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第二四話

オトラント公、重耳の故事を語り、皇子、己が驕を恥じる。

オトラント公爵ジョゼフ・フーシェ氏について語るとしよう。

氏は、毀誉褒貶の激しい人物ながらも多くの機会に平和を求めていた。

なにしろ、戦争は自分でコントロールできないのだから当然である。


この点、誤解されがちとはいえ鉄血宰相ことビスマルク氏も本質的には外交を戦争よりも好んだことから自明だろう。

つまり、端的に言えばフーシェ氏はその謀略においてトコトン平和主義的なアプローチを好むのである。


ビスマルク然り、フーシェ然り。

個人以外ならば十人委員会も又然り、と言うやつだ。

ビバ、平和!と言うやつである。


彼らは、みな、悉く平和を愛したのだ。

なにしろ、『不必要な』戦争など一文の得にもならないのである。

戦争は手段であり、目的に釣り合わなければ断じて忌避されねばならない。


間違っても、かんとーぐんの様に謀略で戦争を引き起こすなどと言う本末転倒なことはフーシェ氏には想像だにできぬ。

まあ、愚か者がやらかすということまでは否定しないという人間理解も持ち合わせてはいるのだが。


とまれ、戦争は外交の延長線上でありフーシェ氏には『自分が望まない』戦争など必要ないのだ。

まあ、戦争になればなったで勝つために努力は惜しまない辺り、善良な官吏としてのフーシェ氏は見上げたものなのだが。


そんなわけで、オトラント公爵ジョゼフ・フーシェ氏はインペリムにおいても極々平和的な環境を希求してやまないのである。


素晴らしい平和主義者と言えるだろう。

だからこそ間違っても、ガリア情勢を拗らせて爆発させて、内戦など望むところではなかった。

間違ってそうなってしまえば、恥ずかしさのあまりフーシェ氏は悶死してしまうに違ない。

陰謀とは芸術であり、芸術とは愛をもって行うものである以上、フーシェ氏の感性はそれに耐え難いのだ。

言うならば、悪魔が天使の所業を為すことで自己のレゾンテールを喪失するに等しい。


故に、善き料理人としてフーシェ氏は悪魔的な才覚でもって見事な手腕を発揮せざるを得ないのである。




「…つまり、亡命させよ、と?」


“ヴェルター殿下、どうか、クレトニウス総督閣下に災いを避けるべくガリアを出る様に促してはいただけませぬか?”


