第二三話
オトラント公、人間をどうやって信頼するか語り、ヴェルター皇子、薄汚い元老院に激怒す。
よく、信じていた人間に裏切られた、という話をフーシェは耳にする。
フーシェに言わせると、それは信頼というものの行い方を完全に間違っている人間の戯言だ。
意外に思われるかもしれないが、オトラント公爵ジョゼフ・フーシェ氏は警察大臣の時代でさえ、機密を分かち合える親友を持っていた。
史書は、彼の友人に関して左程も語ることはないが、それでも…フーシェ氏にも友人(それも信用できる!)が居たのだ。
つまりフーシェ氏の行いを知った上で尚、友人で居てくれる稀有な人間も探せばいるのである。
言い換えれば、信頼できる友人というのはフーシェ氏ですら持ちえるのだから、信頼できない友人を信用してしまう事は自己責任だろう。
とは言え、人生経験豊富なオトラント公爵ジョゼフ・フーシェ氏だ。
彼はダメな方向で信頼できる人間ならば、簡単に見分けられる方法を知っている。
実に、簡易かつ簡単でそれこそ小学生でも理解できるであろう簡単なそれは、『借金のこしらえ方』だ。
誤解されがちだが、借金そのものを悪いとはフーシェは言わない。
なにしろ、あの清廉潔白で、清廉すぎてギロチンにかけるしかないロベスピエールでさえ、他ならぬフーシェから借金したこともあるのだ。
旅費が足りない彼のために、骨折って融資してやった日のことをフーシェは今でもよく覚えている。
だから、借金があるからと言って人間としての信頼性が即座に崩壊するわけではない。
ある意味では借金できるという事は、借金を借りる宛があるという事でもあるのだ。
あのカエサルにしても、莫大な借金王として若いころは名を轟かせ、結局クラックスが泣きながら貸しつづけたではないか。
それらの事例を知っていれば、借金の伝手をもつ人間というのはある程度の縁故を持つが故に…場合によっては余程信頼できる。
もう一つの事例は、借金を不運にも誰かから引き継いでしまう場合だ。
家が、先祖の借財で苦しむというのは決して珍しい話ではない。
なにしろ、他ならぬブルボン家自体が、自転車操業で破たんしたことがあのフランス革命がきっかけの一つであったのだ。
積み重なった借金、というのもまた一つの要素として良くあることではある。
とはいえ、真面目に先祖の借金を少しずつ返していける家と、増やしてしまう救いがたい家があるので、後者はダメなのだが。
フーシェ氏の人間鑑定術では、先祖が作った借金を少しずつ返していく家の人間は真面目な官吏としての素質があると見込んでいる。
逆に、先祖の作った借金を膨らませていく輩は…良く言えば大変使いやすい駒であり、悪く言えば大変付け込まれやすい駒である。
運用に際しては、細心の注意を払わなければならないだろう。
そして、一番救いがたいのが、自分たちで借金をさらに膨らませていくばかりか、悪所から借りてしまう連中だ。
こうなると、もはや、どうしようもないほどに借金の泥沼から抜き出せなくなるという事をフーシェは良く観察してきた。
いつの時代も、後ろめたい連中の噂話は底辺に集まってくるもの。
だから、苦汁を散々味わったフーシェ氏は注意深く闇金業界に注意を払って居ればたいていのゴシップは掴めることを知っている。
そんな中で、不自然にならないように注意しつつ没落し借金のある騎士階級の家庭訪問を繰り返したのだ。
採用に際しては、二つのグループを意図的に混ぜて採用していた。
一つ目は、ヴィオラ等に代表される腐っていないグループだ。
まず、貸し手が健全乃至は真っ当な部類。
そして、借金の多くが先祖のこしらえたもので、返済に際して…汚職の評判を聞かなかった家の娘たちだ。
手っ取り早い利殖の方法は、汚職であり、そして、それは返済の懐具合を知っている金融業者らは知らん顔の裏で勘付いているものだ。
あの家は、どこから、あんな額を用意できたのだろうか、と。
逆にいえば、不自然でない程度に少しずつ返済している家はほどほどに信頼して良い。
