ユウリの体質
白い煙が周囲を覆う。
フレアに足手まといになるからと木陰に身を潜めるように言われたステラは、しかしそこから覗いた光景に息を飲んだ。
「まさか、魔導機器!?」
煙幕の機能を持った魔導機器の存在に、思わず声を上げる。
ステラの知る限り、その魔導機器はかなり値の張るものだと記憶していた。が、"暴れ牛"ほどの盗賊団ともなれば、所持しているらしい。
「ユウリ君……ッ」
映るのは白い空間のみ。その中では彼と盗賊団の首領の二人が対峙している。
煙幕の中の状況がわからないステラは、ただユウリの無事を願った。
「――どうだ。何も見えないこの空間は」
最中で、ズティングの声が響く。
しかし彼の姿は確認できない。
「テメェの戦闘術は単純な素手で、大剣を扱う俺とじゃリーチが違う。そして俺はこの空間の中では戦い慣れてる。随分とテメェには不利な条件になったなァ、小僧」
彼の言う通りだ。
白い空間の中では、ズティングの方が圧倒的に有利な条件であることは否定できない事実である。
範囲の広い大剣ならば、適当に振り回してもこの状況では当たるだろう。対するユウリはそれを的確に避けなければ、一撃で沈みかねない。
逆にユウリの拳ではリーチが狭く、当たったところで仕留めきれるかはわからない。
「この煙幕も晴れるまでは一瞬だが、すぐに仕留めてやるよ!」
ダッと、土を強く踏み込む音がした。
ズティングが凶暴な牛のように、突進した結果だろう。ステラは煙幕の中での彼の姿が見えずとも、その光景を容易に想像できた。
逃げて、と叫ぼうとした。
いくらここまで善戦していたユウリでも、この状況はまずいと。
ステラは目の前に広がる惨状に目を伏せようとする。
けれど。
「――甘いよ」
その光景が広がることはなかった。
「が、ぁ……?」
鈍い音と呻き声が、煙幕の中から聞こえた。
同時に、しばらくの静寂が訪れる。
「……もう一度だ!」
ブォン、と大剣の音が空気を振動させる。
しかしただ空気を素通りする音だけしか耳に届かない。
「――ぶ……ッ!?」
またもや、ズティングの鈍い声が。
辺りの煙幕は時間と共にどんどんと晴れていく。二回目のズティングの呻き声が聞こえたところで、ステラはようやく薄っすらと状況を確認できるようになった。
「バ、バカな……ッ!」
地面に仰向けに倒れるズティングと、拳を振り抜いた態勢のユウリの姿がそこにはあった。
「テメェ! あの視界のない空間でどうして俺の剣を避けられる!」
「――別に、視界に頼らなくてもいいからな。音が聞こえれば、ある程度の剣の軌跡はわかる」
「なにより」とユウリは目の前の敵を見て。
「あんたの動き、大振りだから丸聞こえなんだよ」
ニッと不敵に笑って答えた。
ステラはそんな彼を見て思った。
戦い慣れている。そして強い、と。
ただしそれだけではない。
「――やっぱり……」
レオンの模擬戦の頃にユウリの戦闘を見た時に、疑問に思ったこと。そして今目の前で行われた彼の戦いを見てステラは確信した。
しかし敵であるズティングの方は納得のいかない顔を浮かべるばかりである。
「――おいおい、大振りだから丸聞こえってよ。これでもこの空間の中では戦い慣れてる方なんだぞ。いくらテメェがそこそこやるガキだといっても、俺に分があるはずだが……」
「別に。常に《身体強化》をかけていれば、いつ仕掛けてきても音くらい拾える」
「あん……? 常に、だと?」
ユウリのなんでもないように言った言葉に、ズティングは反応する。また同じようにステラもやはりと眉を寄せた。
ステラがユウリの戦いで思ったこと。
それは彼が常に《身体強化》を自身に施しているのではといった疑問だ。
通常、《身体強化》というのはいかに消費を抑えるかを考えるため、必要な僅かの間に発動することが一般的とされる。
例えば踏み込みの瞬間に足に強化を施す。
例えば剣を振る瞬間に腕に強化を施す。
敵の攻撃を避ける瞬間に感覚能力に強化を施す。
このようにピンポイントのタイミングで《身体強化》を使うことにより、魔力の消費が抑えられ、質の方に魔力を注げる。
だから常に使うなど膨大な魔力の無駄遣いでしかない行為だ。
