模擬戦
昼休みも終わり、授業は後半へと移る。
校舎全体が授業を行う中、第一学年、獅子組は校舎内にある第一訓練所に集まっていた。
「それではこれより、魔術戦闘理論の授業を開始する」
今回の授業は、獅子組の担任であるズーグが直々に教えることとなる。
授業内容は――魔術オリエンテーション。
「今から行うことは、魔術師とはいかなるものかの再度説明だ。そのあとは各自二人一組となって実践形式の模擬戦を行ってもらう」
ズーグは周囲を見る。
訓練場のど真ん中に立つズーグを、生徒が囲むようにして座っている。それを確認した彼は言葉を続けた。
「まずは魔術師というものについて。これは魔力を用いて魔術式に変換し、そして魔術式を掛け合わせて魔術を形成する者のことを指す。昔は遠距離攻撃を得意とする移動砲台と言われていたが、最近では近接戦闘もこなす魔術師が大部分を占めている」
そこまで言い終わった時、ズーグは右手の平を宙へと差し出す。
すると、その手の平から炎が燃え上がった。
「ここで一つ、魔術の知識の確認をしよう。魔術を形成するプロセスは、魔力から魔術式、魔術式から魔術という過程を必要とする。今、私が発言した魔術であるこの炎には【炎】、【収束】の二つの魔術式を用いている」
ユラユラと蠢く炎。
炎は魔術でできているからか弱まることを知らず、ただただ燃え続けている。
それを発生させるズーグはしかし、気にすることなく言葉を再開させた。
「魔術を計算学に例えるとすると、魔力は数字、魔術式は公式、魔術は計算学の最終的な答えだ。魔力という数字を用いて、魔術式という公式を作り、そして公式をいくつも並び立てて自分の求める答えを出す。それが魔術である。この計算学用法は魔術を説明する上では非常に重宝されるのは豆知識として覚えておいて損はない」
そこまで話した時、ズーグの手の平で踊っていた炎が一気に消えた。
それまで弱まることのなかった炎が、まるで霧散するように存在を抹消される。
その現象に、しかし生徒は驚くようなことはしない。
原因が何かを理解しているからだ。
「そして魔術を使用するにあたり、必ず必要な魔術式がある。それが何かは、そうだな。ステラ・アーミア、答えてもらおうか」
名指しでの指名。
ステラ、その名前に聞き覚えのあったユウリはピクリと反応する。
それは先ほど食堂で会った少女の名前ではなかったか。
「はい。それは、【収束】の魔術式だと思います」
「正解だ。まあ、この学園に入学している以上は誰しも知っていることだろうが。ステラ・アーミア、ご苦労だった」
蒼い少女の言葉にズーグは頷いた。
労いの言葉はあったが、しかし知って当たり前という態度をズーグは見せる。しかし周囲もそれが当然といった表情をしていた。
それだけこの知識は魔術を運用するにあたり、必須のものだという証拠である。
「先ほど炎が消えたのは【収束】の魔術式の効果が切れたからだ。魔力というのは大気に含まれる魔素に接した瞬間、すぐに霧散してしまう性質がある。体内で魔素は魔力と変わるが、体外に出てしまえば逆に魔力は待機中の魔素と結合してしまい、魔素に戻って霧散してしまう。だから先の炎は消えたわけだが――」
言葉を切って、ズーグは力強い視線を言葉と共に生徒へと向けた。
「この【収束】の魔術式は体外に出た魔力が魔素とならないように繋ぎとめる役割を担っている。だからこの【収束】の魔術式が組み込まれていない魔術は体外に出た瞬間すぐに霧散してしまうため、役に立たない。つまり【収束】の魔術式が組み込まれていない魔術は、魔術としての機能を果たすことなく消えることになる」
要するに、魔術を使用するためには必ず【収束】の魔術式が必要であるということだ。
でなければ、魔術が体外に出た瞬間に魔力と魔素とが結合して霧散してしまう。
