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私は逃げた

読んでくれてありがとうございます。

「陛下、聖女様の意識が戻りました」


 リスルがヴィオラム様を呼びに来たので、私は「いってらっしゃいませ」と手を振った。

 僅かに目を見開いた後、ヴィオラム様は頷いた。


「行ってくる」


 少し嬉しそうに見えたのは、聖女が目を覚ましたからだろう。あの優しい眼差しも、これからは聖女様に向けられるのだ。

 ヴィオラム様が去った後、私は侍女に服を用意してもらった。見たことのないドレスだった。


「ドレスは全て陛下が新しく作られたのですよ。アルティナ様は可憐でいらっしゃるから衣装部屋はとても色とりどりの明るいドレスでまるで花畑のようです」


 花畑で花を摘む少女のような顔で侍女達が教えてくれた。


「昨日着てきたドレスを用意してください」

「ええっ、昨日のドレスも素晴らしいものですけど……」

「無理を言ってごめんなさいね」


 ガッカリした侍女達に悪いことをしてしまった気がする。


「いえ、アルティナ様が望むようにと命令を受けております」


 王宮の侍女は皆優秀で、何か理由があるのだろうとドレスを着せてくれた。扉を開けると、そこには見知った顔の騎士と侍女長が立っていた。


「侍女長、マルガル様も、どうしてここに――」


 近衛騎士のマルガルは思い詰めた顔をしていた。聖女のことを聞いて私にどう接すればいいのか迷っているのだろう。

 侍女長は私のドレスを見て目を瞬いた。


「アルティナ様の護衛をと思い……」


 マルガルはヴィオラム様と同い年で、一緒に学院で学んだ仲だそうだ。ヴィオラム様からもいい友達だと聞いている。


「まぁ、お話は聞いてらっしゃるのでしょう? 私、これから公爵家が賜っているお祖父様の部屋に行って、家に戻るのです。護衛はいりませんわ」

「アルティナ様、もし! もし何か私がお手伝いできることがあったら――なんでも、なんでも言ってください!」


 廊下に響き渡るほどの大きな声に驚いて、マルガルを見上げた。


「マルガル様……」


 聖女を殺して欲しいとでも言うと思っているのだろうか。目は血走り、今にも剣を抜きそうな気配がある。それほどの緊張感の中、侍女長がコホンと咳払いをした。


「マルガル様、今あなたにできることは、公爵様の元へアルティナ様をお送りすることだけです。隙をついて告白していい場面ではございません。アルティナ様の傷心を癒やしたいと思う気持ちは理解できますが――」

「なっ! 私はっ」


 酷い誤解を受けて、マルガルは真っ赤になってしまった。それはそうだ。近衛騎士隊の猛者がそんな冗談を笑っていられるとも思えない。


「侍女長、冗談が過ぎます。マルガル様が困ってしまっていらっしゃるわ。ごめんなさいね、侍女長は私を和まそうとしてくださっているのよ」

「なっ! な……んでもございません。アルティナ様、しかし私も騎士として、男として、アルティナ様をお守りする気持ちがございます。困ったことがあれば……なんでもおっしゃってください」


 頼もしい言葉に私は思わず笑ってしまった。


「ふふっ、ありがとうございます」

「流されましたわね――。陛下より、アルティナ様の様子を見てくるようにと命じられたのですが、来てようございました」


 侍女長はそう言って私を促した。大きな声だったから人に誤解を受けるかもしれない。けれど、ふと気づいてしまった。

 ヴィオラム様が聖女と結婚してしまったら、私は誰か他の人に嫁ぐことになるのだ。聖女という誰よりも気高い存在を相手にしてヴィオラム様を取り合うことなど、お祖父様も許さないだろう。

 部屋にはお祖父様が一人でいらっしゃった。


「お祖父様……」

「アルティナ、可哀想に。お前は昔から少し間が悪かったけれど……」


 侍女長とマルガル様も部屋の外だから、私はお祖父様の胸に抱きついた。


「もう、またその話ですの。ちょっと旅行先で生まれてしまっただけですのに」

「悪かった悪かった。アルティナ、先ほどからお前に縁談が来ているよ。宰相の息子カールを筆頭に、よりどりみどりだ。リスルも説明に来たと言いながら立候補していたな。神官のくせに」

「皆様よほど私が可哀想に見えたのですね」


 可哀想な人に手を差し伸べたくなる気持ちはわかるが、今はそっとして欲しかった。


「お前は、昔から可愛くてなぁ。目を離すとすぐに攫われたりするから心配でエドモンドに頼んだんだが……」


 エドモンド様は前国王陛下でヴィオラム様の亡くなったお父様のことだ。祖父とは年が離れているけれど仲がよくて名前で呼びあうほどだった。私もエドモンド様には可愛がってもらった。王妃様を早くに亡くされて、でも愛しているからと言って最期まで新たな妃を娶らず独り身を通した人だった。


「もう小さい子供ではありませんもの。攫われたりしませんわ」

「小さい子供でないからこそ、心配しとるのだ」

 

 渋い顔で、私の頭を撫でる。


「お祖父様ったら」

「では帰ろうか。このまま田舎に引っ込んでも構わんが、……そうもいかんだろう」


 公爵家の馬車に乗り込んで出発を待っていると、何故か公爵家の護衛だけでなく騎士団の一部までが付いてくることになってしまった。


「陛下のご命令です。アルティナ様をお守りするように――と」

「はぁ、仕方あるまい。頼んだぞ」


 断ると思っていたお祖父様が頷いたので、差し出がましいと思いつつ私は反対した。


「お祖父様、今日は重大発表もあるのです。護衛をこちらに借りるわけにはまいりませんわ。公爵家の護衛もいるのですし……」

「そのような気遣いは無用でございます」

「騎士団長、あなたは陛下の護衛ではありませんか」


 マルガル様ならまだわかるけれど、騎士団長は王の護り手なのだ。私が王妃であったならわかるけれど……。


「アルティナ様に非難されるような役目を与えられた陛下に文句を言いたくなりますな」


 私の倍ほどの年とはいえ、剣のマスターでもある騎士団長は愛妻家で有名な方だ。騎士団長としてはお休みならきっと舞踏会は楽しみにしていただろう。


「今日は奥様をエスコートされるのではないのですか?」

「妻に言われました。アルティナ様に怪我でもさせたら恨みますよとね。妻もあなたのことが大好きなんです。護衛をお許しください」


 そこまで言われて断ることはできなかった。騎士団長の奥様はとても聡明な方だから、私が家に帰ると聞いて何かを察したのだろう。それとももう聖女降臨の噂は城を巡っているのだろうか。


「わかりました。感謝いたします」


 ヴィオラム様のいらっしゃるだろう方向はあちらだ。私は心配してくれているだろう彼のことを想った。

 本当は、今日、ヴィオラム様の妃となったはずなのに――。

 馬車はきらびやかな王宮を抜け、祭り騒ぎになっている(王の結婚の祝いだった)城下を抜けていった。

 まだだめ……。自分の部屋に戻るまで我慢しようと私は祖父が頭を撫でてくれるのを心地よく委ねながら目を閉じた。


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