レオンの敵意
ルグエニア学園には中庭が存在する。
草木が芸術作品のような趣深い景色を作り出し、それを見ながら囁くように肌を撫でる風を浴びることは、この学園に通う生徒の特権のようなものだ。
庭園とも言えるその場所には複数のベンチが疎らに用意されており、ユウリはその一つに腰を掛けていた。
「課外授業に"暴れ牛"、か」
顎に手を当てながら、昨日の夜に言われた内容を頭の中で反芻させる。
近々実施されるという学外での授業。そこに、万が一ではあれど規模の大きな盗賊団と鉢合う可能性を示唆されてしまえば、ユウリとて楽観的にはいられない。
「ハァ……。どうして俺が悩まなければならないんだろうなぁ」
自然と溜息が漏れる。
こういった情報は学園側が共有し、対処に追われるべきではないのか。なにゆえ生徒である自分が危機感を募らせなければならないのかと、ユウリは肩を竦めた。
「そもそもだな――ん?」
結果。口から愚痴という愚痴が、まるで貯水池が決壊するかのように駄々流れしようとする。
その直前のこと。
ユウリは向こうから一人の学生が近づいて来るのを発見した。
金色の髪と瞳。
ユウリと同じ第一学年の生徒である、レオンの姿だ。
「――ッ」
どうやら向こうもユウリの姿を目に納めたらしい。
一瞬にして不快だとばかりに、表情を歪ませた。
「おーっす」
もちろんユウリにとっては気にするような事でもない。些事である。
声をかけられた当のレオンの方はしばしの硬直があった後。
声をかけられて無視を決め込むのは何やら癇に障ったのか、スタスタとユウリの座るベンチの方へ向かってきた。
「……ユウリ・グラール。何か用か?」
「最近はご機嫌いかが?」
「これで良いように見えるなら、君の目は余程腐っているんだろうな」
「なぬ。俺の目はまだピチピチの十六歳だっての」
「知るかっ!」
ユウリのどこかズレている返答に思わず声を大にしてしまうレオン。それがすぐさま恥ずかしかったのか、顔を朱に染めて視線をユウリから逸らした。
「――どうして僕に声をかけた」
「ん?」
「君からしてみれば、僕は口先だけの負け犬だ。僕を馬鹿にしに来たのか?」
「別にそういうわけじゃないけど。強いて言うなら、ステラの友達になったから、か?」
「――は?」
ユウリの発言に、目が点となる。
そのような様子のレオンにユウリは続けた。
「何やら最近、ステラも避けてるみたいじゃん。心配してたぞ」
「……君には関係ない」
「まっ、そだね。関係ないからこれ以上は聞かないようにする」
「――」
別段、興味がなさそうに。
ユウリは欠伸混じりにそう言った。
それを受けて、今度はレオンの方から声がかかる。
「最近はステラとよく一緒にいるところを見かけるが……」
「友達になったからな」
「何が目的だ?」
「さーて。何が目的だと思う?」
レオンはそこまで口を開き、しかしユウリの態度にこれ以上聞いても無駄だと悟ったのか、口を閉じた。
それから数秒、どちらも喋らず沈黙の空気が辺りを漂う。
「――その、彼女は元気か?」
「少し落ち込んでる。ルームメイトと上手くいってないんだとさ。それとどっかの誰かさんとも疎遠になってるって」
「……そうか」
ユウリの言葉に唇を噛みしめる。
後半が、まさに自分の事を言っているのだとすぐに気付いたからだろう。
握り拳がギュッと音がしそうなほど、強く握られていた。
「――おっと。これは珍しい光景だね」
そこに来ての、第三者の声が周囲に響く。
ユウリとレオン。両者が声の主の方へと同時に振り向き、そしてユウリは少しばかり驚いた顔を、レオンは不愉快な人物にあったとばかりに顔を顰めた。
レオンと同じく、金色の髪と瞳を所持する生徒。
ルグエニア学園にて最強の魔剣士と名高い、"五本指"の名を冠するニール・ワードである。
「なぜ兄上がここに……?」
「ここは学園の敷地内。少し校舎から外れているが、何もおかしいことはないはずだよ」
「――しかし」
「それよりユウリ君。今日は近くにフレアちゃんはいないんだね」
「今日は探しきれなくって」
なはは、と呑気に笑うユウリ。
ニールの目的はいつも通り、フレアなのだろう。
彼が言うには、"加護持ち"である彼女をしばらくの間で見極めたいとのこと。それが何を意味するのかは、ユウリにはよくわからない。
「なるほど。それでフレアちゃんの代わりに我が不詳の弟を?」
