日常から依頼へ
ユウリ・グラールの日常に変化が起こった。
それまでの傭兵としての活動を、自らの師であるフォーゼ・グラールによって変えられた。
曰く、王立ルグエニア学園へと赴くように、とのこと。
言葉通りに学園へと入学し、そして時間は過ぎる。
あっという間と言うほどではないにしろ、気付けば入学式から二週間という時間が経っていた。
「――ふぁーあ」
欠伸を一つ。
退屈気な授業も終わり、ユウリは伸びをした。
最近ではいかに教師にバレないような体勢で眠ることができるかを検証中である。そのおかげか、ここ数日は滅多に教師に声をかけられない。
これも進歩の証か。
「ユウリ君。また眠ってたんだね……」
「おっ、ステラか。おはよ」
「今はもうお昼だから、おはようっていうのは違うと思うんだけど」
ユウリの言葉に苦笑を返しつつも、近くの席へと腰を落ち着ける。
二人が座る席は教室の隅である。
その周りにはポッカリと穴が空いたような空席が目立った。
一週間ほど前に行われた、レオン・ワードとユウリ・グラールの模擬戦がその影響を与えている。
というのも、ワード家というのはこの学園においても"剣皇"の名を背負う家系として有名だ。"南の剣皇"レオナール・ワードの武勲は大陸中に轟いている。
そしてその息子であるニール、及びレオン。
ニールはルグエニア学園の中でも"五本指"と賞される最高位の生徒、その一員だ。学園においては最強の魔剣士とも言われている。その名声を、ユウリは学園生活においてこれでもかと言うほど耳にした。
さらに弟であるレオンもまた、次代の王国を担う逸材だと評されている生徒である。それは以前行われた魔力測定の結果が、他生徒に格の違いを思い知らせるほどのものであったことで証明されている。
そのレオンを下した平民という身分の少年。
どこか薄気味の悪い、腫れ物のような扱いをユウリは受けることとなった。
「……もう昼か。うし、飯だ飯」
「ユウリ君は相変わらず切り替えが早いね」
「食べれる時に食べないと、いざとなった時に困るかんな」
頭を掻きながら、ユウリは呑気に笑う。
ステラは日を追うごとに、このユウリ・グラールという少年の実態を薄々把握し始めていた。
腫れ物のような扱いを受けるべき生徒ではない。むしろ、友好的な雰囲気を周囲に散りまいてさえいる。
とはいえ未だに掴み所のない性格であるという評価は変わらないのだが。
★
ユウリとステラの二人はその後、ルグエニア学園に用意されている各食堂の一つ、第一食堂へと足を運ぶ。
なぜこの二人が行動を共にしているか。
それは以前ステラがユウリに対して助言を求めていた件について、彼女から再び何かしらのアドバイスが欲しいと願ってきたからだ。
「――それで。進展の方はいかがなもん?」
「うっ」
「よーしなるほど。皆まで言うな」
バツの悪そうな顔でステラが俯いたことから、ある程度の結果を察する。
学園へと赴き二週間。
彼女は未だにルームメイトであるフレアとの距離感を測りかねているようだった。
「ま、あんだけ手酷く避けられてるんじゃ仕方ないことなのかもなぁ」
ユウリはしばし二人の関係性を思案する。
ステラの方こそ友好的に接しようと試みているが、いかんせんフレアの方はそれを良しとしていない。
元々他人に対して冷たい少女であるが、ここまで冷めた対応をされると正直お手上げとも言えた。
「はぁ。どうしてこんなに避けられるんだろう……」
「相性の問題でもあるんじゃないか?」
「それでも……」
もう一度、「はぁ」と溜息を吐く。
落ち込むステラ。
ユウリはそれを見つめるだけだ。
しかしその視線は少しだけ細められたものでもあったが。
「ステラは――」
ユウリは口を開こうとした。
彼女が根本的に考えが及んでいない、その場所へと導こうとして。しかしそこで思い止まる。
「……ユウリ君?」
「いや、やっぱなんでもない」
ケロっとした表情で、まるで欠伸でも出ましたと言わんばかりの様子。
些かも気に留めない様子を見せて、次いでユウリは目の前の食事にありついた。
ムシャムシャと食事を咀嚼するユウリの姿に少しの疑問を覚えながらも、ステラもまた自分の食事を進めていく。
「そいや」
「……どうしたの?」
「いや、レオンとは最近一緒に行動していないんだな、と」
ユウリはふと気付いたことを挙げた。
