黒の勇者
事件解決から一週間が経過した。
結論から言えば、山中都市レガナントの奪還は成功したと言える。
”汚染”の悪夢から解放された人々は、さっそく山中都市レガナントの奪還作戦を進めるための準備を整え始め、王宮騎士団の到着を待った。
蒼翼の騎士団が麓町バーベルへと到着したのは、それから五日後のこと。
予定より若干早い騎士団の到着に人々は歓喜しながら、今までの不満を爆発させるかのように隊列を組み、作戦を立てて、山中都市レガナントの地へと足を踏み入れた。
元々山中都市を放棄しなければならない理由が岩竜ガルベグルスの存在と、”災厄の使者”の”汚染”と称されるゾフィネスの脅威が大部分を占めていた為、本職の騎士団が到着してからは実にスムーズに山中都市の奪還作戦が進行した。
都市の中に巣くっていた魔獣が完全に討伐されたのは、それから半日近くが経った頃。
次の日には騎士の案内のもと、レガナントの元々の住人達は自らの故郷の地へと足を踏み入れることが叶った。
それから二日後。
多くの傷跡が残ったレガナントであったが、今は復興の兆しを見せ始めている。
これが丁度、事件解決から一週間が経過した時期であった。
「――ふぅ」
時刻は正午を過ぎた辺り。
そろそろ昼食を取る頃かと、ユウリは石造りの段に腰を落ち着けた。
「やぁー、たった二日でだいぶ街も回復してきたなぁ」
配膳として配られている握り飯をパクつきながら、復興途中の街の風景を眺める。
多くの人間が声を張り上げながら、崩れた家を建て直し、砕けた街の通りを舗装している姿が視界に映った。
街の住人だけではない。傭兵ギルドから公式の依頼として都市の復旧作業が命じられた以上、半ば強制的に傭兵ギルドのライセンスを持っている傭兵達もコキ使われている。
またルグエニア学園の実地研修監督者であるスイ・キアルカの名のもとに、この山中都市に配属された学園の生徒達も働くように指示された。これには教師であるマリウスも含まれており、「どうして僕がこんなこと……」と愚痴を漏らしている姿をよく目にする。
ちなみに傭兵であり、学園生徒であるユウリは人一倍多く働かされていることは言うまでもない。
もちろん不満たらたらで、事あるごとに人目に付かないところで休憩時間を多く取っていることは誰にも言っていない秘密であった。
「――」
快晴の空の下。
カンカンと木造の家を建て直す音が良く聞こえる。
赴きある風土を誇るレガナントは呆気なく崩壊してしまったが、再生も早いようで元の風景を取り戻しつつあった。
瓦礫の山から少し離れたところに視線を向ければ緑もいくつか残っている。
早ければ半年ほどで元の風流をまた拝むことができるかもしれない。ふと、そんなことを考えた。
「――ッ」
突如、右腕に痛みが走る。
「まだ痛むのか……。いい加減しつこいな」
じろりと、骨が軋むような痛みを発した右腕に視線を落とした。
グルグルと巻かれた包帯。それが目に付く。
「確かにあの衝撃だもんな。こうなることは最初の一撃で予想できていたけど」
痛みの正体は、ユウリの固有魔術――魔衝波の反動から生まれた傷によるものだった。
圧倒的な威力を誇るユウリの魔衝波は相手だけでなく自分にも相応の衝撃を招くものらしく、フレアを連れ戻す際に対峙した魔獣ベーグルスに試運転の一発、”汚染”ゾフィネスに全力で叩き込んだ一発の合計二回の反動により、筋肉が断裂していたとのこと。
中でも二発目のゾフィネスに放った魔衝波は過分な魔力が込められていたようで、こうして治癒魔術師の世話になったというわけである。
「二発で右腕が使い物にならなくなるって……。使いどころ難しいな」
ついでに言うと、三発目を放てば骨が粉砕するとも言われた。
ユウリの中でもやっと習得できた決め技たる魔術であるのだから、もっと素直に喜びたかったと溜め息すら吐きたくなる。
「はぁ」と溜め息を落として、包帯を巻いた右腕で懐をガサゴソとあさくった。
