共闘
それは正午過ぎのことだった。
通りの中央をゆったりとした歩調で歩く男が一名。
赤い斑点がまばらに施されている黒いローブ。
一筋ほどの白色が混じった茶色の髪、その下に埋め込まれた瞳は酷く気怠げである。
「――止まれ」
通りの波に乗るように、周りとの歩幅を一切見出すことなく歩いている最中のことだった。
男の前方、そこに幾つもの影が立ちふさがる。
中心にいたのは赤い髪を結んだ、切れ味の鋭い瞳を向ける男だ。
身に纏っている薄蒼の鎧。その胸に輝く蒼色の翼が男の身元を証明している。
名をジーク・ノート。
ルグエニア王国が誇る蒼翼の騎士団の副団長を務める者だ。
「――俺に何か用かい?」
対する男は、場の張り詰めた空気など気にもしないように呑気な声を発する。
その表情には面倒なことは早く済ませてくれと、そう本音を露わにしているようだ。
それを汲み取ったか否かは定かではない。
しかしジーク・ノートは一枚の紙を男に見せつけた。
「これが何かわかるか?」
「さあて。皆目見当もつかねえです」
「アルバン・ドア。危険度A級犯罪者の手配書だ。自分のことだ、身に覚えがあるだろう」
「確かに俺の名はアルバン・ドアだが……」
溜息を一つ。
手配書には男と特徴がよく似た絵が描かれてある。
簡素な紙ではあるが、特徴的な茶の紙の中に混じる一筋の白色は目の前の男――アルバン・ドア――と非常に酷似している。
「"怠惰な獅子"。それがお前の通り名だったか」
「そういう風に言われないこともねえが」
「そして国家犯罪集団"再生者"のメンバーの一人でもある。流石にこの状況は理解しただろう?」
「はぁ……。嫌というほど」
目の前にはジークを初めとした蒼翼の騎士団の騎士が十人前後。それらが一斉に警戒するような敵意の視線をアルバンに向けている。
一方で、敵意の視線の渦中である彼は疲れたように肩を落とすばかりだ。
「……見逃しちゃあくれませんかねぇ。俺はただ人探しをしてるだけなんだが」
「その言が聞き届けられるとでも?」
「……はぁ。だから勝手に動くなって言ったんだよこん畜生め」
額に手を当てて嘆く。
何とも呑気なその仕草に、しかし周囲の警戒は増す一方である。
「……副団長。市民への避難の促しを終えました」
「ご苦労」
「そういや、確かに人が減ってきたな」
見ると、先ほどまで通りにいた街人が今はがらんと掃けている。
最悪の場合に備えた騎士団側の配慮だ。
アルバンからすると余計な配慮でもある。
「おいおい。まっさかここでオジさんとおっぱじめようってか?」
「場合によっては」
「勘弁してくれよ。なーっんで、人探しにここまでの労力を割かねえといけないんだか」
もう一度、溜息。
「――余裕だな、アルバン・ドア」
「余裕なわけあるかい。王国最強の蒼翼の騎士団、それも副団長様がお越しになられてんのに余裕なんぞこけるか」
「ではさっさと投降してもらおうか」
ジークの手が指示を出す。
合わせるように彼の周りを取り巻いていた騎士達が動き始めた。
ゆっくりと、警戒を解かないように。
アルバンの下へと近づいていく。
「俺ァ面倒臭ぇのは嫌いだ。だからこの状況から早く解放されてぇ」
「ならば投降を――」
「――だけどな。捕まるのはもっと面倒臭ぇ」
足踏みを一回。
同時に、辺りの空気が振動したかのような錯覚をジークは覚えた。
遅れて襲うは、衝撃波。
「――なッ!?」
アルバンに近づいていた騎士達が後退させられる。
ある者は吹き飛ばされ、ある者は弾かれ。
まるで寄せ付けないとばかりの牽制の一撃が見舞われた。
「なるほど。これが特殊形質、【振動】か」
「そんな情報まで出回ってんのか……」
少しばかりゲンナリした顔になる。
しかしその呑気な仕草は、未だ彼に余裕を植え付けていることに他ならない。
【振動】の魔術式。
魔術の形質を定める形質魔術式の中でも特異なものと分類されている。
使い手は非常に少なく、そして習得難易度も高い。しかしそれに有り余る力を手にすることのできる、強力な魔術式と認知されているものだ。
「――やはり私自らが出るしかないか」
「副団長さん。そりゃ勘弁して欲しいぜ……」
最後に溜息を一つ。
そして。
「ならトンズラこくかねぇ」
アルバンの足下の地面にヒビが入った。
振動の効果により、その周囲だけ空気が揺れる。
まるで小さな地震を体感しているかのように。
直後、アルバン・ドアは空へと高く飛び上がった。
「なぁッ!?」
「なんだあの高さは!」
騎士達の驚愕する声が上がる。
「身体強化だけであれほどまでに跳ぶなど、あり得るのか……」