苦しげな表情で表向きは侍従長として侍る腹心のオトラント公から囁かれたヴェルター第四皇子。

落ち着きを取り戻しつつある帝都とは裏腹に、騒ぎ立てる元老院と固く利権の鎖で結びついた神殿。

忌々しいことに、兄のヴェルケルウス第二皇子は自分の懐を探ってまでクレトニウス総督を救う気配を見せていない。

精々が残念だ、というお決まりの言葉だろう。


だからこそ、内々の場ではヴェルターも亡命を考慮せざるをえなかった。

そんな時に、ガリアを出すべきだという智慧者のオトラント公が切り出してきたのだ。


やはり、それしかないのだろうか。


しかし…インペリウムのために尽くして、なおかつ『彼個人』に約束してくれた国家の僕を…。


「いえ、厳密に申し上げるならば…亡命ではありません。誤報が必要なのです。」


が、忸怩たる思いに駆られかけていたヴェルター第四皇子には、救いの手がいつものように差し伸べられていた。


思慮深く微笑んでみせる自分の腹心。

そのオトラント公が見せる自信と確信の表情だ。

彼は、駆けまわりその上で可能な限りの答えをいつも持ってきてくれた。


その事実と経験。


気が付けば、穏やかなオトラント公爵の声色がヴェルターの悩みを彼がかなう限りで助けてくれたことを思いだせてくれていた。


「殿下、重要なのはクレトニウス総督閣下に叛意がないことを示しつつ時間を稼ぐ。これにつきます。」


明瞭な目的の確認。

案外、面倒がって若者が忘れがちなことかもしれない。

なにも、わかり切ったことを、と。


始め、ヴェルター自身もこのオトラント公の持って回ったような言い廻しには時折辟易したものだった。


「亡命は、形式的には罪を認めてしまうため…ガリアの面々を罰せざるを得なくなるでしょう。」


が、公はもっとも本質的なところを筋道と共に述べていると何時しか彼は理解していた。

迂遠なようで、オトラント公の言葉とは決して回り道をしている迂遠なものではなく、考え抜かれた末の提言なのだ、と。


「しかし、仮に、ではありますが…総督閣下は『誤報』により連絡のつかない地域へ出征したとすれば如何でしょうか。」


自分に媚びるわけでもなく、さげすむわけでもなく。

単なる一人の臣下として、ただ、あるべき輔弼の才を振ってくれる人物。

それは、ヴェルター第四皇子にとって初めての経験だった。


父帝の健在なりし在りし日々でさえ、自分につけられたのは腹に一物もある宮中雀どもだ。

自分につけられた教師役でさえ、結局のところは自分を通じての栄達を望んだに過ぎないと彼は今や悟っている。


だからこそ、零落した自分に誠でもって支えてくれる臣下というのを見るにつれて自分の至らなさを彼は悔やむのだ。


…これほどまでに、自分に尽くしてくれる公にさえ、自分は、満足できていないのだ、と。


何故、これほどまでに自分に忠実な人間には力がないのか、と。

どうして、自分はこれほどまでも微力な助けしか得られぬのか。


「空白となったガリアへ殿下が兵を進められ、しかる後に『無実』乃至『赦免』を選べるのではないかと愚考いたします。」


が、そのあさましい思いを振り払ってヴェルターはオトラント公の言葉を斟酌し感心していた。

その提言は、時間を稼ぐという点では頗る有用だった。

まず、大義名分としての叛乱鎮圧と、クレトニウス総督個人の名誉を両立させうる稀有な提案だ。


何より大事なことは、司法権の問題を上手く処理できる点にある。


ガリアへの討伐指揮官として、ヴェルターは現地での恩赦の権限を与えられていた。

つまり、ガリア内部でならば討伐指揮官に与えられる裁量で問題が処理できる。

元老院には、クレトニウス総督が無実であった、とヴェルター第四皇子が報告するという形で終わらせられる。

宰相のオルトレアン伯爵に手配りを整えさせることさえ上手くできれば、報告を読むだけで済ませられるだろう。


「うむ、確かに。しかし、問題があるとすればその誤報をどうやるか、だが。」


「宮中と連動を図るしかないやもしれませぬ。どなたか、寄る辺をお持ちではありませんか?」


「兄上か、宰相に図るしかあるまい。」


ヴェルターが無造作に漏らした一言。


たとえ宮中において冷遇されていたとしても、彼はやはりインペリウムの皇族なのだ。

彼にとっては、宮中の寄る辺とは詰まる所それらを束ねる頭である。

無意識のうちにせよ、彼の頭にあるのは自分で説くのでなく、誰かを使うという貴族的な精神なのだ。


「では、失礼ながら…私ではあまりお役に立てそうにもありませぬ。どなたか、軍使をお立てください。」


「…すまんな、卿には厚く報いたいのだが…」


どうしてもだった。

