本音で
「失礼します」
パタリと扉が開いた。
室内へと足を踏み入れて来るのは、一人の少女。
星の光で照らされた明るい夜空のような、紺色に近い淡い色の黒髪がサラサラと流れて、凛とした佇まいのまま進んでいく。
目的となる場所は眼前。
学園総会、その会長に就くセリーナ・ルグエニアのもとだ。
「あら。お疲れ様、スイちゃん。思ったよりも早かったわね」
「難しい案件でもありませんでしたし、このようなものだと思いますよ」
セリーナの言葉に静かに返答。そのまま「これが片方の報告書です」と、一枚の紙を手渡す。
「ふぅん。思った通り、学園側はこの事件の真相を表に出したくないようね」
「"五本指"、それもワード家の長男の醜聞です。当然のことかと」
「言葉では冷静を務めているようだけど、スイちゃん。もう一枚の報告書があなたの手で握り潰されているのだけれど」
セリーナがスイと呼ばれた黒髪の少女の左手を覗き込めば、一枚の紙がこれでもかというほどに握り潰されている。
それがただの紙ならばセリーナも見て見ぬ振りをしたのだが、しかし仮にも報告書であるためにそうするわけにもいかなかった。
「――すいません」
「まあ、あなたがこういった裏工作が嫌いなことは知っているしね。そこもあなたの美点の一つよ」
「いえ、まだまだ未熟でした。こちらがもう一つの方の報告書です」
「ありがとう」
手渡されたもう一枚の紙の方は、先ほどの報告書とは違って内容はそこまで深いものではなかった。
言ってしまえば、ただの通達。しかしセリーナ達には見逃せない事態の一つである。
「こっちが――」
「はい。新しい"五本指"の序列です」
中に記されている記述は少ない。
単に名前と序列が載ってある。それだけの報告書。
しかしその事実は学園全体を揺り動かすものだ。
セリーナは「はぁ」と溜息を吐いた。
「これが発布されれば、ハザール・グランブルも黙ってないでしょうね」
「むしろすでに情報を掴んでいる可能性もあるのではないでしょうか?」
「そうであってもおかしくないわ」
シワシワの報告書に目を通して、憂いの視線を窓の外へと送る。
これから動く事態は果たして、学園のどこまでを巻き込むことになるのだろうか。
「それともう一つ。学園長から言伝が」
「あら。メイラス学園長から?」
椅子に座って優雅に佇む生徒会長はスイの言葉に意外そうに目を丸くする。
メイラス・フォード。
ルグエニア学園の学長であり、過去に様々な偉業を成し遂げた最高位の魔術師とされる。
性格は温厚なもので、学園の運営に関することについては総会に一任していることから滅多に口出ししてこないのだが。
「どういう風の吹きまわしかしらね」
「言伝というのは、総会の運営に関することではありませんよ」
「そう。それで、学園長はなんと?」
いきなりの言葉に物珍しいものを見る目でスイの言葉を待つ。
対するスイは視線を鋭くして、静かに口を開いた。
「此度の事件。どうやら裏がある可能性が高いとのことです」
「此度の事件、というのはニール・ワードの暴走のことよね。裏があるというのはどういうことかしら」
「未だ正確にはわかってませんが、ニール・ワードから呪術を施された跡がありました」
「――呪術」
告げられた言葉に、セリーナもまた視線を細める。
呪術。魔術の一種であるそれがニールに施されていたとされるなら、この事件は全てが解決というわけではない。
「ニールはどこまで操られていたの?」
「調べによると、誘導系の呪術とのことです。意識の操作も軽く行われており、しかし自らで思考する程度には自意識領域が残されていました」
「なるほど。その情報が本当なら、相手はかなりの呪術師ね」
トンッと。
机を指で叩く音が、室内に広がる。
「ニール・ワードの処遇。"五本指"の次なる候補者。呪術師の存在。考えることは山積みだから参ってしまうわ」
「会長も忙しくなりますね」
「他人事じゃないわよ、スイちゃん。"五本指"候補者のあなたは特にね」
パシッと。
机を叩いていた指で、今度は渡された報告書を弾く。
まるでのしかかる厄介ごとに対して、ストレスを報告書にぶつけるように。
「ま。とにかくまずは新しい"五本指"についてを考えないとね」
言いつつセリーナは紙を机の上に置いた。
内容こそ知っているが、スイはもう一度だけその紙を覗く。
報告書には次のように記されていた。
――報告書――
此度の事件、その解決により功績者を"五本指"の序列に加える。それに伴い序列の変更を行うものとする。
序列一位。
セリーナ・ルグエニア。
序列二位。
シド・リレウス。
序列三位。
フレア。
序列四位。
ニール・ワード。
序列五位
レスト・ヤード。
