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ただの欠陥魔術師ですが、なにか?  作者: 猫丸さん
一章 学園入学編 後編
30/106

幕間 メルクレアの日常

 ルグエニア学園在籍。

 一年獅子組、メルクレアは平民である。


 どこにでもいるような少し暗めな茶色の地毛をセミロングヘアーに垂らしており、どこか弱々しげな同色の瞳はそのほとんどが下を向いている。


 容姿が平民の中でも整っているところを除けば、特筆すべき点もないただの少女だ。


 もしも他の平民の生徒と違う点があるとするなら、とある貴族の従者の役割を担っているところだろうか。


「――本当に! あのような欠陥魔術師がのほほんとしている姿をワタクシの前でしていることが、ワタクシには苦痛でしかありませんわ!」


 自分の主人である貴族の少女が、今日もまた愚痴を溢す。それをメルクレアは「そうですね……」と気弱な声で同調して頷くことしかできない。


 彼女が口にする欠陥魔術師というのは、メルクレア達の同級生徒であるユウリ・グラールのことを指す。


 癖のある黒髪に漆黒の(まなこ)

 まるで黒の漆を頭からどっぷりと被ったかのようなその色は、国を問わずあまりにも珍しい。

 容姿こそ女性受けの悪くない顔立ちをしているが、普段のやる気のなさ、どこか呑気そうな雰囲気、それらが彼の魅力を邪魔しているようにメルクレアには見える。


「メルクレア! 聞いておりますの!?」

「は、はい。聞いてます!」


 同級の生徒を思い起こしていたところ、鋭い声が飛んだ。


「まったく。劣等生なら劣等生なりに真面目に学業に打ち込めばいいものを。授業中もいつもいつもいつも寝ているだけ! キィーッ、気に入りませんわね!」

「フ、フレノール様。もうすぐ授業が始まってしまいますので、この辺に……」

「あら。もうそんな時間」


 メルクレアの言葉に、貴族の少女は我に返った。


「次の授業はなんでしたかしら」

「えっと、次の授業は確か――」





「――撃ち込み、開始!」


 担当教師の声が訓練場に響く。

 同時に、横一列に並んだ生徒が足元に設置されている薪に向かって小さな炎を放つ。


 今行われている授業は魔術基礎演習と呼ばれるものだ。内容は基礎というだけあって魔術の中でも簡単な火起こしや少量の水を確保することのできる生活魔術を主に扱う。

 基礎を反復させていつでも使えるようにするということがこの授業のテーマだ。


 とはいえど、この授業の各々の生徒のやる気は今ひとつ。

 生活魔術はこの学園に入学している者なら例外なく誰でも扱えるものであり、また魔術師を志望する生徒ならば下級魔術を扱うことも簡単にできる。今更生活魔術を反復させられても、生徒の向上心を刺激できるはずもない。


 ここにいる生徒の大半はやはり中級魔術を早く習得したいと考えている。また、もしも才能の片鱗が己に感じられたならその一つ上の階級である高級魔術のレベルにも手を出したいとも。