「――あった。これこれ」
取り出したのは一つの魔導機器。
小型サイズのそれは内部に魔術式が刻まれており、必要な魔力を込めれば生活魔術の《火打》を発現する代物だ。
要は、簡単に火を起こすための携帯用の魔導機器である。それにゆっくりとユウリは魔力を込めた。
けれど魔術は発動しない。
理由はわかりきっている。ユウリの魔力総量が魔術を起こすための最低量に満たしていないからだ。
「やっぱり駄目だな」
「――なんというか。生活魔術すら発動できない魔力総量って虚し過ぎますわね。欠陥魔術師と言われる所以をすごく実感しますわ」
「ん?」
声がかかったので振り返る。
いつの間にやら背後にて、見知った少女が可哀想なものを見るような目をこちらに向けていた。
「なんだフレノールか。どうした、こんなところで」
「だから私の名前はフレノール・メルドリッチ――って今回は間違わないのですの!?」
「え、あーごめん。それで何か用? フレバートル」
「無理やり間違わなくてよろしい! わざとらし過ぎて不自然ですわ!」
相も変わらず開幕早々からぷりぷりとユウリに叱咤の言葉を向けている。しかしこれが彼女なりのユウリに対する挨拶なのだと最近になってようやく理解し始めてきた。
「ハァー……。でも、本当に魔術が使えないんですのね」
「最初から言ってるじゃん」
「それでも疑いたくなりますことよ。”黒の勇者”さん?」
「うぐ……っ。次からその呼び名を使うの禁止な……」
「あらあら。とっても素敵な呼び名じゃないですの」
クスクスとフレノールは笑う。
どこか小馬鹿にされた印象を持ったユウリは、不貞腐れたようにぷいっと顔を背けた。
”黒の勇者”。
それは災厄認定されていた”汚染”を仕留めたという、勇気ある少年に贈られた彼の呼称である。
「”黒の勇者”、ねぇ」
鼻から息を流しながら、懐に仕舞ってある傭兵ギルドのライセンスを徐に取り出した。
視線をそれに向けると、見慣れた銀色のライセンスはそこには存在せず、今では金の輝きをユウリの瞳に送り込んでいる。
一番上に記載されてある文字は『A級傭兵、ユウリ・グラール』。
危険度A+級すら超える災厄を退けたユウリに、傭兵ギルドが下した決断はライセンスAの称号を彼に譲り渡すというものだった。
「今じゃ、この都市のどこもかしこもあなたの噂で持ち切りですことよ。誰にも――それこそ王国最強を誇る”剣皇”すら成しえなかったことを成し遂げた英雄ってね」
「それが生活魔術の魔術式すら発動できない欠陥魔術師なんだから、笑いものだよなぁ」
隣に腰をかけるフレノールの言葉に対して、ユウリは「あははっ」と呑気に笑い声を上げる。
けれど、そこに後ろ暗い感情は残されてはいない。
「欠陥魔術師、というもの。もう気にしていないんですの?」
「気にはしてるさ。俺が目指すべき場所を塞ごうとする、障害みたいなものだから」
現実を目にして、気にしないとは言わない。
「でも。これを乗り越えてでも俺は先に行く。そう決めたんだ」
「――」
掌を頭上に掲げて。
ふわり、とユウリは己の右腕に魔力を溢れ出させた。
【収束】の魔術式を込めただけの、ただの純魔力。しかし青白い色をしたそれらは、かなり濃密な魔力が込められていることがわかる。
「強い、ですわね」
「まあね。かなり高密度に集中させた魔力だからさ」
「いえ、その魔術もそうですけど。あなたが、ですの」
「――」
横に視線を送った。
どこまでも真っ直ぐと。
真剣な表情のフレノールの表情が伺える。
「もしも。もしもワタクシがあなたと同じ体質を持っていると考えたら、ゾッとしますわ。最低限の生活魔術も使えない、魔導機器も扱えない。魔術なんてもっての外。そんな状態で生きていくことを、ワタクシは想像できませんもの」
「――」
「誰かの手を借りなければ生きていけないような、本当に、四肢を捥がれたに等しい状況。なのにあなたは真っ直ぐと目標に向かって歩いている。普通の人はそんな風に、足掻けないですわよ」
