圧倒
模擬戦が始まった。
両者は敵を見据え、駆け出す。
どちらの瞳にも敵の動きを逃さぬとばかりの意思が宿っていた。
「行くぞ!」
レオン・ワードは俗に言う魔戦士に分類される。
しかし通常の魔戦士と呼ばれる者達は、《身体強化》以外の魔術をほぼ使用しない。が、レオンは違う。
一言で言うならば、魔術剣士といったところだ。
抜き放った剣を持つ右手。その反対側の左手から、拳大の大きさを誇る炎の球を発動した。
突き出した左手から発動するのは魔術、《炎球》。
単純な初級魔術であるが、しかし魔力抵抗力がゼロであるユウリが当たればひとたまりもないはず。
そうした狙いを込めた牽制の一撃だった。
「――」
しかしユウリは眉一つ動かさない。
牽制が来ることも予想の範疇だったのだろう。さして驚くようなこともなく、身を屈めてこれを躱した。
余裕を感じるその動きに、レオンの方が眉を寄せる。
まるで無駄な動きがない、スムーズな躱し方だったからだ。
(小手調べで放った技だが、その程度は避けられると)
僅かにユウリの評価を上昇させる。
少なくとも、牽制程度で倒れるような一般人レベルのものではないと。
ならば――。
「ハッ!」
懐に入ってからの一閃。
手に持つ直剣を横薙ぎに振るった。
風を切る鮮やかな剣閃が過ぎ去る。だが対象を斬りつけることなく、その一撃は空振りに終わった。
――躱された。
そうレオンが錯覚したのは手応えのなさを剣に感じた、直後のことだ。
剣を扱うレオンに相対するユウリ・グラール。こちらは単純に剣も槍も持たない、丸腰の状態である。
己の手足を武器として戦う武術家。それがユウリの基本的な戦闘スタイルであるからだ。
レオンの横薙ぎ一閃を身を屈めて躱したユウリは、足にすぐさま力を込めて動きを再開させる。
時間にして僅か一秒にも満たない。その限られた時間において、彼は敵であるレオンの背後へと回り込んだ。
ガラ空きの背中が黒の目に映り込む。
「――シッ!」
右足に勢いを込め、前方に真っ直ぐと伸びる前足。
単純かつ強力な、前蹴りがレオンの背中を直撃した。
「がぁ……ッ!?」
苦悶の声が漏れる。
驚き目を剥くレオンはしかし、なす術なく吹き飛んだ。
その光景に、外野からいくつかの驚きの声と小さな悲鳴が上がる。
(なんだこれは。ただの蹴りの威力じゃない……!)
背中の衝撃があまりにも強大であったためか、受け身を満足に取ることもできない。
ゴロゴロと前を転がっていくレオンは、何とか剣を地面に突き刺してその勢いを殺した。
痛みに呻くレオン。体勢を整えて前を向く。
目の前にはユウリの拳が迫っていた。
「ぐう!?」
それが拳と認識するや、全力で首を傾けて避ける。
耳を掠めて横を通り去る右の拳。
頬に当たる風の勢いを肌で感じた瞬間、当たれば致命的であったことを悟った。
背筋がゾッと冷たくなる。
「ちぃ!」
このまま防戦になれば危ういと思ったレオンは全力で飛び退いて距離を取った。
その時に放った魔術、《炎球》。
牽制程度に放った、当たれば儲け物となる一撃。
しかしこれもユウリは体を逸らすだけで回避して見せた。
二人の距離が数歩ほど踏み込まなければ詰められない距離に届いたところで、静止する。
一人は荒く息を吐き。
もう一人は観察するように視線を細めている。
「ハァ……ハァ……ッ」
「二撃目を躱されるとは思わなかった」
少しばかり驚いたと視線で告げる。
体勢が整う前に放った右の拳が空を切った時は、ユウリも僅かに目を見開いたものだ。
その言葉を受けたレオンの方は堪ったものではないが。
「ふざ、けるな。君の魔力保持量では、まともな魔術は使えないはず……」
