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第二一話

オトラント公爵、ジョゼフ・フーシェ氏。人材募集を始める。

ジョゼフ・フーシェ氏に言わせれば、陰謀とは職務として語るべきものではない。

陰謀とは、技術ではなく一つの生き甲斐であり、人生の情熱を捧げる唯一無二の価値がある芸術だ。

間違っても、何かを得るために陰謀を張り巡らせるようでは二流の誹りを逃れえないだろう。

金銭とは陰謀のための資財であり、芸術の材料でしかないのだ。

名誉と栄光は、芸術に対する誉れでなければならない。


結論として言えば、陰謀は目的であって手段としてはならないのである。

陰謀で何かを得ようとするのは、陰謀を楽しむことができない宜しからぬ手段とまでフーシェ氏は断言できるだろう。


陰謀とは、それそのものが愉快なのだ。

極言すれば陰謀は、それそのものが価値あるといえるだろう。


そんなに素晴らしい陰謀には、ワインの熟成と同じでちょっとしたルールがつきものである。

まず、一般論として言うならば、陰謀というのは隠されなければならない。


当たり前の話だ。


日の当たらぬ『陰』で『謀』られるのだから、陰謀である。

陽光の元で、堂々と謀る『陽謀』というのはフーシェくらいしかやらないだろう。

誰だって、お前を刺しに行くぞ、という話を耳にすれば用心するに決まっている。


が、それは極々初歩の議論でもあるのだ。


何事も徹底するに越したことはなくとも、物事には塩梅があるということだろう。

その手の情熱的な専門家であるジョゼフ・フーシェ氏に言わせれば隠しすぎるというのもまた、問題なのである。

つまる所、不穏であるべきにもかかわらず、波風一つ立っていないというのは実に臭い。

言い換えるならば、幾多の陰謀が囁かれている不穏な情勢というのがある程度は人間の本質なのだ。


お偉いさんが、いくつもの策謀を弄ぶことなど今日に始まったことではない。

というか、フーシェ自身が経験則からしてそれらを良く知っているのだ。

仮に、仮にだがフーシェが忠実無比に裏表なく仕えているとしたら逆にボナパルトは何事やあらんと身構えるだろう。



…あの信用ならないフーシェが、陰謀を弄ばないなどありえない、と。

何か、巨大な陰謀を絶対に隠しているに違いなのだから絶対に尻尾を掴まねば、と。

彼は手持ちの間抜けな秘密警察共を散々駆り立てて何が何でも陰謀を見つけようとすることだろう。


家の台所と同じだ。

綺麗すぎれば、少し変だろう。


そんな当たり前の原理原則から言えば、大きな政変が起きた直後に平穏無事に陰謀が消え失せるなどという事は…あまりにも不自然なのだ。

厳密かつ情熱的に事態を舐め回せば、どこか、変な味わいを見つけるのはこの道に人生をささげたプロならば造作もないことである。





だから、というべきか。


マリウス亭で自分が耳にした平穏という噂と、市中に放ってある多くの手足からも平穏これに尽きる、という報告を受けたフーシェは大興奮していた。


許し難いことに、誰か、自分に隠れて、一人、愉快極まりない戯れに手を出している不届き者がいるのだ。

このオトラント公をして、短い間とは言え気が付かぬ間に陰謀を企めるという事は全く以って称賛に値する不届きものだろう。

が、一度見つけてしまった以上は容赦するわけにはいかなくなった。



陰謀情熱がフーシェの冷たい奥底で燻っているのだ。





それこそ、どう、調理してやろうか、と。



そんな時に、料理人としてのフーシェは如何なる事態にも備えておくことがどれほど柔軟な対応が可能かということを経験から知っている。

こんな時のために、ちょっとした仕込みを数か月前に行っていたのだ。


政変の前に、ちょびっとだけ借金に苦しむ騎士階級や貴族連中をひも付き援助で飼ってある。

彼らを、そう、お肉として少しだけ調理の素材としたところで…何が悪いことがあるだろうか?