「お前、魔術を使ってこねぇから魔力は少ないと思ってたが、抑えていたのか……?」
「いや、抑えたつもりはないけど」
「嘘を吐くんじゃねぇぞ。思えばテメェの《身体強化》の魔力の動きが戦闘が始まってから変わってねえよな? つまりずっと《身体強化》を使い続けていたことになる」
「今になって気付く自分に腹が立つ」と。
ズティングは舌打ちを交えながら、憎々しげな表情を浮かべた。
先ほどの戦闘開始から今まで。
もしもユウリが《身体強化》を維持し続けていたとなれば、それは彼の魔力保持量が膨大なことを指す他にない。
《身体強化》という魔術は、維持し続ければ魔力を終始消費することになり、いかに多くの魔力を持つ魔術師でもすぐに限界を迎える。
それこそ、加護持ちでもなければ不可能だ。
「テメェ、どれだけの魔力を持ってやがる?」
「生活魔術一発すら発動できないくらいっすけど」
「――クハッ。舐めたこと言いやがる。ならその《身体強化》の説明はどうつくんだよ」
ユウリの言葉に、ズティングは鼻で笑った。
口にされた内容を冗談だと受け取ったからである。が、ステラはユウリの言ったことが事実であることを知っている。
ユウリの魔力保持量は学園生徒の中でも最低値を誇るものだ。その彼が《身体強化》を常に維持できるなど、本当ならありえない。
それこそ数秒の内に魔力が限界を迎えてしまうはずだ。
ではなぜ、ユウリの魔力が切れる気配がないのか。
「やぁー、魔力は確かに少ないんだけど。でも、俺は魔力が減らない体質なんだ」
苦笑いを見せながら、ユウリは答えた。
ユウリの体質。
それは魔力門がその身に存在しないというもの。
魔力門がなければ魔力は増えることはない。
栓のされてない風船に幾ら風を送り込んだところで、風船が膨らむことがない。それと同じように魔力門がなければ魔素を魔力に変換して取り入れても、魔力総量が増えることはないのである。
しかしそれは逆にも言える。
栓がないからこそ、風船の中の空気は常に一定である。
同様に魔力門がないユウリの魔力総量は常に同じ。
消費しても消費しても、一定。つまり減らないのだ。
「俺はほとんどの魔術は発動できない。具体的に言うと魔術式を二つ以上組み合わせた魔術は駄目だね」
「――」
「でも徐々に魔力を消費する《身体強化》程度なら、俺でもできる」
また、魔波動も同じだ。
この技術も、魔術式を必要とせず単純な純魔力を放出するだけのもの。つまり、魔力消費量はユウリの僅かな魔力総量でも事足りる。
普通なら二、三発ほど使えばユウリ程度の魔力保持量ならすぐに消費しきるのだが、体質の影響でユウリの魔力は減らない。
そして魔力が減らない以上は、常に発動できる。
それがユウリの強み。ユウリの戦い方だ。
「――だから……」
ユウリの言葉を聞いたステラは瞠目し、同時に納得もした。
彼の言葉を全て理解できたわけではない。彼の体質のことについては初耳であったし、細部のことまではよくわからなかった。
けれど、魔力が減らない。
その一点に関してをユウリの口から伝えられ、それならばと腑に落ちた。
先の煙幕の中でも、ユウリでなければズティングと渡り合うことは難しかっただろう。
視界が遮られた中で、ズティングが仕掛けてきたその一瞬だけを《身体強化》したのでは、反応が間に合わない。
けれど、常に《身体強化》をかけ続けていれば、それも可能だ。
「――言ってる意味がよくわからねぇな」
一方。
目の前のズティングは眉を顰めて、大剣を地面に叩き下ろした。
地面が盛大に粉砕し、大きな音を立てる。
「お前の体質や不可思議な技については考えても理解できねぇ。だが、結局これから殺すなら意味はないよな?」
結局、結論はそのように至ったらしい。
「まっ、そうだな。そろそろ決着をつけとくかね」
赤闘牛の臨戦体勢に、ユウリもまた手をぷらぷらと振った。
いつ仕掛けてきても対応できるように、警戒を強める。
「――」
「――」
しばしの静寂。
「――死ねやァ!!」
先に動いたのは、ズティングだ。
威圧感を醸し出しながら、馬鹿正直に真っ直ぐと突進してくる。
ユウリはその光景を見定め、少しだけ遅れて地面を強く踏み込んだ。