「動じるな。あれは振動による衝撃を利用して跳んだに過ぎん。立て直し次第、追うぞ」
先ほど吹き飛ばされたことにより、少しばかりの怪我人が騎士の中から出た。
それらの手当てが済み次第、ジークはすぐにでも追うことを伝えたのだが。
「――お困りのようね」
そこに二人の少女が姿を現した。
声が耳に入り、そして視線を向けると僅かに目を見開く。
立っていたのはジークも良く知る人物。
第二王女、セリーナ・ルグエニア。
その側近、スイ・キアルカ。
学園の制服を身につけた二者が、目の前にいた。
「さっきの人は?」
「――手配人、アルバン・ドアです」
「追わないのかしら」
「他の者は手当てが済み次第。私は単独で追おうと思いますが」
「なるほど」
現れたと同時に、セリーナはそのような問答を返す。
そして頭上を高く跳び、今は落下している手配人の姿を目で捉えた。
「スイちゃん」
「わかりました」
セリーナの指示。
それを悟ったスイは強く頷いた。
「機動力ならスイちゃんはとても頼もしいものを持ってる。例えA級手配人といえど、追うだけなら大丈夫なはずよ」
「しかし敵の力は未知数。私でもなければ相手を務めることはできないかと」
「追うだけ、よ。あなたは騎士の立て直しに全力を注いで、すぐにでもスイちゃんを追って来てくださいな」
「キアルカ嬢。任せてもよろしいか?」
「もちろんです」
話は纏まった。
そして同時に、スイは飛び上がる。
己の足下から水柱を発生させ、水流に乗り、まるで虹のようなアーチを描いて空へと踊り出た。
「――では私達も早く追うぞ」
「はっ!」
★
「――んで、現在に至ると」
「はい」
通りを行き交う人々の中。
ユウリは横を並走するスイと共に、アルバンなる男を追っていた。
"怠惰な獅子"。その異名は耳にしたことくらいある。
名の通り気怠げな態度を前面に押し出す男であるが、いざ動き始めるとその戦闘力は獅子にも似た強力なものらしい。
実際の被害が少ないにも関わらず、戦闘力ゆえに危険度A級に位置される。
「――正直、俺と先輩で手に負える相手と思えないんすけど」
前方を見ると、バネでも足に仕込んでいるかのような跳躍を行っていた。スイの言葉によると【振動】の魔術を地面を蹴ると同時に発動して、衝撃を利用して跳んでいると聞く。
だが言葉にするのは簡単でも、実行できるかどうかはまた別の話。
もしもそれを容易くこなしているとなれば、ユウリ達だけでは追いついたとしても捕らえることはできないのではないか。
「可能ならば捕らえたいところですが、もしもそれが難しいようなら、追いつつ騎士の人達に場所を教えることを重視しましょう」
「なるほどなるほど。でも、どうして俺まで呼ばれたんすか」
「あなたの俊敏さは一応ながら認めています。人を尾行することに関してはあなたの力が必要です」
「人を変質者みたいに……」
言いつつも、目の前をバッタのように跳ねるアルバンに追いつき始めてきた。
屋根を伝って移動する男の移動速度は確かに目を見張るものがあるが、しかし全力で追いつこうと縋る二人の機動力もまた並大抵のものではない。
「近づいてきましたね」
「ああ。こっからどうするん?」
「――一度仕掛けてみましょう」
言うが早いか。
スイは己の足下から水柱を打ち上げて、それに乗るように空へと舞い上がった。
周囲から突然の出来事に驚くような悲鳴が挙げられる。
「うっわ。すげえ」
しかしユウリといえば、思わず感嘆の声を上げてしまった。
空へと舞う水流をまるで乗り物のように操り、同じく宙に浮かぶように跳ねるアルバンの背後を陣取るスイ・キアルカ。
やはり自分との模擬戦の時は力の一端を隠していたのだと再確認させられる。
「……おっと。ここまで追ってくるのは誰かと思ったら、可愛い嬢ちゃんじゃねえか」
「侮っていると、痛い目に合いますよッ!」
瞬時に発動したのは両の手に握られる水の刀。
彼女の得意魔術である水流両刀だ。
構えと同時に発せられたその魔術は、振るわれる腕により剣閃となってアルバンの背中を襲いかかる。
「そいつは――手厳しい」
対するアルバン。
後ろを振り向くこともなく左手の平をスイへと向ける。
交差しながら襲い来る二刀の水流を、その手の平で止めるように。
「――ッ!」
振動。
スイが感じたのはまさしくそれ。
腕がビリビリと震えて、切り裂こうと動かす腕が止められる。
まるで見えない壁があるかのように、振動によって。
「……ック!」
そして弾かれた。
足場となっていた、地面より打ち上げられた水柱はかき消え、スイは宙へと投げ出される。
決定的な隙。今攻撃を受ければ避ける余裕は間違いなくない。