その時のために、養殖しておいた新鮮な素材なのだ。


素材は、必要に応じて、適切に、そして、迅速に選ばれなければならない。



さあ、楽しい下準備を始めよう。




インペリウムは、常に有用な人材を欲しており門戸は広く開かれている。

建国以来、貴族という保守的な階層を抱えながらも常に新陳代謝には留意した政策の賜物。

保守なき革新にも、革新なき保守にも陥らず。

常に活力を保ち続ける努力が歴代の皇帝によって払われていた成果が、門戸を叩く若人らの姿だ。



開かれた門戸を叩く有為な若者は後を絶たず、彼らには平等に実力を試す機会が約束されている。

その門を叩き、一代で騎士階級へ叙勲されることも実力さえあれば可能だろう。

騎士階級へ上った平民の子供の代にもなれば、才覚次第で元老院に議席を得ることすら夢ではない。

現宰相のオルトレアン伯爵などからして元は騎士階級の出身なのだ。


血統が優先される貴族階級と違い、騎士階級とは概ね実力主義で揉まれた人材のプールといえる。

無論、競争は激しく、蹴落とされる家も決してないではないのだがそれは実力主義の一面だ。

能力で与えられた地位を、能力がなきものに継承させるほどにインペリウムは寛容ではない。


が、実力とは無縁の部分で苦労する家も存在した。


ヴィオラ・トレリアスの家は、その典型的な事例だろう。

彼女、ヴィオラが物心付く頃には家は既に傾き始めていた。

決して、貧しいわけではなかった家産が徐々にすり減ってゆく生活。


気が付けば、彼女の家は騎士階級として新興の部類でありながらも同時に酷く金策に事欠いていた。


理由は単純だ。


彼女の家は、身の程に合わぬ借財を祖父の代に抱え込んでしまっていたのだ。


「お父様…その、宜しいのですか?」


「仕方ない。父上が生きていれば、と思う事もあるが今となってはな。」


祖母の遺品でもある宝石細工の髪飾りを質に入れる父の声色は、染み付いた諦観で枯れていた。

ヴィオラの父は、ごくごく平凡な属州に家を構える農家の息子の次男として生まれた。

先祖代々の農民としてトレリアス家に生まれた父は、しかし、騎士階級の官吏である。


トレリアス一家に転機があったのは祖父の代だ。

軍団兵としての務めを終えた祖父が幼い父を抱えて帝都へと上り、官吏としての道を選んだことだろう。

元より、祖父も次男として自活するしかなかったのだが、出仕に際して実家が幾ばくか援助してくれたというから恵まれてはいたらしい。

縁故に恵まれない初代にしては、祖父は才覚で大きな成功をおさめたと言えるだろう。


「ですが…その、おじい様のことを最後まで…。」


都市警邏の職務から、人々の生活を司る護民官の属僚まで登りつめた祖父は43才で遅咲きながらも按察官にまで昇進。

遂に、名誉あるコースの一員として、帝都で認められるに至っている。

が、不運なことに農家の小せがれに渡される実家の援助程度では官職に必要な資財を賄うことはできない。

だから、収入と付随的な権益からすれば微々たる額ながらも祖父は職務に付きまとう諸々の経費を幾人かから借り入れていた。


本来ならば、別にどうということもない額だ。


が、トレリアス一家にとっては不運なことに。

祖父は、按察官としての職歴をさして積む間もなくアエギュプトゥス属州から来た流行病で斃れてしまう。

按察官にとっては、どうということのない微々たる借金。


「お前の祖父は、偉大な人だった。…母が、その最期の思い出を手放したくなかったという気持ちは分かる。だが…な。」


が、それは、同時に先祖代々の家産を持たないトレリアス一家にとっては俄かに膨大な借金と化す。

当たり前だ。按察官の借金が、単なる下っ端に返せるならばそもそも、祖父も借財をこしらえる必要はなかっただろう。

だから、当代の家主であるマルクスは苦汁を噛みしめながらも彼にとっても母の形見に当たるものを手放さねばならなかった。


ヴィオラの父、マルクスもまた騎士階級の一員として官吏の職は見つけているが祖父程のキャリアは積んでいない。

なにしろ祖父が斃れたとき、父はようやく初の公職を得たところだったというのだ。

順調なキャリアを経験していれば、人並みと称する父でもやがては祖父のつくった身代を引き継ぐこともできたかもしれない。

だが20代の若者にとって、その借財は余りにも大きすぎた。


母と父は、それ以来、生まれたばかりのヴィオラを抱え、15年の長きにわたって一向に減らない借財と戦い続けているのだ。

これでは、最低限の出世に必要な付き合いもままならないことだろう。

その程度のことしかヴィオラは察しえないが、それでも、自分を此処まで育ててくれた父が酷く諦観に包まれていることは知っている。