「いや、魔術なんて使ってないし。あーいや、《身体強化》くらいは使ってるけど」
首を傾けて、怪訝な表情を浮かべる。
ユウリの言葉通り、まともな魔術など使っていない。使用しているのは《身体強化》くらいだ。
しかしその《身体強化》が問題であった。
ユウリの魔力保持量の低さは魔力測定の時に知っている。彼の異常なほど少ない魔力総量では、質の高い《身体強化》をこうも多用していれば、すぐに魔力切れを起こすはず。
が、ユウリに魔力切れの兆候はまるでない。その事実にさしものレオンも憎々しげな目を向けた。
「君は魔力測定の時に力を隠していたのか……?」
「全然。力の限りを尽くしたよ」
「なら……!」
「あのな。さっきも言ったじゃん。数値で全て分かった気でいると――足元、掬われるって」
ダッと音がする。
地面を強く蹴り、真っ直ぐとレオンに向かって突撃。その光景は、まるで巨大な弾丸が迫ってくるかのようだった。
一歩、二歩目はあまりに素早い動きのため、レオンの瞳にはその姿を追うことがやっとのことで――。
――三歩目でユウリはレオンの懐へと入っていた。
「く――アァァ!!」
目の前へと迫ったユウリに対して、声を荒げてレオンは反応する。
右の手によって操られる直剣。それを反射の行動によって逆袈裟斬りの軌道に乗せた。
敵は拳を武器とする。
つまり丸腰。
剣を防ぐことはできないので、一撃を避けるためには回避行動を取るしかない。
ここまで迫り、今にも拳を突き出そうとする体勢の中ではそれも難しいだろうと判断したレオンの起死回生の一手だった。
が、その予想は見事に裏切られることになる。
「な――」
キンッと甲高い音が木霊した。
何の音か、その答えが目の前の光景として視界に広がる。
剣が、相手の拳によって、弾かれた。
逆袈裟斬りの軌道が上に逸れる。その軌道上にはユウリはいない。何もない。空気をただ切り裂いていくだけ。
体勢を崩したレオンは見た。
己に迫ってくる、大砲のような拳を。
腹部に、衝撃。
「ガバァッ!!」
口から胃液を撒き散らし、飛ぶ。
くの字を形成する体は宙へと浮き、地面を転がっていく。
手に持っていた剣は、もうない。右の手から感触が消えたということは、落としたのだろう。
転がっていた勢いも無くなりレオンが地に伏した時には、消えかける意識を必死に繋ぎ留めながらやっとの思いでユウリの姿を目に収める、という状態だった。
体が痙攣を起こしているかのように震える。それだけユウリの拳には脅威的な威力が込められていたことの表れだ。
(――馬鹿な)
覗き見るユウリの体は決して屈強というようなものではない。
どこにでもいるような一般的な体型の少年だ。むしろ少しだけ線が細いとすら言える。
しかしこの打撃。この威力。
いくら《身体強化》の質のレベルが高いとはいえ、それだけでは説明がつかない。ただの拳にこれだけの威力を込めることなど、よほどの武の達人ならともかく、自分と同じ年頃の少年にできるのだろうか。
何より、レオンは拳を受ける際に違和感を感じた。拳だけではない、もっと別の何かが――。
「なぁ」
「――」
「まだ続けんの?」
「――ッ!」
純粋な疑問。
これ以上は面倒だから、おとなしく降参してくれとばかりの顔。
自身を全く脅威とみなしていないその様子が、レオンの癪に障った。
「――ァァァアッ!!」
起き上がった。
足腰が震えようと。
体が悲鳴をあげようと。
ここで起き上がらなければ、今までの自分の努力を踏みにじられるような気がしたから。
バチバチと音がなる。
レオンは必死の思いで、右手から一筋の雷を撃った。
《閃光》と呼ばれる、一線の雷。
