招かれざる客
時は少し遡る。
課外授業が始まり、アテナの花を探しに森の中へと入った複数の生徒達。その中には当然、フレアとステラの二人も含まれている。
「……」
「……えっと。その、あの」
両者の間には重苦しい雰囲気が広がっていた。
ステラは何とか声を絞り出し、言葉を口にしようとして言い淀む。反対に、フレアの方はやや冷たい態度のまま黙って森の中を歩いていた。
「良い天気ですね。フレアさん」
「そうね」
「あ、アテナの花。見つかりませんね」
「そうね」
「その、フレアさんは森の中を歩き慣れてるんですか?」
「そうね」
「――うぅ……っ」
彼女の素っ気ない態度に、ステラは涙ぐんだ。
フレアとステラ・アーミアの二人は課外授業の二人一組のペアと決められた。おそらくルームメイトでもあるためこの組み合わせが望ましいだろうと教師陣が検討した結果だろう。
しかし二人は決して仲が良いというわけではない。むしろその逆。ルームメイトであるはずなのに、まともに会話すらしない仲であった。
「ハァ……」
意気消沈する。
ステラとしてはどうにかフレアと親交を深めたいものだが、その取っ掛かりが掴めない。
向こうからは嫌われてさえいるのだから、下手なことはできないと身構えてしまう。
「――ふぅ」
重苦しい雰囲気に、しかしフレアの方も息を吐いた。
「どうしてそこまで話しかけようとするのか理解できないわ。私は義務で付き合う必要はないって、あなたに言ったんだけど?」
「その、やっぱりルームメイトとは仲良くしたいと思いますし……」
この言葉は嘘ではない。
確かにアーミア家の方から出来る限り"加護持ち"であるフレアと親交を深めるようにと申し付けられはした。
が、同じ部屋で過ごす同性の生徒と気まずい関係から打破したいという気持ちもまた、本当のことだ。
「別に。あなたはいつも"剣皇"の子息と一緒にいるじゃない。私に無理に関わることはないと思うわよ。まっ、最近じゃ一緒にいるところをあまり見なくなったけどね」
「――」
肩を竦めたフレアに、ステラは痛いところを突かれたと表情を俯かせる。
最近ではレオンとほとんど会話らしい会話をしていない。会ったとしても、どこか遠くを見たまま心ここにあらずといった様子を見せるだけ。
そのことが酷くステラには心苦しい。
「レオンも忙しいから、それも仕方ないと思います」
「……悪かったわよ」
取り繕うように笑顔を浮かべたステラであったが、暗く落ち込んだ感情を隠すことができなかった。
自分の発言で彼女が傷ついたことを悟ったフレアは、バツの悪そうな顔で謝罪を告げた。
また、沈黙が降りる。
「フレアさんは、ユウリ君とは仲が良いですよね?」
話に行き詰まった二人であったが、ふとそのようなことが口をついて出た。
これに対して、フレアはげんなりとした顔を見せる。
「どこをどう見たらそう思うのよ……」
「え。でも、フレアさんだってユウリ君と話すことは満更でもないですよね?」
「なんでそう――」
「だって彼と話す時のフレアさんの目。普段よりもずっと優しげですよ?」
「――」
フレアは閉口した。
呆れた、というよりは驚いたような顔で目を丸くする。
「――ただの見間違いよ」
「ううん。ただの見間違いではないと思います。他の人を見る目とは、全然違いますから」
「言い切るわね……」
不愉快だと表情が告げる。
しかしそれ以上何を言うわけでもなく、フレアは諦めたように肩を落とした。
「だって仕方ないじゃない――良く、似てるんだもん」
「え?」
「なんでもない」
ポツリと呟かれた言葉は、ステラの耳に小さく届いた。けれど後半部分は聞こえなかった。
聞き返したが、フレアはそっぽを向いたまま遂には黙り込む。
その際に頬が少し赤らんでいた理由は、ステラにはわからなかった。
「――あ」
彼女の反応に首を傾げ、前を見る。
すると、思わずといった様子でステラは声を上げてしまった。
「アテナの花!」
歩く先に咲いていたのはアテナの花である。
桃色の花が風に揺らぎ、その存在を主張していた。
数は少ないが、未だ一つも採取できていない二人にとっては貴重なものである。
ステラは急いでアテナの花のもとへと向かおうと、足を動かした。
――そんな時のこと。