大振りに縦に下される大剣の軌跡。その軌道から体を逃して、ユウリは懐の中へと潜る。
「シッ!」
一撃を躱した瞬間、ズティングの鼻先へと拳を撃ち込んだ。
ペキッと乾いた音が耳に届く。同時に、血飛沫が宙を舞った。
「グ、ガ……ッ」
ズティングの鼻骨を折った。その手応えを感じたユウリは、すぐさま次の一撃を見舞うために拳をすぐに引く。
「――ッ!?」
が、それは叶わなかった。
腕を掴まれ、敵との距離を取ることができない。
「づがまえだぞ、ガキ!」
鼻が折れ、血をダラダラと流しながらもズティングは笑った。
対してユウリは眉を寄せる。
ズティングの大剣からなる一撃を貰えば、おそらくユウリは絶命する。それだけの致命傷を簡単に負わせられる力が、赤闘牛にはある。
何とか難を逃れようと、退くのではなく前進した。
しかし、間に合わない。
「遅ぇ!」
「――しま……ッ」
腕を掴まれたまま、地面に叩きつけられた。
背中から強打したユウリの肺から、空気が抜ける。
隙だらけの一瞬。
それをズティングが見逃すはずもなく――。
「死ね」
振り下ろされる。
死に誘う、獰猛な凶器。
ユウリはそれを呻き声を漏らしながらゆっくりと見定めた。
「――ごめん。それは無理」
魔波動の壁、《バースト》。
ズティングの振り下ろしの剣撃に対し、ユウリは己の内にある魔力を解放させた。
周囲へと拡散していく爆風のような魔力が、ズティングの大剣の軌跡を狂わせる。
ユウリの真横へと、着弾。
「な――」
驚愕に瞳を揺らすズティングであるが、ユウリは彼の硬直が解けるまで待つつもりはない。
すぐさま、懐へと。
体を捻り、右足を引いた。
「だって勝つのは俺だから」
横一文字に薙ぐ、ユウリの回し蹴り。
風を切りつつズティングの横腹へと吸い込まれていく。
衝撃。
「――うぶ……ッ」
ベキン、と。
ズティングの脇腹から確かな手応えを感じた。
戦闘が終わることを知らせる、そのような手応えが。
「ガ……ッバァ!」
ユウリの脚撃により勢いよく地面へと叩きつけられたズティング。
地面へと横たわりながら、口から吐血を撒き散らした。
ユウリ対"赤闘牛"ズティング。
その戦闘は、ユウリの勝利によって幕を閉じた。
★
「グ、ガ……。う、ぅ」
痙攣を起こしながら、しかし執念と言うべきか立ち上がろうとズティングはもがく。だが立ち上がれない。
「……ハァッ……ぅぁ」
「やめといた方がいいよ。肋骨を折った。その分じゃ下手すると肺に骨が刺さってる」
冷静に。
ユウリは目の前の男の状態を観察する。
ユウリが一撃を入れた場所は胸部の横。
その際に左胸の肋骨を叩き折った感触が自身の中に染み込んでいる。
現に彼は立ち上がらないほどの傷を負った。それこそ、手当をしなければ命に関わるような、重い傷を。
つまり戦闘続行は不可能な状態。
ただしユウリとて無傷とはいかなかった。
特に最後の地面に叩きつけられた一撃。
あれのせいで体の奥から痛みを感じる。おそらくどこかしらの骨にヒビでも入っただろうと予想できた。
が、危険度B−級に位置される一級品の手配人との勝負は、ひとまずユウリに勝ち星が上がった。
「さて」
ユウリはそれを確信した後。
残る二方の戦闘へと目を移す。
そして一方を視界に入れた。
「――やはり」
半ば予想していた状況が目に飛び込んでくる。
戦っているのはニールとレオン。兄と弟の一騎打ち。
その場で勝利を収めたのは――。
「――やはりレオン。君では僕に叶わない」
「……ぅ……ぁ」
ニール・ワード。
彼が実の弟の首筋に剣先を構えている姿が確認できた。
★
「レオンッ!」
一人の少女の叫びが聞こえる。
ステラ・アーミア。レオンの幼馴染であり、良き理解者である生徒。
ルグエニア学園にも共に入学するようになった、貴族の世界では珍しい腐れ縁とも言える相手だ。
「……ハァ……ハァ」
レオンは荒い息を吐く。
全身全霊を込めて臨んだ一騎打ち。しかし敵はあまりにも強大で、傷一つ付けることが叶わず敗北した。
ところどころから血を流しながら、半ばから折られた剣を目に入れる。
剣先は遠くへ飛び、拾える位置でもない。
――勝てない。
剣と共に折られた心は修復することなく。
レオンは膝を付きつつ崩れ落ちた。