中級魔術に属するその技は威力は多少低い分、速度がある。
魔力抵抗力の低いユウリに対してならば、当てれば十分だと考えた結果。仕留められる確率が最も高いものがこの魔術だとレオンは判断した。
迸る閃光がユウリに迫る。
それを。
「ふん」
軽く息を吐き、鬱陶しい羽虫を払うかのように腕を振るった。
たったそれだけで、ユウリへと一直線に伸びる魔術が弾かれ、軌道を変えて全く関係のない空へと向かっていった。
「は?」
魔術が。
素手で。
弾かれる。
まるで理解できない光景に、レオンが唖然と口を開いた時。
「あ――」
――瞬間、懐の中へと。
駆け寄ったユウリは一瞬にしてレオンと自身との距離を詰めた。
レオンの方は反応できない。ただユウリの捻った腰を、引き絞った拳を、獲物を見据えるその瞳を眺めることしかできないでいた。
一撃は、極限まで伸ばされたバネのように。
唸りを上げて迫る右拳。
視線で追うことすら困難な速度の一撃がレオンの目の前まで迫った時に――。
――衝撃。
拳撃を受けて、レオンの意識は一気に暗転した。
ドッと鈍い音と共に、彼は地面へと叩きつけられる。
決着はついた。
★
「うし」
大の字に転がるレオンに、ユウリは残心を解く。
先の一撃が完璧な形で決まったことにより、彼がすでに起き上がれない状態であることを理解しているからだ。
『――』
ユウリ・グラールとレオン・ワードの試合は、終わってみれば終始ユウリが圧倒していた。
あの"剣皇"子息に、魔力測定において最低値を叩き出した欠陥品が勝利した。その事実に、周囲で見守る生徒の全てが絶句している。
「嘘……だろ」
「ありえない」
ポツリと誰かが呟いた。
誰の口から告げられたものかはユウリにはわからない。なにせ全員が同じように戦慄した目をユウリに向けているのだから。
ふと辺り一面に目をやると、奥の方で模擬戦を見ていたであろうフレアと目があった。
彼女もそれなりに驚いているようで、目を見開いている。
しかし他の者に比べれば、幾分も冷静だと言えるだろう。
「レオン・ワードが、負けた……?」
「相手はだって、あの"欠陥品"って呼ばれてる奴じゃ――」
彼女以外の生徒は、それこそあんぐりと口を開けることしかできないでいた。それらの様子を眺め見て、なんとも居た堪れない気持ちになるユウリは、頬をポリポリと掻く。
「――えと。終わり、っすよね?」
いつまで経っても声がかからない。
ゆえに軽く手を挙げて質問するように立会人であるズーグの方へと視線を向けた。
「あ、ああ。そうだな」
どうやら彼の方も顔色を驚愕に染めていたらしい。
声をかけられ、教師はやっとのことで硬直を解く。
こほんと咳払いを一つして、右の手を掲げた。
「勝者、ユウリ・グラール!」
堂々と宣言される。
しかし、歓声はおろか。拍手の一つとして上がらない。
全ての生徒が、目の前で起きる受け入れがたい現実から目を背けるように、唖然と動きを止めたままであった。
「……ユウリ・グラール。悪いとは思うが、レオン・ワードを治療室まで運んでやってはくれないか?」
沈黙が降り立つその場の中、バツの悪そうな顔でズーグが言った。
ユウリは言葉を受けて、地面に転がるレオンへと目を向ける。
苦悶の表情のまま気絶している剣士の少年。確かにこのままにしておくことは気が引けた。
「了解。じゃ、運んで来ますわ」
意識のない彼の腕を肩に回し、担ぐ。
そのまま静かな訓練場を後にするように、ユウリは歩きだした。
『――』
彼の背中を凝視するのは生徒一同。
皆一様に、様々な感情を抱きながら。
圧倒的な力を誇示した少年の姿が消え去るまで、じっと見つめていた。




