・リレウス」
唖然とするユウリとは対照的に、スイは睨むようにしてその善戦ぶりを拝んでいた。その圧倒的な力の一端を決して見逃さないようにと、そんな強い意志が伺える瞳である。
「彼の魔術は極めて特異な竜装と呼ばれるものです。纏う銀の光、竜鎧は高級魔術すら容易く防ぎ、それを攻撃に応用した竜翼や竜爪はあらゆる物を消し飛ばす」
「――」
「竜のごときその荒々しさ、そして圧倒的なまでの力から"銀竜帝"と恐れられるとも聞きます。おそらく同年代最強であろうS級傭兵。それが彼です」
スイの説明と目の前の戦闘。
耳で聞いた情報と目に移る光景とを比べても、彼女の言葉は何一つ嘘がないのだと思い知らされる。
ユウリの魔波動すら切り裂いた"狂剣"の一撃。それをあまりに簡単に受け止めて弾きかえす竜鎧。
過ぎ去った箇所の全てを吹き飛ばす竜翼は攻撃範囲が広く、エブリスとて躱すことに全力を注ぐことしかできないでいる。
同じ年代だとはとても思えない圧倒的なまでの差。それを見せつけられたユウリはその戦闘を眺めることに精一杯だ。
「――オイオイ。多少は期待したが、もう限界か?」
首をコキッと鳴らす。
失望する表情を浮かべて息を荒くする猫のような男を見やるシドは、少しばかりの息を吐いた。
「もうちょい頑張ってくんねーかなァ。こっちは手加減してんだぞ。ほれほれ、もっと動けよ」
敵を引っ掻くように爪を立てて、腕を振るう。
竜爪。
そう呼ばれる魔術は、銀の斬撃となってシドの地面から水平へと空を切った手から放たれた。
散らばった机や椅子の山、瓦礫などの全てを切り裂いていく一撃。当たれば胴と首が断たれる斬撃にエブリスは重い足を動かして空中へと跳ぶ。
「まだまだ」
先ほどと同じ動作を、右と左の二本の腕で行うシド。次は二つの斬撃がエブリスへと襲いかかる。
一撃目は両手に持つ曲刀により斬撃の軌道をズラして、上手く体を滑り込ませることにより回避した。
しかし二撃目が接近するまでに体勢を整えることは不可能である。致し方なしと、エブリスは自らの獲物二本を交差させることによって受けることを選んだ。
けれど、それは悪手。
「残念。そいつは頂けねぇ」
衝撃はあまりに強く、簡単にエブリスを吹き飛ばした。
曲刀は二本ともバラバラに砕け散り、腹部に真横一文字の傷が刻まれる。鮮血が宙を舞ってエブリスと共に地面へとゆっくり落ちていった。
「――カハ……ッ」
身悶えしながら体を起こそうとして吐血する。
遠くからでもわかるほどの重傷を負った敵は、どうやら満足に体も動かせないらしい。
幸いともいうべきか、胴体を両断されるまでには至らなかったが、それでも戦闘続行は限りなく不可能な状態へと誘われた彼にはどうすることもできないようだ。
起き上がることも叶わず、憎々しげにシドを見つめるばかりである。
それに対して、心底つまらなさそうな表情の少年。
「即死レベルの威力をここまで削ったことは褒めてやる。だけどそんだけだな。"狂剣"なんぞ謳われてた割には大したことはねぇ」
「……ッ」
「おぉーおぉー、視線だけは一人前だな。手負いの獲物のもんじゃねーってことは認めてやる。ただ力が伴ってない威嚇はただの虚勢だ。んなもんが俺に対して効果があると思われるだけでも心外ってもんよ」
追い詰められた鼠に憐れみの視線を送る。それほどの余裕すら見せつけるS級傭兵、その想像を遥かに超越した実力にエブリスは視線のみで対抗する他ない。
けれど効果は何もない。
銀の光が揺らめく。それだけだ。
「消えとけ」
竜の大翼がエブリスの頭上から叩き落された。
轟く衝撃音が辺りを伝い、少し離れたユウリのもとまで風圧が襲ってくる。
動けないエブリスへの攻撃は完全なトドメの一撃であった。動けない彼では対処のしようもない。
無傷による完全勝利。
これが加護持ちの力とでもいうのか。見せつけられた存在の差に、ユウリは少なからず戦慄した。
「……終わった、のか?」
声も出せずに目の前の戦闘、もとい殲滅を見ていたレオンがそのように吐く。
息をするのも忘れて見入っていたのか息が少しばかり荒くなっていた。たがそれをユウリは指摘しないし、できない。
