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ただの欠陥魔術師ですが、なにか?  作者: 猫丸さん
二章 魔導学論展編 下編
61/106

『銀竜帝』降臨

 時間は少しばかり遡る。


 ユウリの拳は見事レイドスを撃ち抜き、その体を吹き飛ばした。ごろごろと転がっていく魔術師は、そのまま椅子や机が折り重なった山へと激突する。


「が……ッ」


 呻き声を一つ。

 しかしそれだけ。そこから先は動くことなく、痙攣しつつも意識を手放したようである。


「終わった、か」

「ユウリ。こちらも大丈夫なようだ」


 声の方向に視線を向けると、所々に擦り傷が目立つレオンがいた。その下に横たわるのは"軽業師"と称されるツヴァイ。


 肩から腰にかけて深い一本の傷が見られるこの男もまた、完全に意識を手放している。それどころか、このまま放っておけば絶命するだろう。それほどの傷を負っていた。


水流大剣(アクアグラム)を受けたんです。むしろ命があっただけ、運が良かったかと」

「ま、この男の場合は運が良いというより、技量がすごいと言うべきかもね」

「……そうですね」


 白目を剥いて眠る白髪の狂人。その姿を眺めるスイの表情は険しい。


 自らの大技を叩き込む直前、咄嗟に体を逸らされるとは思わなかったのだろう。もしも高級魔術ほどの威力のある水流大剣(アクアグラム)でなければ、一撃のもとで仕留めることは叶わなかったはずだ。


「こんな奴らが何人もいる組織。"再生者"っていうのは一体何なんだろうな」

「彼らはただの国家犯罪集団です。それ以上でも、それ以下でもないと思いますが」

「でも国の転覆を目論むってことは、何かしらの理由があるはず。俺が知っても無意味なもんなんだろうけどさ」


 ここに倒れている二人の刺客。

 彼らは何を望み、何を得ようとしてこのような襲撃を企んだのか。


「それは考えても仕方のないことだ。それよりも僕らはここを離れて騎士と合流するべきだろう」


 そんな考えを胸中に抱いていた時、早足でレオンが寄ってきた。


「ここを襲った目的がわからない以上、ここに留まっていても意味がない。何より今の戦闘で少なからず僕らが消耗したことを考えると、安全な場所に赴く必要があると思うが」

「確かにレオン・ワードの言う通りですね。私もここを離れることには賛成です」


 レオンの言葉に、隣にいたスイも頷く。

 二人の言い分ももっともで、先ほどの戦闘で三人ともがそれぞれ消耗している。

 スイとレオンは魔力を。ユウリは体力を。

 もしもまた同じような状況になった時、犠牲なしで乗り切れると断言することができなかった。


「そだな。俺もそうした方が――」


 だからユウリも二人の提案に頷き、ここを離れようと言葉にしようとした。その直前で、ユウリの動きが止まる。


 表情を蒼白とさせ。額から冷や汗が流れ出て。

 そんな状態で凍りついたように静止していた。


「――」


 それはスイとレオンの両者も同じこと。

 この場に降りかかった圧倒的なまでの殺意。それを受けた三人は蛇に睨まれた蛙のように足が竦んでいる。


 いつからだろうか。

 三人が全く気付かぬ内に、彼らの後方に一人の男が立っていた。


「――なんじゃ。楽しそうなことをやっておるのう」


 濃い藍色の髪に、その下から覗く悪戯な猫を彷彿とさせる瞳の青年。

 年若き男が、しかし老人のような口調で言葉を向けていることに少しばかりの狂気を感じてしまう。それは目の前の男から発せられる明確な殺意を受けてのことだろう。


 両の手に握られるのは反り返った刃が目立つ曲刀である。

 振れば全てのものを両断できそうな鋭利な刃だ。それが二振り。


 その出で立ちにユウリは言葉が出なかった。

 喉が引き攣り、出せなかったという方が正しいのかもしれない。

 猫のような眼光を持つ男が、ニンマリとした笑みをこちらに浮かべた。


「ケハハッ。主らよ、儂も混ぜてはくれんかのぅ?」

「――"狂剣"、エブリス・スレイン」


 ポツリと呟いたのは、いち早く我に返って魔術をその両手に発現させたスイである。


「エブリス・スレイン……。"三幻飾"の一人か」


 そしてそれを聞き、ユウリもまた目の前の多大な殺気を振りまく存在の正体を知った。


 危険度はA級に位置付けられる犯罪人。

 暗殺を得意とする狂気の殺人者。

 様々な噂を発信するその存在の名は、エブリス・スレインという。

 彼が持つ曲刀は斬ることに特化した武器であり、暗殺対象とされた者はその場で胴を両断される。その噂を聞いているユウリは、ここでエブリスと出会ってしまった己の不運に顔を顰めた。


「混ぜろって言われても。生憎、もうすぐ俺らは帰ろうとしていたところなんだけど」

「そんなもの儂と遊んでからでええじゃろ。雑魚の相手ばかりで何も面白みのない作戦だったんじゃ。そんな時にツヴァイとレイドスを仕留める者と出会った。こんな場面を見逃せば後悔してしまうわい」


