赤闘牛
ブォンッと。
剣をフルスイングすることで奏でられる音が辺りへと響く。
「――っと!」
開幕により横から迫る剣閃を、ユウリは半歩後ろに下がって躱す。
回避したことはいいが、その際に余波とも言うべき風がユウリを襲った。
ズティングの持つ長剣は刀身が厚く、太い。
敵を鋭利に切り裂くというよりも、叩き斬ることに特化したような形状の得物。
おそらく当たれば一撃。
それだけで致命傷を受けてしまうだろう。
「――ッ」
今度は縦の一撃。
上段から勢いよく振り下ろされる大剣に対し、ユウリはバックステップを取って体を逃した。
ズガン、と地面を割る音が耳に届く。
見ると、振り下ろされた地面が粉砕されていた。
「なんつう鬼畜な」
「ほらほらほら! 避けてばかりだと楽しくないだろうが!」
続けて、猛攻がユウリを襲う。
縦や横、斜めに走る剣撃の嵐。
それを一つ一つ丁寧に躱し、ユウリは目の前の男の隙をじっくりと伺った。
「ちょこまかとしつけぇ!」
「そりゃ、当たれば終わりだからな!」
大振りに横薙ぎの一撃が放たれる。それを屈み込むことで躱したユウリは――。
「――ッ!」
僅かな隙。
振り切った状態から体勢を戻そうとするズティングの懐へと潜り込む。
「がァ……ッ!?」
ズティングの腹部に、ユウリの右拳が直撃した。
苦悶の表情と共に後ろへ数歩ほど交代する。その様子を冷静に眺めながら、ユウリは自らの唇を舐めた。
(硬い……!)
ズティングの《身体強化》の質が、予想していたよりもずっと高い。
ユウリの会得する魔波動を応用した拳撃――魔力を放出しながらの一撃――でも、負わせられるダメージは低かった。
「やってくれるじゃねーか、よォ!」
拳を放った体勢から、ユウリが後ろに下がる前に。
ズティングの強力な一振りが走る。
鈍い風の音と共に迫る大剣。
このままでは直撃する。そういった軌道に剣が乗せられていた。それを察したユウリは小さく舌打ちする。
「しゃーない」
冷静にその斬撃が自らへと迫る光景をしっかりと観察し、タイミングを図った。
「魔波動の壁、《バースト》!」
「ぬうッ!?」
ズティングはユウリを真っ二つに切り裂く筈だった。
しかし突然ユウリの身体を中心に、まるで爆風が起きたかのような衝撃が伝ったことにより、それは叶わない。
暴風のようなそれはズティングの真下へと振り下ろされる一撃を妨害し、逸らす。
結果的に少年を叩き割るつもりの一撃は横へと逸れ、斜めへと軌跡を描いた。もちろんその軌道上にユウリはいない。
ちょうど体の横を通る一撃は、獲物を叩き斬ることができず、空振りに終わる。
ユウリは眼前を見やる。
剣を振り下ろしたばかりの、隙だらけのズティングの姿があった。
そこを見逃さない。
「シッ!」
渾身の右拳が大砲となり、ズティングの顔面へと迫る。
「――ッおお!!」
「んな……ッ」
驚くかべきか。
ズティングは咄嗟にこれに反応し、首を傾けて回避して見せた。
その光景には、しばしユウリも目を奪われてしまう。
避けられると思っていなかったということもあるが、驚愕すべきは敵の反応速度。この距離からの一撃を的確に避けられるとは考えていなかった。
「――まだ、まだァ!」
拳を振り切った体勢。しかしそこから身体を無理に捻って正面からの脚撃を右脚から放った。
流石にこれを捌くことはできなかったのか、重い一撃がズティングの横腹に吸い込まれ――そこで長剣を持ってない左手に阻まれる。
衝撃の強さはバシンッと鈍く乾いた音が証明した。
「お――」
ユウリの一撃は、ズティングの左手を突破。
上へと弾かれた左腕に、大柄な男はその顔色を驚愕に染める。
そのまま、ユウリの右脚はズティングの腹へとぶち当たった。
「重――ッ!?」
ズティングが衝撃の重さにより、少しだけ宙を浮く。
そのまま後退し、腹を抑える結果に終わった。