もう片方は、腐ったものを敢えて用意しておいた。
こちらは、多すぎてどれを選ぶの効果的かフーシェでも悩まなければいけない程だったと言っておこう。
といっても、選び方は簡単だ。
まず、健全なところや真っ当な業者ではもはや相手にされない程に資金繰りが苦しい家。
それでいて、金遣いが荒い所がベストだろう。
それこそ、流行の服飾やら、美容やら、あるいは美食。
並々ならぬ矜持と、見栄と、権勢欲に塗れた俗物であることがなお望ましい。
一度、盗泉の味を覚えてしまえば…我慢などできないのだ。
少なくとも飲むならばタレーランの様にそうとは知られないように堂々と飲むべきだろう。
フーシェも、あの異常なまでの放漫財政をタレーランがどうやって捻出しているのかと常々感心させられたものだ。
ブリュメール十七日に公債を買って、三日後に売り払うという露骨なやり方を上品にやれるとは。
とはいえ、世の中、奴ほどきれいな手袋で掠め取ることを覚えている人間ばかりではない。
間抜けな連中は、えてして、気が付かれていないと思って平然と掠め取る習性をつけてしまうのだ。
いずれ、ばれるだろうという常識よりも、目の前の短期的利益が全ての思考に陥ってしまう。
アヘンの常用患者のように、動物的となるのだ。
我慢できない連中の前に、飴玉を転がせば舐めてくれる。
別に、舐めろと言わずとも、だ。
いや、もっと極端に言うべきだろう。
彼女たちにしてみれば、金は、宝飾品は、ぜいたく品はある意味で水に等しい。
それが乏しいという事で、節度を持って使うという発想は生まれながらにして欠如している。
そんな彼女らが、砂漠でオアシスを見つけたとき、人のオアシスだ、という意識は働くわけもないのだ。
渇きの衝動で、飲まざるには入れないに決まっている。
ボナパルト指揮下でエジプトに連れて行かれた兵士の言が真実ならば、そうなれば、飲まずにはおれないのだ。
だから、如何にも失望しています、私、という表情で侍従長フーシェ氏は手荷物の検査を命じられたのだ。
青い血と称するものさえなければ、単に手癖が悪いだけの我儘な連中を宮中に連れてくれば結果はわかり切っているだろう。
むしろ、3人も素直に自分の罪を認めるとは思わなかったほどである。
結論として言うならば、フーシェ氏は決して手荷物に宝石などを放り込んで冤罪を作ったりはしていない。
ただ、宝石を放り込む習癖をもった連中の前に無造作に転がしておいただけなのだ。
かならず、引っかかってくれるだろうという信頼は、完全に報われたと言えるだろう。
盗人を宮中に入れた、と非難される危険がないわけではないが未然に阻止したという形を取っている。
オマケに、最低限とはいえ騎士階級の身元確かな女性を選んで入れる努力はしているのだ。
…悪戦苦闘して、人材を集めているというカバーは間違いなく誰もが信じてくれるに違いない。
あんなに、玉石混合の人材で苦労せざるを得ない程度の侍従長。
せいぜい人が良いだけの、世間知らずの異邦人。
こんな評価が、宮中における一般的なフーシェの望む評価だ。
ついでにいえば、重要なことであるが…侍女たちは、フーシェに監督され、フーシェが指図できる手駒なのだ。
確かに、ヴェルター殿下に仕える侍女ではあるが…指揮権はフーシェにある。
ある意味で、自分の身の回りの使用人はしっかりと手綱を握れなければならない主人としては望ましからぬ構造だ。
が、無力な使用人ということでえてして貴族や皇族は使用人の重要性を忘れがちである。
まったく、呆れ果てた傲慢さだろう。
だから、庶民派のフーシェとしてはナポレオンの秘書が夜、叩き起こされて口述筆記させられたという愚痴を優しく聞いてやっていた。
そういうこまめな他者への配慮が、時として思わぬことに使えるのだ。
だから、他人には基本的に優しくすべきだとフーシェは信じてやまない。
損をしない限り、どうして、他人につらく当たることが必要だろうか?