「やぁー、流石に買い被りすぎだって。俺もこれまで諦めてたし……」
「いいえ、あなたは足掻いていた。いつだって。じゃなければ、あなたはこの結果を生み出すことができなかったとワタクシは思ってます」
「ほら」と。
フレノールに指を差されて、その方向に目を移す。
人々が働き、レガナントを復旧させていく光景が広がっていた。
「あの中の何人が、”汚染”の悪夢に晒されていたと思いますの?」
「――」
「あの中の何人が、家族、友人、恋人、大切な人達を”汚染”により失いかけたと思いますの?」
「――」
「ワタクシは、それをバーベルで何度も目にしましたわ」
言葉を募らせるフレノールの目の端には、涙が光っていた。
「知っております? あの時、私達の学友の何人かが”汚染”を受けていたこと」
「いや……」
「ワタクシの従者――メルクレアだって汚染に晒されていた。その姿を見るだけでも、ワタクシは辛かった」
力なく、そう言葉を溢す。
無力感に苛まれた時の自分と同じ、陰鬱な雰囲気を醸し出した表情だ。それがあの時の自分と酷く重なる。
だから、問いかけた。
「フレノールはさ。どうしたかったんだ?」
「――え?」
突然の言葉に、しばし呆けた顔をフレノールは晒す。
けれどユウリの言葉の意味を理解した彼女はしばしの時間、考えた。
「ワタクシは……メルクレアの力になりたかった」
「そか。なら、次はどうすれば力になれるか考えればいい」
「どう、すれば……?」
「ああ。考えて、考えて、それでも考える。今、何ができるかを」
幾度となく、己に言い聞かせてきた言葉でもあった。
欠陥魔術師である自分はどうすれば身を守れる程度に強くなれるのか、どうすればさらに高みへと目指すことができるか。ずっと、ずっと考えてきた。
そして今、ユウリはここにいる。
「そしたらさ。見えてくるものがあるんじゃないかなぁ、って思う」
「――ふふっ。あなたが言うと、嫌に説得力がありますわね」
「当たり前だっての。伊達に生まれてから欠陥魔術師やってないっすわ」
「それ、自慢できることではありませんよね?」
少し呆れたような表情をしながらも、しかし彼女のユウリを見る瞳はどこまでも穏やかな色が含まれていた。
「ユウリ・グラール」
「ん?」
「ありがとう。あなたに出会えて、本当に良かった」
「――」
穏やかな微笑と共に、貴族である筈の彼女が頭を下げる。
いつもなら何かしら当たりの強い言葉をかけてくる彼女から、こうも素直に礼を言われると思わずユウリも少し照れくさい感情が胸中に訪れる。
「別に、礼を言われるほどのことでもないよ」
「ふふっ。あなたらしいですわね。では、そろそろ時間なのでワタクシは持ち場に戻ります」
「そっか。もうそんな時間か」
言われて気付いたことだが、すでに昼食のための休憩時間が終わりに差し掛かっていた。
どうやら存外、このフレノール・メルドリッチという少女との会話の時間があっという間に過ぎていくほど、弾んでいたとも言える。
「それではごきげんよう。また会いましょう」
立ち上がり、彼女は歩き出した。その際に、ポイッとユウリに向かって葉包みされた何かを渡される。
「それは差し入れですわ。では失礼」
優雅な歩き方で、颯爽と去っていった。
彼女のどこか凛とした佇まいの背中を追いながら、渡されたものの包みを捲る。
「――握り飯、か」
配膳として配られているそれは、一人につきもらえる個数が二つと決まっている。
つまり彼女は自分の昼食の半分をユウリに渡したということだ。
「感謝は飯の恩と相殺ってことで」
独り言を漏らしながら、もらった握り飯を口に含む。
自分が先ほど胃の中に流しこんだものよりも、ゆっくりと。味わうように。
塩っ気の少ない握り飯の筈なのに、貰ったものの方がとても美味しく感じられたのは、果たして気のせいだろうか。ユウリはその不思議の答えが出ぬまま、満足げに握り飯を平らげていった。