同時にユウリは軽快なステップと共に後ろへ下がった。
互いの位置は数歩で埋められる距離を作っている。
仕掛けるにも敵の動きに対処するにも、ちょうどよい距離を稼いだ。
「――チィ。やるじゃねえか」
口の端から漏れた胃液を拭いつつ、ズティングは素直な賞賛を述べた。
身なりや姿から学園の生徒であることは予想したが、ズティングからしてみれば学園の生徒など恐るるに足りない相手である。
数秒で撃退できる。その程度の存在。
が、目の前のユウリはその枠組みに当てはまらない。
"赤闘牛"と恐れられるズティングは、傭兵ギルドにおいて危険度B−級とされる。
これは正規騎士が数人がかりでも返り討ちに合うとされるほどのもの。そのズティングを相手に一歩も引かない目の前の少年に、自然と目が細まっていく。
「テメェ、動きが戦闘に慣れているそれだ。その年でどれだけの経験を積んだ?」
「さぁ。どれくらいだと思う?」
「はっ」
挙句の果てには挑発まで仕込んでくる始末。
なるほどと、唇を舐める。
「なら、俺が測ってやろうかね!」
突進と形容できる、突撃。
まさしく"赤闘牛"の異名に相応しい、荒々しい距離の詰め方である。
動き自体そこまで速いというわけではない。しかし威圧感と一撃の名の下に斬り伏せるあの斬撃が、一層ユウリに緊張感を与えていた。
(こりゃ出し惜しみしてる暇がない。盾と壁と弾、三つ全部を駆使して相手をする……ッ)
ユウリは覚悟を決めた。
まずは初撃の袈裟斬りを避け、敵の懐に入る。
続け様に水平へと薙ぐ一撃が迫った。
それを両の手の平で受け、逸らす。
キンッと甲高い音が木霊した。
「……素手で受け廻した、だと?」
「まーね」
ユウリの得意武術、魔波動による恩恵。
魔力を圧倒的速度で放出することにより、魔力が霧散する前に対象へとぶつけることで武器や魔術へと干渉できる。
魔力門が存在しないユウリだからこそ会得できたその技に、ズティングも目を大きく見開いた。
「――おっと」
少しの硬直。
大抵の者であれば見逃すはずのその間を、しかし目敏くユウリは見出した。
「魔波動の弾、《ショット》」
拳を素早く突き出す。
そこから発現されるのは、不可視の一撃。
「な……ッ!?」
ズティングも驚くより他がない。
ユウリとの距離は数歩分空いている。拳を振るったところで、明らかにリーチが足りない。
しかしユウリが拳を突き出した瞬間、腹部に衝撃が襲った。
威力は低く、致命傷にはほど遠い。けれど体勢を崩すには十分な力が伝わる。
「――取った」
強く、ユウリは地面を蹴り込む。
体勢を整え直す前にズティングへと肉薄。
流れるような動作で身を捻り、そのまま回し蹴りを放った。
「ぐぅ……ッ」
ユウリの胴を薙ぐ右脚。
それを受けたズティングが呻き声を上げつつ後すざる。
《身体強化》に、さらに純魔力の放出を追加した一撃。
それは比較的小柄なユウリの体では考えられないほどの打撃力を生み出す結果に繋がる。
ゆえに"赤闘牛"の異名を持つズティングですら、衝撃に耐えきることができない。
「……チィ。なら、これはどうだよ!」
懐から取り出した得物は一本のナイフ。
そのまま投擲され、投げナイフがユウリの眼前に走った。
「危っ!」
僅かに瞠目し、咄嗟に首を傾けることで避ける。
だがその隙を突いたズティングが飛びかかった。
「叩っ斬る!」
右の手に持つ大剣が豪快に振り下ろされる。
「魔波動の盾、《シールド》!」
それを真正面から掌で受け止めた。
「なんッだと……!?」
「ぐぅ……ッ」
踏ん張りを効かせて、ユウリは長剣を押し込むズティングと拮抗する。
ユウリの扱う魔波動という武術。
本来なら魔力を高速で打ち出すことにより、一撃の威力を高めることや武器、魔術に干渉することを目的とする。
しかし、ユウリはこの魔波動を応用して三つの独自の技を習得している。