もともとステラと親交を深めていたレオン・ワードのことである。
以前まで彼とステラはよく行動を共にしていたはずであったが、ユウリとの模擬戦を終えた直後からだろうか、その姿もあまり見られなくなった。
レオン自体は授業などには出席しているので、表立って何かあったというような様子は見られない。
だからこそ気になった。
「……私も正直、よくわからない。最近のレオンはあんまり人と接したくないようだし」
「ふぅん。そうなのか」
「近づくと、一人にしてくれ、としか言わないもの。どうしちゃったんだろ」
溜息を吐きながら項垂れるステラを見て、ユウリも少しだけ眉を寄せる。
レオンがそのような状態になったのはユウリとの模擬戦を終えてからだと聞いていたからだ。
であるならユウリの中でもある程度の推測は立つ。
「もしかして、俺に負けたから落ち込んでるんじゃ?」
「うーん、最初はそう思ったんだけど。今のレオン見てるとなんだかそれとは違う気がするんだよね」
「へぇ」
「もちろんユウリ君との模擬戦の結果は落ち込んでると思うよ? レオンってすごく負けず嫌いだから」
苦笑しながらそう答える。
しかしその後、「だけど」と付け加えた。
「今のレオンを見ると、何か重いものを背負ったような、気負った様子をしてるんだよね……」
悩むように、そして必死に考えるようにステラは呟いた。
重荷というやつだろうか、彼女の目からすると、今のレオンからはそれが感じられるらしい。
「よくそんなのがわかるなぁ」
「まあ何年も前からの付き合いだもの。このくらいわかって当然だよ」
「幼馴染ってことね、なるほど」
少しだけ得意げに話すステラの姿に微笑ましいものを見たとユウリは笑った。
ユウリ自体はレオンと接した時間はあまりにも短い。なのでかなりの時間を過ごしてきたステラが言うのならば、そうなのだろうと深く考えずに納得した。
「そういうことになるかな。昔っからレオンは剣ばかりに夢中になっててね。レオナールさん――レオンのお父様が"南の剣皇"だから仕方のないことなのかもしれないんだけど」
「へぇ」
「私としては、もう少しくらい他のことにと興味があってもいいと思うんだよね。例えば恋とか、恋とか、恋とか」
「……ふぅん」
「確かに私達貴族は政略結婚が当たり前だから、恋愛なんて叶わないものばかりだけど。それでもこの年頃なら一つや二つの、好きな女の子ができてもおかしくないと思うの。それを今でもあのレオンは剣ばかり追い求めて――」
「……」
「――少しくらい近くにいる女の子とか、意識してもいいと思うのに。どう思う、ユウリ君は?」
「いいと思う! あ、ごちそうさん!」
これ以上は危険である。
ユウリの脳内がそう警告を促してきた。ゆえにユウリは食すスピードを最大限に早めて、この場から早々に離脱することを決める。
今まで彼女にも何かしら溜まっていたものがあるのだろう。
何かのスイッチが入ったように、次から次へとレオンへの愚痴が飛んでくる。
それを避けるためにも、ユウリは素早く席を立った。
「あ、もう行くの?」
「そ。ちょいと用事があるから」
もちろん嘘である。
「わかった。わざわざ話を聞いてもらってありがとう」
「このくらいならお安い御用ってね。じゃ、いい夢みろよ」
最後だけ冗談めいたキザったらしい台詞を吐いて、ユウリはその場を離れた。
★
「――で、どうしてここに来るわけ?」
「だって暇だし」
未だ休み時間が続く中で、外を出歩いている時にふとフレアの姿を見つけた。
輝く銀色の髪を靡かせる、"加護持ち"の少女。
飯の恩を未だ返せていないユウリは、ポリシーを遵守するためにも何かと彼女に絡みに行く。
今回もまた同様であった。
「はぁ。毎度言うけど、私に関わってあんたにメリットなんてあるの?」
「やぁー、毎回言ってるように飯の恩をまだ返してないからさ。それにはまず関わらないと」
「私は関わりたくない」
「なぬ」
相変わらずズバッと切り捨てるような言葉を受ける。それでも落ち込むことなく呑気な笑みを浮かべるユウリの図太さに、フレアの顔が疲れたようなものとなった。
「ハァ……。"加護持ち"と関わればいいことばかりだとは思わないことよ。特に貴族ならともかく、平民のあんたなら目の敵にされかねないんだから」
「俺にとって"加護持ち"は関係ないね。なんせ――」