 それはメルクレアとて同じ気持ちだ。

 火起こし。少しの水の確保。暖かな風を吹かせる。など。

 このようなことを授業でやらずとも、日頃から扱う場面など多々あるだろう。


 もちろん苦手な魔術式や得意な魔術式などは個人差である。【火】が苦手ならば、火起こしは難しい。【水】が苦手ならば、水を創造することは難しい。


 しかしどれだけ魔術の才能がなくとも、生活魔術を一切扱えぬ者など聞いたことがない。


「――どうしてだ。どうして君は生活魔術すら使えないんだ!」

「やぁー、魔力総量が足りないから?」


 扱えぬ者など聞いたことが、ない、はずなのだが。


「いや、君が何やら生まれつき魔力総量が増えないことは聞いていたんだが……。まさかこれほどまでとは」

「おかげで生活も大変なんだ。困った困った」

「笑い事とは思えないぞ。というかユウリ、君は良くこの学園に入学できたな」


 何やら隣が騒がしい。

 あーだこーだと大きな声が聞こえて来る。


 薪に無事炎を灯せたメルクレアは、声の方に視線を向けた。


「――」


 やっぱりと、視線が暗に語ってしまう。


 騒ぎの中心にいたのは予想通りと言うべきか、先ほど自らの主が欠陥魔術師と罵っていた少年。

 ユウリ・グラールであった。


「そこはほら。裏口入学ってやつ?」

「……今の言葉は聞かなかったことにする。それよりも本当に発動できないのか?」

「レオンも俺の魔力測定の結果は知ってるはず。生まれたての子供に毛が生えた程度なんだから、《身体強化》が扱える程度だって」

「なんとも切実だな。君が欠陥品と言われる理由も、まあ、わからなくもないかもしれない」


 レオン・ワードが額を掌で覆う。

 諦念の感情に包まれた雰囲気が彼を飲み込んでいく様が、実に目に浮かぶ。

 側から見ていたメルクレアは、彼に同情の視線を送った。


「――あれ?」


 しかしふと、気になることが浮上した。


 レオン・ワードとユウリ・グラールの二人は、このような会話をするほど仲が良かっただろうかと。


 入学当初は二人の仲は良くないどころか、それなりに悪く感じられた。

 さらに言うなら模擬戦を終えた後などは最悪の一言に尽きる。


 が、今の彼らは互いを旧知の友のように扱っているようにすら思えた。


 思えば、課外授業を終えた辺りくらいだろう。二人がよく行動を共にしているように見受けられるのは。


「どうしたの、レオン?」


 ユウリとレオンの言葉のやり取りに、近づいていく者が一人いた。


 優秀な治癒魔術師を代々世に送り出している、アーミア家の令嬢のステラ・アーミアである。

 よくよく考えると、彼女もまたユウリ・グラールも面識がある様子を見せていた。


 そしてもう一人――。


「相変わらず騒がしいわね。今度は何?」


 白銀の髪を風に揺らす、神秘的な容姿をした"加護持ち"。

 フレアという名前の少女もまた、彼らへと足を向ける。


 ここ最近ではあの四人が集まる光景がよく見られる。

 貴族の位を持つ子息などは特に、これを訝しげな視線で眺めることが多い。


 それもそのはず。


 欠陥魔術師に平民の"加護持ち"。

 対するは、"剣皇"子息と高貴な治癒魔術師の血族。

 とても不可思議な組み合わせだと言える。


「どうしてだろう」


 そんな呟きが漏れてしまうのも、やはり必然である。

 あの周りの中心にいるのが、誰の目から見てもユウリ・グラールであるのだからなおさらだ。


 周りをチラと見れば、自身と同じ目を彼らに向けている者がチラホラといる。


「残り時間も短くなったので、終盤に移ることにする」


 不思議なものを見る目をしていたところ、教師から声がかかった。

 ゆえにメルクレアも自分のことに集中する。


 それから少しして、授業は終わりを告げた。


 結果を一つとして残せなかったユウリ・グラールが教師のお叱りを受けることは、先の光景を見ていた全ての生徒の予想の範疇であった。



 ★


「メル。あなたはここで待っていなさい。ワタクシは少し用事があって、席を外しますので」


 そう言って、メルクレアの主人である生徒はその場から離れていった。

 授業も終わり、メルクレアは言いつけ通りにその場で帰りを待つ。


 場所はルグエニア学園の廊下。

 石造りの廊下は庭園と繋がっており、壁は片側しかない。

 建物を支える柱が幾つか屹立している中、メルクレアはそのうちの一つに背を持たれかけていた。


「そこを退け。平民」


 幾ばくかの時間を過ごしていた時、声がかけられた。

 高圧的な声に嫌な予感を覚えたメルクレアは声の主の方へと視線を向け、「うっ」と弱気な声を鳴らす。


 視線の先にいたのは、メルクレアの主人と仲がよろしくない貴族の子息であったからだ。


「おっと。どこかで見たことがあると思えば、メルドリッチ家の腰巾着か」


 金の髪に碧色の瞳。

 まさしく代表的な貴族の容姿と言える。

 それを持ち合わせた少年が、ニタニタとした笑みを浮かべてメルクレアを見ていた。