「わかったかい、レオン。君は弱い。あの時から何も変わらず」
「……ぅ」
「守りたいものを守れず、傷を負っては倒れる。数年前は命こそ無事だったが、今度はどうだろうね」
冷めた目でレオンの倒れ伏した身体に言葉を吐き出す。
それは積年の恨みか。勝者の愉悦か。
「レオン、君は弱い」
「……ぁ」
「何度でも言おうか。君は弱い」
「――」
「弱すぎる」
構えた切っ先。握った剣。
それをゆるゆると動かし始めたニール。
最初こそレオンはトドメを刺すべく腕を動かしたのかと思ったが、しかし兄はただ剣を鞘に収めただけであった。
「君には斬る価値もない」
冷たく言い放ったニールの表情は、無であった。
否。無表情を作ってこそいたが、内心は激情に揺さぶられていることだろう。
しかしそれを表には出さず、ただ淡々とニールは視線を弟へと向け続けた。
「……どうして」
そんな彼に声をあげたのはレオンではなかった。
息も絶え絶えな彼の代わりに声をあげたのは、長年彼と付き合ってきたステラであった。
「どうしてそこまでするんですか?」
「――と、言うと?」
「だって、数年前のあの事件はレオンが悪かったわけじゃない! あの事件をキッカケにレオンは並ならない努力までした! なのに、どうして……」
ステラは涙を流していた。
近くでレオンを見ていたから、見続けていたからこそ彼の努力がわかる。心がわかる。
そんな彼をどうしてここまで責めるのか。
どうしてこのような仕打ちを彼が受けなければならないのか。
ステラは涙しながら、そう口にした。
「ステラちゃん」
対するはニール。
無表情の顔を僅かに和らげ、微笑むように表情を崩す。
「弱ければ意味はない」
告げる言葉は、残酷だった。
「どれだけ努力したか、じゃない。どれだけ辛い思いをしたか、じゃない。結果が、残してきた結果がこの世の全てだよ」
「……結果」
「そう。レオンがどれほど努力しても僕に辿り着けないように。どれほど努力しても死ねば意味のないように」
「そんなこと」
「そんなこと、あるさ。勝つか負けるか、生きるか死ぬか。あるのはそれだけさ」
無情な言葉を、ステラに吐き付ける。
言葉にしながら、何かに堪えるように。
ニールは言葉を吐いた。
「……その結果とやらが」
地面から。
剣を折られ、心を折られ。
「その結果とやらが、これかッ!!」
しかし目には憤怒の炎を燃やし。
叩きのめされたはずのレオン・ワードが、無様な姿を晒しつつも、弱々しく立ち上がった。
「人を蔑み、陥し入れ。兄上が掲げる正義が、芯となる剣がこれなのか!」
「正義、心の芯。意味のない言葉さ」
「父上の教えはどうした! 犯罪に手を染めて、そこまでして何を得ようというのか!」
「強さ」
レオンの言葉は果たして届いているのか。
どこか遠い目をするニールが、告げられた言葉に対してポツリと言葉を返す。
「いや、強さという結果さ。僕は強くなければならない。その結果を手に入れる為なら、なんでもするさ」
「それで、何人の人の道を妨害することになる……ッ」
「関係ない。僕の道の為なら、誰が犠牲になろうと構わない」
ゆらゆらと。
先ほど収めた剣の柄に手を添える。
レオンが立ち上がったことにより、ニールは再び戦意を研ぎ澄ませた。
吹けば倒れる、それほどボロボロの状態であるレオンに対して。
「例え、実の弟であろうと」
「……ッ。レオン、逃げて!!」
ステラの言葉が先か、ニールの抜刀が先か。
疾風のような速度でレオンへと接近するニールは、腕を振り上げ最後の一撃を入れようとする。
その刹那のことであった。
「――ッ!?」
ニールは驚き、目を見開く。
突如としてレオンを庇うように、蒼色の炎が吹き荒れたからだ。
驚異の瞬発力にて後方へと下がってそれを躱すことには成功したが、ニールの額から冷や汗が垂れる。
「……他の人達はどうしたのかな?」
「――大丈夫、殺してはないわ。全員生け捕りにしてある」
蒼き炎をその身に纏い、悠然とこちらに歩いてくる少女が一人。
「今度はあなたが遊んでくれるんでしょ? "五本指"の先輩さん」
神々しいその姿は女神と形容されても大袈裟にならない。
銀の髪の戦乙女、フレアがその場に降臨した。