 ケハハッ。そう笑ったエブリスの瞳には、三人以外が映されてない。

 完全に標的にされたことを悟った瞬間、ユウリは重心を落として身構えた。


 逃げられない。そう理解したから。


「――それでよい」


 対するエブリスも腰を落とす。

 まるで猫が今にも獲物に飛びかかろうとしているような錯覚を抱かせる、そんな姿であった。

 ただし目の前の男は猫などという可愛らしい生き物ではない。闇夜に紛れて獲物の首筋に刃を突き立てる。そんな獰猛な肉食獣である。


「ユウリ」

「ああ。隙を見て、全力で逃げる」


 身構えこそした三人であったが、ここで決着まで戦うつもりは毛頭ない。自分達では敵わないと明確に理解している以上、それを行うのは完全な自殺行為に他ならないからだ。

 だからこそ、ユウリは二人に向けてそう耳打ちした。


 理解した二人もまた異論はないようで、頷きを返す。三人の意見が一致し、どう隙を作ろうか考えていたところで――。


「考え事かのぅ? 油断はいかんぞ」


 残像すら残して。

 突如としてユウリの眼前へと移動したエブリス。


 何かを反応する前に握られた片方の曲刀が振り上げられ、そして落とされる。


「――ッ!!」


 咄嗟に身を逸らすことができたのは奇跡だと言えるだろう。

 あまりにも高速な動きに何とか反応したユウリであったが、右の肩から鮮血が飛び散る。

 掠った、などという生易しいものではない。

 深く骨まで届きそうな斬撃をその身に受けて、ユウリの表情が呆気に取られた。


「は?」

「え?」


 その瞬間を視界に収めた――否、視界に収めきれなかったスイとレオンの二人は呆然とその光景を目にするばかり。

 見えなかった。反応できなかった。

 それぞれの胸中に残った感情は、疑問。一体いつ、この猫のような男は動いたというのか。


「……らァッ!!」


 さらなる追撃を受ける。

 そう確信し、動けたのはこれまたユウリのみであった。

 発動する魔波動は壁、《バースト》。

 追い討ちをかけるために動こうとするエブリスを弾き、未だ呆気に取られて動けないスイとレオンをその場から吹き飛ばして安全を図るためだ。


「――ぬ」


 さすがに見たこともない技に驚きの声を上げつつ、エブリスは弾き飛ばされる。同時に隣にいた二人も後ろへと飛ばされた。


 敵との距離が開く。


「……ぐッ」


 そこでユウリは片膝をついた。

 己の右肩からダクダクと流れる赤い血液に、そこから発せられる痛みに歯をくいしばる。


 手で押さえて、血を止めようとするも止まらない。本来ここまでの怪我をしたなら、すぐさま治療を受けなければならないのだが、しかし状況はそれを許してはくれなかった。


 首を傾け、剣閃を避ける。


「よく避けたのぅ。反応速度は上出来じゃ」


 俊敏な動きで接近した"狂剣"は口角を上げて非常に楽しげな笑みを浮かべていた。それを先ほどの斬撃を掠らせ頬から血を流すユウリは忌々しげに睨みつける。


「そして良い目じゃな。戦意が失われてない証拠。これは楽しめる」


 二撃。

 右の剣撃と左の剣撃、それらが僅かな時間差を置いてユウリへと迫った。

 右の剣は寸前で何とか避けることには成功したが、続く二撃目は躱すことが敵わない。それを悟った瞬間、魔波動を纏った左腕で受け止める。


 けれど、受け止めきれなかった。


「――ぁ」


 左腕の半ばまでが、断たれた。

 骨まで届くその斬撃にユウリは瞠目する。


「ァ――――ァァアッ!!」


 遅れて訴える痛みに、声が出る。叫ぶ。それと同時に。

 危険察知能力に優れたユウリは、その本能からその場を思いっきり跳躍して続く連撃から身を逃した。その判断にヒュー、と口笛を吹く、剣を振り下ろした状態で静止するエブリス。


「何をしたのかわからんかった。腕を両断、そのまま体まで両断するつもりだったが、何かに防がれたような、阻害されたような。それにその状態で儂の追撃を躱したことにも驚きじゃ。その歳で戦士としてここまで完成されているのは大したもんぞ」


 勢い余ってごろごろと転がりつつ自分との距離を取るユウリへの賞賛。エブリスはそれを惜しみなく送った。

 手応えや敵の対応から確実にその命を刈り取ったものだと思っていたが、現に目の前の少年は生きている。息を荒くして、こちらに敵意の視線を向けている。それは異常なことであった。何せ自分が獲物と見定めた者が、数回の衝突を経てなお命の灯火を燃やしているのだから。