後ろ盾のない二代目。

そして、先代のこしらえた大量の借金。

誰が考えても、マリウスの出世は望みえないに違いない。


そして、ヴィオラは自分の立場について両親が酷く気に病んでいるためにあえて気付かぬ素振りを続けている。


こんな借財まみれの一人娘に、マトモな婿などありえないだろう、と。

そもそも、結婚話がありえないだろうと達観出来る程度には、彼女は現実が見えている。


代々の騎士階級ならば、結婚相手は同格で付き合いのある家か、もしくは一つ上を狙うだろう。

次代には、没落していそうなトレリアス家などお呼びではない。

そして、新たに騎士階級へと昇ってくる新興の家は意外なことになるべく安全策を取りたがるものだ。


野心にあふれ、才能も豊かな若者でもなければ一代限りで騎士階級に登れないというのは正しい。

彼らが野心に満ちているというのは事実だが、同時に彼らは上る過程でオカミの危険さも学んでいく。

ガブリ、とやられないためにはある程度の自力が必要なのだ。


だから、古い騎士階級の家や自分のパトローネスの紹介で古い家とつながることを重視している。

借金まみれで、どこの派閥にも見向きもされないような家に来たがる人間は居ないのだ。

そして…平民ともなれば借金の額に慄くことだろう。


誰も、どの家も、トレリアス家には興味がないのだ。良く言って。


家を訪ねてくる人間と言えば、強いてあげるとすればだが借財を取り立てる連中くらいだろうか。

その彼らも、家に碌に家財がないと知っているので殆ど言ってこないのだが。


それでも、微々たるものとは言えトレリアス家にも財はある。

利息だけでも払うためにそれらを売り払う生活をヴィオラはずっと、ずっと、続けていた。

そして、これからも、それが続くに違いない。


最後まで明るく振る舞っていた祖母が斃れたとき、どこかで心が折れたのだろう。

母も、それ以来健康がすぐれずに臥せってしまいトレリアス家の家運はいよいよ神々に見放されてしまっている。


「わかってはいるのだよ、でも、アレネの薬代だけでもなんとかしなければね。母も、赦して下さるだろう。」


「…そうですね、お父様。」


運命を呪う事は、とうにやめていた。


嫁いだばかりの家を見捨てず、母は良く頑張り、そして病に倒れ医者さえかかれずにいる。

どうしてだろうか。


どうして、自分たちは、こんなにも苦しまなければならないのだろう。


悪いことをしたわけではない。

なのに、何故?


それでも、それでも彼女は問わずにはおれないのだ。

神様、どうして、私たちはこんなにも…、と。


それでも、祖母の形見を売らねばならないという事を頭で理解して心で泣くしかない。

父とて、つらいのだ、と。


「ごめん下さい。こちらはトレリアス家で宜しいでしょうか?」


そんな時だ。

絶えて久しく聞かなかった、もの。

礼儀正しい客人の問いかけ。

その声に父も娘も一瞬、我を忘れて見つめあっていた。


再度、呼びかける声が外から響きゆっくりと戸をノックする音。


それでようやく我に返った父が戸を開けたところに立っていたのは身なりの整った男性だった。

30代だろうか、典雅とまではいかずとも良い仕立ての服を品よく着こなした姿からは裕福そうなことが伺える。


一体、どんな人なのだろうかという疑問よりも先に浮かんだことは裕福そう、という思い。

何時も、そんなことばかり考えているからだろうか、と気が付けばどうしてもヴィオラは悲しくなってしまう。


「…そうですが、失礼ですが、どちらの方でしょうか?」


だが、礼儀正しく家を訪れてきた客人に心当たりのないらしい父は怪訝な顔で来訪者へ問いかけていた。

まあ無理もない話で、職場ですら碌に同僚との付き合いが途絶えてしまっている父だ。

最低限の仕事がらみの連絡は、家ではなく職場で事足りるのだからわざわざ家まで来る官吏も居ないだろう。


「ああ、大変ご無礼を。申し遅れました。私、ジョゼフ・フーシェと申します。」


「フーシェさん、…あまり、聞かない響きの方ですな。」


「お分かりになられますか?その通りでして、実はつい先日遠方より帝都に参ったばかりの田舎者です。」


屈託なく笑うフーシェは、しかし帝都でも指折りの生地で仕立服を纏える程度には裕福だ。


「ああ、そうですか。」


「はい、いやはや、さすがに世界に冠たるインペリウムが首都は素晴らしい。あちこち見ているうちに、時が過ぎてしまう。」


あれが、良かった。

いや、あのフォーラムの見事さといったら。

騎馬の見事さも、息をのむほどですぞ、あれは素晴らしい。

おっと、大浴場を忘れるわけにはいきませんな。

やはり、テルマエあってのインペリウムです、そうは思われませんか?