ここでも、また、かくまでも忠実な臣下に不満を覚えてしまう自分が居るのだ。


「ノブレス・オブリージュでありましょう。どうぞ、お構いなく。」


「それよりも、殿下。差支えなければ、私は先にガリア入りして現地の情勢を探ろうかと思うのですが。」


この者には、それがふさわしいだろう。

理性としては、インペリウムに寄る辺のないオトラント公が足場を持たないことは理解できる。

その知恵と経験に助けられているのも認めてやまない。


だというのに。


…いけないとは分かっていても、心に侮りが沸いてしまう自分が居る。


「何?…しかし、卿はようやく帝都で人を集めてくれたばかりでは?」


「ご安心ください。残していくヴィオラは優秀な者どもです。どうぞ、心安らかにお使いください。」


まただ。

また、であった。


此れほどまでに、良い部下に、何故、自分は。


…物足りないと感じてしまうのだろうか。





クルクルと、隠しているようで面白い百面相を浮かべる皇子様。

あの騒がしいボナパルト一族と同類しか自分の持ち札にないことに、心底辟易しつつも勤勉なジョゼフ・フーシェ氏は想うのだ。


まったく、これだから、自分を『貴種』と勘違いしている輩にはつける薬がない。

ボナパルトの様に、ある種の英雄ならばいざ知らず。

与えられたものでブクブクに膨れ上がった豚など食用豚以下なのだ。


きっと、ヴェルター第四皇子は気が付きもしないだろう。

侍従長と言う職は、ある意味で最も恐ろしいのだ、と。

身の回りの世話役、使用人、ことほどに監視に適した人間などいない。


自分の生活のすべてをフーシェにゆだねるなど、恐ろしくてナポレオンは想像すら拒否することだろう。

というか、ナポレオンは追い出すために散々苦心を尽くしていたほどだ。

警察大臣としてフーシェを酷使したのは、別にナポレオンがフーシェを活用したかったからではない。

フーシェを蹴りだしたくも、その有能さから最後の一時間までも為せなかったに過ぎない。


だからこそ、フーシェは上司に仕えるときにいくつかやり方があることを知っている。

オトラント公爵ジョゼフ・フーシェ氏の第一原則。警戒されない方がことは運びやすい。


証明は酷く簡単だ。

フーシェを警戒しなかった人間はことごとく破滅した。

侮っていたロベスピエール。彼を簡単に野に放った総裁政府。


他方、警戒していたタレーランはしぶとく生き延びている。

まあ、タレーランだからこそ生き残れた、と言うべきかもしれないが。


ともかく、愛されるよりは恐れられた方が良いにしても、恐れられるよりも…警戒されない方が大切だ。


フランス革命時代、フーシェが痛感したのは『使用人』という職業に対する余りの無関心さに他ならない。

誰もが、使用人がそこにいることを当然と考え、その素性を一々問いただしたりはしないのだ。


だからこそ、フーシェは知っている。


使用人と言うのは、認められたいという承認欲求の塊であり、名目上のトップにではなく、使う人に仕える者なのだ、と。


それ故に、フーシェは恭しげな表情の裏で今日もまたほくそ笑む。


仕込みは上々。

後は、ゆっくりと煮込めば素晴らしいスープになることに違いない。





午後に入った気怠い時間というのはどの稼業にも時折ある。

帝都の宿屋にしてもその例外ではない。

旅支度を済ませた宿泊客が旅立ち、今晩の宿泊客らが隣の町から着くにはまだ早い時間帯だ。


マリウス亭でも従業員たちが交代で休憩を取り、思い思いの軽食をつまむ時間帯というのは存外暇が多い。


だからこそ、暇を持て余した連中がちょっとさぼりすぎないように、と親方は掃き掃除を命じるのだ。

存外、百人隊長の頃よりも部下を使うのが上手くなったような気がするよな、等と従業員は囁くものである。


休むときに休ませ、しかし休みで気を緩め過ぎないという手綱をしっかり握っているあたり親方も大したものなのだが。


とまれ、そのような事情の延長線で従軍中に培われた土木技術を活用し、多くの宿屋が付近の街道整備を行っている。

インペリウムの帝都では、地方では軍団兵が行うインフラメンテナンスをこうした退役軍人らが割合になっているのだ。

補完性の原理、と後世の学者が賛辞するに至る社会制度でもある。


まあ、もっとも。


何となく気怠い時間帯に働いている当事者にしてみればそんなことはどうでも良かったりする。

というか、働いている真っ最中のヴィルにしてみれば何か好奇心を刺激されるものはないかと鵜の目鷹の目であった。


その補助軍団上りの視力は実に優れもの。

だからこそ、彼は遠方から近づいてくる人影をほかの誰よりも早く捉えることに成功した。