 両隣にはこれまた貴族の容姿を携えた従者が一人ずつ。


「貴様のような平民を連れるなど、メルドリッチも落ちたものだな」

「ふふ。今にメルドリッチ家も没落して平民の仲間入りするのでは?」

「ハハッ! それはさぞや傑作だろうな」


 口々にメルクレアとその主を嘲笑する。


 メルクレアはそれにただ、目を伏せるだけ。

 けれどその拳は強く握られていた。


「……フレノール様の悪口は、止めてください」


 遂に耐えきれなくなった彼女は、か細い声ながらも抗議を口にする。

 自分がどれほど罵られようが耐えられる覚悟は持っていたが、恩人である主の悪口となればまた話も変わってしまう。


「――なんだと?」


 が、彼女の態度は目の前の三人にとって気に食わないものだった。


「口を謹め。誰にものを言っている」

「で、でも……!」

「ふん。自分の立場が分からんようだな」


 冷たい声色を発した少年が、メルクレアに向けて手を挙げた。

 打たれる、と。

 未来が見えたメルクレアはギュッと目を瞑った。


 パシッと。


 いつまで経ってもメルクレアに衝撃は訪れない。

 代わりに響いたのは、酷く乾いた音だけであった。


「何してるのか、教えてもらっていい?」


 聞き覚えのある声がメルクレアの耳に届く。

 恐る恐ると目を開いていくと、そこには同じ獅子組の少年の背中があった。


「理由があるならまだともかく、何もないのに女の子に手を挙げるのは流石にちょっと見過ごせないっすわ」


 これほど黒い容姿と形容できる生徒も珍しい。

 メルクレアを庇うように前に立つのは、ユウリ・グラールであった。


「……ふん。これまた見たことのある顔だと思えば。噂の欠陥品か」

「やぁー、どうも」

「気の抜けた声を出してくれる。あと、僕の手を離せ」


 振り下ろそうとした手を掴まれて、貴族の少年は酷く不快そうな表情をしていた。

 触れるなとばかりの視線にユウリも冷めた目をしながら、その手を離す。


「で。平民は平民同士で群れている最中か?」

「別に。偶々見かけただけなんだけど」

「ならおとなしく引っ込んでいたまえ」

「そういうわけにもいかないんだよな。後ろの子、俺と同じクラスだし」


 背後に立つメルクレアを親指で差す。


「同じクラスだからと、僕の前に立ったのか?」

「まっ、気紛れを起こす時もあるってことで」


「俺だって善人じゃないからな」と。

 目の前に立つ黒髪の少年は、自らの手をぷらぷらと揺らした。


「誰彼構わず助けるようなことはしないけどさ。でも一通り見る限りじゃ、あんたらのやることは頂けない」

「頂けない、だと。貴族が平民をどうしようが勝手だろう?」

「――その考えが気に入らないんだよ」


 一睨み。

 普段はどこか気の抜けた雰囲気を発するユウリが、しかし今では抜き身の刀のような気を晒す。


 それを受けた貴族の三人はその顔色を蒼白とさせた。


「ここは平民と貴族が共に学ぶべき場所だって聞いてる。あんたらの考えは、ここじゃ合わないよ」

「うるさい! 平民は黙っていろ!」


 三人のうちの真ん中。

 つまり従者を従えた少年が、ユウリに向かって手を挙げた。それも《身体強化》により強化を施した腕で、だ。


 目の前の暴挙に、メルクレアは戸惑った様子で目を見開いた。

 明らかな奇襲に、自分を庇ってくれたユウリが殴り飛ばされると思ったからだ。


「魔波動の壁、《バースト》」


 が、それも杞憂に終わった。


「――なァ!?」


 ユウリに殴りかかった貴族の少年が弾き飛ばされる。

 ユウリを起点に巻き起こった暴風に吹き飛ばされたように、地面を転がった。


「な、何が……ッ!?」


 吹き飛ばされた少年も、その彼に急いで駆け寄る従者達も。そしてメルクレアも。

 誰も彼もが、何が起こったのかを理解できなかった。


「正当防衛になるのかね、これは。ともかくこれ以上やるなら容赦はしないぞ?」


 不敵に笑い、ユウリは威嚇する。

 彼の威圧を受けた三人は、怯んだように身を竦ませた。


「……チッ。覚えていろ欠陥品。今に僕ら貴族の楽園を、革命会が作り上げてくれるのだからな」


 捨て台詞を吐き捨て、三人は立ち去った。


 彼らの姿は廊下の曲がり角で、完全に消えてしまう。そこまでを眺めたユウリは、ふと背後にいるメルクレアへと振り返った。


「んで。君は大丈夫?」

「え、あ、はい! 助けていただいてありがとうございます!」

「そか。ならよかった」


 ユウリは笑う。

 先ほどの貴族とのやり取りなど、まるでなかったかのような爽やかさな笑顔だった。

 それを受けて、メルクレアの胸がドキリと高鳴った。


 徐々に頬が熱くなる。


「あ、その……! 巻き込んでしまってごめんなさい」

「別に気にしなくていいよ。俺が気に食わなかったから横槍を入れた。それだけのことだから」

「気に食わなかった?」

「あー、なんというか……」


 バツの悪そうな顔で、ユウリは苦笑した。