「惜しいのぅ。ここで刈り取ってしまう命だと思うと、嘆きもする」

「ユウリッ!」

「させません!」


 殺し損ねた敵を今度こそ抹殺しようと動き出す。その時、その瞬間にユウリを庇うように躍り出たのは、先ほど彼に吹き飛ばされたレオンとスイであった。

 足を震わせて、視線を揺らし。それでもユウリの前へと出た。


「ケハハッ、今度は主らが遊んでくれるのか?」

「……ッ」

「ならば二人掛かりでかかってくるがよい。儂が相手になろうぞ!」


 目にも留まらぬ速さで駆ける。

 音すら出ない音速の動きに、彼と彼女が反応できるはずもなく。

 一秒にも満たず、僅かに開いた距離が埋まった。


「――」


 二人は反応できない。

 ユウリもまた、手負いの体を動かすことができない。

 驚くべき速度の中で、しかしユウリには目の前の光景がゆっくりと映った。

 エブリスが曲刀を振り上げるのも。それを下ろすのも。


 全てがゆっくりと、視界に飛び込んできた。



 ★


 風の音が静かに聞こえる。

 銀と金。その髪が揺れて、靡く。


「――終わったわね」

「ええ」


 二人の少女が見つめるその先にあるのは、絶命した一体の魔獣。暴虐の黒鬼と恐れられるグラーノスの死体であった。

 黒い体表はボロボロで、赤い眼光を放っていたその目に光はない。口から覗かせていた牙や肩から生えた棘は折れて無残な姿に変わっている。


 加護持ち。その圧倒的な力が振るわれた周囲は凍りつき、燃えて、とても市街地であったというのが信じられないほどに崩壊していた。


「危険度A−級。出会ったなら諦めろとさえ言われる魔獣だから少しばかり力んじゃったけど、その必要もなかったみたいね。少しばかり不満だわ」

「あら。一年生にして序列三位。フレアさんの実力の一端が見れて、私は大変満足よ」


 それを成した少女の片割れ、フレアが不満の声を漏らす。すると隣にいたもう一人、セリーナがクスクスと笑いだした。


「その蒼炎は魔力も焼くのね。グラーノスを覆う皮膚には魔力が含まれていて、簡単には傷をつけられないようになってるのに、それすら燃やしてしまうのだもの」

「そういうあなたこそ、辺り諸共全てを凍らせていたじゃない。さすがは序列一位で学園の頂点、最強ってところね」


 確かにフレアの持つ加護、蒼炎は強力なものである。

 ただの炎ではなく、魔力すら消し炭にする蒼き炎。それは今の魔導世界においてどれほどの価値があるかは、想像に難くない。


 しかしセリーナの万物全てを凍らせる冷気もまた恐ろしいものだと、フレアは己の中で確信した。

 建物を、空気を、魔獣を。そして自分の蒼炎を。全てが氷と化すその魔術を目にして、冷や汗すら浮かんだものだ。


 ゆえにフレアは納得した。そして理解もした。

 この少女が、セリーナ・ルグエニアが学園において序列第一位を取得するという理由を。


 ――けれど。


「――フレアさんは一つ、勘違いをしているようね」


 魔獣の死体から目を逸らして、フレアへと移す。その深緑の瞳に含まれている感情を、しかしフレアが読み取ることはできなかった。


「私は確かに序列一位ではあるけれど。頂点、つまり学園の中で最も強い魔術師というわけではないの」

「……どういうことよ」

「簡単に言えば私よりも強い生徒が一人だけ、学園にいる」


 言われた言葉に耳を疑った。

 目の前のセリーナの実力は今しがた見せてもらった。自分との共闘とはいえ、グラーノスを無傷で倒すほどの力を持った"加護持ち"。

 学園においても最強であると、フレアですらそう思わされた。同じ"加護持ち"である自分と戦っても、勝てる保証などないとも。


 しかし。彼女は言った。

 自分よりも上がいる、と。


「その生徒は他生徒及び教師との私闘を禁じられているの。それだけでなく、正式な模擬戦も」

「どうして?」

「強すぎるからよ」


 はっきりと。

 鈴音のような声が広がっていく。


「生徒も、教師も。私ですら敵わない。他の追随を許さない圧倒的なまでの力の持ち主が、生徒として通っている」

「――」

「それゆえに教師達もどうすればいいのかわからなかったのね。彼を拘束することも叶わなかった以上、授業を放棄することも学園を自由に出入りすることも、全てが許された」


 間を置いて。


「その生徒の名はシド・リレウス。学園序列二位にしてS級傭兵の――"加護持ち"よ」





「――(ぬし)は……」


 弾かれ、後方へと下がった"狂剣"エブリス。

 その視線は突然現れた来訪者に釘付けである。


「あぁーあ。こんっな面白いことが起こるんなら、もっと早くここに来ればよかったわ」


 来訪者は銀の光に覆われていた。むしろ、纏っていたという方が的確だろう。

 白銀の髪が揺れ。金の瞳はギラギラと輝き。その口元の口角は上がる。

 その後ろ姿を目にしたユウリ達は、唖然とその来訪者に視線を向けていた。


「クハハッ。期待、外してくれんなよ?」


 "銀竜帝"、シド・リレウス。

 最強を謳われるS級傭兵の一角が、壮絶な笑みを張り付けてこの場を支配する。

 それを止められる者は、誰もいない。




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