「あれー?ミーシュさん?どーかされたんですかー!?」


接客だ。

そう、誰にも文句をつけられない程見事な声と姿勢。


箒を脇の同僚に押し付け、足早に翔る姿は従業員の模範だろう。

お客様に気が付き、積極的に声掛けしていくのだ。


…さぼりではない。


「おや、ヴィルかい。ちょうどよかった。実は、明日からガリアに戻ることになってね。」


「ガリアにですか?」


内心、そういえばそろそろ長期滞留のお客さんらが帰り支度をしていたなと思い出す。

帝都のごたごたと、ガリア方面の騒擾も解決しつつあるというのがもっぱらの風聞。

付近の街道で、よりにもよって皇族が襲撃されるほど不穏だったのはもう今は昔だ。


「帝都がごたごたしていたおかげで、様子をうかがっていたんだがね」


「まあ、それも最近ではだいぶ落ち着いてきたからそろそろ旅路にと言う訳ですね。」


「その通り。まあ、安全のために傭兵らとご一緒するがね。」


「ああ、じゃあ、戻る傭兵らと?」


「隊列付き商人として、ガリア行きのグループに参加だよ。此方の方が、安全だし安上がりだ。」


やり手の商人らしく、何処までもちゃっかりしているミーシュの答え。

隊列付き商人ならば、大体の日用品や細かな物品のやり取りで意外と儲かるものだ。

オマケに、本職の護衛には及ばないにしても隊列を組めるほどの傭兵ら。


野盗が襲うには、少々以上に物騒な獲物過ぎることだろう。


隊列を組めばどうしても速度が遅くなるにしても、それを補って余りあるものは多い。


「違いありませんね。それで、何か御用でもおありでしょうか。」


「そう、それだ。実はこちらに居ない間の手紙を保管してほしいのだが。」


「ああ信書の取次でしたら、少し頂けばマリウス亭でやってますよ。」


所謂行きつけの宿というのは、どこも得意客に対しては其れなりに便宜を図るものだ。

よく泊まってくれる上に、払いが滞らない客の手紙ならば喜んで受け取る。

なにより、放っておいても手紙を受け取りにまた客が来てくれるのだ。


ホクホク顔で、手間賃で何を買うかと考え始めるヴィルだが・・・相手もまたその位のことは知っている。


「助かる!ただ…ちと、ものは相談なんだが子供らの手紙までは…」


「うーん、しかし、一応、此方もですね。」


そして、ヴィルは少しばかりミーシュに借りがあったりする。

意外と子煩悩らしいミーシュさんのおかげで、孤児院に色々と便宜を図ってもらっているのだ。

何気に、継続的な寄付とかも頂いていると耳にしている手前、そう、無下にもできない。


泣き落としに入られると、些か弱いのだ。


「子供に小銭を持たせろとも言えないだろう。どうだろう、今残っている豚と今度来るときにガリアワインと蜂蜜で手を打てないか。」


「…うちの顔見知りの子供らだけですよ。」


自分が紹介した孤児院の子供たち。

彼らとのやり取り位ならば、まあ、あれだ。

親方も許してくれるだろう。


「ああ、まあ、そうなるか。…わかった、感謝を。」


「いえいえ。それで、親方には?」


「できれば、一声かけていきたいがどうだろうか。」


「分かりました。道中、少し不穏かもしれませんし、親方に相談していかれて下さい。」


「そうするよ。ありがとう。」





隊列を組んでガリアへと向かう人々。

その一群に紛れ込んだ退役ガリア軍人とミーシュはゆったりとしたペースで街道を進んでいた。

一日当たりの平均的な移動は、数時間。

後は、町々を経由するという非常にゆったりとした速度は足腰の弱い女性や年配の旅客を慮ってのものだ。

当然、急ぎの旅路を抱える者は途中で馬を調達したり、健脚に物を言わせて先を急ぐ。


「…宜しかったのですか?」


「うん?何がだい。」


そんな中、急ぐ風でもなく悠々と集団の中で帝都から来た旅慣れぬ人々が買い忘れたであろう品々を売って回る男は、首を傾げてガリアからの同行者の疑問に応じていた。


「公、今からでも馬を走らせた方が…。」


「焦る気持ちは分かるがね。悟られない方が大切だ。」


焦ってはダメなのだ。

事は、ゆっくりと運ばねばならない。


「焦っては仕損じる。難しいことだが、だからこそ、配慮しなければ。」


「しかし…」


「気持ちは分かる。だが、我々ならば上手くやれるさ。気を強く持ちたまえ。」


そう、『我々』ならば上手くやれるのだ。


意外とオトラント公は…書くのが難しい。


追伸

呟き始めました。

https://twitter.com/sonzaix

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