「――え?」
「――これは」
白い煙が辺りを舞う。
立ち止まったステラは困惑した顔のまま、「え、え?」と声を漏らすことしかでいないでいた。フレアの方は素早く懐から布を取りだし、自分の口へと当てる。
「フレアさ――きゃっ!」
「いいからこれを口に当てなさい!」
ステラの口元にも同じような処置を行った。
突然現れたこの白い煙がどのような効果を表すのか。それを疑ったがゆえの行動である。
「……。ただの煙幕?」
十秒ほどが経ち、しかし何も起こらない。
訝しげな表情のまま、白で覆われた景色が晴れるまでを待つ。
白い煙は一筋の柱となり、天へと登っていく。次いで、ゆっくりと視界が開けた。
「な、なんなの。これは……ッ」
「――」
声を上げ、ステラは目を大きく見開いた。
隣に立つ彼女もまた、眉を寄せる。
けれど、それも必然のこと。
白い煙が霧散し、開けた視界の先には――複数の男達が立っていたのだから。
灰色のローブを身に着けた、武装している集団。数はおよそ三十以上といったところか。
彼らの顔やローブから出された素肌の一部には、闘牛のような入れ墨が刻まれている。
「よぅ。嬢ちゃん共。ご機嫌いかが?」
中でも極めて目立つのは、中央に佇む大柄な男だ。
薄黒を含んだ赤色に、ギラギラとした茶の瞳。その巨躯はフレア達の頭二つ分ほど大きい。また、その彼は巨大な大剣を肩に掛けながら獰猛な笑みをこちらに見せている。
「あんた達は誰?」
異様な雰囲気を発する彼らにステラは身を竦ませるばかり。それを横目にしながら、フレアは訝しげな視線を眼前に立ち塞がるローブの集団へと向けた。
「おいおい。入れ墨見りゃ、気付いてもいいんじゃねーか?」
「さぁ? その自分達は有名ですみたいな態度、止めた方がいいと思うわよ。恥ずかしいだけだから」
「クック。言ってくれる」
フレアの軽口にも、男は余裕を持って笑った。
そして、彼女らに爛々とした眼光を飛ばす。
「"暴れ牛"だ。聞いたことくれぇーはあるだろ?」
"暴れ牛"と、彼はそう名乗った。
もちろんフレアも、そしてステラも聞いたことのある名だ。
ルグエニア王国に巣食う、非常に危険とされる盗賊団。そのお尋ね者達。
「ふぅん。じゃ、あなたが噂の"赤闘牛"のズティングさん?」
「よぉーく知ってるじゃねぇか。別嬪に知られるってのは、なかなか気分がいいもんだ」
中でも盗賊団長のズティングは"赤闘牛"と呼ばれ、恐れられている。
豪快に大剣を振るい、敵を蹴散らす。その実力は正規騎士さえ歯が立たないと言われるほど。
「ど、どうしてそんな人達がここに……ッ!?」
ステラは疑問を口にした。
この森は事前に学園総会や傭兵達が調査をし、無事に授業を行えると思われたからこそ課外授業は開講されている。
目立ってこそいないが、今も森の中には数人の総会実働部の生徒が見張ってもいる。学園関係者でもなければこの場所まで見つからずに辿り着くことはできないはず。
その中をどうやって進み、侵入できたのか。
「なぁに。ちょいと協力者にお願いしてもらってな。ここまでの侵入はそう難しくなかったぜ?」
「協力者……?」
「ああ――お。噂をすればなんとやら、だな」
ズティングが笑みを見せ、顎を指す。その先はステラとフレアの左側。
ザッザ、と。
草むらを踏む音が静かに聞こえる。
森の木々の中、こちらへ進んでくるのは一つの影だった。
「――あなたは」
長めに整えられた金色の髪。
普段は温和そうな目をしていた金色のそれは、しかし今ではどこか鋭さを感じさせる。
彼は黒を基調としたルグエニア学園の制服を身に着けており、腰には一振りの剣をぶら下げていた。
「ニール、さん?」
蒼い目が動揺で揺れる。が、それも無理からぬ話。
現れたのは影のある笑みを浮かべた、ニール・ワードだった。
「ズティングさん。どうやら無事にここまで辿り着けたようですね」
「おうよ。予めあんたに教えてもらった道を辿っただけだがな。おかげで見張りに出くわさなかったぜ」
「毎年この授業での見張りの動きには規則性があるからだよ」
笑みを見せ合いながら、ニールはズティングの方へと歩み寄る。
唖然とした表情でその光景を見つめるステラを横に、フレアは冷たい視線を向けたまま。