自分も同じく、冷や汗を滝のように流していたからだ。
「――ふぅん。手応えがねえ」
確実に仕留めた。
ユウリ達がそう確信する中で、一人だけ眉を寄せてポツリと呟くのはシドである。
周囲を警戒するような声色が耳に届いたことにより、終わったとばかり思っていた一連の戦闘がそうでない可能性を悟った。
そこで、上を見る。
「――やあ。皆さんこんにちは」
天井を支えていたであろう柱に、まるでくっついたように両足をつく青年がいた。
傷ついたエブリスを担いで朗らかな笑みを浮かべる謎の人物。その額に浮かんでるのは、ウロボロスの刺青。
「そして初めまして。僕の名前はマクス・ベル。"再生者"の始祖です」
まるでその事実がなんでもない日常の出来事を話す口調で解き放たれた。
例えるなら今日の天気を伝える時のように。
例えるなら今日の夕食が何であるかを教えるように。
容姿は黒髪黒目の好青年。温和な笑みを見ると、とても女性受けが良いと言えるはずだ。
ユウリと同じほどの漆黒の容姿はこの大陸でも非常に珍しいものである。しかし張り付いた笑顔と纏う雰囲気はユウリとは似て非なるもの。
今やルグエニア王国中を騒がせる国家反逆組織、"再生者"。それを束ねる主が、元からその場にいたとでも言いたげな表情で、この場に姿を現した。
「ほぉー? 国家犯罪者、"再生者"のボス、危険手配人、災厄の使者。挙げればキリがねえほどの大層なもん背負った奴が、この場に出てきた理由はなんだ?」
しかしシドは。シドだけは表情すら変えずに手をブラブラと揺らしてそう尋ねた。
マクス・ベル。先ほど討ち取ったエブリスとは比べ物にならないほどの危険な人物。それを前にしても余裕を一切崩さない。
「彼の回収さ。僕の正義には、彼が必要だ」
「ふぅん。そんな雑魚がか?」
「僕の仲間になんて心外な言葉を。仲間を助けることに理由なんて必要ないよね」
対するマクスもまた同様。
莫大な威圧感と存在感を周囲に晒し続けるシドを前にしても笑顔を絶やさない。
ユウリからしてみれば、両者の次元が自分と違うゆえにどちらが優勢かもわからない。それは隣の少年少女とて同じではなかろうか。
「なにより。僕の正義に口出しすることは誰にも叶わないよ。僕の正義は世界の正義だ」
「あっそ。関係ねえし興味もねえ、よッ!」
語尾が少しだけ鋭く響いたのは腕から銀の斬撃を発現したから。
真っ直ぐと飛んでいく竜爪にマクスは笑みを浮かべたまま眺めるばかり。
切断。
破壊されたのはマクスの体ではなく、彼が先ほどまで地面代わりにしていた会場の柱のみであった。
エブリスを担いだままでも、それを感じさせない身軽さで宙へと体を投げ出す。
一見すると隙だらけなその様子を黙って見逃すほど、シド・リレウスという男は優しい者ではなかった。
「良いねぇ、良いねぇ。やっと楽しめそうな奴が出てきたなぁ、おい!」
両腕を滅茶苦茶に振るった。その度に巻き起こるのは銀の翼が生み出す全てを削り取るような嵐。
暴虐の一言が適切だとすら言える光景を前にして、さしもの敵も目を僅かに見開いた。
「うーん、参った。これはまともに戦ったら勝てない――」
直撃。
言葉を最後まで発する前に、シドの竜翼がマクスへとぶち当たった。その様子をユウリは驚愕の感情を含む瞳に映す。
――今度こそ、確実に仕留めた。
絶対の自信を持って言えるはず。しかしそれが正しいと思っていても、心の中のどこかで疑いの気持ちが消えない。
なぜだろうか。
確認するようにユウリはシドの方をチラリと一瞥する。
「――」
彼は眉を寄せていた。
まるで目の前で自分の玩具を取られた子供のようである。その表情を見て、ユウリは理解した。
「――チッ。あぁーあ、逃げられっちまった」
ポリポリと後頭部を書きながら、実につまらなさそうな顔へと変えるシド。
マクス・ベルが逃げた。それを指し示すには言葉を聞かずとも彼の表情だけでわかるというもの。
あとに残るのは崩落した一部から送られるささやかな風と、静寂のみ。
ここに、会場内での戦闘が終結した。