ゆえに必須の魔術式。これがなければ魔術は魔術としての形をなさないとすら言われるほどだ。
「ちなみに、予備知識として二つほど教えておこう」
再度、ズーグは手の平を出す。
しかしそこから出現したのは、先ほどのような炎ではなかった。
青白い、ユラユラと揺れる実体のない何か。
まるで実体のない火の玉を思わせるものだった。
「これは【収束】の魔術式だけを組み込んだ、いわば純魔力だ。魔力というのは霧散しなければこのような不安定な形状をしている。これが一つ目」
そして青白い火の玉のような揺れる物体は霧散する。
【収束】の魔術式の効果が切れたのだろう。
「そして二つ目だが。一度体外に出してしまった魔術には干渉できないということ。先ほどの炎も、今出した純魔力も、どちらも新たに魔術式を書き加えることはできない。だから魔術を発動した後になって、【射出】の魔術式を加えて前方に飛ばすこともできなければ、【回転】の魔術式を加えて動かすこともできない。それがしたければ、体外に出す前に最初に魔術式を魔術に組み込んでおかなければならないということだ」
そこまで言った時、「さて」とズーグは話を変えた。
「私や諸君らのように魔術を使うことを生業とする――魔術師については先ほど言った通りだ。だが、この魔術師の中にも二種類のタイプが存在することは知っているな?」
ズーグは生徒を一望した。
「もちろん知っているとは思うが、一応説明をしておこう。魔術師は魔術を主に扱う純粋な術師タイプと、肉体を強化する魔術、《身体強化》を用いて戦闘をこなすタイプの二つに分類されている。特に後者は魔戦士などと呼ばれているが、今の時代は生粋の魔術師よりも魔戦士の方が数が多い。それがなぜかは皆もわかるだろう」
理解して当然。
わかっていて当たり前。
そのような視線が周囲へと飛ばされる。
「一応説明すると、魔戦士の方が消費する魔力が格段に少ないからだ。肉体の一部を必要な場面だけにおいて強化する《身体強化》は、常時使うのでなければとても魔力の消費量は少ない。もちろん必要な瞬間、その一瞬にだけ《身体強化》を使用するほどの猛者になるには恐るべき訓練を経ていなければ厳しいだろうがな」
単純な話である。
《身体強化》という魔術は魔力消費量が少ない。
しかし十秒間ずっと《身体強化》を肉体にかけ続けることと、相手へと攻撃が当たるそのインパクトの瞬間だけ肉体を強化するのでは、魔力消費量が少ないのは明らかに後者の方だ。
魔戦士と呼ばれるタイプの者達は主に魔力保持量が少ない者がなりやすい傾向にある。それは《身体強化》の魔術は通常の魔術に比べて魔力消費量が少ないから。というよりも、普通の魔術よりもより細かく魔力消費量を配分することができるからだとも言える。
こういった理由から、魔力消費量のペース配分が上手い、つまり肉体強化の時間を少なくできる魔戦士は優秀だとされている。
「しかしこの《身体強化》というのは何も魔戦士だけしか使えないわけではなく、むしろ魔力保持量を多く持つ生粋の魔術師の方が有利とされる。言ってしまえば魔戦士というのは《身体強化》特化の戦闘職。純粋な魔術師はオールラウンダーに戦える戦闘職とも言える」
「もちろんあらゆる物に手を付ければ、それだけ器用貧乏になる可能性が高いがな」と、ズーグは続けた。
ぼかしこそしたが、つまり魔戦士にできることは魔術の扱いを主とする純粋な魔術師にもできるということ。
魔導社会と呼ばれるこの時代では、どうしても魔戦士の立場が魔術師の括りの中でも低くなってしまう現状がある。
もちろんそれだけが全てと言えるわけではないが、魔戦士は生粋の魔術師に対して嫉妬の感情を向けることが多い。
「さて、説明は以上だ。ではこれより実践形式の模擬戦を行ってもらう」
一連の説明を終えて、今からが本番だと言わんばかりにそう声を上げた。