「で。あなた達の狙いは何?」
冷静に尋ねる。
確かに学園の"五本指"とも言われる彼は、聞く話によるとあらゆる校則の免除や特権を所持することが許されるらしい。
が、それでもこの大所帯をここまで案内することが、そう簡単に行えるとは思わない。
いったい何が目的なのか。それをフレアは問うた。
「ふふっ。聞くまでもないことじゃないのかな。"加護持ち"のフレアちゃん」
「――まっ、そうよね」
肩を竦めた。
初めから疑ってこそいたが、今の言葉で確信する。
彼らの狙いは間違いなく、フレアだ。
「ど、どういうことですか!?」
「あなたも貴族ならわかるでしょ。"加護持ち"はあらゆる国や集団、個人でさえ欲しがる存在。それこそ、奴隷にしてでもね」
「――じゃあ……」
「"暴れ牛"だっけね。どうやら私を誘拐しに来たらしいわよ」
澄ました顔でそう口にした。
「ただ、ニール・ワードがどうしてあいつらを手引きしたのかは知らないけどね」
そのまま、視線をニールに固定する。
"暴れ牛"がフレアを狙う理由は簡単に予想できる。"加護持ち"が金になるから。
けれどニールがどうして彼らに加担しているのか、その理由をフレアは考え付かなかった。
その言葉に、ニールは薄笑いを続ける。
「僕の場合はとても個人的なことだけどね。言ってしまえばフレアちゃん。君が邪魔だったんだよ」
「私が、邪魔?」
フレアは眉を寄せた。
「いや。正確に言うなら"加護持ち"の存在が、といったところかな」
「どうして――」
「僕が強くあるために」
言葉を被せるように、ニールが言葉を発した。
彼は仰々しく両腕を広げて、冷たい視線をフレアへと向ける。
「ステラちゃんやフレアちゃんは今年入ってきたばかりだから知らないよね。どうして僕が、"五本指"の序列三位でありながら最強の魔剣士なんて呼ばれているかを」
「――」
「単純な話。僕の上にいる二人が"加護持ち"の魔術師だからさ」
ギリッとニールが唇を噛み締めた。
普段、温厚な笑みを絶やさない彼からすれば珍しい表情である。
それだけ、その事実が彼にとって許せないことであった。
「僕と彼らの絶対的な差。どれだけ努力を重ねようと、決して越えられない力の壁。序列一位のセリーナ・ルグエニアと序列二位のシド・リレウス。彼ら二人は他の学園生徒とあまりにも逸脱し過ぎている」
「そんなに……?」
「ああそうさ。序列三位の僕が、絶対に叶わないだろうと思わされるほどにはね」
噛みしめるように口にするその言葉からは、諦念の感情が読み取れる。それだけニールの心がへし折られているということだ。
ステラはニール・ワードがいかに強者であるかを知っている。昔から弟のレオンとの模擬戦を、父であるレオナールとの模擬戦をその目で見ていたからだ。
それでもなお届かないと。
絶対に到達できないとニールに言わしめる、序列一位と二位。
どれだけの力量なのか、計り知れなかった。
「そんな時に現れたのがフレアちゃん。君だよ」
「――」
「"加護持ち"。さすがに在学している"加護持ち"の彼らほどではないだろうけれど、それでも僕の脅威に変わりない。僕は強くあらねばならないんだ」
「ふぅん。で?」
「ゆえに、ゆえに君を追い出す。勝手な僕を許してくれ」
「――あっそ」
スラリと剣を抜いたニール。
対するフレアは面倒そうな顔をしては、溜息を吐いた。
「正直、どうしてそこまで強さにこだわるのか理解できない。それに私を追い出したとしても、あなたが強くなるわけじゃないのに」
「そうだね。だけど、結果は残る」
「頭、おかしいんじゃないの?」
「これは手厳しい」
互いの冷たい視線が、それぞれを射抜く。
一触即発。
場の緊張がどんどんと増していく。そのような感覚をステラは肌で察した。
ちょうど、その時である。
鋭い声が森の中に響いたのは。
「――兄上ッ!」
怒号とも言うべき大きな声が、周囲に佇む全員に届いた。
フレアも、ステラも。
ニールやズティング、その場に立つ三十にも及ぶ盗賊団の集団が一斉にその方向へと向いた。
「これはこれは。招かれざる客の到着か」
視線を細めて、ニールは声の主を睨んだ。
現れたのは、荒い息を吐きながら鋭い眼光を飛ばす、レオン・ワードであった。