「飯の恩は返す、それがポリシーなんでしょ?」
「ご名答」
言われた答えに、ユウリは空を見上げながら頷く。
フレアからしてみれば理解ができない。たかだか干し肉を一つ恵んだだけで、どうしてここまで恩を感じるのかを。
しかしそれを詮索する気もない。
鼻を鳴らして、フレアは呆れたような視線をユウリに向けるばかりであった。
「それより、最近学園都市の近くに不審者が出たって話をフレアは知ってんの?」
「らしいわね。噂では聞くわ」
話題も尽きかけたので、話を変えて最近の話題へと移る。
もっぱらここ数日に学校中で話題となっているのは、学園都市の近隣に現れた複数人の不審者騒ぎであった。
「話によればローブに覆われて顔が見えない、なんとも胡散臭い連中って聞くけど」
「ふぅん。まあ、集団でしかも怪しげなローブ姿のままコソコソと動いてるようじゃ、不審者扱いされても文句は言えないわね」
あまり興味なさげにフレアはそう言った。
この不審者騒ぎだが、実質的な被害は未だ起きていない。
単純に全身をローブに包んだ怪しげな人物が複数、この学園都市ロレントの近く――街道や森の中など――でチラリと見られるようになったという噂が流れているだけだ。
実際の被害が起きていないので、学園都市の警備を務める学園総会と警備隊のどちらも動くべきかを図りかねているらしい。
「それにどうせただの噂でしょ。そんなものに振り回される他の連中がバカにしか見えないわ」
「うわっ。辛辣なお言葉」
「だって事実だもの」
ふん、と鼻を鳴らすフレア。
初対面の時から愛想が良いとは言えないが、今日は更に愛想が悪く感じられる。
どうしたのだろうか、と思ったユウリは少しばかりの疑問を口に出そうとして――。
「――やあ、ユウリ君。良いところで会ったね」
「げ」
背後からの声に思わず声をあげてしまった。
その声には聞き覚えがあり、そして同時に厄介ごとが舞い込んで来そうだと確信したからである。
「あなたは?」
「おっと失礼。私の名前はルーノ・カイエルと言う」
「ああ、あの」
フレアはユウリの気まずげな表情をチラリと見て、背後に佇む白衣の男へと向き直った。
ボサボサの灰色の髪と、同色のどんよりとした瞳。
この学園で研究者という位置付けにいるその男は、ルーノであった。
「それで君は確か――誰かな?」
「フレア。この学園にいるなら、名前くらい知ってそうだけど」
「残念ながら興味のないことは一切覚えない体質なものでね」
「あら、同感ね」
互いに微笑を浮かべる二人。
微笑ましいというよりは冷ややかなものであったが。
その笑顔を見ながら頬を掻くユウリ。
「で、どうしたんすか。ルーノさん」
「そうだ、よくぞ聞いてくれた!」
このままでは話が進まないと察したユウリはすぐさまルーノに何の用件かを尋ねた。
するとルーノは嬉々とした顔になる。
マズッた、とユウリは苦い表情を心の中で浮かべた。
そして渡される一枚の紙。
「こりゃ……」
「君へのプレゼントさ。頼んだよ」
ニコリと笑う研究者の姿に、溜息を吐きたくなった。
渡された一枚の紙は見覚えのあるもの。つまり依頼書である。
学園にいる間、ユウリはルーノの依頼を受けなければならないことになっていた。
入学前にも一度やらされたが、どうやら二度目の機会がさっそく訪れたようである。
「それは何なの?」
「依頼書。一応傭兵やってるからさ」
「あんた、傭兵なの?」
傭兵、その単語を聞いて少しばかり驚いた顔になった。
いつも済ましたような冷たい表情の彼女であったが、このように純粋に驚くこともできるんだな、と新たな発見を見出しつつ、ユウリは「まあね」と頷く。
「傭兵ギルドに所属してないと、食いっぱぐれるから」
生きるためには働かなくてはならない。
さも当然のこととばかりに口から出たユウリの言葉に、フレアは少しばかり驚いたような顔を浮かべた。
次いで、じぃっとユウリに視線を向け続ける。
「――もしかして俺に見惚れた?」
「なんでそうなるのよっ!」
「あてっ」
スパン、と頭を叩かれた。
思ったよりも強めの一撃にユウリは頭を摩る。
「別に叩かなくとも」
「馬鹿なこというあんたが悪い」
つーんと冷たく言い放たれる。
学園に入学してから幾ばくかの日が過ぎたが、ユウリとフレアの距離はまだ遠い。