「この模擬戦は自分のクラスのレベルがいったいどこにあるのか、自分自身がどのレベルにあるのかを知ってもらうための、いわばオリエンテーションとも言える。下位にいるならさらなる努力を、上位にいるならその誇りを忘れることなく精進を、ということだ」
そこまで言って、ズーグは「では散ってもらおう」と手を挙げる。
ここは第一訓練場。存分に実戦を行ってもらうためにも、周囲を囲む生徒達に距離を空けるようにと促した。
生徒達は担任教師の声を聞き、素直に散開していく。
全ての生徒が散らばった時、生徒が囲む中は人と人とが模擬試合を行うには十分な円が出来上がった。
「では一番最初はそうだな――」
視線を周囲へと回す。
ズーグが生徒一人一人を眺めていき、そして記念すべき第一組のメンバーを決めた。
「まずはレオン・ワードにやってもらおう。対する相手はユウリ・グラールだ。両者、異論はないな?」
名前を言われた。
ユウリは少しばかり驚くと同時に、面倒臭げな表情を浮かべてしまう。
チラリとレオンの方を覗けば、視線を鋭くさせていた。
同時に腰にかけている剣の柄を握っている。やる気は上々というところか。
「異論はありません」
「……了解」
レオンは堂々と。
ユウリは釈然としないまでも仕方がないとばかりに。
両者の答え方にはかなりの違いがあったが、返答は共に了承のものだった。
前に来るようにと促された二人はそれぞれ生徒達が形作る円の中央へと歩み寄る。そこでユウリは周囲の反応を少しばかり伺った。
「いきなり獅子組トップクラスの戦闘が見られるのか」
「魔力測定の時にあれだけの結果を残したからな」
「"剣王"の息子だから、それも当然とは思うけど」
「というか相手のユウリって奴、大丈夫なのか?」
「確か魔力測定最低値のやつだよな……」
「この模擬戦はすぐに決着が着きそうだな」
ざわめきがユウリの耳へと入ってくる。
どうやら期待の視線はレオンにのみ浴びせられているようだ。それも当然か、魔力測定においてレオンとユウリの間に隔たっている壁はあまりにも大きい。
ユウリに向けられる視線は精々、憐れむものや嘲笑を含んだもの、まるで興味の対象ではないと言わんばかりのものだった。
「――」
「――」
生徒達の前へと出た両者は向かい合う。
視線と視線が交錯した。
「まさか君と当たることになるとはな」
「こっちも驚いてる。なんだかんだで関わることになるよな、お互い」
「僕としては非常に不愉快だがな」
呑気な口調で、軽く宙にてヒラヒラと手を振る。
対するレオンは鋭い視線を崩さぬまま、剣の柄を握る手に力を込めた。
「ともかくやれと言われたからには全力を尽くさせてもらう。安心していい、数秒で終わらせる」
「ほうほう。自信満々というところですか」
「当たり前だ。鍛錬を怠り、魔力測定において最弱を叩き込む君に負けるはずもないだろう」
ふん、と鼻を鳴らしてレオンは言う。
彼の中ではもはや、ユウリに対する評価は限りなく低いもののようだ。
警戒するでもなく、自身の勝利を疑ってはいない。
「魔力測定値ねぇ」
「ああ、そうだ。あれはつまりどれだけ自分自身が鍛錬を行ってきたか、その結果を示すためのものだ。そこであのような結果を残す君に、僕が負ける道理はない」
はっきりと宣言する。
ここまで言い切られると、むしろ清々しさを感じるほどに。
「ふぅん。なるほど」
「――二人とも、話はそこまででいいか?」
二人の会話にズーグが声を差し込む。
授業も時間が限られているため、そろそろ模擬戦を始めたいのだろう。
レオン、ユウリ、どちらもが肯定の意を込めて沈黙を返した。
ズーグはそれを見て、頷く。
「それでは始める。双方、構え!」
ユウリは腰を落とし。
レオンは剣を抜き放つ。
周囲の時間が止まったかのような錯覚すら覚えさせる中。
「――開始!」
模擬戦が始まった。




