レファレンスNo.1 7-1
閲覧室に戻ってみると案の定、かえでさんは『思い出の本』を読み終わっていて、カウンターのところで立川さんやエノク君と話していた。
「かえでさん、記憶は戻りましたか?」
さっきのピンと張りつめた雰囲気はなくなり、部屋の空気もどことなく柔らかくなっている。
それに安心したわたしは、ピョンピョンッ、とみんなのところに駆け寄り、期待を込めた声でかえでさんに問いかけた。
「はい。『思い出の本』のおかげで生前のことも思い出せましたし、どうして幽霊になってしまったのかもわかりましたよ」
上目遣いに下から顔をのぞき込んだわたしに、かえでさんはふわりと笑いかけてくれた。
……でも、その言葉はどこか固く、笑顔も無理しているのが丸わかりなものだった。
「もしかして……、あまりいい記憶じゃなかったんですか?」
「お前はバカか! そんな立ち入ったことを聞くんじゃない!」
わたしが重ねてかえでさんに尋ねたとほぼ同時、エノク君が強い声でわたしを咎める。
(ッ! ――しまった!)
エノク君の怒声を聞いた瞬間、わたしも自分がどれほど無神経なことをしていたかに気づいた。
そもそも幽霊になってしまうくらいなのだから、かえでさんの記憶がいい記憶なわけがない。
なのに、能天気な笑顔で「記憶が戻りましたか?」なんて聞くこと自体、非常識だ。
その上、追い打ちをかけるように「いい記憶じゃなかったんですか?」だなんて……。
「ご、ごめんなさい! かえでさん、今のは忘れてください」
あまりの失態に心の中で自分の頭をポカポカ叩きながら、慌ててかえでさんに謝る。
何やっての! もっと場の空気を読みなよ、わたし!
ああ、もう~。本当に大バカなんだから!
「いいえ、お気になさらず。確かに、よい記憶ではなかったですし……」
けど、かえでさんはわたしを責めることもなく、むしろ気遣うように微笑んだ。
「それに、お力添えいただいた皆さんにはお話しして然るべきでしょう。――皆さん、もしよろしければ、少し私の話にお付き合いいただけないでしょうか?」
「――それであなたの気を少しでも晴らすことができるのなら、我々はいくらでも……」
わたし達を代表してエノク君がそう言うと、かえでさんは生きていた時のことを思い出すように遠くを見つめる。
そして、滔々と取り戻した生前の記憶を語り始めた。
「……私が生まれたのは、明治の終わり頃――今から100年ほど昔のことです。それなりに裕福な家に生まれたこともあり、私は幼少時代から何不自由ない暮らしをさせてもらうことができました。両親は私のことを蝶よ花よと育ててくれ、いずれは名家のもとに嫁がせようと考えていたそうです」
裕福な家庭で、何不自由ない生活か……。
やっぱり、かえでさんっていいとこのお嬢様だったんだ。
「ですが、高等女学校に進んだ私はある時、両親の意に反して町の活版印刷所で働いていた青年と恋に落ちてしまったのです。私と彼は永遠の愛を誓い合い、結婚の約束を交わしました。――しかし、彼は名もない家の出。当然、私の両親は彼との仲を認めてくれませんでした……」
かえでさんは寂しげな声でそう語りながら、軽く俯く。
それは……そうだよね。本当なら一番祝福してほしい両親から結婚を反対されるなんて、悲し過ぎるもん。
でも、すぐに顔を上げたかえでさんは、それまでの寂しそうな声から一転し、強い意志の籠った声で話を続けた。
「両親が結婚に反対したのは、わたしの幸せを考えてのことだということはわかっていました。でも、その時ばかりは、私も両親の言葉に従うことはできませんでした。だって、私はそれほど彼を愛していたから……。だから私は彼といっしょに、二人の仲を認めてもらおうと必死に両親を説得し続けました。そして、長い時間はかかりましたが、遂に両親から結婚を認めてもらうことができたのです」
結婚を認めてもらえたと言ったその瞬間だけ、かえでさんの顔に幸せそうな笑顔が宿った。
それは、見ているわたし達までも幸せにしてしまいそうな、とても素敵な笑顔だったんだけど……。
「ですが……」
その笑顔は長く続くことなく、かえでさんの表情はまたすぐに悲しげな微笑みに戻ってしまった。
「ですが結局、私は彼と結婚することができませんでした……」
かえでさんが告げた言葉と共に、重い空気が閲覧室を包む。
まるでかえでさんの悲しみが乗り移ったかのようなその空気に耐え切れず、わたしは先を促すようにかえでさんに尋ねた。
「何が……あったんですか……?」
「両親に結婚を認めてもらってすぐ、私は結核という病気にかかってしまったのです。結婚は当然延期。私はそのまま回復することなく……」
声もなく、かえでさんが首を横に振る。
つまりかえでさんは、もう少しで手に入るはずだった幸せを根こそぎすべて奪われて死んでしまったということか……。
「それじゃあ、かえでさんが幽霊になってしまった理由って……」
「はい。彼と結婚できなかったことが、心残りだったみたいです。記憶が蘇れば成仏もできるかと思ったのですが――すぐには心の整理が付きそうにないですね。少し残念ですが、気長に折り合いをつけていくことにします」
明るくそう言ったかえでさん。
でも、かえでさんの表情は笑っているけど、まるで泣いているみたいに見えた。
(かえでさんにあんな表情をさせてしまったのは、わたしだ。まったく何やってんだろう、わたし……。さっきから、かえでさんを傷つけるようなことばかりして……)
自分の軽率な行動が招いた結果に、思わず唇を噛み締める。
わたしが考え足らずだったばっかりに、かえでさんに辛い思いをさせてしまった。
わたし――本当に最低だ。
「すみません、かえでさん。わたしが余計なことを言った所為で、辛い話をさせてしまって……」
「先程も言いましたが、お気になさらず。話したのは、私の勝手です。それに、皆さんに話したら少し気が楽になりました」
俯くわたしを、かえでさんは手をパタパタと振って許してくれた。
でも、気丈に振る舞うその姿はどこか痛々しくて、わたしはかえでさんを直視することができなかった。
「では、私はそろそろ失礼することにします。みなさん、私に記憶を取り戻させてくれて、ありがとうございました」
そう言って、わたし達に深々とお辞儀をするかえでさん。
ただ、かえでさんの憔悴した様子を見かねたのか、立川さんが労るようにかえでさんへ声をかけた。
「少しお疲れのようですし、しばらく休んでいかれては如何ですか?」
「いえ、大丈夫です。お心遣い、感謝いたします」
しかし、かえでさんは立川さんの申し出を丁寧に断った。
とはいえ、やっぱりその顔は無理してているようにしか見えなくて……。
そんなかえでさんを見ていたら、わたしの中で一つの思いが芽生えた。
このままかえでさんを帰してはいけないという強い思いがこみ上げてきたのだ。
(かえでさんを傷つけるだけ傷つけて、このまま「はい、さようなら」なんてできないよ。わたしだって、かえでさんのために何かしてあげたい! ――だけど、今のわたしにできることって一体何?)
どうにかしないといけない。でも、わたしなんかにできることがあるのだろうか?
相反する二つの思い。何かしたい。でも、何をしたらいいのかわからない。
そんな葛藤を抱え、悶々とする。
すると、その時だ。
わたしの目に、一つの光景が飛び込んできた――。