そわそわとした足取りを何とか叱咤激励して抑え込んでいたヴェルター第四皇子。
彼が、半信半疑で待ち望んでいるのは、元老院の議決とそれに関連する帝都の政治情勢だ。
忌々しい規則で帝都では直接身動きできない彼は、ガリア関連の情報すら、侍従長という名目でオトラント公を使うしかない。
無論、公の仕事ぶりに不満があるわけではないが…はっきりと言えばとても適材適所とは思えないのだ。
自分の顧問として、助言を欲しい人材を、こともあろうに折衝や情報収集にも投じなければならない不自由さ。
ガリア討伐軍の指揮官として、幕僚は幾多も与えられるが政治的に信頼できる臣下が彼にはあまりにも乏しい。
だからこそ、というべきだろうか。
彼は、一人でも多くの味方が必要なのだ。
「殿下、侍従長がおこしです。」
「おお、公か、如何した?」
だから、今日も帝都から馬を走らせて駆けてきたオトラント公の持って寄越す知らせが大切だった。
時折、最近雇い入れた侍従候補の子供に走り書きで急報を入れてくることもあるにはあるがそれは些事の連絡だ。
やはり、信頼できる手勢が書けているために、こうした連絡一つとっても自分の股肱の臣下を走らせるしかない現状。
一方で、それは確実に信頼できる帝都の情勢を伝えてくれるという思わぬ副産物があることにヴェルターはようやく気が付いていた。
落ち着いた物腰の公は、優れた観察者としての素質に富んでいるらしい。
客観的な報告は、軍の偵察報告と似ていて、状況を簡潔かつ秩序だって説明してくれる。
それだけで、この篤実な臣下の知性と忠誠を感じられるというものだ。
「殿下、僭越ながらガリア情勢について至急、申し上げねばならぬ仕儀がございます。」
「…それで、どういう具合か。」
だが、その日の報告はヴェルターをして分かりたくない類の報告だった。
「陛下の一声さえ頂ければ、恩赦を賜れる程度には同情を集められております。ですが…。」
「やはり、父が意識を取り戻さねば無理か。」
「現状では、元老院の反対が強すぎます。」
簡潔にまとめられた報告。
もちろん、ガリア討伐軍の指揮官であるヴェルターがガリアの叛徒を討伐するのは職責上当然だ。
彼は、そのために大々的な任命式を経て兵権を預けられている。
だが、その本意はガリア討伐軍の各級指揮官同様にクレトニウス総督の無罪を疑っていない。
ライネ軍団の後背を死守し信頼できる兵站地であったガリアを長く支えてきた帝国の忠臣。
彼の叛乱、蜂起がほとんど元老院の欲した冤罪だと知っている立場からすれば、討伐など愚の骨頂だ。
それこそ、帝国の忠臣を、帝国の将兵が相打つ形で討伐するなど本末転倒も良い所に違いない。
が、それはあくまでも帝国というシステムの秩序を保つ立場の人間の発想だ。
そのシステムの中で権益を優先する階層にしてみれば、ガリア利権をシールドしている人間は酷く目の上のたんこぶである。
そしてガリアが帝都の情勢混乱に付け込まず、それどころか帰順したいと申し出るや否や、大いに口を挟み始めているのだ。
その厚顔無恥さに、根切りにしてやりたいと歯噛みするヴェルター。
だが、同時に唯一の問題点として彼は、討伐する権利こそ与えられているものの赦免の権利は与えられていないのだ。
原則、指揮官と言うのは現地にて一応独断で条約や処分を命じることはできる。
が、それらは帝都で元老院と皇帝の裁可を受けなければ…覆される程度のものだ。
もちろん、皇帝陛下の意を汲んで派遣された現地指揮官の決定は、皇帝によって保障されるのが常ではある。
常ではあるのだが…父帝が昏睡していることが、今日の問題を招いていた。
「第二皇子ヴェルケルウス殿下は、事情をご理解の上ガリアの重要性から恩赦もやむなしと。しかし、恩赦の強行は出来ぬと仰せです。」
「では、クレトニウス総督の赦免は無理、と。余に、かの者の首を取れとでも申すか?」
「…恐れながら、最悪の場合、その公算が高くなりかねぬ情勢です。」
呟かれたオトラント公の報告。
それは、誰も、元老院の横車を抑えきれないということを意味する。
無論、それが明確な違反であれば糾弾の声も上げられるだろう。
だが、忌々しいことに…建前としては反逆者の討伐と叛乱軍への恩赦を彼らは謳っているのだ。