★
「これはこれは。珍しいお客さんだねぇ」
今しがた制作していた魔導機械を愛でいた最中のこと。
学園からルーノ・カイエルに用意された研究室に足を運ぶ人物が一人、いた。
「失礼する。あなたに聞きたいことがあったもので」
それは第一学年の獅子組を担当するズーグである。
散らかった室内の中の限られた足の踏み場をしっかりと確保し、中心に佇むルーノに近づいていった。
「聞きたいこと?」
「あなたが推薦枠に押し込んだ、ユウリ・グラールという生徒についてです」
「――ああ。彼についてか」
ユウリの名前を出した途端、魔導機械の方に向いていた視線がズーグへと向けられることとなった。
視線の中に含む感情はなんであるのか、それを推し測ることができない。しかし興味の光が宿ったことは確かであった。
「彼の何について聞きたいのかな?」
「出生とあなたが推薦した理由」
他にも聞きたいことは山ほどあったが、一遍に全てを問いただすのも要領を得ないものとなるので、まずは最低限に知っておくべき事柄を挙げた。
その言葉にルーノは「ふむ」と顎に手をやる。
「出生については孤児であったと聞いている。推薦した理由についてだが、彼の恩師には世話になったからさ」
「彼の恩師?」
「フォーゼ・グラール。名前は知っているはずだよ」
「――」
言葉を聞いた直後、ズーグは思わず息を呑んだ。
「あの生徒は、フォーゼ殿の……」
「そのようだ。ああそれと、君宛に手紙も届いているよ」
「何?」
ルーノは懐から一枚の手紙を取り出した。
視線を細めて、その手紙を凝視してしまう。
「中を見ればわかると思うが、フォーゼさんからの伝言だ。彼を頼むと」
「――」
差し出される手紙。
ズーグはそれを恐る恐るといった様子で受け取る。
手紙を受け取った後、視線をルーノに移した。
開いていいのか。その意思を込めて。
意味を理解したのか、一つルーノは頷きを返した。それを視界に収めたズーグは、ゆっくりとした動きで中の手紙を開き始める。
そこに記していたのは――。
★
「あー……」
気だるげな声と共に机にうつ伏せているのはユウリ・グラール。
今日もまた学業の時間帯に意識を飛ばし、夢の世界へと旅立っていた。
「また寝てたのか、君は」
いつもならば、誰からも声をかけられることなく、ゆるゆると緩慢な動きで食堂に赴くために動き出すところだ。
しかし今回ばかりはどうやら違うようで、背後からの声に振り向くこととなる。
「このルグエニア学園の授業はかなり高レベルのものなんだ。聞かなければ損をするぞ」
「まあまあレオン。多分どれだけ言ってもユウリ君には届かないと思うなー、なんて」
背後に立つのは二人の生徒。
レオン・ワードとステラ・アーミアである。
「仕方がない。俺だって体の調子が悪くなければ寝てなかったんだ。前の事件の怪我が疼くのさ」
「いや、ちゃんと医務室でマリア先生に治してもらったはずだけど」
ステラの言葉に「バレたか」と悪戯に舌を出す。
あの事件以降、ズティングとの死闘の末にそれなりの手傷を負ったユウリは医務室送りとなった。
しかしユウリの治癒能力が高いのか、マリアが治癒魔術師として優秀なのか、すぐさま授業に出ていいという許可が出てしまう。
ユウリとしてはできる限り医務室で寝ていたいところであった。
「ま、教師にバレなきゃ大丈夫ってな」
「ユウリ君。胸を張って言うことじゃないと思うんだけど」
「はぁ。こんな調子で数週間後に行われる定期試験は大丈夫なのか……」
ステラは呆れたように。
レオンは額に手を当てて。
どちらもがユウリに対して視線を飛ばす。
だがその視線には、以前にはなかった友人を見るような温かみが確かに含まれていた。
先の事件以降、この二人のユウリへの対応が変わった。
特にレオンの態度に焦点をおくと、著しい変化だ。
ステラは元々からそれなりに友好的な態度を取っていたが、彼の方は敵意を抱いていた印象がユウリの頭から抜けない。
しかし今ではこの通り。気安く話しかけてくる仲にまで発展したと言える。
「……それで、なんだ、ユウリ。今日の放課後は暇か?」
「んあ? 今日の放課後?」
「ああ」
目を逸らして、照れ臭い気持ちを隠すかのような様子でそう聞いてきた。
その言葉にユウリは首を傾ける。
「どして?」
「もし暇ならば鍛錬に付き合ってもらおうと考えていた。というか、付き合え」
「えー……、面倒くさっ」
あくまでユウリは気だるげな様子を崩さない。その様子に青筋を額に浮かび上がらせるレオン。
「日々の鍛錬が己を強くする。何より僕に進めと言ったのは君だろう?」
「はて。そんなことを言った覚えは……」
「とにかく付いて来い! 問答は無用だ」