一つは壁、《バースト》。
自分の体から周囲に向けて一気に魔力を拡散させることで、敵を寄せ付けない爆風を発現する。
一つは弾、《ショット》。
一点に集中させ、超高速で魔力を打ち出すことにより、威力こそ低いが不可視の一撃を放つ。
一つは盾、《シールド》。
魔力を掌から放出し続けることで、波状の盾を作り出して敵の攻撃を防ぐ。
魔力門がないため、魔力を放出する際に阻害されない。ゆえに素早く魔力を体外へと発現できる。
ユウリにしかできない、ユウリのための手札。これまでの傭兵活動の間で、どれだけ助けられてきたことか。
今回もその例に洩れず、ズティングの剣撃を弾く結果に終わった。
「――ありえねえ」
その光景に唖然とする"赤闘牛"。
「《収束》の魔術式を組み込んでない、ただの魔力がどうして霧散しない!?」
その驚きも仕方のないことである。
魔力というのは大気中に出た瞬間、魔素と結合する。その結果が生み出す末路は魔力の霧散だ。
だからこそ魔術は時間が経つと霧散する。
これは《収束》の魔術式の効果が時間が経つと共に消え、《収束》の魔術式がなければ体外にて魔術を留まらせることができないからだ。
しかしユウリが行ったことは魔術において必須である《収束》の魔術式なしで、ただの純魔力を体外にて発現するというもの。
それは本来ならば起こり得ない現象である。
何も知らなければ、それこそ発狂してもおかしくない事象だ。
「ありえないって言われてもな。そういう武術を身につけているとしか言えないし」
「簡単に言いやがる。それだけドカドカと魔力を使えば、普通ならすぐに魔力切れを起こすはずだぞ……」
ズティングは眉を寄せる。
打撃の一撃一撃に魔力を放出し続ければ、並の魔術師ならばあっという間に魔力が枯渇するだろう。
しかし目の前の少年にそのような気配はない。
あまりにも不自然。
警戒するような視線で、ズティングは対面する敵を見る。
「……テメェ。その武術とやらを誰に教わった」
ズティングの問い。
ユウリは静かに答えた。
「フォーゼ・グラール」
ただ単語で。
名前だけを口にした。
反応は劇的だった。
「フォーゼ、て。――あの"武帝"のことを言ってるのか……?」
「そうだな。そっちの方が広く知られてるかもしんない」
後頭部をポリポリと掻きながら、ユウリは苦笑した。
"武帝"フォーゼ・グラールとは、このアルベルト大陸において英雄視されるほどの傭兵だ。
あらゆる武を極めたその実力は、大陸の中でも頂点に君臨するとされる。
「馬鹿な。あの傭兵が誰かを弟子に取ったって話、聞いたことねぇぞ」
「前にも確か似たようなことを言われた気がするなぁ」
しかし事実だ。
幼き日に拾われたあの時から、ユウリは老人から身を守る術を教わった。
フォーゼのもとに集う仲間達と共に己を鍛え、そして今のユウリがある。
「チィ。にわかには信じられねぇ。が、こんな摩訶不思議な戦い方を教えられる奴なんて、確かに"武帝"くらいだろうな」
苦々しく眉を顰める。
ズティングもまた、納得する部分を己の中に見出したのだろう。
ユウリの扱う魔波動という技術は、普通ならば絶対にありえないとすら思われる現象だ。
それを可能とする存在は、それこそ頂きに立つ人外染みた存在のみだ。
「ハッ。その話が嘘か本当かはわからねぇが、そうとなりゃ俺も本気でテメェを殺しにかかるしかないよなァ?」
しかしその話を聞いても、ズティングは臆さなかった。
どころか、舌舐めずりをしてギラギラと殺意の含む眼光を晒している。
空気が変わった。
状況の変化に気付いたユウリが、思わず視線を細める。
「じゃあ、第二戦と行こうじゃねーか!」
吠えて、巨漢の男は一つの道具を取り出した。
「あれは――」
眉を寄せて、不審そうな目で眺める。
口を開き、言葉を発そうとする前に。
辺りが、白い煙で覆われた。