軍歴の豊富なヴェルケルウス第二皇子が、ガリアの重要性を知悉しているのは当然だろう。
その彼が、懸命に情勢を説けば少なくとも妥協策を元老院は示せる程度には現実的らしい。
だが、最低でも陛下の宸襟を騒がし奉った責任者の首を、と言われると第二皇子では反論できぬのだ。
それは、父帝の意志ではない、と断言できぬ以上、何も言えない。
迂闊に断言すれば、勅命を偽ったとして叩かれかねない繊細ながらも危険な問題がある以上、どうしようもない。
「叛逆か。しかし、しかしだぞ、彼は殆ど意図せずしてそうさせられただけだろう?」
「御意。ですが…それを許しうるのは、現状、ヴェルギンニウス陛下その人だけでございます。」
そして、堂々巡りになりがちな議論を断ち切るオトラント公の忠言が酷く耳にキツイ。
ヴェルターとて分かってはいるのだ。
今更、それが偶発的な事故で引き起こされたに等しい冤罪だと叫んだところでどうにもならないのである。
唯一、状況を変えられるのは皇帝の御言葉だけだ。
しかし、それは、この状況下では到底望みえない。
仮に、仮にだ。
父帝が意識を回復し、明晰な言葉で語ってくれればすべては解決できるだろう。
だが、その望みは、もはや余りに長きにわたって病臥している父を知っている以上、ヴェルターには望みえない。
そうである以上、皇帝の言葉として解決するのは不可能になってしまう。
…仮に、だ。ヴェルギンニウスからヴェルケルウスへと譲位がなされれば。
クレトニウス総督は、救われるかもしれないが。
それは、同時に、ヴェルターの身の破滅だ。
皇弟という立場は、ひどく危険だと良く理解できる。
「つまり、元老院か?」
この状況下で、唯一打開が期待できるのは正義ではない。
皮肉なことに神殿でもなければ、軍でもなく、ただ、諸悪の根源と来ている。
「ご明察の通りかと。」
「…冗談ではない、冗談ではないぞ!!クレトニウスを、殺せ、と!?」
気が付けば、ヴェルターは落ち着きを取り払って叫んでいた。
元老院の満足のいく形で、決着をつけるしかない。
それには、元老院と交渉して彼らの譲歩を引き出すのみ。
無論、元老院が一見すれば譲歩したような提案の直後に、である。
その手順だけが、ヴェルターにとって最低限のラインを守るための方策だ。
最悪の場合、失敗してもヴェルターの安全は確保されている。
彼は、その場合でも、まだ、皇帝の至尊の座に手が届くという事だ。
しかし潔癖症に近い若者にしてみれば、そんなことを囁かれて堪ったものではないだろう。
自分こそが、自分が正義だと信じて帝国に良きことを為そうとするために、帝国の忠臣を見殺しにするしかない?
…冗談ではない。
それは、それだけは。
胸からあふれ出る憤りの奔流。
気が付けば、彼は叫んでいたのだ。
「殿下、どうぞ、お言葉をお静めください!」
辺りを憚る様に、たしなめるような表情の公爵が居なければ。
ヴェルターはそのまま思いつく限りの語彙で、元老院を罵り続けていたことだろう。
「すまん。しかしだ、公は、知らぬのだ。奴らが事と次第によっては、そんな暴挙を平然とやりかねないと。」
「まだ、決まってはおりません。殿下、元老院とて…ことの本質を忘れたとは。」
「忘れているに決まっておろう!帝室の輔弼を忘れて、寄生するだけの輩だぞ!」
彼は、忘れない。
元老院という名の、高官らの一団が如何に帝国を蝕んでいるか、を。
属州で告発される総督の数を数えれば、一目瞭然だろう。
そして、父帝昏睡後、その告発の裁判が如何に不適切に行われているか。
だからこそ、彼は断言できるのだ。
元老院の良識など、信ずるには値しないのだ、と。
「しかし…殿下に加えて、ヴェルケルウス第二皇子殿下にまでお口添えいただければ、と思うのですが。」
「いや、ダメだ。圧力をかけるしかない。…どこかに、渡りをつけるしかないぞ。」
「御意。」
「公には、もう一働きしてもらわねばならん。すまんが、苦労してもらうぞ。」
「よろこんで、この乏しい才幹を振いましょう。」
いやぁ、なんかたくさんの感想につられてホイホイと続きを書いてしまいました。
校正もきちんとしていないうえに、書いている本人がかなり眠気と格闘しながらなので…後で、修正するやもしれませんがご容赦を。




