終幕
全てを消し飛ばしていったユウリの魔術、魔衝波。
岩石人形は跡形もなく粉砕され、周囲の岩々も被害を被っている。
"汚染"ゾフィネスもまた、遠くの岩石に背中から激突してそのまま動かなくなった。
「――」
あまりにも圧倒的な光景。
生み出したユウリ本人ですら、あまりの威力に閉口している。
同様、フレアもまた絶句せざるを得なかった。
「終わった、か?」
ポツリとユウリは呟く。
次いで、がくりとその身を落とした。
「ユウリ!」
ゾフィネスが倒れたことにより、呪術が解けたフレアはすぐさま彼のもとまで走り寄る。
見た所、荒い息を吐きながらもユウリの体に目立った傷は存在しない。
無事な様子に安堵したフレアは、ホッと胸を撫で下ろした。
そして。
「この、大バカッ!!」
「痛ッ!?」
パコンッと、クセのある黒髪が生い茂った彼の頭部を思いっきり叩いた。
「なに一人でここまで来て、無茶してるのよ!」
「いや、一人でここまで来たわけじゃないんだけど」
「言い訳無用!」
パコンッと二発目が見舞われる。
それなりに強い力を込められているため、涙目になる程度には痛みが走った。
けれどそれで止むことはない。
何度も、何度も。
ユウリの頭をフレアは叩く。
「痛ッ。ちょ、待って」
「やだ」
「嫌だ、って……いや、ほんと、待って」
「やだ」
何度も、何度も。
「心配、かけさせないでよ……」
「――」
気付いた時には。
彼女から抱擁を受けていた。
「ありがとう」
「――」
「ありがとう……」
「……まっ。飯の恩、返せてなかったかんな」
抱擁を振り解くことはしない。
ギュッと握り締めてくる彼女の背中を、ゆっくりと撫でる。
あの"汚染"の悪夢を、この少女はたった一人で抱え込んで来た。それがようやっと解放されたのだ。
今の彼女の気持ちは、彼女自身にしかわからないだろう。
しばしの。
しばしの静寂が降りる。
「……落ち着いた?」
「……うん」
「そか」
ゆっくりと温もりが離れていった。
ふんわりとした彼女の甘酸っぱい香りが消えていくことに、若干の名残惜しさが胸に去来する。
同時。
潤んだフレアの視線が、ユウリの視線と交錯した。
幾ばくかの時間、そのまま見つめ合うことになる。だが、少しの照れ臭さを感じたユウリはその視線からぷいっと目を逸らした。
「やぁー。とりあえずさ、一緒に戻ろうか」
「戻る? 街にってこと?」
「いや、もちろんそれもあるけど。今もまだエミリーさん達がガルベグルスと戦闘中のはずなんだよな」
よっと、と。
ユウリはその場で立ち上がる。
ふと、違和感があった。
「……? どうしたのよ」
「音が、止んでる」
疑問に対して、ユウリは呟くように答えを返す。
先の静寂の時間、ガルベグルスが暴れる音が消えていた。
あの巨大な竜種が生み出す一つ一つの挙動には、どれも大きな衝撃が音となって周囲へと響き渡っていくはずである。
それが止んでいるということは、すなわち――。
「――」
都市の中心部の方へと視線をやる。
魔獣が暴れまわり、もはや都市としての姿を失いかけているレガナントの中で。
「――あれは」
危険度A+級。
出会ったら最後とまで言わしめる、竜種の一角。
岩竜ガルベグルスの首が、両断されていた。
★
チン、と。
スラリと伸びた一振りの剣が、腰に掛けられていた鞘に収められる。
次いで、ゆっくりと落ちていく岩竜の頭部。
数メートルの位置から落下したガルベグルスの頭部は、音を鳴らして地面へと激突した。
「――」
唖然と。
ただ唖然と。
あまりにも突然すぎる光景に。
レオン・ワードも。
スイ・キアルカも。
マリウス・ディークライトも。
エミリーすらも。
四人ともが、体に力を入れることなく呆然と、一人の男の背中に視線を向け続ける。
「なぜ。なぜあなたがここにいる」
やっと。
いち早く我に帰ったマリウスが声を絞り出した。
彼の声を皮切りに、他の者もまた我に帰り始める。
もちろん現状を未だ理解できないまま、しかし目の前の男が何者であるのかは全員が心得ている。
「父、上……?」
中でもレオン・ワードは、特に男のことについてを知っていた。
なぜなら岩竜ガルベグルスを一閃にて沈めた男は、レオンの実の肉親であるのだから。
「"剣皇"、レオナール・ワード」
「"剣皇"か。あまり僕をその名で呼んでくれるな」
ルグエニア王国、最強の騎士。
剣の頂に登り詰めた、二対の剣の片割れ。
"剣皇"――レオナール・ワード。
王宮騎士団たる蒼翼の騎士団の総隊長。
彼の早すぎる到着が、この戦闘の幕を強制的に閉ざすこととなった。
★
そこからの流れは、まるで時間の早さが倍速で流れているかのように一瞬にして過ぎ去っていくこととなる。
まず、"汚染"を打破したユウリとフレアの二人は急ぎガルベグルスの死体のもとまで向かった。
「みんな無事か?」
「――ユウリ!」
「帰って来たようですね」
彼らの姿を目にして、声を大にしたのはレオンである。もちろん他の三人もそれぞれの声を漏らしながら、ユウリのもとまで駆け寄った。