「そんなところっす。話し相手があんまりいないんで」
「――」
"五本指"を前にして緊張感の欠片もない様子で声を返すユウリ。それとは対照的にレオンの方はただただ黙っていた。
「――兄上。あなたは……」
「どうしたんだい? レオン」
「……いや」
何かを言いかけて、しかし口を閉じる。
先ほどからレオンの様子が少しばかりおかしい。目の前のニールとの間で何かがあったのだろうかとユウリは疑問にすら思った。
「何もないなら、僕はフレアちゃんを探しに他の場所に行こうかな」
「ふむ。もしかしてニールのお兄さん、フレアに惚れてる?」
「そうだね。人としては惚れているのかもしれないね」
「ほーぅ。レオンのお兄さんは言うことが違うなぁ」
ニールとレオンとの間に広がる不和の空気。それを気にしてか知らずか、ユウリは無駄に明るい口調でニールを茶化すように話す。
これが正しいかは別として、雰囲気は幾分も空気が吸いやすいようになったかに思えた。
「――それは、させません」
「え?」
思えたが。
ニールが立ち去ろうとした瞬間、その行く先を阻むかのようにレオンが立ちはだかった。
「レオン。させない、とは?」
「語る言葉はない。ただ、ここは通さない」
「それは単に僕が気に入らないからかい? それとも、僕が君よりもずっと高みにいるからか」
「……ッ」
そこから先は――言葉ではなく魔術が飛んだ。
拳大の火炎球がニールを直接襲う。
「――学園内で無闇に魔術を使うことは禁止されている。この行為がどういったものか、わかっているのか」
それを、ニールは斬った。
腰に掛けられた一振りの剣で、抜刀からの一閃。たったそれだけで《炎球》は真っ二つになった。
《収束》の魔術式の効果が切れたのか、二つに分かれた炎球ファイアボールは空気中にて霧散する。
(――見えなかった)
ユウリはそれを冷静な表情で観察していた。そしてその内心では舌を巻いていた。
あまりにニールの太刀筋が速すぎたためである。
「――ッ」
自身の魔術が斬られたことにより、少しだけ動揺するレオン。しかしこの程度のことは予想できていたのか、さほど取り乱すようなことはない。
続け様に放つのは、中級魔術――閃光ライトニング。
一筋の電撃が、雷速にてニールへと襲いかかった。
「甘い。修練が足りないね」
雷速にも劣らぬ一振り。
まるで針の穴に糸を通すかのように、か細い雷の糸をもニールはその剣で沈めた。
「……どうして、どうして兄上は!」
「この結果は必然だよ。剣の重みが違う」
「――ッ!?」
ユウリですら、目で追うのがやっと。
それほどの素早さでレオンのもとへと駆け寄り、一閃を振り抜いた。その動きはまるで疾風のよう。
気が付けばレオンの剣は彼の手から離れ、宙をクルクルと舞っていた。
「僕と、君とではね」
「――くっ」
冷たい視線を放つのはニール。
殺気を帯びた視線を向けるのはレオン。
両者が両者、敵対視するような視線を互いに向けている。
剣を失いこれ以上戦闘を続けることができないはずのレオンであったが、一瞬の隙を見つければ容赦なく襲いかかってきそうな威圧感である。
対するニールも、これ以上レオンが襲いかかってくるのならば加減はしないと言いたげに、剣の柄を強く握った。
どちらも睨み合う中で、嫌にゆっくりと時間が進んでいく。
じゃり、と。
土が静かに音を鳴らした時、二者は一斉に動き出した。
レオンは拳に灯した魔術を。
ニールはその手に握る剣を。
それぞれ振るう。
――瞬間のこと。
「魔波動の壁、《バースト》」
声が響いた。
「――ッ!?」
「ぐぅ……!?」
ニールとレオンの両者が後退する。
否、後退させられた。または吹き飛ばされたと言うべきか。
「――これは」
瞠目するレオン。対照的にニールは落ち着いな様子で何が起こったのかを確認していた。
先ほどまでレオン達が立っていた場所。そこにはただ一人、ユウリが佇んでいた。
「ハァ……。まさか、こんなところで奥の手の一つを使うことになるなんてな」
呆れを含ませた溜息。
そこにはどうして自分が巻き込まれなければならないのかという憂いもまた含んでいた。
その様子に、瞠目していたレオンの頭が再起動する。
「ユウリ・グラール! 何をした!」
「数少ない手札の内の一つを切らせてもらったってとこ。感謝してほしいね。これを使うことなんて本当に非常事態の時くらいなんだから」