そんなことを、滔々と愉快気に語るフーシェ氏には申し訳ないが。

トレリアス家には、そんな世間話を楽しむには少々荒れているのだ。


「宜しいでしょうかな。」


だから、世間話を延々と愉快そうに話すフーシェ氏を遮り本題をと促した父はどこか、苛立ちを抑えているようでもあった。

自分たちの重い空気とは裏腹に、どこか陽気な客人の具合である。

無理もないことで、マルクスをしても微妙にささくれだてさてしまうらしい。


「おっとすみません。どうにも、話がそれてしまう。」


「遠路お越しいただいたお客人には申し訳ないが、我が家はご覧の通りの有様です。ご用件だけ伺っても?」


そして…こんな人が、本当に何の用だろうか?

お金に不自由していない商人が自分から、こういってはなんだが借金の取り立てに来ることはない。

そんなことをせずとも、使用人を走らせている。


「ええと、すみません。」


「ああ、マルクスです。マルクス・トレリアス。」


「では、初めまして。トレリアスさん。宜しければ、私のことはジョゼフと。」


そして、何よりこんなに朗らかに笑って握手を求める真似などありえない。

訝しむ様に手を握りかえす父の戸惑いは、それを理解しかねていることの証左だろう。


「そして、差支えなければ、そちらのお嬢様もご紹介いただければ幸いなのですが。」


だが、だからこそ、というべきだろうか。

自分をどこか見定めるような眼で、紹介していただきたいとフーシェが口にしたときに。


ヴィオラは、やっと納得が出来た。

ああ、そういうことなのか、と。


「フーシェさん、失礼ですが、貴方は…」


「おお、どうぞご無礼は御寛恕を。実のところを申し上げますと、私、人を募っておりまして。」


自分は、買われるのだ。

そんなことだろう。

騎士階級出身の、没落した家の女性。

末路は、わかり切っている。


にこやかに笑う柔らかな物腰の男性。

そして、お金の匂い。


ここまでくれば、どんなに察しの悪い人間でも嫌でも理解せざるを得ない。

そして、ヴィオラの父は無知とは程遠い人間だ。


「…御帰り頂けるかな?私は、いわれなき暴力をふるいたくはないが…娘を売るつもりはないぞ!!」


握り返していた手を薙ぎ払い、握りしめた拳を震わせながらマルクスは叫んでいた。

娘を、家族を、護らねば、という強い意志。

家長としての彼は、借財のかたに娘を売れるものか、と怒りもあらわにフーシェをにらむ。


「お父様!」


「下っていなさい!!」


一歩たりとも家には踏み込ませぬという気迫。

諦観に塗れていた父に、それほどの気迫が出せたのか。

そんな驚きを抱く間もなく、父は立てかけてある棒へと手を伸ばしていた。


「…これは、我が身の不徳ですな。申し上げるのが遅れ事をご容赦ください。」


だが、そんな怒りを一身に浴びることになった来訪者はそれでも丁重な物腰を保ち一歩引くと謝罪を口にしていた。


「誤解を招いてしまっていること…申し訳なく思います。私、第四皇子殿下侍従として今日は参った次第です。」


「何?」


「申し上げるのが遅れてしまいましたが侍従として、有為の方々を広く求めよとの殿下のお言葉に従いお宅へお邪魔させていただいております。」


人身売買などと誤解されたのは、言葉が悪かったですな、と申し訳なさげに頭を下げる男性。

彼の顔に浮かんでいるのは、困惑と…少しばかりの同情だった。

そんな誤解をしなければならない程に、追いつめられていたのか、という優しさ。


だから、棒を振り上げるに振り上げかねていたマルクスにフーシェは柔らかな声で訊ねていた。


「重ねてのご無礼、お許しいただければ、娘さんを侍女として、出仕させていただくことをお願いさせていただけないでしょうか。」



貧乏で苦しむ家に、よい勤め先を紹介するフーシェさん。

何、生活が苦しい?じゃあ、よい勤め先を御嬢さんに紹介しましょう!


ああ、ご安心を。身売りなど、そんな悲しいことをどうしてお願いできましょう?


勤め先はきちんとした、正業でお父さんにもご安心いただけますぞ!

(100%の真実)。


なんていい人なんだ、フーシェさん。

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