所々に傷が見られたが、目立った外傷はない様子の二人。そのことにまずは一同がホッと胸を撫で下ろす。
「どうやら無事にフレア君を連れて逃げだせたようだね。よかった」
レオンの次に声をかけてきたのは、マリウス・ディークライトだ。どこか安堵したような表情を一瞬だけ浮かべた後、すぐさま表情を真顔へと戻す。
「なら長居は無用だ。"汚染"が来る前に早くここを抜け出して――」
「あー、そのことなんですけど」
「なんだい? あまり時間がかからないと嬉しいけれど」
「やぁー、その。"汚染"、討伐しました」
「――は?」
あまりにも突然の、突拍子のない言葉にマリウスの思考が停止した。
「討伐、ですか? 逃げ出せた……ではなく?」
驚かされたのはスイも同様であった。
確かに、ユウリに勝算を感じたからこそ彼をゾフィネスのもとへと向かわせたのだが、それはあくまでフレアを連れ戻すということを自分達の勝利と置いたものである。
A+級よりも危険度が高いとされる"災厄の使者"は、単純に考えるなら四人でも足止めに徹することがやっとであった岩竜よりも脅威であるとすら言える存在だ。
それを討伐した。
ユウリはこの言葉を簡単に口にしているが、それがいったいどのような意味を含んでいるかを完全に理解していないだろう。
「本当なのですか、フレアさん」
「ええ。ユウリが"汚染"を倒すところを、この目でハッキリと見たわ」
神妙な顔つきで、フレアは縦に首を振る。
ユウリ一人であれば、呪術でも受けて妄言を口にさせられているのではとさえ疑うほどだが、加護持ちたる彼女まで断言するのであれば間違いない。
ユウリ・グラールは、"汚染"ゾフィネスを討伐した。
「すげぇーッじゃねぇか!」
「うわっと」
ユウリの肩に手を回すのはエミリーである。
彼の言葉を疑うことなく、大はしゃぎで体を振り回す彼女の様子はいつも通りの一言に尽きた。
どこか安心して、またげんなりもユウリ。
「――本当に、倒して来たんだな」
レオンもまた、真っ直ぐとユウリの瞳を見据えた。
彼こそが、一番ユウリを信頼しながらこの場から送り出した者だと言えるだろう。それをユウリもまた知っている。
「ああ。約束は守った」
「そうか。色々聞きたいことがあるが、今は止めよう。ゆっくり休んでくれ」
ふっと優しげな笑みを浮かべて、彼はユウリの肩に手を置いた。
戦いの疲労を労わる気持ちがレオンの手の温かさから感じられる。だからこそユウリも、彼にニッと子供のような笑みを見せた。
「――話は終わったか、レオン」
凱旋のような一幕に、一つの声が差し掛かる。
金色の髪と碧色の瞳を持つ、華やかな男だった。
堀の深い顔つきは大層女性受けがいいことを予想させるもので、肌の色は男性であるにも関わらず、女性のように白い。
纏っているのは蒼色の鎧。鎧の中では軽装に分類される、防御能力よりも動きの阻害をなくすことに重点を置いた形をしている。
容姿も、雰囲気も。
男は限りなくレオンに似ていた。
「――誰?」
「ああ、君は知らなかったな。僕の父上だ」
「レオンの……ッ。てことは」
「おそらく君の予想通りだろう。僕の名はレオナール・ワード、王宮騎士団たる蒼翼の騎士団の総隊長に就かせてもらっている」
やはり、とユウリは視線を細めた。
目の前の男が"剣皇"と名高い最強の剣士。
それこそS級傭兵と同格の力を持っているとされている。
「なるほど」とユウリは理解した。
この男ならば、いかに竜種といえども討伐することなど容易いだろう。
「立ち話に花を咲かせたい気持ちは僕もわかるが、ここはいったん街に戻ることをお勧めするが、如何か。少しここでの騒ぎが大きすぎたようだ」
「――」
言われて気付く。
ガルベグルスを仕留めたことによって、脅威を感じてこの場から離れていった魔獣達の雄叫びが。
このままではほぼ間違いなく、大量の魔獣が集結するだろう。
「流石の僕でも、魔力と体力を過分に消耗した君達をあの数の魔獣から守りきることは確約できないのでね」
「その通りですね。とりあえず今は急いで戻りましょう」
レオナールの言葉にスイも頷く。
マリウスも、エミリーすらも。
「蒼炎の少女も、それでいいか?」
「――ええ」
ただ一人、フレアにだけは意味ありげな視線を向けたが。彼女もまた何かしらの意図を含んだ瞳をしながら頷いていることから、ユウリは彼らが知り合いである可能性を悟る。
ともあれ長居できない現状は、そのことについて聞くことも躊躇われた。
「うし。なら、帰るか」
言葉と共に、ユウリは手のひらに拳を打つ。
乾いた音が鼓膜を揺らし、それが合図となって各々が移動を開始した。
こうして一連の事件は解決する。
しかし事件の被害は尋常なく大きいものだと言えよう。
人は死に、街は崩れ、絶望の芽を残した。
それでも。
人々の中に眠る一握りの希望を花咲かせたのは、一人の欠陥魔術師による勇気ある行動が元であった。