「俺も平民の身だから、あんな風にイチャモン付けられるのはよくあるんだ。俺は正直気にしないけど、気分が良いもんじゃないよな」

「あ――」


 先のやり取りでどこか手慣れているとは思った。

 けれど今の言葉で、メルクレアは今の光景が彼にとっては日常茶飯事のように行われていたのだろうことを悟った。


「その……」


 思えば彼は自分よりも立場は酷い。

 魔術をろくに扱えない欠陥魔術師とすら揶揄される存在。おまけに平民でもある。


 どこを歩いても後ろ指を指されることは間違いない。それを思うと助けてもらった身でもあるメルクレアは、巻き込んでしまったことで申し訳ない気持ちになった。


「まっ、それはいいんだ。それよりちょっと助けて欲しいんだけど、今は時間がある?」


 気落ちしていたところで、声がかかった。

 いきなり言われた言葉にメルクレアは首を傾ける。


「助けて欲しいこと?」

「そ。ほら、あれあれ」


 ユウリは苦笑しながらある一点を指差した。

 そちらの方へと視線を向けると、そこには魔導機器が一台置いてあった。


 魔導貯水機。

 飲み水を魔術により生成する魔導機器である。

 生徒が自由に水を飲めるようにと、学園の至る所に置いてあるものだ。


「実は俺の魔力量じゃ、あの魔導機器を起動できないんだよね。飲み水が欲しいんだけど、もし良かったら俺の代わりに起動してもらってもいい?」


 申し出は、魔導社会と謳われる現在においてとても可笑しなものだった。


 誰もが生活魔術を発動できるほどには魔力を保持しているはず。生まれたばかりの幼子ならともかく、ある一定以上生活をしていればそのくらいの魔力は手に入るものだ。


 が、目の前の少年はそれすらできない。


「わ、わかりました! 私でよければ!」

「お、本当か。助かる」


 やったとばかりに笑みを浮かべて、メルクレアを連れてユウリは魔導機器のもとへと歩いていった。


 魔導貯水機に刻まれている魔術式は【水】と【収束】の二つ。魔導機器に魔術式が予め刻まれているために、術者はその分の魔力を供給するだけで魔術が発動できる。


 メルクレアも例に溺れず、すんなりと魔術を発動できた。


「ありがとさん。しゃっ、水だ水」


 メルクレアのおかげで魔導機器を起動できたユウリは、ガブガブと水を飲み込む。その様子がとても嬉しげであったことから、メルクレアもまた心なしか嬉しくなった。


 同時に、気になることも。


「あの、ユウリさんはどうして平気そうに過ごしているんですか?」

「と、いうと?」

「あれだけ欠陥品ってバカにされて。魔力測定もあんな結果で。私だったら、学園にいられないかもしれないです……」


 ハッキリと言ってしまったことには彼に対して悪いと感じながらも、しかし聞かないという選択肢は取れなかった。


 メルクレアから見ると、ユウリ・グラールという少年は不思議な存在だった。


 自らの境遇に悲しむでもなく、落ち込むでもなく。

 まるで割り切ったように、今を生きている。


 だからこそ、メルクレアの目にはこんなにもユウリが眩しく映る。


「そりゃな。人間誰しも持ってないものくらいはある。才能なんてまさにそれだろうし」

「――」

「で、俺はその持ってないものが他人よりも多くあった。それだけのことだよ」


「生きる分には困らないし」と口にし、また水を飲んだ。


 あんまりにも軽く言われた内容に、メルクレアは絶句する。

 果たして自分が逆の立場なら、こんな風に笑えただろうか。


 生きることに困らないと彼は言ったが、生活魔術すらまともに扱えないとなると飲み水だって仕入れるのは少々面倒だ。

 今だってその現状にある。

 火だって起こすのに困るだろうし、他のこともまたなおさらのこと。


 それでも前を向く少年が、神々しくすら見えた。


「――ぷはっ。いい水でした」


 あらかた飲み終わったのか、ユウリがスッキリとした顔付きで出る水から口を離す。それを見て、メルクレアもまた魔導機器に通す魔力の供給を絶った。


 魔力を多めに込めるのではなく、そのまま必要な分の魔力を流し続けていたため、魔導機器の水はすぐに止まった。


「ありがとさん。この恩はいずれ返すよ」

「い、いえ。さっき助けてもらったお礼です!」

「そういうわけにもなぁ。じゃ、また何か困ったことがあれば言って欲しい。その時は出来る範囲で助けるから」


 ユウリの言葉に、少しだけ頬を染めながらメルクレアはこくこくっと頷く。それを受けて満足げな顔をしたユウリは「じゃ」と手を振りながらその場を去っていった。


「ユウリさん、かぁ」


 ほんの少しだけの会話だった。

 だけど、その人となりの一端を知れた気がする。


 みんなが思っているような、欠陥品じゃない。しっかりと前を向いて歩く、真っ直ぐな少年だった。


「また、お話ししたいな」


 そう思えるような出会いであったと、メルクレアは微笑んだ。




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