「何より疲れるから使いたくないんだっつの」と愚痴まで溢した。
そんな彼を冷静な表情で観察するのはニール・ワード。
先ほど起こったのは、何やら見えない壁のようなものが突然自分に押し迫ったかのような感覚であった。
彼を中心としてそのような感覚が爆発するように拡散していき、自身とレオンを押し返した。
そのような魔術を、ニールは知らない。
「――固有魔術か」
「まさか。そんな大層なもんじゃないっすよ。ちょっとした魔術の応用ってだけで」
軽い口調で言った。
そして。
「――で。まだやるって方は俺とも遊んで欲しいんだけど。さっきから俺だけ仲間外れだし、ちょうど運動したいとも思ってたしさ」
腕をグルグルと回す。
それはどちらでもいいから、まだやるなら相手をしてやるとの合図。
その意図を読み取ったのか、クスリとニールが笑った。
「面白い。なら是非とも相手をしてもらおうかな?」
「うえっ。レオンが来ると思ってたけど、先輩が来るんすか」
「おっと。僕では不服かな?」
「不服っていうか、なんというか」
ユウリの表情が少しばかり微妙な顔つきへと変わる。
おそらく激情を溢れさせるレオンが立ち塞がるだろうとユウリは予想していたのだが、まさか兄の方が釣れるとは思わなかったためだ。
「まあいいや」
しかし細かいことはあまり考えないのがユウリ・グラール。このような展開になってしまったのならば、仕方なしとこれから訪れる戦闘に身構えた。
何より。
("五本指"の実力。ちょっとだけ確認してみようかねぇ)
ユウリもまた、ニールの実力というものに興味を示していたことは否定できない。
この邂逅。この事態。全てが偶然による産物であるはずだが、しかしそれを利用させてもらう。
チラリとレオンの方を覗けば、彼の戦意はすでに失われているのか、こちらに干渉しようとはしてこない。
おとなしいその姿に息を吐き、ユウリはニールへと向かいあった。
同時に。
「さて。行こうか」
「うし。やるぞ」
ニールは剣を一振り。
ユウリは拳を固く握る。
互いに一歩踏み出せる、臨戦態勢の構えを取った。
そんな時であった。
「――あんた達。何やってるの?」
二度あることは三度あるというが。
またしても知り合いがユウリの側へとやってくる。
先ほどニールがその人物のもとへと向かおうとしていた――フレアであった。
「これはこれは」
「……っ」
ニールの方はフレアがここに現れたことに対して意外そうな表情をし、レオンはバツの悪い顔を浮かべた。
「お、フレア。こんなところで何してんの?」
「それはこっちの言葉よ。見たところ、物騒な空気を醸し出しているようだけど」
のんびりとした口調で語りかけるユウリ。しかし返ってくる言葉は剣呑な視線を添えられたものであった。
「少し誤解があるようだね。僕と彼とで模擬戦をやろうということになっていたところだったんだよ」
「ふーん?」
ニールもまた弁解の言葉を図るも、フレアがそれを根っから信じることはない。
疑い深い眼差しでユウリとニール、そのどちらもを見ている。
「――ま、私には関係ないけど」
しかし別に興味が出ることもなかったのか、すぐに視線を外した。
「魔力の揺らぎを感じたから何かと思ったけど、私が来る必要もなかったみたいね」
「そんなことはないさ。ちょうど僕は君に用があったしね」
「どうせまた世間話なんでしょ? 私はあなたに用はないわ」
つーんと冷たくフレアは突き放す。それがあまりにもいつも通りの彼女の様子だったので、ユウリはこの状況に対して熱された身体が冷え込むのを感じた。
「それにそろそろ授業が始まるから、私は行かせてもらうわね」
「――ってやば。俺も授業じゃん」
時間は確かに授業間際。
そろそろこの場所から移動しなければ遅刻となってしまうだろう。それはこの場にいるレオンもまた同じだ。
「じゃ、俺も行きますね」
「残念。少しばかり君の実力にも興味があったんだが」
「そこまででもないっすよ」
「さて、どうだかね」
ふふっと笑みを浮かべるニール。先ほどまで握られていた剣はすでに鞘へと収められていた。
その様子にフレアが鼻を鳴らし、レオンは鋭い視線のまま立ち上がる。
「では三人とも。また会おう」
踵を返して立ち去るニール・ワード。
三者はそれぞれの表情を浮かべて、"五本指"たる彼の背中を見送った。