「あーれー」
首根っこを掴まれて拉致されることになってしまった。
ゲンナリした様子で連行されていくユウリと、その目に闘志を燃やしてズンズンと進んでいくレオン。その二人はどこか対照的である。
「――ふふっ」
ステラはそのような二人を見て、密かに微笑んだ。
自分以外、友と言えるほどの相手をレオンは作って来なかった。
しかしこうして誰かと親しくしている様子を目にすると、微笑ましい気持ちが湧いてくる。
彼女には分かる。
レオンは嬉しいのだろう。
自分の可能性を否定しなかった、彼の言葉が。
「――あれ」
そんな時、前方にて引きずられるように連れて行かれるユウリが声を上げた。
何事かとそちらの方に視線を向けると、眼前に立っていたのはフレアである。
「や、フレア。ご機嫌いかが」
「……まあ、あんまり悪くはないわね」
銀の髪を携えし、神々しさすら感じられる容姿の少女。
ステラは彼女のことが未だに掴めず、少しの苦手意識を感じている。あれだけ真正面から辛辣な言葉を浴びせられれば、そうなっても無理はない。
レオンも彼女に悪感情を抱くことはなかったが、"加護持ち"という自分とはかけ離れた特異の存在である彼女との距離感を測りかねていた。
しかしユウリは。
「なら良かった。そういや今からレオンが鍛錬するんだって気合い入ってるんだけど、フレアもお供するか?」
「どうして私がそんな面倒なことを……」
「ほら。前の事件で一番活躍したじゃん。この中で一番腕に覚えがあるのはフレアなんじゃないかなーっと」
ユウリだけは彼女には気安く話しかける。
"加護持ち"と欠陥魔術師。
天と地ほどの差がある、その距離をもユウリはなかったものとして扱う。
「――どうして」
ポツリと。
フレアは呟く。
「どうしてあんたは、そうまでして私と関わろうとするの?」
「関わろうと?」
「前の事件の時も、別にあんたには関係のない話だった。それなのにあの場に現れたのは、どうしてよ」
フレアをおびき出した、"暴れ牛"。
その場に駆けつけたのは、レオンとユウリだ。
レオンはステラを救うためにその場に姿を現した。ではユウリはどうしてあの場に現れ、フレアの前へと立ったのか。
「強いて言うなら、飯の恩かな?」
ユウリはこともなげにそう言った。
「飯の恩を、ね。あんたは会った当初からずっとそう言って来たわね」
「まーね。不満でも?」
「不満も不満よ。そんな曖昧な、どうでもいい理由でなんて。あんた、よっぽどのお人好しなんじゃないの?」
「やぁー、どうだろ」
呑気に笑う。
別にお人好しというわけではないと、内心で思っていたから。
空腹時に食べられるものを渡されること。その意味がユウリの中では非常に大きいというだけの話だからだ。
なにより。
――本当はもう一つだけ、理由があった。
しかしそれを口にすることはしない。自分の気持ちの整理すら、付いていないから。
「でも、お人好しに関しては他人のことを言えないと思うけどな」
「……どうして?」
ユウリの言葉に、彼女は眉を寄せる。
しかしユウリは気にせず言葉を続けた。
「フレアこそ戦いの最中でステラに意識が向かないように立ち回ってたし。それってステラのことを心配してたってことだろ?」
「――」
その言葉に、ステラとレオンの両者がハッと彼女の方を見る。
もしも彼女がステラのことをどうでもいいと、そう思っているのならば。
わざわざ彼女の前に立つ理由はないのではないか。
「毛嫌いしてるようだったけど、それでも守ってたってことだな。お人好しさん」
「――あんた、覚えてなさいよ」
ぷいっとそっぽを向く、銀の少女。
雪のように白い幻想的な肌を所持している彼女であるが、その頬に朱の色がかざしたのは気のせいではない。
「……あはは」
フレアのそんな様子が少し可笑しくて、笑った。
ステラはどこかで、彼女のことを"加護持ち"だと思っていたのだろう。
フレアという一人の少女ではなく、"加護持ち"として扱っていた。
それは自分達とは違う特異な存在だと、刷り込みのような認識を植え付けられていたからである。
しかし今しがたの問答を見て、その気持ちも変わった。
「フレアさん」
ステラは一歩、前に出る。
レオンは変われた。
自身の口から、しっかりとした芯を宿してユウリへと歩み寄った。
ならば次は自分の番ではないだろうか。
「どうか――」
今度は視線を逸らさない。
彼女の宝石のような碧眼を覗き込み、しかしじっと彼女の瞳を見続ける。
「――どうかよろしければ、私と友人になってくれませんか?」
前に同じ言葉を言った気がする。
しかし今度は、今度こそは自らの本心を吐露したという実感があった。
一章 学園入学編 後編 ―完―