だが、"怠惰な獅子"は手を出しては来なかった。
「先輩。大丈夫ですか?」
落下し、けれど体勢を整えて地面へと両の足で着地する。
その彼女の一連の攻防を眺めていたユウリは、身の安全を確かめるためにもその下へと寄った。
「大丈夫です。怪我はありません」
「そっか。ならよかった」
「……それより、半端な攻撃ではあれを突破することは叶わないでしょうね」
大事無いと伝えたスイは忌々しげにアルバンの背中へと視線を移す。
高度はおそらく都市内の建物の屋根を軽く超えるほどのもの。それを追うだけでも難しいのに、そこからの攻勢もまた難易度が高いとなると打つ手も限られてくる。
「俺の場合は宙に跳ぶことはできないんで、着地点を狙うしかないっすかね」
ならばと、ユウリは代替案を提示した。
空中での追撃は厳しいだろうが、着地点での攻撃はできるのではないか。そのように考えた。
しかしスイは反論する。
「あまりお勧めはしません。周囲の民間人の危険に繋がりかねませんから」
「……それ言われちゃ敵わんなぁ」
ここは都市の内部。
時間も正午過ぎであり、人通りも多い中で魔術を飛ばすことは褒められたものではない。
最悪の場合、何も関係のない民間人に怪我を負わせてしまうことにも繋がってしまう。
「じゃあこのまま追い続ける方向で?」
「出来る限り追撃の手は緩めないようにしたいですけどね」
「なかなか無茶な要求をしてくれる……ッ」
言葉を発すると同時にユウリは動いた。
一瞬遅れて、スイも動き始める。
ユウリは身体強化を使って壁を伝い、屋根上へと。
スイは足場に先ほどと同様、水柱を打ち上げて空へと。
「――まだ諦めちゃくれないわけね」
手配人はポツリと呟く。
背後を除いたアルバンの視線にはどう二人が映ったのだろうか。
虹のようなアーチを描いて、落下気味のアルバンへと近づいていくスイ。その両の手には水の刀が二振り握られている。
「当たり前です。むしろあなたが諦めてください」
未だ射程圏外にいるアルバンに向かって、届くはずのないリーチの水刀を振るった。
振るう予備動作の瞬間、アルバンは怪しげなものを見るような視線を向けるも、すぐにその目が見開かれることとなる。
スイの両手に収められた刀。
二つのそれが、まるで鞭に変化したかのようにしなやかな動きで伸張した。
「……ッ。おいおい」
伸びた刀身。
このままでは直撃すると悟ったアルバンは再度、左手を向かってくる鞭のような水流に向ける。
そして即座に振動の魔術を発動。
ヒビ割れるような空間の中で、水流は耐えきれずに掻き消されることとなった。
二つの刀身の内、その一つだけが。
「ちっ。時間差で打って来やがったか」
舌打ちと共に、実に面倒だと眉を寄せる。
アルバンの放った、空間を振動させる魔術。それは確かに水流を防ぎ、掻き消すに至った。
しかし二刀同時にではない。スイが放った時間差での二連撃、その一撃だけを防ぐ。
必然とも言うべきか。
もう一撃は遮るものもなく、アルバンの懐へと入り込む。
「あーっ。面倒臭ぇな!」
防ぐことは間に合わないと悟ったのだろう。
アルバンは右の手から、振動を利用した衝撃波を放った。
衝撃により、アルバンの体が大きく左へと逸れる。それは自身の位置を空中にも関わらず移動させ、体が水流から逃れるに十分な距離を作った。
「今のを避けますか」
「当たり前だろ。当たったら痛いだろうが」
「ですが、体勢は崩しましたよ」
「――ッ」
アルバンの顔が一瞬だけ硬直した。
理由は単純、そして明快。
己の背後を何者かが陣取ったからだ。
「さっすがスイ先輩。上出来」
ふてぶてしい笑顔と共に現れたのは一つの影。
持ち前の黒髪を風に揺らし、跳躍により宙に佇むユウリの姿であった。
「小僧や。ちょいと待ってはくれないかねぇ」
「やだ」
言葉と同時に唸りを上げたユウリの右の蹴撃が見舞われた。
「……ッ」
流石は危険度A級の手配人と言える。
アルバンは襲い来る強力な一撃を咄嗟に右腕で受け止めた。しかし骨の軋むような音と共に、下への衝撃により落下速度は早められる。
そのまま、屋根上へと。
アルバンは自らが跳躍する瞬間を除いては、初めて地面に足を付けた。
「先輩が仕掛けて、俺が落とす。作戦成功ってね」
「そんな作戦を立てた覚えはありませんが、まあ良しとしましょう」
対峙するべく、ユウリとスイの二者も屋根上へと降り立つ。
一人はしてやったりといった笑みを浮かべて。
一人は肩を竦めながら目の前の敵への警戒を怠ることなく。
「さあ」
「本番と行きましょうか」
二人は同時に身構えた。




